鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3

1名無しを整える。2018/06/14(木) 06:16:59.12ID:QDZvGNkZ
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2

2名無しを整える。2018/06/14(木) 06:20:28.40ID:QDZvGNkZ
前スレ>529
『I AM THAT 私は在る』
【31 注意を過小評価してはならない】(つづき)

 質問者 あるチベット人のヨーギは、神は目的をもって世界を創造し、ある
 計画にしたがって維持していると書いています。その目的は善であ
 り、計画はもっとも賢明なものです。
 マハラジ
 それらはみな一時的なものだ。
 私は永遠について語っている。
 神と宇宙は来ては去っていく。
 アヴァターラ(神の化身)たちは終わりなき継続性のなかでつぎつぎと現れ、
 最終的に私たちは源に帰っていく。
 私はすべての神と彼らの宇宙、過去、現在、そして未来の時間を超えた源に
 ついてのみ語っているのだ。
 質問者 あなたはそれらをみな知っているのでしょうか? それらをみな覚
 えているのでしょうか?
 マハラジ
 数人の子どもたちが舞台の上で劇を演じているとき、注意を払ったり、覚え
 ていなければならないようなことが何かあるだろうか?
 質問者 なぜ世界の半分が女性で、半分は男性なのでしょうか?
 マハラジ
 彼らの幸福のためだ。
 非個人性(アヴィヤクタ)は関係性のなかでの幸福のために個人性(ヴィヤ
 クタ)となる。
 グルの恩寵(おんちょう)によって、私は個人性と非個人性を等しい目で見
 ることができるのだ。
 私にとって二つはひとつだ。
 生のなかで、個人性は非個人性のなかに溶け去る。
 質問者 どのようにして個人性は非個人性から出現するのでしょうか?
 マハラジ
 二つはひとつである実在の相にほかならない。
 ひとつをもうひとつに先んじて語ることは正しくない。
 これらすべての観念は目覚めの状態に属するのだ。
 質問者 何が私を目覚めの状態に連れ出すのでしょうか?
 マハラジ
 すべての創造の根底には欲望がある。
 欲望と想像が互いを促進し、増強しあう。
 第四の状態(トゥリーヤ)は純粋な観照、無執着の気づきであり、醒(さ)
 めた、世界のない状態だ。
 それは空間のように、何であれそれが包括しているものに影響されない。
 身体的、精神的苦痛はそれに達しない。
 それらは外側の「そこ」にあり、一方、観照はつねに「ここ」にあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
うー・・・ちょぴっと難しいのである。

3名無しを整える。2018/06/14(木) 06:25:28.45ID:QDZvGNkZ
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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1514881490/

4名無しを整える。2018/06/14(木) 06:31:24.85ID:QDZvGNkZ
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1)「潜在意識、マーフィーの法則」(くまのへっぽこ脱出大作戦)
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/199
2)「マハムドラ-の詩」>>305
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/305
3) 「信心銘 」>>389
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/389
4)「真理のことば(ダンマパダ)」>>562
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/562
5)ブッダのことば(スッタニパータ)>>782
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/782
スッタニパータ、533番〜1072番
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1509160394/1
6)『I AM THAT 私は在る』

(´・(ェ)・`)つ

5名無しを整える。2018/06/14(木) 20:25:11.52ID:QDZvGNkZ
>>2
『I AM THAT 私は在る』
【31 注意を過小評価してはならない】(つづき)

 質問者 実在とは何でしょうか? 主観的なものでしょうか、それとも客観
 的なものでしょうか? 私には客観的宇宙が実在であり、私の主観
 的精神は絶えず変化し、はかないものだと考える傾向があります。
 あなたは内なる主観的状態を実在と主張し、外的な具体的世界の実
 在を否定しているようです。
 マハラジ
 主観も客観もともに変化し、はかないものなのだ。
 それらには何の実在性もない。
 無常なるもののなかに永遠なるものを見いだしなさい。
 それはあらゆる体験のなかにある、ひとつの不変の要因だ。
 質問者 この不変の要因とは何でしょうか?
 マハラジ
 あなたがそれを見る能力をもつまでは、私がそれにさまざまな名前を与えた
 り、いろいろな方法で指し示したりしたところで、助けにはならないだろう。
 視界のかすんだ人は、あなたがいかに彼に見るように促しても樹の枝の上に
 いるオウムを見ないだろう。
 よくても、あなたの示す指を見るくらいだろう。
 まずあなたの視界を清めることだ。
 じっと見つめることよりも、どう見るかを学びなさい。
 そうすればあなたはオウムを見るだろう。
 見ようとする熱望も必要だ。
 自己知識には明晰(めいせき)性と真剣さの両方が必要なのだ。
 あなたにはどんなに小さなことでも、日々の生活のなかで理解したことを誠
 実に適用することで成熟していくハートとマインドが必要となる。
 ヨーガには妥協といったものは存在しない。
 もしあなたが罪を犯したいのなら、全身全霊で、こそこそせずに罪を犯しな
 さい。
 誠実な聖者にとって徳がそうであるように、罪もまた誠実な罪人には良き戒
 (いまし)めとなる。
 その二つが混ざり合った状態がもっとも悲惨なのだ。
 妥協ほど効果的にあなたを妨げるものはほかにない。
 なぜなら、それは真剣さの欠如を表し、真剣さなしには何も為しえないから
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

6名無しを整える。2018/06/14(木) 20:58:14.65ID:QDZvGNkZ
>>2
> 非個人性(アヴィヤクタ)は関係性のなかでの幸福のために個人性(ヴィヤ
 クタ)となる。
> 生のなかで、個人性は非個人性のなかに溶け去る。
>これらすべての観念は目覚めの状態に属するのだ。
↑これは、どういう意味でありましょうか?
>>5
> 視界のかすんだ人は、あなたがいかに彼に見るように促しても樹の枝の上に
 いるオウムを見ないだろう。
 よくても、あなたの示す指を見るくらいだろう。
 まずあなたの視界を清めることだ。
 じっと見つめることよりも、どう見るかを学びなさい。
 そうすればあなたはオウムを見るだろう。
↑これは、視界のかすんでいるひとは放っておいて、自分の視界を清めなさいと言うことでありましょうか?

(´・(ェ)・`)つ

7名無しを整える。2018/06/15(金) 21:57:24.64ID:F8LH7j27
>>5
『I AM THAT 私は在る』
【31 注意を過小評価してはならない】(つづき)

 質問者 私は禁欲生活の価値を認めます。しかし実際には、私はぜいたくば
 かりしています。快楽を追い、苦痛を避けることは、私のなかにと
 ても深く染み込んでいて、理論上はとても生き生きとした私の高い
 目的意識も、日々の生活に根を下ろしていないのです。私のことを
 正直ではないと言ったところで助けにはなりません。なぜなら、私
 はただどうやって正直になればいいのかわからないからです。
 マハラジ
 あなたは正直でも、不正直でもない。
 精神状態に名前を与えることは、あなたの容認、または否認を表すことくら
 いしか役に立たないからだ。
 問題はあなたのものではない。
 それはただあなたのマインドの問題なのだ。
 あなたをあなたのマインドから分離することからはじめなさい。
 あなたはマインドではなく、その問題もあなたのものではないと思い起こす
 ように堅く決心しなさい。
 質問者 私は「私はマインドではない。私はその問題に関わらない」と自分
 にくり返し言いつづけるかもしれません。しかし、マインドもその
 問題もそのまま残るでしょう。だからといって、それは私が充分真
 剣ではないからだ、もっと真剣になりなさいとは、どうか言わない
 でください。私は知っていますし、認めもします。ただどうか教え
 てください。どうすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 少なくともあなたは尋ねている。
 はじめるには充分だ。
 熟考し、驚き、道を見いだすことを熱望しなさい。
 あなた自身を意識し、マインドを見守り、充分な注意を払いなさい。
 即座の結果を求めてはならない。
 あなたが気づく範囲内では、どんな結果もないかもしれない。
 知らぬ間に、あなたの精神状態は変化を遂げ、より慈愛の感情と行為の純粋
 さが見られるようになるだろう。
 それらを目的とする必要はない。
 あなたはそれらの変化を観照するだけだろう。
 なぜなら、現在のあなたは不注意の結果であり、あなたの変化は気づきの結
 果だからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

8鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/15(金) 22:08:42.24ID:rpYrD16P
>>6 個人性とは仮想された自分の観念なのじゃ。
 非個人性とは自他の観念の無い状態なのじゃ。
 自他の観念は条件付けによって起こるものじゃ。
 それが親等との関係性によるものなのじゃ。
 そして欲が起こり、自分が在るという観念になるのじゃ。
 それが解消されるのは生があるときだけなのじゃ。
 しかしその観念もまた目覚めた者にのみ理解できるだけなのじゃ。

 そのようなものじゃ。
 自ら実践して観察も進歩していくのじゃ。
 

9名無しを整える。2018/06/15(金) 23:14:23.82ID:F8LH7j27
>>8
鬼和尚、ありがとうであります。
個人性とは自我があると言う観念のことであり、非個人性とは無我のことでありますね。
意味がわかって、スッキリしたであります。
(´・(ェ)・`)つ

10名無しを整える。2018/06/16(土) 06:27:32.86ID:aohnTm++
>>7
『I AM THAT 私は在る』
【31 注意を過小評価してはならない】(つづき)

 質問者 ただ気づくことが、なぜそれほどの違いをもたらすのでしょうか?
 マハラジ
 今まではあなたの人生は暗く(タマス)、落ち着かない(ラジャス)ものだ
 った。
 注意力、油断のなさ、気づき、明晰性、元気、活力はみな真の本性(サット
 ヴァ)とひとつであること、統合の現れなのだ。
 タマスとラジャスを中和し、調和させることはサットヴァの本質なのだ。
 サットヴァは自己の誠実な僕(しもべ)であり、つねに注意深く、従順だ。
 質問者 私は単なる注意を通してそれを知るようになるのでしょうか?
 マハラジ
 注意を過小評価してはならない。
 それは関心であり、愛なのだ。
 知るため、行うため、発見するため、あるいは創造するためには、それにハ
 ートを捧げなければならない。
 それが注意力を意味する。
 あらゆる祝福はそこから流れだすのだ。
 質問者 あなたは「私は在る」に集中するよう勧めましたが、これもまた一
 種の注意力なのでしょうか?
 マハラジ
 そのとおりだ。
 分割されない注意を、あなたの人生のなかのもっとも重要なもの、あなた自
 身に与えなさい。
 あなたの個人的な宇宙の中心があなたなのだ。
 中心を知らずに何を知ることができるだろう?
 質問者 ですが、どうやって私自身を知ることができるのでしょうか? 私
 自身を知るには、私自身から離れなければなりません。しかし、私
 から離れているものは私ではありえません。ですから、私が私と見
 なしてきたもの以外は、私を知ることができないのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 鏡の反映にしか自分の顔を見ることができないように、あなたは汚れのない
 純粋な意識の鏡に映るあなたのイメージしか知ることはできないのだ。
 質問者 どのようにしてそのような汚れのない鏡を得ることができるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 言うまでもなく、汚れを取り除くことによってだ。
 汚れを見て、それを取り除きなさい。
 古来の教えは完全に有効だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

11名無しを整える。2018/06/16(土) 14:03:41.27ID:aohnTm++
>>10
ここに書かれてることは、すばらしくわかりやすいであります。
何度も他の言葉で読んできたことでありますが、心に染みるであります。
(´・(ェ)・`)つ

12鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/16(土) 22:50:16.03ID:dyXwETVU
>>9 よかったのじゃ。

注意して観察する力は常に人に在るものじゃ。
それを発揮するだけでよいのじゃ。
自分には無理だとか思わないでよいのじゃ。
大乗の者はそれを仏性と呼んだのじゃ。
誰でも仏になれる性質なのじゃ。

13名無しを整える。2018/06/17(日) 08:47:00.26ID:lN4bki+P
>>12 鬼和尚

観察、観察といって実践していると、最後にはノイローゼになる。

日常生活が出来なくなる。

書を捨てて、外へ出よう。 

仕事をしよう。義務を果たそう。

観察など蹴飛ばし、行動しよう。

14名無しを整える。2018/06/17(日) 10:18:43.93ID:/fPnHiCi
>>10
『I AM THAT 私は在る』
【31 注意を過小評価してはならない】(つづき)

 質問者 見ることとは何でしょう、取り除くこととは何でしょうか?
 マハラジ
 完全な鏡の本性とは、あなたには見ることはできないということだ。
 何であれあなたが見ることができるものは、汚れであらざるをえない。
 それに背を向け、捨て去りなさい。
 質問者 知覚可能なものすべてが汚れなのでしょうか?
 マハラジ
 すべては汚れだ。
 質問者 世界全体が汚れなのですか?
 マハラジ
 そのとおりだ。
 質問者 何とひどい! では宇宙は何の価値もないのですか?
 マハラジ
 それは途方もない価値をもっている。
 それを超えていくことによって、あなたはあなた自身を実現するのだ。
 質問者 それでは、いったいなぜその存在を現したのですか?
 マハラジ
 それが終わるときにあなたは知るだろう。
 質問者 終わりが来るのですか?
 マハラジ
 そうだ。
 あなたにとっては。
 質問者 いつそれが始まるのでしょうか?
 マハラジ
 今だ。
 質問者 いつそれが終わるのでしょうか?
 マハラジ
 今だ。
 質問者 今、終わりませんが?
 マハラジ
 あなたがそうさせないのだ。
 質問者 私はそうさせたいのです。
 マハラジ
 あなたはそうしない。
 あなたの全人生がそれにかかっているからだ。
 あなたの過去と未来、欲望と恐れ、すべてがその根を世界に下ろしている。
 世界なしにあなたはどこにいるだろう?
 あなたは誰だろう?
 質問者 しかし、まさにそれこそ、私が見いだしたかったものなのですよ。
 マハラジ
 そしてまさにそれこそ、私があなたに言っていることなのだ。
 立脚地の彼方を見いだしなさい。
 そうすればすべてが明かで、容易になる。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

15名無しを整える。2018/06/17(日) 10:28:50.29ID:/fPnHiCi
>>14
汚れとは、観念のことでありましょう。記憶のことでありましょう。
それらを取り除き、あるがままを観察せよでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

16鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/17(日) 22:21:59.93ID:MGGRiOSz
>>13 ならないのじゃ。
 そのように仕事や義務とかで心を病む者の方が多いのじゃ。
 それがわからないおぬしは未だ仏陀の法を学び修める準備が出来ていないのじゃ。

>>15 そうじゃ、観念に囚われずに進むのじゃ。
 実践する者だけが進歩していくのじゃ。

17名無しを整える。2018/06/18(月) 02:58:27.29ID:IVWGzPMB
鬼和尚の言う準備について語って下さい

全てを棄てる事、真理を欲する事、死苦八苦から逃れたい事でしょうか?

18名無しを整える。2018/06/18(月) 06:33:08.88ID:xoIOBcGs
1『I AM THAT 私は在る』
【32 生は至高のグルだ】

 質問者 私たち二人は遠くの国からやってきました。ひとりは英国人で、も
 うひとりはアメリカ人です。私たちの住む世界は破滅しようとして
 います。私たちは若いので心配しているのです。年老いた人びとは
 死を迎えることを望んでいますが、若い者たちにはそのような希望
 もありません。私たちのうち、何人かは殺すことを拒絶するでしょ
 うが、誰も殺されることを拒絶することはできません。私たちは生
 きている間に世界を正すことができるでしょうか?
 マハラジ
 何があなたたちに世界が破滅すると考えさせるのだろう?
 質問者 破壊的兵器は信じがたいほどの可能性をもつようになりました。私
 たちの生産能力自体もまた、自然や文化と社会的価値を破壊するほ
 どになったのです。
 マハラジ
 あなたは現在について語っている。
 それはつねに、どこでもそうだったのではないだろうか?
 しかし、悲惨な状況は地域的で、一時的なものかもしれない。
 ひとたびそれが過ぎれば、忘れ去られてしまうだろう。
 質問者 差し迫っている破局の規模は信じがたいほど大きなものです。私た
 ちは爆発のただなかに生きているのです。
 マハラジ
 人はそれぞれひとりで苦しみ、ひとりで死ぬ。
 数字とは無関係なのだ。
 死においては、ひとりの死も百万人の死も重さは同じだ。
 質問者 自然は何百万人も殺しますが、それが私を恐れさせることはありま
 せん。そこには悲劇、あるいは神秘があるかもしれませんが、残酷
 さはないのです。私をぞっとさせるのは、人間のつくり出した苦し
 み、破壊、荒廃です。その創造と破壊において自然は荘厳なもので
 す。しかし、人の行為のなかには卑劣さと狂気があります。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 確かにあなたの問題は苦しみと死ではなく、その根底にある卑劣さや狂気に
 ある。
 卑劣さもまた、狂気のひとつの形ではないだろうか?
 そして狂気はマインドの誤用ではないだろうか?
 人類の問題はマインドの誤用のなかにのみ存在するのだ。
 自然と精霊の持つすべての財宝は、マインドを正しく使うことのできる人に
 開かれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

19鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/18(月) 20:59:40.07ID:0uoofXLc
>>17 そのような心構えも必要な準備と言えるじやろう。
 更に自らをも捨てる心構えも必要な準備なのじゃ。
 いま自分と思っているものをも最後には捨てる心構えが無ければ悟りの道も完全ではないのじゃ。

 全てを捨てても捨てる主体である自分は残ってしまうのじゃ。
 それがない状態をイメージすることも困難であるからのう。
 主体である自らを捨てる心構えが必要なのじゃ。

20名無しを整える。2018/06/18(月) 22:32:29.83ID:xoIOBcGs
ふむふむ。
修行者には、自我があるのでありますから、その自我で取り組む修行でありますから、やっぱり心構えは必要でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

21名無しを整える。2018/06/19(火) 14:57:20.95ID:yOsR91GG
自殺に近いが肉体死じゃ無い
自分に絶望みたいな?

22名無しを整える。2018/06/19(火) 20:55:26.82ID:A/ggy6Si
>>18
『I AM THAT 私は在る』
【32 生は至高のグルだ】(つづき)

 質問者 正しいマインドの使い方とは何でしょうか?
 マハラジ
 恐れと強欲がマインドの誤用の原因だ。
 正しいマインドの使い方とは愛、生命、真実、そして美への奉仕にある。
 質問者 言うは易く、行うは難しです。真実の愛、人間への愛、善意の愛―
 ―なんというぜいたくでしょう。世界を正すには、それらは山ほど
 必要です。でも誰が与えるというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは真実と愛、知性と善意をどこかほかのところに永遠に探し求め、神
 や人に嘆願することもできるが、すべては無駄なことだ。
 あなたはあなた自身のなかから、あなた自身とともにはじめなければならな
 い。
 これが容赦ない法則なのだ。
 顔を変えることなく、イメージを変えることはできない。
 あなたの世界はあなた自身の反映だということを、まず悟りなさい。
 そして反映のあら探しをするのはやめなさい。
 あなた自身に注意を払い、精神的にも感情的にもあなた自身を正しなさい。
 身体は自動的に、それにしがたうだろう。
 あなたは経済的、社会的、政治的改善に関して多くを語る。
 改善と改善者であるマインドは放っておくがいい。
 愚かで、強欲で、冷酷な人にどんな世界がつくり出せるというのだろうか?
 質問者 もし私たちがハートを変えるのを待たねばならないのなら、私たち
 は際限なく待たなければならないでしょう。あなたの助言は完全性
 への助言です。それはまた絶望への助言でもあるのです。すべてが
 完全なとき、世界も完全となる。何と役に立たない決まり文句でし
 ょう。
 マハラジ
 私はそうは言っていない。
 私はただ、あなた自身を変えずに、世界は変えられないと言ったのだ。
 私はすべての人を変える前にとは言っていない。
 他者を変えることは不必要だし、不可能だ。
 だが、もしあなたがあなた自身を変えたなら、他の誰も変える必要はないと
 わかるだろう。
 画像を変えるにはただフィルムを変えるだけだ。
 あなたは映画館のスクリーンを攻撃したりはしない。
 質問者 どうしてそんなに自分に確信がもてるのですか? あなたが話して
 いることが正しいと、どうやって知るのですか?
 マハラジ
 私は私自身に確信があるのではない。
 私はあなたに確信があるのだ。
 あなたに必要なことは、内側でしか見つからないものを外側に探そうとする
 のをやめることだけだ。
 行動する前に、あなたの視点を正しなさい。
 あなたは深刻な誤解に苦しんでいる。
 あなたのマインドを澄ませ、ハートを浄(きよ)め、生を神聖なものにしな
 さい。
 これがあなたの世界をもっとも速く変える道だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

23鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/19(火) 22:13:19.62ID:Z/zpWE7W
>>20 そうじゃ、心構えによって結果も違ってくるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>21 そのようなことも人によっては必要じゃろう。
 自分とか主体とかに対する執着を捨てるのじゃ。
 難しいことではあるがのう。
 出世間の道は世間の道とは違うのじゃ。
 世間の者が大事にする自分とか主体をも捨てなければならないのじゃ。

24名無しを整える。2018/06/20(水) 00:56:18.42ID:MWauuTPm
>>22
> あなたの世界はあなた自身の反映だということを、まず悟りなさい。

これは心が現象化しているということでしょうか

25名無しを整える。2018/06/20(水) 19:41:06.19ID:OsELgFru
>>22
> 顔を変えることなく、イメージを変えることはできない。

 顔を変える とは、表情を変えると言う意味でありましょうかね。
笑顔でいるか、暗い顔でいるか、怒った顔でいるか、みたいな。
(´・(ェ)・`)つ

26名無しを整える。2018/06/20(水) 19:51:15.17ID:OsELgFru
>>22
『I AM THAT 私は在る』
【32 生は至高のグルだ】(つづき)

 質問者 数多くの聖者や神秘家が生まれ、死んでいきました。彼らは私の世
 界を変えませんでした。
 マハラジ
 どうして彼らに変えられるだろう?
 あなたの世界は彼らのものではなく、彼らの世界もあなたのものではない。
 質問者 かならず、すべてに共通の現象の世界があるはずです。
 マハラジ
 物体とエネルギーと物質の世界のことだろうか?
 仮に物体と力の共通世界が在るとしても、それは私たちの住む世界ではない。
 私たちの世界は感情と観念の、好感と反感の、価値の尺度の、動機と刺激の、
 概して精神的世界なのだ。
 生物学的には、私たちの必要はわずかばかりだ。
 私たちの問題は異なったレベルのものだ。
 欲望と恐れ、そして誤った観念から生じた問題は、マインドのレベルでしか
 解決できない。
 あなたは自分のマインドを克服しなければならない。
 そしてそのために、あなたはそれを超えていかなければならないのだ。
 質問者 マインドを超えていくとはどういうことでしょうか?
 マハラジ
 あなたは身体を超えているはずだ。
 そうではないかね?
 あなたは自分の身体の消化作用、循環作用、排出作用を綿密に追っているわ
 けではない。
 それらは自動的に行われている。
 同様に、マインドも注意を呼び起こさずとも、自動的に働くようになるべき
 だ。
 マインドが何の欠陥もなく働くようになるまで、これは起こらない。
 私たちはほとんどの時間、マインドと身体を意識している。
 それらは絶え間なく助けを呼んでいるからだ。
 苦痛と苦しみは身体とマインドが注意を引こうと叫んでいるのだ。
 身体を超えていくためには健康でなければならない。
 マインドを超えるにはマインドに完全な秩序をもたらさなければならない。
 混乱をそのままあとに残してマインドを超えていくことはできない。
 混乱はあなたの足をひっぱるだろう。
 「自分の問題は自分で片づけなさい!」は普遍の法則のようだ。
 そして、それは公正な法則でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

27鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/20(水) 21:19:45.42ID:Ur9zmJC+
>>24 認識が世界を反映しているのじゃ。
 自ら認識した世界がその者の世界なのじゃ。
 それ以上の世界は存在しないのじゃ。

>>25 なにやら翻訳がおかしいようじゃ。
 マインドとかの間違いかもしれん。
 

28名無しを整える。2018/06/20(水) 22:00:46.24ID:Rf3qpsna
>>22
コピペ元はアセンション資料館ですか?
参考までに>>22の"あなたは真実と愛、知性と…(略)…どんな世界がつくり出せるというのだろうか?" の原文です↓
You can spend an eternity looking elsewhere for truth and love, intelligence and goodwill, imploring God and man
-- all in vain.You must begin in yourself, with yourself --
this is the inexorable law. You cannot change the image without changing the face.
First realise that your world is only a reflection of yourself and stop finding fault with the reflection.
Attend to yourself, set yourself right -- mentally and emotionally. The physical will follow automatically.
You talk so much of reforms: economic, social, political. Leave alone the reforms and mind the reformer.
What kind of world can a man create who is stupid, greedy, heartless?
(サイトGREATMASTER.INFOより引用)

29名無しを整える。2018/06/20(水) 22:25:52.09ID:OsELgFru
>>28
ありがとうであります。
changing the face. をググってみたら、
>change the face of
の様相[方法・方式]を一変させる

とあったであります。

インド語→英語→日本語 で、ここまでわかりやすく翻訳していただいて、みなに感謝であります。
(´・(ェ)・`)つ

30名無しを整える。2018/06/20(水) 22:31:32.31ID:OsELgFru
>>28
コピペ元はコピペ元にご迷惑にになるといけないし、読めなくなってしまったら残念なので、秘密であります。
(´・(ェ)・`)つ

31名無しを整える。2018/06/20(水) 22:39:09.10ID:OsELgFru
>>27
翻訳がおかしかったようでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

32名無しを整える。2018/06/21(木) 06:29:10.69ID:+V8I3JdQ
>>26
『I AM THAT 私は在る』
【32 生は至高のグルだ】(つづき)

 質問者 あなたがどうやってマインドを超えたのか、尋ねてもよいでしょう
 か?
 マハラジ
 グル(師)の恩寵(おんちょう)によってだ。
 質問者 彼の恩寵はどのような形を取ったのでしょうか?
 マハラジ
 彼は、何が真実なのかを私に告げたのだ。
 質問者 あなたはそれについてどうしたのでしょう?
 マハラジ
 私は彼を信頼し、それを覚えたのだ。
 質問者 それですべてですか?
 マハラジ
 そうだ。
 私は彼と彼の言ったことを覚えていたのだ。
 質問者 それで充分だったというのですか?
 マハラジ
 これ以上何をする必要があるだろう?
 グルと彼の言葉を覚えていることは相当なことなのだ。
 あなたへの私のアドバイスはさらにやさしいものだ。
 ただ、あなた自身を覚えていなさい。
 「私は在る」はあなたのマインドを癒し、それを超えていくのに充分だ。
 私はあなたを迷わせたりしない。
 なぜそうする必要があろうか?
 私があなたから何を欲するというのだろう?
 私はあなたの幸福を願っている。
 それが私の本性なのだ。
 どうしてあなたを惑わせたりするだろうか?
 一般的な常識でさえ欲望を満たしたいのならそれを思いつづけなさいと言う。
 もしあなたが自己の本性を知りたいと望むなら、あなたの存在の秘密があば
 かれるまで、つねに自己をマインドに思いつづけるべきだ。
 質問者 なぜ自己想起が真我の実現をもたらすのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、それらは同じ状態の二つの側面だからだ。
 自己想起はマインドの領域内にある、真我の実現はマインドを超えてある。
 鏡のなかに映っているイメージは、実際は鏡のこちら側にある顔のものなの
 だ。
 質問者 まったくそのとおりです。しかし、目的は何でしょうか?
 マハラジ
 他者を救うためには、人は救いの必要性を超えていなければならない。
 質問者 私が望むのは幸福だけです。
 マハラジ
 幸せになるために、幸せで在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

33鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/21(木) 22:35:53.08ID:b74xcedO
>>31 そうじゃったか。

自我の観念を厭離するためにはそれを観察しなければならないのじゃ。
自我は邪魔者で在るが悟りへの道でもあるのじゃ。
常にそれが何であるか観続けるならばそれに気づく瞬間も速やかに訪れるのじゃ。  

34名無しを整える。2018/06/22(金) 22:38:27.54ID:gwWyNR46
>>32
『I AM THAT 私は在る』
【32 生は至高のグルだ】(つづき)

 質問者 他者のことは彼ら自身にまかせておきましょう。
 マハラジ
 あなたは孤立していないのだ。
 あなたが分かち合うことができない幸福は偽物だ。
 分かち合うことができることだけが、真に望むべきことなのだ。
 質問者 おっしゃるとおりです。しかし、私にはグルが必要でしょうか? 
 あなたの言われることはシンプルで納得のいくものです。私はそれ
 を覚えているでしょう。でも、これがあなたを私のグルにするわけ
 ではありません。
 マハラジ
 重大なのは個人を礼拝することではなく、あなたのすべきことへの帰依の深
 さと確固たる姿勢なのだ。
 生そのものが至高のグルだ。
 その教えに注意を注ぎ、その命令に従順でありなさい。
 その源を人格化するなら、あなたは外側にグルをもつ。
 あなたがそれを生から直接得るならば、グルは内側にある。
 内面の外面であるあなたのグルの言葉を覚えていなさい。
 自問し、熟考し、それとともに生きなさい。
 それを愛しなさい。
 それに合うように成長し、それとともに成長しなさい。
 それを自分のものにしなさい。
 それをすべて果たすならば、あなたはすべてを得るだろう。
 私はそうしてきた。
 グルと、彼が私に言ったことに、すべての時を捧げたのだ。
 質問者 私の職業は作家です。何か私に特別な助言をいただけますか?
 マハラジ
 執筆は才能と技術の両方だ。
 才能を成長させ、技術を発展させなさい。
 望む価値あることを、正しく望みなさい。
 人びとの間を行くとき、群衆のなかでも自分の道を見いだすように、自分の
 方向を失わずに多くの出来事からあなたの道を見いだすのだ。
 もしあなたが真剣ならば、やさしいことだ。
 質問者 何度となくあなたは真剣であることの必要性を話されました。しか
 し、私たちは単一の意志をもつ者ではありません。私たちは欲望と
 必要、本能と衝動の集積です。それらは互いに混ざり合い、ときに
 はあるものが、あるときは別のものが支配し、しかも長続きしませ
 ん。
 マハラジ
 必要というものはない。
 欲望だけだ。
 質問者 食べ、飲み、自分の身体を保護すること、生きることは?
 マハラジ
 生きようと望むことは基本的な欲望だ。
 他のすべてはそれに依存している。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

35名無しを整える。2018/06/22(金) 22:51:19.45ID:gwWyNR46
>>33
くまにとりまして自我は記憶であります。
反応としての感情に、記憶の中にある言葉があてがわれ、物語のなかに巻き込まれて苦しむのであります。
自我の苦の原因はすべて、言葉=観念=記憶であります。
その観念を思い起こしていることに気づき、その気付きにとどまることができれば粗方の苦は厭離できるであります。
けど、それは、意識的にそうあろうとする意思が働いてるときだけであります。
(´・(ェ)・`)つ

36鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/22(金) 23:53:05.73ID:mlV/mNOA
>>35 それが心の中で働いていることを観察するのじゃ。
 観察が完全にできれば永久に消えるのじゃ。

 
 死を恐れ逃避することからさまざまな苦悩も起こるものじゃ。
 それは実際には完全に逃避できないものであるからのう。
 観察する事が出来れば死の恐れも、死そのものも無いと気づくのじゃ。
 死に拠っても変化しない意識があるだけなのじゃ。

37名無しを整える。2018/06/23(土) 00:24:03.40ID:WDMZk1uf
>>36
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

38名無しを整える。2018/06/23(土) 07:17:41.17ID:MgBd9URg
鬼和尚の「実践」は誤魔化しワードじゃな。

何故なら、言葉や観念ではない、「実行」だから。

誰も反論できない、ずるいワードじゃ。

39名無しを整える。2018/06/23(土) 16:25:22.46ID:tXin/5i2

40名無しを整える。2018/06/23(土) 18:46:20.18ID:WDMZk1uf
>>34
『I AM THAT 私は在る』
【32 生は至高のグルだ】の3回目(つづき)

 質問者 私たちは生きています。なぜならば、そうしなければならないから
 です。
 マハラジ
 私たちは生きている。
 なぜなら感覚的存在を切望しているからだ。
 質問者 普遍的なことがらは、間違いのはずがありません。
 マハラジ
 もちろん間違いではない。
 その時と場所においては間違ったことなど何もない。
 しかし真実に関心を持ち、実在に関心を持つならば、あなたはすべてを、あ
 なたの人生そのものを疑わなければならない。
 感覚的必要性、知的体験を主張することによって、あなたは真理の探究を安
 楽の追求へと狭めてしまうのだ。
 質問者 私は安楽ではなく、幸福を探しているのです。
 マハラジ
 マインドと身体の安楽を超えて、あなたはどんな幸福を知っているというの
 だろう。
 質問者 何かほかにあるでしょうか?
 マハラジ
 自分で見いだしなさい。
 あらゆる衝動を疑いなさい。
 どんな欲望も正当化してはならない。
 身体的、精神的所有物を解き放ち、私利私欲を離れ、発見に対してオープン
 でありなさい。
 質問者 ただ聖者や賢者のそばで生活することだけで解放へ導き、ほかに何
 の手段も必要ないというのが、インドの霊的な伝統の一部です。な
 ぜあなたは、人びとがあなたのそばで生活できるようにアーシュラ
 ムを組織しないのでしょうか?
 マハラジ
 ある組織を設立したとたん、私はその囚人となる。
 実際問題として、私はすべての人に開かれている。
 共有の屋根や食事が人びとをより歓迎するわけではない。
 「近くに生きること」とは、同じ空気を呼吸するという意味ではない。
 それは信頼し、したがい、師の善意を無駄にしないことだ。
 グルをつねにあなたのハートのなかに保ち、彼の教えを覚えていることが、
 本当に真実とともに生きることだ。
 身体的距離の近さが重要なのではない。
 あなたの全人生を、師への信頼と愛の表現にするがいい。
 これが真にグルとともに生きることだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

41名無しを整える。2018/06/24(日) 16:18:54.13ID:rpwy5DFz
     |lililililililililili/ .ヽlili|     /:::::::,ヽ#"ヽ` "゛/ :::::|
    ililililil ilili〆 /⌒ lili/     /::::::/ .,,=≡, ,,≡=, l::::::|
    (ili -・=V  =・- V)      i::::::l゛ .,-・= ,!. =・- l::τ
     ゚li "  (・_・)ヽ l*      |:::::|  :⌒ /.. iヽ ⌒u|::i
     )人  > ⇒(  人(      (i::i″   ,ィ__)   i/
     _ __:ヽ、__  __,イ_        ヽ  U / ::::/:::〈   i
   /;:;:/゚。 ⌒。゚\;ヽ        ヽ_ ノ::``ーー''ヽ _/
   |:;:;:;:;Y * /;く;:\      __人  ` ̄´ 人_
   |;:ヽ:;:;: \ ̄/;:;/;:;:\   /: : : : : ` " λ  : :ヽ: :\
   |:;:ヽ:;:;:;:;ヽ/, / ⌒つニ/⌒ ヽ: : : :\ /▼ヽ/: :く: : : \
   |;:;:\;:;:;:// /<  二二)(二二): : : : : :\▲/:_・:/: :_: : : :ヽ__
   |:;:;:;:\;:;:|| | <  __)ゝ__人: : : : : : : ▼// ̄__つ (__)
    ;:;:;:;:;\:;| |  <___ノ  (___): \: : : : : :// / <  __)(____)
            ヾヽニニ/ヽ--'/: : : : : :\: : : :| | | < ___) (__)

                反 知 性 主 義 者

42名無しを整える。2018/06/24(日) 19:30:28.81ID:3naUKhye
>>40
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】

 質問者 ジニャーニ(賢者)は死ぬのでしょうか?
 マハラジ
 彼は生と死を超えている。
 私たちが避けることができない生まれ、そして死ぬということは、彼にとっ
 ては不動のなかの動、不変のなかの変化、永遠のなかの終焉(しゅうえん)
 という表現として見なされる。
 ジニャーニにとっては何も生まれず、何も死なず、何も続かず、何も変わら
 ない。
 すべては時を超えて、あるがままだということが明らかなのだ。
 質問者 あなたは、ジニャーニは超越していると言いますが、何を超えてい
 るのでしょうか? 知識を超えているのでしょうか?
 マハラジ
 知識は現れては消える。
 意識は存在のなかに立ち現れ、存在から立ち去る。
 それは日々起こる出来事であり、観察されることだ。
 私たちはみな、ときどき意識的であり、ときどきそうではない。
 私たちが意識のないとき、それは暗黒、または空白として現れる。
 だが、ジニャーニは彼自身が意識的でも無意識的でもなく、ただ純粋に気づ
 いていて、マインドの三つの状態*とその内容の観照者だと知っているのだ。
 ( *訳注 「マインドの三つの状態」:目覚め、夢見、眠りの状態。)
 質問者 この観照はいつはじまるのでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニにとっては、はじまりも終わりもない。
 塩が水に溶けるように、すべては純粋な存在のなかに溶けていく。
 智慧とは永遠に非実在を否定していくことだ。
 非実在を見ることが智慧なのだ。
 その彼方には表現不可能なものがある。
 質問者 私のなかには、「わたしは身体だ」という確信があります。もちろ
 ん、私は智慧から語ってはいません。しかし、自分自身を身体、
 「身体―精神」、あるいは純粋なマインドと感じる状態はいつはじ
 まるのでしょうか?
 マハラジ
 意識のはじまりに関して語ることはできない。
 時間とはじまりという観念は意識のなかに在るのだ。
 何であっても、そのはじまりに関して語るには、そこから外に足を踏みださ
 なければならない。
 そしてひとたび外に出れば、そのようなものはけっして存在していなかった
 ことがわかる。
 ただ実在だけが在り、そのなかにそれ自身として独立した存在を持つものは
 ない。
 波が海から分離することができないように、生きるものすべても存在に根づ
 いているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

43鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/24(日) 21:49:58.00ID:bbovpo3d
>>37 どういたしまして、またおいでなさい。


意識とはいつから始まったとか、どのくらいの大きさとか思考するのも観念によるものじゃ。
時間も距離も広さも観念により作り出されたものなのじゃ。
観念を超えて感じられれば永遠が実感できるのじゃ。

44名無しを整える。2018/06/25(月) 20:29:38.67ID:L6Pbnugk
>>42
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 今ここで私が尋ねているのは事実です。「私は身体だ」という感覚
 はいつ起こるのでしょう? 誕生時に起こるのでしょうか? ある
 いは今朝起こったのでしょうか?
 マハラジ
 今だ。
 質問者 しかし、昨日もそれがあったのを私は覚えていますよ!
 マハラジ
 昨日の記憶も今にしかない。
 質問者 しかし、確かに私は時間のなかに存在しています。私には過去と未
 来があります。
 マハラジ
 あなたがそう想像するだけだ、今。
 質問者 はじまりがあったはずです。
 マハラジ
 今がある。
 質問者 では、終わりは?
 マハラジ
 はじまりのないところに終わりはない。
 質問者 しかし、私は自分の質問を意識しています。
 マハラジ
 偽りの質問には答えられない。
 それはただ偽りとして見られるだけだ。
 質問者 私にとってそれは実在です。
 マハラジ
 あなたにとって、いつそれが実在として現れたのか。
 今だ。
 質問者 ええ。それは私にとって、まったく実在です、今。
 マハラジ
 あなたの質問のどこが実在なのだろうか?
 それはマインドの状態だ。
 どんなマインドの状態も、マインドと同様実在ではありえない。
 マインドは実在だろうか?
 それはそれぞれが一時的な状態の集まりにすぎない。
 一時的状態の連続をどうして実在として考えられるだろうか?
 質問者 糸に通した数珠玉のように、出来事は出来事の後に続いていきます。
 永遠に。
 マハラジ
 それらはみな、「私は身体だ」という基本的観念の糸に連なっているのだ。
 しかし、これもまた精神的状態で永続せず、ほかのすべての状態のように来
 ては去っていく。
 「身体―精神」の存在という幻想がそこにあるのは、ただ、よく調査しなか
 ったからだ。
 未調査という糸にすべてのマインドの状態は連なっている。
 それは暗室の暗闇のようなものだ。
 一見、それはそこにあるように見える。。
 だが、ひとたび扉が開かれたら、暗闇はどこへ行くだろうか?
 どこへも行きはしない。
 なぜなら、それはそこにはなかったのだ。
 すべてのマインドの状態、すべての名前と形のある存在は、未探求と未調査、
 想像と軽信のなかにその根を下ろしている。
 「私は在る」と言うことは正しいが、「私はこれだ、私はあれだ」と言うこ
 とは、探求せず、確かめずにいたこと、精神的弱さ、無関心の現れだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

45鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/25(月) 22:36:08.88ID:5aISlCTT
覚えているから自分が在る、記憶によって実在があるというのが記憶への依存なのじゃ。
自己の実在の感覚も過去の記憶の観念なのじゃ。
今ここにはないものじゃ。
それが自我のなりたちなのじゃ。

46名無しを整える。2018/06/26(火) 22:42:09.03ID:5KPUx2pf
>>44
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 もしすべてが光なら、どのようにして暗闇は現れるのでしょうか?
 光のただなかで、どうして暗闇がありうるでしょうか?
 マハラジ
 光のただなかに暗闇はない。
 真我を忘れることが暗闇なのだ。
 真我ではないものごとのなかに没頭するとき、私たちは真我を忘れてしまう。
 それは不自然なことではない。
 しかし、なぜ過剰な執着のために真我を忘れることがあろうか?
 体験者と体験の両方の源である真我をけっして忘れないことのなかに智慧が
 あるのだ。
 質問者 私の現状では、「私は身体だ」という観念は自然にやってきます。
 一方、「私は純粋な存在だ」という考えは、何か真実として、しか
 し体験されてはいないものとして強要されなければならないものな
 のです。
 マハラジ
 そうだ。
 サーダナ(修練)は自己の純粋な存在を強いて思い起こさせることにある。
 何か特定の存在としてではなく、特定の存在の総計としてでもない。
 宇宙を構成する、すべての特定のものの全体としてでもない。
 すべてはマインドのなかに存在する。
 この身体でさえ莫大な数の知覚感覚の統合でしかなく、そのそれぞれもまた
 心理的状態にすぎないのだ。
 もしあなたが「私は身体だ」と言うなら、見せてみなさい。
 質問者 ここにあります。
 マハラジ
 あなたがそれを想うときにだけあるのだ。
 マインドも身体も断続的状態だ。
 つかの間の記憶の総計が、存在しているという幻想をつくり出す。
 はかなきもののなかで何が永遠なのか、非実在のなかの実在を調べなさい。
 それがサーダナだ。
 質問者 私が自分を身体なのだ、と考えていることは事実です。
 マハラジ
 あらゆる方法で自分自身を考えてみなさい。
 ただ、身体という観念をもちこんではならない。
 そこにはただ感覚、知覚、記憶、そして観念の流れがあるだけだ。
 身体とは抽象的観念であって、多様性のなかに統合を見いだそうとする私た
 ちの傾向にすぎず、それは何も間違ったものではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

47鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/26(火) 22:50:45.95ID:aEpol7GU
肉体というものはあるがそれはあると認識すれば観念になるのじゃ。
観念の認識は実際のものごととは違うのじゃ。
肉体でさえ詳細に観察してみれば自分が思っていたり、記憶していたりするのと違うことがわかるのじゃ。
観念の自分の肉体はもっと足が長く、胴が細く、美男美女であるかもしれん。
しかし、本当に観察してみればそうでもないとわかるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

48名無しを整える。2018/06/26(火) 23:12:38.83ID:5KPUx2pf
>>47
記憶が、あるがままの観察をじゃまするのでありますね。
思い込みを排して常に新鮮な気持ちで観察しなけりゃいけないのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

49名無しを整える。2018/06/27(水) 18:28:33.62ID:a9VuguYi
>>46
33の2『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 「私は身体だ」と考えることはマインドの欠点だと、私は言われま
 した。
 マハラジ
 なぜそんなふうに言うのかね?
 そのような表現は問題を生むだけだ。
 真我がすべての源でありすべてなのだ。
 それが最終目的地だ。
 それ以外には何もない。
 質問者 身体の観念が強迫観念になれば、それは過ちなのでしょうか?
 マハラジ
 身体の観念は何も間違いではない。
 「私は身体だ」という観念さえ間違いではない。
 ただ自己をひとつの身体に限定することが過ちなのだ。
 実際には、すべての存在、すべての形態は私自身のもの、私の意識のなかに
 ある。
 私は何か、と言うことはできない。
 なぜなら言葉は何が私ではないか、しか描写できないからだ。
 私は在る。
 そして、私が在るゆえにすべては在る。
 私は意識を超えている。
 それゆえ、私とは何かを意識のなかで表すことはできないのだ。
 それでも、私は在る。
 「私は誰か?」という質問に答えはない。
 いかなる体験もそれに答えることはできない。
 なぜなら、真我は体験を超えているからだ。
 質問者 しかし、それでも「私は誰か?」という質問は役に立つはずです。
 マハラジ
 その答えは意識内にはない。
 それゆえ、意識を超えていくことを助けるのだ。
 質問者 私はここに在ります。この瞬間に。そのなかの何が実在で、何がそ
 うではないのでしょうか? さあ、どうか私の質問が間違っている
 とは言わないでください。質問を疑問視することでは、どこにも到
 達しません。
 マハラジ
 あなたの質問は何も間違ってはいない。
 不必要なだけだ。
 あなたは「今ここに私は在る」と言った。
 そこで止まりなさい。
 これが実在だ。
 事実を質問にすり替えてはいけない。
 そこにあなたの過ちがあるのだ。
 あなたは知ることでも、知らないことでもなく、マインドでも物質でもない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

50鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/27(水) 22:53:17.40ID:ZL9czPv0
>>48 そうじゃ、全ての先入観を排除して観るのじゃ。
 それが真の観察なのじゃ。

 どれほど質問をしても実在にはたどり着けないのじゃ。
 質問して考えるのは観念のうちのことであるからのう。
 観念を止めて全ての注意を集めた真剣な観察だけが人を実在に導くのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。
 

51名無しを整える。2018/06/27(水) 23:02:18.57ID:a9VuguYi
>>50
(´・(ェ)・`)つ
鬼和尚、ありがとうであります。

52名無しを整える。2018/06/28(木) 20:08:41.99ID:8X5sR9dy
>>49
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 たった今、ひとりの少年が問題をもってあなたのところに来ました。
 あなたは彼にわずかな言葉を投げかけ、彼は去っていきました。あ
 なたは彼を助けたのですか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 質問者 どうしてあなたはそんなに確かなのでしょうか?
 マハラジ
 助けることが私の本性だからだ。
 質問者 どうやって、それを知るに至ったのでしょうか?
 マハラジ
 知る必要はない。
 それはそれ自身で作用するのだ。
 質問者 それでも、あなたはある表明をしました。それは何に基づいていた
 のでしょうか?
 マハラジ
 人々が私に言うことに基づいてだ。
 だが、その証明を求めているのはあなただ。
 私には必要ない。
 ものごとを正すのは私の本質なのだ。
 それがサティヤム、シヴァム、スンダラム(真、善、美)なのだ。
 質問者 ある人があなたにアドバイスを求めに来て、あなたは彼にアドバイ
 スします。それはどこから来るのでしょうか? そして、何の助け
 によるものなのでしょうか?
 マハラジ
 彼自身の存在が彼のマインドに影響を与え、反応を引き起こすのだ。
 質問者 では、あなたの役割は何なのでしょうか?
 マハラジ
 彼と彼の自己が私のなかにともに入ってくるのだ。
 質問者 なぜ真我はあなたなしで彼を助けないのでしょうか?
 マハラジ
 だが私が自己なのだ!
 あなたは私が分離していると考えている。
 それゆえの質問だ。
 「私の自己」と「彼の自己」というものはない。
 ただ真我が、すべての存在の真我があるだけだ。
 名前と形、マインドと身体の多様性に迷わされて、あなたは多様な自己を想
 像するのだ。
 私たちはともに自己なのだ。
 ただ、あなたには確信がないだけだ。
 この個人的自己と普遍的自己の話は、初歩的な学生の段階だ。
 超えていきなさい。
 二元性にとどまってはならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

53鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/28(木) 22:21:46.33ID:xZutOywh
>>51 どういたしまして、またおいでなさい。

悟った者も悟りを求める者達の道標になるだけなのじゃ。
人は自ら悟りを求めて本心を観なければならないのじゃ。
道標があれば近道を知り、迷った時も行くべき道を知ることができるのじゃ。

54名無しを整える。2018/06/30(土) 01:41:25.92ID:6ewsPsEk
>>52
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】

 質問者 ふたたび助けを要している人の話に戻りますが、彼があなたのもと
 に来たとします。
 マハラジ
 もし彼が来るなら、助けを得るのは確実だ。
 なぜなら彼は助けを得る宿命で来たからだ。
 何も空想的なことではない。
 ある人を助けて、別の人を拒むということは、私にはできない。
 皆が救われる。
 それが法則だ。
 ただ必要によって助けの形が異なるだけだ。
 質問者 なぜ彼はアドバイスを得るためにここに来なければならなかったの
 でしょうか? 彼は自分の内面からそれを得ることはできないので
 しょうか?
 マハラジ
 彼はそれを聞かないだろう。
 彼のマインドは外側に向かっているからだ。
 だが、すべての体験はマインドのなかに在る。
 彼が私のもとに来て助けを得ることも、すべて彼のなかに在る。
 彼自身の内側に答えを見つけるかわりに外側からの答えを想像したのだ。
 私にとっては、私はなく、人もなく、与えるということもない。
 すべてはマインドのなかの光のきらめきにすぎない。
 私は永遠の平和と沈黙だ。
 そのなかには何も現れない。
 なぜなら、現れるものはすべて消え去るからだ。
 誰も助けを求めず、誰も助けを差しだしてはいない。
 誰も救われてはいない。
 それらはすべて意識のなかの現れにすぎないのだ。
 質問者 それでも救う力はそこにあります。誰か、あるいは何かがその力を
 表しています。神、真我、宇宙的心、名前は何であれ。名前はとも
 かく、事実が重要です。
 マハラジ
 これは「身体―精神」の見地だ。
 純粋なマインドはものごとをあるがままに意識のなかの泡としてみる。
 その泡は現れては消え、それ自体実在を持たずにふたたび現れる。
 それらに何の特定の原因を帰することもできない。
 それぞれがすべての原因であり、すべてに影響を与えているからだ。
 それぞれの泡が身体であり、それらすべての身体は私のものだ。
 質問者 あなたにはすべてを正しく行う力があると言われるのですか?
 マハラジ
 私から離れた力というものはない。
 それは私のなかに本来固有のものなのだ。
 創造力とも言えよう。
 ひと塊(かたまり)の金から多くの装飾品をつくり出すことができ、それぞ
 れがみな金として残る。
 同様に、私が何の役で現れ、どんな演技をしようとも、私は私として残る。
 「私は在る」は不動で、揺るがず、依存しない。
 あなたが宇宙、自然と呼ぶものは私の自発的創造性だ。
 何であれ、起こることは起こる。
 だが、すべては喜びのなかに終わるのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

55名無しを整える。2018/06/30(土) 01:43:41.05ID:6ewsPsEk
>>54
不二一元でありますね。うむ。
(´-・(ェ)・-`)つ

56名無しを整える。2018/06/30(土) 21:01:44.06ID:6ewsPsEk
>>54
『I AM THAT 私は在る』(つづき)

【33 すべてはひとりでに起こる】

 質問者 愚かな母親がメチルアルコールを飲ませたために、盲目となってし
 まった少年がいます。私はあなたに彼を救うようお願いしたいので
 す。あなたは慈悲にあふれ、助けの手を差しだしています。どのよ
 うな力であなたは彼を救うのでしょうか?
 マハラジ
 彼に起こったことは意識に記憶されている。
 それは消されることなくそこにある。
 意識が作用するだろう。
 質問者 私があなたに願い出たことが、何か違いをもたらすでしょうか?
 マハラジ
 あなたの願い出たことも少年の盲目となったことの一部なのだ。
 彼が盲目なため、あなたは懇願した。
 あなたは何もそこに加えたわけではない。
 質問者 しかし、あなたの救いは新たな要因となるでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 すべては少年の盲目となったことのなかに含まれている。
 すべてがそのなかにある――母、少年、あなた、私そしてその他のすべてが。
 それはひとつの出来事なのだ。
 質問者 こうして少年の事件について語り合っていることさえ、定められて
 いたということでしょうか?
 マハラジ
 それ以外ありうるだろうか?
 すべてのことがそれらの未来を含んでいる。
 少年は意識のなかに現れた。
 私はその彼方に在る。
 私が意識に命令を下したわけではない。
 気づきの本質はものごとを正すことだと私は知っているのだ。
 意識にその創造物の面倒を見させなさい!
 少年の嘆き、あなたの哀れみ、私がそれを聞き、意識が働きかける。
 すべてはひとつの単一の事実だ。
 それを構成要素に分割しておいて、それから質問をするのは止めなさい。
 質問者 なんとあなたのマインドは奇妙に働くのでしょう?
 マハラジ
 私ではない、あなたが奇妙なのだ。
 私は正常だ。
 正気だ。
 私は、ものごとをありのままに見る。
 それゆえ、何も恐れることがない。
 だが、あなたは実在を恐れているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

57名無しを整える。2018/06/30(土) 22:08:15.65ID:L7BdUFKi
Y1U

58鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/01(日) 00:42:32.22ID:HJg6615U
全ては一つであるとマハラジは何度も教えているのじゃ。
違う言葉や言い方で説いているのじゃ。
時間も空間も自他も無い全てが一つの境地はそれを感じない者には理解できないのじゃ。
ただ実践によってたどり着けるのじゃ。

59名無しを整える。2018/07/01(日) 12:45:12.52ID:NW/B3NRk
>>56
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 なぜ私は恐れるのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身についての無知と、恐れていることに気づいていないことが、あ
 なたを恐れさせるのだ。
 恐れないふりをしてはならない。
 まず、無知の壁を破壊しなさい。
 人びとは死を恐れている。
 彼らが死を知らないからだ。
 ジニャーニは死以前にすでに死んでいる。
 彼は何も恐れるようなことはないと知っているのだ。
 あなたが真我を知る瞬間、何も恐れるものはなくなる。
 死は自由と力を与える。
 世界から自由となるためには、世界に対して死ななければならない。
 そうすれば宇宙はあなた自身のものとなる。
 それはあなたの身体、表現とその道具となる。
 絶対的な自由としてある幸福は、どんな描写をも超えている。
 その反対に、自由を恐れている人は死ぬことができない。
 質問者 つまり、死ぬことができない人は、生きることもできないというこ
 とでしょうか?
 マハラジ
 どう言うかはあなたの自由だ。
 執着は束縛であり、無執着が自由だ。
 切望することは奴隷となることだ。
 質問者 もし私が救われれば、世界も救われるということでしょうか?
 マハラジ
 概して世界は助けを必要としない。
 人は過ちを犯して不幸となる。
 それが気づき、ジニャーニの意識が入ったとき、それは正される。
 それが彼の本性なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

60鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/01(日) 22:33:14.20ID:HJg6615U
自らの本心に気づかなければ恐れもなくならないのじゃ。
偽りの心を捨てる覚悟が必要なのじゃ。
本心を見極めてアートマンに至るのじゃ。

61名無しを整える。2018/07/06(金) 08:51:38.79ID:rG7vBbLN
>>60

本心を観察すればバラ色かいな。

それよりも、

癌の痛みで苦しんでいる患者を助けてやれよ。

62鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/06(金) 23:39:52.70ID:y7qCube6
↑医者が助けるじゃろう。
光線療法が効くのじゃ。

63名無しを整える。2018/07/07(土) 16:58:49.34ID:6JJmoRR8
>>62

鬼は知らんぷりかいな。医者に任せてしまって。

全ては心がなせる業だろ?

鬼自身が何とかせんかい?

日頃偉そうなこといいまっくてるんだから。

64鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/07(土) 22:55:59.90ID:RAEaMoCb
医者にいくことを勧めるのもわしの業なのじゃ。

65名無しを整える。2018/07/08(日) 14:08:13.64ID:wiNZ1gKu
>>64
その程度の事なら、俺でも言えるし、
主婦でも子供でも言えるよ。

悟りを開いた鬼和尚がその程度なの。

 全ては心がなせる業だろ?

 鬼自身が何とかせんかい?

66鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/08(日) 21:58:08.23ID:5zBD5iR4
↑言ってないということは言えないからなのじゃ。
おぬしも精神科にいくことを勧めるのじゃ。

67名無しを整える。2018/07/10(火) 17:48:53.74ID:73Yqyw49
>>66
鬼さんよう、

そこまで屁理屈こいて、恥ずかしくないの?

恥知らずだからこそ、言葉尻を捕らえても言い訳する性格じゃな。

悟っても、屁理屈こねる性分だけは無くならんとみえる。(大爆笑)

68鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/10(火) 21:59:32.39ID:azCKTdYZ
↑他人が屁理屈こいて恥ずかしく見えるならば自分がそうであるからかもしれん。
 何が恥ずかしいのか自分の本心を観察して確かめるのじゃ。

69名無しを整える。2018/07/11(水) 20:09:34.63ID:SecSlJfp
>>68
つ鏡
鬼の良心で決まる。

70鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/11(水) 21:34:24.84ID:znl8PFii
↑おぬしの利用心なのじゃ。

71名無しを整える。2018/07/12(木) 09:03:29.70ID:uPHMJFKw
>>70

あーいえば、こーいう。

屁理屈上手なオームの「上祐」なみの鬼和尚。

恥ずかしい姿は、ガマの油を超える。


悟っても、却って悪くなるの見本じゃ。

72鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/12(木) 22:12:53.47ID:fCxNsJiQ
↑他人が上祐とか恥ずかしいと思えるならば自分が上祐で恥ずかしいのかもしれん。
自らの本心を観れば恥ずかしさもなくなるじゃろう。

73名無しを整える。2018/07/18(水) 15:04:35.18ID:9O0WnFYk
あ?
宗教板で相手にされ無くなって、どこに消えたのかと思ったら、こんな所で邪説を吹聴していたのか?

お仕置きだな。

74仏教初心者2018/07/18(水) 15:48:58.34ID:Rbi4cfsq
鬼和尚はなぜ仏教僧でないのに和尚を名乗るのですか?

75鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/18(水) 21:16:35.20ID:W7tGLdPs
↑わしに夢中じゃな。

76名無しを整える。2018/07/18(水) 21:35:32.18ID:2HATEuwH
鬼も、皮肉を言うようになったか。

爆笑。

77仏教初心者2018/07/18(水) 22:30:00.07ID:Rbi4cfsq
>>75
で、鬼和尚はなぜ仏教僧でないのに和尚を名乗るのですか?

78名無しを整える。2018/07/18(水) 22:58:14.84ID:+CuL5w+c
このスレも遂にジャンキー糞凡愚に発見されてしまったか

79鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/19(木) 21:20:18.03ID:laGti95+
↑わしに熱中じゃな。

80仏教初心者2018/07/19(木) 21:21:29.91ID:8CrzXz9y
>>79
で、鬼和尚はなぜ仏教僧でないのに和尚を名乗るのですか?

81名無しを整える。2018/07/20(金) 02:52:25.14ID:gz6iqeeS
なぜジャンキー糞凡愚は自演ばかりするんですか?

82仏教初心者2018/07/20(金) 14:24:21.90ID:5nEduYev
必死ですねw

83鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/20(金) 22:20:05.31ID:9hHh2aX7
↑わしに必死じゃな。

84仏教初心者2018/07/20(金) 22:36:45.22ID:5nEduYev
>>83
で、鬼和尚はなぜ仏教僧でないのに和尚を名乗るのですか?

人を誤魔化して自己啓発?

85名無しを整える。2018/07/21(土) 14:29:30.74ID:oqSBN34R
パタンジャリのヨーガスートラ
第一章 
1.1 これよりヨーガを明細に説く。

1.2 心の作用を止滅することが、ヨーガである。

1.3 その時、見る者【自己】は、それ本来の状態に留まる。

1.4 その他のときは、【自己は】心の様々な作用に同化した形をとっている【ように見える】。

1.5 心の作用には五種類あり、それらは、苦痛に満ちたもの(煩悩性のもの)、あるいは苦痛なきもの(非煩悩性のもの)である。

1.6 それらは、正知、誤解、言葉による錯覚、睡眠、そして記憶である。

(´・(ェ)・`)つ

86名無しを整える。2018/07/21(土) 19:27:50.63ID:T+i148wx
222 名前:マジレスさん :2018/07/21(土) 18:51:10.66 ID:efN/DF80
自作自演なら誰も困らん
自問自答なら誰も惑わされん

あろうがなかろうがどっちでも良い

87名無しを整える。2018/07/22(日) 08:56:45.88ID:ekxWVH7N
>>85
パタンジャリのヨーガスートラ
第一章
1.7 正知のよりどころは、直接的知覚、推理、及び聖典の証言である。

1.8 誤解は、あるものに対する知識が、その実態に基づいていないときに起こる。

1.9【基盤となる】実態がなく、単に言葉だけを聞いて生ずる心象は、言葉による錯覚である。

1.10 無を把握の対象として成り立つ心の作用が睡眠である。

1.11 過去に経験し、今も忘れられていないものを対象とする作用が意識に戻ってくるとき、それが記憶である。

(´・(ェ)・`)つ

88鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/22(日) 23:30:45.21ID:BfOmqwhB
パタンジャリのヨーガスートラはサマーディによる悟りを目指すものなのじゃ。
分類すればサマーディヨーガということになるじゃろう。
集中によって忘我に成り、無我から悟りを目指す道なのじゃ。
才能のある者には容易であるが、そうではない者には厳しい道なのじゃ。 

89名無しを整える。2018/07/22(日) 23:54:50.08ID:f5e9uQ/B
で、鬼和尚はなぜ仏教僧でないのに和尚を名乗るのですか?

人を誤魔化して自己啓発?

90名無しを整える。2018/07/22(日) 23:55:15.41ID:f5e9uQ/B
またこれかな?

222 名前:マジレスさん :2018/07/21(土) 18:51:10.66 ID:efN/DF80
自作自演なら誰も困らん
自問自答なら誰も惑わされん

あろうがなかろうがどっちでも良い

91名無しを整える。2018/07/23(月) 17:27:22.90ID:p6yHUIx1
パタンジャリのヨーガスートラ
第一章
1.12 これらの心の作用は、修習(アビイアーサ)と離欲(ヴァイラーギヤ)によって止滅される。

1.13 これら二者のうち、心に不動の状態をもたらそうとする努力が、修習(アビイアーサ)である。

1.14 修習は、長い間、休みなく、大いなる真剣をもって励まれるならば、堅固な基礎を持つものとなる。

1.15 見たり聞いたりした対象への切望から自由である人の、克己の意識が離欲(ヴァイラーギヤ:無執着)である。

1.16 プルシャ【真の自己】の悟得によってグナ【自然(プラクリティ)の構成要素】に対してさえ渇望のなくなったとき、それが至上の離欲(ヴァイラーギヤ)である。

1.17 【サムプラジュニャータ・サマーディ:区別ある三昧】(有想三昧)には、論証性(尋)、反射(伺)、歓喜(楽)、及び純粋な我−性(我想)が伴う。

(´・(ェ)・`)つ

92名無しを整える。2018/07/23(月) 17:47:50.45ID:bWrBei+y
で、鬼和尚はなぜ仏教僧でないのに和尚を名乗るのですか?

人を誤魔化して自己啓発?

93鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/23(月) 22:38:23.80ID:7+EVOGGG
ヨーガスートラでは修業の実践を修習(アビイアーサ)というのじゃ。
日々の修習(アビイアーサ)なくして進歩は無いのじゃ。 
日々の修習(アビイアーサ)によって至上の離欲(ヴァイラーギヤ)にも到達できるのじゃ。
 
サマーディにもいくつかの段階が有り、ヨーガスートラでは最初の段階から説いていくのじゃ。

94仏教初心者2018/07/23(月) 22:42:52.30ID:icpnlnG6
>>93
で、鬼和尚はなぜ仏教僧でないのに和尚を名乗るのですか?

人を誤魔化して自己啓発?

95名無しを整える。2018/07/24(火) 20:10:43.63ID:ns2j772m
>>91
パタンジャリのヨーガスートラ。
第一章
1.17 【サムプラジュニャータ・サマーディ:区別ある三昧】(有想三昧)には、論証性(尋)、反射(伺)、歓喜(楽)、及び純粋な我−性(我想)が伴う。

1.18 心の作用の完全停止が確固不抜に修められることによって、後に残るのは印象(サンスカーラ:行)のみとなる。これがいま一つのサマーディ【アサムプラジュニャータ・サマーディ:区別なき三昧】(無想三昧)である。

1.19 単に物質的身体を去って天界の神格たる状態に至った者、あるいは自然(プラクリティ)〔自性〕に没入した者には、再生がある。

1.20 その他の者〔ヨーギーたち〕は、堅信、努力、念想、三昧、叡智を通して、このアサムプラジュニャータ・サマーディを得ることができる。

1.21 強い情熱をもって修練する者には、これ【アサムプラジュニャータ・サマーディ】は非常に速やかに来る。

(´・(ェ)・`)つ

96鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/24(火) 22:58:14.10ID:LL10J6D6
有想三昧にはまだ論理思考があり、我という思いも残って居る。
無想三昧にはそれらはなくもはやサンスカーラだけとなる。
サンスカーラとは今の言葉で言えば潜在意識とかになるじゃろう。
それは日常では意識できない心の働きであり、心を支配するものじゃ。

97仏教初心者2018/07/24(火) 23:03:10.17ID:l+FT0YIT
自問自答して楽しいの?

98名無しを整える。2018/07/25(水) 15:00:02.21ID:iCwUcljk
>>96
>印象(サンスカーラ:行)
↑記憶と照合される以前の、あるがままの観察のことでありますかね。
行とは、受、想、行、識 の行でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

99名無しを整える。2018/07/25(水) 15:04:36.22ID:iCwUcljk
パタンジャリのヨーガスートラ。
第一章
1.22 成功のために要する時間はさらにまた、その修練が穏和であるか、中位であるか、非常に熱烈であるかによって異なる。

1.23 神【イーシュバラ】への完全な帰依によっても【サマーディ】は達成される。

1.24 イーシュバラとは、いかなる苦悩(煩悩)、行為(業)、行為の結果(業報)、欲望の内的印象(業遺存)によっても染められていない無常のプルシャである。

1.25 彼の中には、一切知の種子が完全に備わっている。

1.26 彼は時間によって制限されないがゆえに、太古の師達にとってさえも師である。

(´・(ェ)・`)つ

100鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/25(水) 22:30:52.93ID:z+RgXu39
>>98 そのようなものじゃ。
 漢字では行と翻訳されているのじゃ。

 神への帰依によってもサマーディは達成されるのじゃ。
 勿論その神に対して元から強い信仰がなければならないがのう。
 信仰する神仏に身も心も捧げるのが真の帰依なのじゃ。
 真の帰依によってサマーディも訪れるのじゃ。

101名無しを整える。2018/07/25(水) 22:59:12.88ID:iCwUcljk
>>100
鬼和尚、ありがとうございます。
やっぱり、何らかの信仰は近道であるかもしれないでありますね。。
宗教団体に対する信仰でも個人に対すそれでもなく、苦からの解放を求める自分の思いに対する信仰みたいな気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

102名無しを整える。2018/07/26(木) 01:00:35.74ID:ih4YZhnH
自問自答して楽しいの?

103名無しを整える。2018/07/26(木) 01:47:17.11ID:2dM/oui9
Empty your mind.
Be formless, Shapeless, like water.
If you put water into a cup, it becomes the cup.
You put water into a bottle and it becomes the bottle.
You put it in a teapot it becomes the teapot.
Now, water can flow or it can crash. Be water my friend.

Bruce Lee


心を空にするんだ
形を捨てて
水のように
水をカップに注げは、水はカップとなり
水をビンに注げば、水はビンとなる
そして急須に入れれば急須になる
水は流れる事も砕く事もできる
友よ 水になるんだ!

ブルース・リー

104名無しを整える。2018/07/26(木) 06:38:28.94ID:2k3OCPA4
上善如水
水善利萬物而不爭
處衆人之所惡
故幾於道

居善地
心善淵
與善仁
言善信
正善治
事善能
動善時

夫唯不爭
故無尤


老子

ググってみたら、こんなのもあったであります。
(´・(ェ)・`)つ

105名無しを整える。2018/07/26(木) 08:30:50.32ID:2k3OCPA4
>>104
上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。
水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず、
衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。
故(ゆえ)に道に幾(ちか)し。
居(きょ)には地が善く、
心には淵(えん)が善く、
与(まじわり)には仁が善く、
言には信が善く、
正(政)には治が善く、
事には能が善く、
動には時が善し。
それ唯(た)だ争わず、
故に尤(とが)め無し。

106鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/26(木) 22:10:27.85ID:CucKlNOM
>>101 そうじゃ、信仰があれば不可能なことも可能にできるのじゃ。
 科学が信じられている今では難しいことであるがのう。

 水は争わず、低いところに向かうので在るから道に近いものであるるというのじゃ。
 道とはタオというのじゃ。
 全ての根源であり、インドで言うアートマンみたいなものじゃ。

107名無しを整える。2018/07/26(木) 22:42:16.76ID:UUCL0C16
>>106
自作自演して楽しいかい?

道(タオ)は、アートマンとブラフマンを個別に比較すれば、ブラフマンの方が概念として近しいね。

また、馬鹿を露呈したね。

108名無しを整える。2018/07/26(木) 23:05:35.36ID:2k3OCPA4
>>106
> 信仰があれば不可能なことも可能にできるのじゃ。
やっぱり、しゅうきょう=信仰は必要でありますか?
くまは、宗教としてではなく、ブッタや、マハラジノ教えをちょぴっとづつでも日々心にとどめて行きたいと思ってるのであります。
老子もよいでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

109名無しを整える。2018/07/26(木) 23:10:04.66ID:UUCL0C16
> 信仰があれば不可能なことも可能にできるのじゃ。

それはカルト。

「不可能」と「不可能に思われる事」は別だから。
信仰は「不可能に思われる事」の可能性を押し上げてくれる「可能性」があるに過ぎない。

110名無しを整える。2018/07/26(木) 23:40:57.41ID:UUCL0C16
>>858
馬鹿鬼のお仕置きの一例ねw
てか、間違いを指摘してるだけなんだけどw
必死過ぎw


106 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/07/26(木) 22:10:27.85 ID:CucKlNOM
>>101そうじゃ、信仰があれば不可能なことも可能にできるのじゃ。
道とはタオというのじゃ。
全ての根源であり、インドで言うアートマンみたいなものじゃ。



107 名前:名無しを整える。 [sage] :2018/07/26(木) 22:42:16.76 ID:UUCL0C16
>>106
自作自演して楽しいかい?
道(タオ)は、アートマンとブラフマンを個別に比較すれば、ブラフマンの方が概念として近しいね。

109 名前:名無しを整える。 :2018/07/26(木) 23:10:04.66 ID:UUCL0C16
> 信仰があれば不可能なことも可能にできるのじゃ。

それはカルト。
「不可能」と「不可能に思われる事」は別だから。
信仰は「不可能に思われる事」の可能性を押し上げてくれる「可能性」があるに過ぎない。

111名無しを整える。2018/07/27(金) 02:05:36.00ID:OJT2Shew
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112名無しを整える。2018/07/27(金) 08:19:51.10ID:GhxIlSUN
>>99
パタンジャリのヨーガスートラ
第一章
1.27 イーシュヴァラを言葉で表したものが、神秘音オームである。【オームは神の名であると同時に形である】

1.28 意味を熟慮しつつ、それを反復誦唱するがよい。

1.29 これを修することにより、すべての障害が消え、同時に内なる自己の智が開け初める。

1.30 病気、無気力、猜疑、散漫、怠惰、好色、盲見、不動の境地に至り得ない状態、獲得した地歩からの滑落−これらの心の散動が、その障害である。

1.31 心の散動に随伴して起きるものに、苦悩、失意、身体の震え、乱れた呼吸がある。

1.32 ひとつの対象に集中して修練を行なう【あるいは、ひとつの技術を用いる】ことが、障害とその付随物を防ぐ最良の方法である。

(´・(ェ)・`)つ

113鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/27(金) 23:03:04.11ID:qjqIPaTF
>>108 修業を続けるためには信仰も必要になる事が在るじゃろう。
 本当に悟れるのかとか、修業に疑いが出た時に信じることによって乗り越えられるのじゃ。
 
マントラも集中するための道具なのじゃ。
それ自体には何の力も無いものじゃ。
信じて実践することで力も発揮できるのじゃ。 

114名無しを整える。2018/07/27(金) 23:40:08.19ID:GhxIlSUN
>>113
くまは、お寺さんに行くと、般若心経や十三仏真言をとなえたりするであります。
神社へ行くと、その作法でお詣りするであります。
けど、神頼みはしないであります。
いつか、何かにすがり付きたいような事態にたちいたったら、やっぱりブッタを信仰するでありましょう。仏教ではなく。
(´・(ェ)・`)つ

115名無しを整える。2018/07/28(土) 09:00:30.39ID:3+KchHRl
>>106
自作自演して楽しいかい?

道(タオ)は、アートマンとブラフマンを個別に比較すれば、ブラフマンの方が概念として近しいね。

また、馬鹿を露呈したね。

116名無しを整える。2018/07/28(土) 09:06:48.98ID:IWiCMaJS
>>112
パタンジャリのヨーガスートラ
第一章
1.33 他の幸福を喜び(慈)不幸を憐れみ(悲)他の有徳を欣び(喜)不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ。

1.34 あるいはその静澄は、息の制御された排出、または保留によって保たれる。

1.35 あるいは微妙な感覚的知覚に対する集中が、心の不動をもたらす。

1.36 あるいは永遠の至福に満ちた、内なる無上の光に集中することによって。

1.37 あるいは感覚対象への執着を離れた聖者の心に集中することによって。

1.38 あるいは夢や深い眠りの中で得られる体験に集中することによって。

1.39 あるいは何でも心を高揚させるようなものを選び、それに瞑想することによって。
(´・(ェ)・`)つ

117名無しを整える。2018/07/28(土) 10:03:54.89ID:3+KchHRl
独身で母親と二人暮らしの中年おじさんが、クマのaaですか?

118鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/28(土) 22:17:33.74ID:ej7WAzMB
>>114 仏陀を信仰するとよいのじゃ。
 信仰によって疑いを乗り越えるのじゃ。

 対象はどんなものでも集中することでサマーディも訪れるのじゃ。
 対象はサマーディの成就と関係ないのじゃ。
 集中力が大事なのじゃ。

119名無しを整える。2018/07/29(日) 09:58:21.84ID:yHuDnH8f
>>116
パタンジャリのヨーガスートラ
第一章 
1.40 集中の修得は次第に拡大して、根源的原始から最も巨大なものにまで及ぶ。

1.41 自然の透明な水晶が傍らに置かれた物の色や形をとるように、作用が完全に衰微したヨーギーの心は、澄明・静然となって、知る者と知られるものと知との区別のない状態に達する。この瞑想の極点が、サマーディ(三昧)である。

1.42 名称と形態、及びそれらに関する知識が混入しているサマーディが、サヴィタルカ・サマーディすなわち思慮を伴うサマーディ(有尋三昧)呼ばれる。

1.43 記憶が十分に浄化されると、名称と属性の境界がなくなり、集中対象の智がひとり輝き出る。これがニルヴィタルカ・サマーディすなわち思慮を伴わないサマーディ(無尋三昧)である。

1.44 同様にして、精微な対象について修されるところの、サヴィチャーラ・サマーディ【反射を伴うサマーディ】(有伺三昧)とニルヴィチャーラ・サマーディ【超サマーディすなわち反射を伴わないサマーディ】(無伺三昧)は説明される。

1.45 精微さは集中対象として存在しなくなり、ただ定義しあたわざるものに帰着する。

(´・(ェ)・`)つ

120鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/29(日) 22:51:01.14ID:sf8wcs4R
サマーディが深くなっていくと集中の対象もなくなっていくのじゃ。
対象があるうちはまだ観念による分別があるのであるからのう。
神に集中した者が神を超えられない状態ではこのような対象のないサマーディには辿りつけないのじゃ。
神を超えてこそ対象の無いサマーディにも到達できるのじゃ。

121名無しを整える。2018/07/30(月) 00:26:50.78ID:e7gmoXmp
独身で母親と二人暮らしの中年おじさんが、
クマのaaですか?

www

122名無しを整える。2018/07/30(月) 07:49:34.95ID:bnVE+cpq
>>119
パタンジャリのヨーガスートラ
第一章
1.46 以上がサビージャ・サマーディ【有種子三昧】であり、そこにはまだ修行者を束縛や心的動揺に引き戻す可能性が残っている。

1.47 ニルヴィチャーラ・サマーディが純粋となったとき、至高の自己は輝く。

1.48 これがリタムバラー・プラジュニャー、すなわち絶対的な真理意識である。

1.49 この特殊な真理認識は、聞いたり、聖典から学んだり、推理したりして得られる知とは完全に異なっている。

1.50 このサマーディによって生ずる印象(サンスカーラ:行)は、他の全ての印象を消す。

1.51 この印象さえも拭い去られるとき、あらゆる印象が完全に消滅して、そこにはニルビージャ・サマーディ【無種子三昧】がある。

(´・(ェ)・`)つ

123仏教初心者2018/07/30(月) 17:34:51.89ID:1BiOgztj
ネットで覚者を名乗って説法とかwww

僧侶が行うならまだしも得度もしていないのに「鬼和尚」だ?

勿論、そんな茶番を信じる人はごく僅かだけど、「和尚」の名称に騙されて信じてしまった人もいるんじゃないの?

124仏教初心者2018/07/30(月) 17:35:29.83ID:1BiOgztj
しかも、もともと仏教の基礎知識も体験もろくに無いようだしw

仏教板には現役やリタイヤ僧侶もいれば、在家の見性体験者や研究機関勤務者とかいて、結局そこでは紛い物扱いされて相手にされていないしね。

自作自演・自問自答・自画自賛をしても、所詮は同一人物の猿芝居だから、一寸突っ込むとすぐ化けの皮がはがれるんだよねwww

125鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/30(月) 22:37:04.93ID:TSM3O7iu
最初の段階では意志によって強く対象に集中することでサマーディに達するのじゃ。
それから対象を無くし、サマーディに意志することなく入れるようになるのじゃ。
無意識のサマーディに入れるのじゃ。
そうすることで一切の観念を超えた境地に到達するのじゃ。
それには知識や思考ではなく日々の実践だけが必要なのじゃ。

126名無しを整える。2018/07/30(月) 23:15:58.99ID:bnVE+cpq
>>125
サマディーはくまには難しそうなので、「くまとは誰か」、「私はある」方式=できるだけ常に意識的であり続けるように心掛けてるであります。
感情や思考にできるだけ気付けるように心掛けて、日常を過ごすようにしてるであります。
仕事その他で時々強い感情に苦しむことがあっても、その苦しみの物語に無意識に巻き込まれることのないようにしつつ、感じていることをありのままに観察していれば、いつもよりちょぴっと時間がかかっても、消えて行くであります。
(´・(ェ)・`)つ

127仏教初心者2018/07/30(月) 23:24:02.44ID:1BiOgztj
独身で母親と二人暮らしの中年おじさんが、
クマのaaですか?

自作自演ご苦労様w

親孝行しろよ?

www

128名無しを整える。2018/07/31(火) 07:44:06.11ID:ybIVFzy1
>>122
パタンジャリのヨーガスートラ
第二章
2.1 浄化を助けるものとして苦痛を受け入れること、霊的な書物を研究すること、至高の存在に身を委ねることが、実行のヨーガである。

2.2 それらは、障害(煩悩)を最小にして、サマーディを達成させる。

2.3 無知、我想、執着、憎悪、生命欲が、五つの障害(煩悩)である。

2.4 無知(無明)は、それに続く他の諸障害 −それらは、(1)休眠状態であったり、(2)弱体化していたり、(3)遮断されていたり、(4)維持されていたりするが− の田地である。

2.5 無知(無明)とは、無常を常、不浄を浄、苦を楽、自己ならざるものを自己とみなすものである。

2.6 我想(アスミター)とは、いわば見る者【プルシャ】の力と、見る器官【身心】の力との同一視である。

2.7 執着(ラーガ)とは、快楽体験との同一視から来るものである。

2.8 憎悪(ドゥヴェーシャ)とは、苦体験との同一視から来るものである。

(´・(ェ)・`)つ

129名無しを整える。2018/07/31(火) 07:45:06.44ID:ybIVFzy1
>>128
2.6 我想、ば見る者の力と、見る器官の力との同一視 とは、どういうことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

130名無しを整える。2018/07/31(火) 21:37:32.73ID:+0/pOuvW
(鬼和尚)
>本当にそのような者が居ればわしにひれ伏して教えを求めるじゃろう。

いくらネットでもこうした事を言うのは教祖症候群(?)というか、明らかなキチガイですね。
精神がまともじゃありません。

131鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/07/31(火) 21:47:42.83ID:E4OpxIN0
>>126 サマーディの方法は才能が在るものにしかできないじゃろう。
 普通のサマーディでも難しいのに無種子三昧にまで行き着くのはかなり才能の在るものだけなのじゃ。
 
>>129 見るという能力によって、見る器官が主体と思うことなのじゃ。
 その働きによって自分が在るという認識も起こってしまうのじゃ。

132名無しを整える。2018/07/31(火) 21:53:19.50ID:+h+C7Iq9
>>131
独身で母親と二人暮らしの中年おじさんが、
クマのaaですか?

自作自演ご苦労様w

親孝行しろよ?

www

133名無しを整える。2018/07/31(火) 22:06:05.84ID:ybIVFzy1
>>131
鬼和尚、ありがとうであります。
>見るという能力によって、見る器官が主体と思うこと ・・・  その働きによって自分が在るという認識も起こってしまう
↑これならくまでも分かるであります!
いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

134名無しを整える。2018/07/31(火) 22:08:11.54ID:+h+C7Iq9
132 名前:名無しを整える。 [sage] :2018/07/31(火) 21:53:19.50 ID:+h+C7Iq9
>>131
独身で母親と二人暮らしの中年おじさんが、
クマのaaですか?

自作自演ご苦労様w

親孝行しろよ?

www

135名無しを整える。2018/07/31(火) 22:08:32.53ID:+h+C7Iq9
130 名前:名無しを整える。 :2018/07/31(火) 21:37:32.73 ID:+0/pOuvW
(鬼和尚)
>本当にそのような者が居ればわしにひれ伏して教えを求めるじゃろう。

いくらネットでもこうした事を言うのは教祖症候群(?)というか、明らかなキチガイですね。
精神がまともじゃありません。

136名無しを整える。2018/07/31(火) 22:12:16.84ID:+h+C7Iq9
自作自演して解説書から原文を引用して、
自問自答して解説書から解説を引用して、
最後に自画自賛。

www

137名無しを整える。2018/07/31(火) 22:14:35.40ID:+h+C7Iq9
OSHO
魂の科学―パタンジャリのヨーガ・スートラ


wwwwwwwwwww

138名無しを整える。2018/07/31(火) 22:20:19.27ID:+h+C7Iq9
ついに仏教は諦めて不二一元論のヒンズー教に鞍替えか?

www

139名無しを整える。2018/08/01(水) 06:16:51.73ID:23TCNqOX
>>128
パタンジャリのヨーガスートラ
第二章
2.9 生命欲(アビニヴェーシャ)は、【過去の経験から来る】独特の潜勢力から発し、賢人にさえもある。

2.10 これらの障害(煩悩)が微妙な状態にあるときは、始源の原因【=自我】に還元するところによって破壊することができる。

2.11 それらが活動の状態にあれば、瞑想によって破壊することができる。

2.12 カルマ【行為とその反作用】(業)の子宮の根は、これらの障害の中にあり、そうしたカルマが、見える生【現世】及び見えざる生【来世】における諸経験を引き起こす。

2.13 根因が存在する限り、その結実すなわち、様々な生類への再生と寿命と経験とがある。

2.14 カルマは、善業に起因するものは楽、悪業に起因するものは苦として結実(業報)する。

2.15 得たものを失うことへの恐怖と懸念、結果として心の中に残り新たな切望をひき起こす印象、心を支配する三グナの絶えざる相克、これらに鑑みるとき、識別ある者にとっては実にあらゆるものが苦である。

(´・(ェ)・`)つ

140鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/01(水) 22:43:53.18ID:5xtvOXGw
>>133 どういたしまして、またおいでなさい。

無明による個我の観念があれば今の世が有り、生まれかわることも在るものじゃ。
それは刹那の安楽と苦があるが、安楽も執着すれば苦になるのじゃ。
それ故に一切は苦であるとパタンジャリも説いているのじゃ。 

141名無しを整える。2018/08/01(水) 23:30:17.95ID:m35wHGgY
自作自演して解説書から原文を引用して、
自問自答して解説書から解説を引用して、
最後に自画自賛。

www

142名無しを整える。2018/08/01(水) 23:39:23.82ID:23TCNqOX
>>140
うむ。
永遠無限であれば、無限の可能性があり、人やくまが想像できることは既にあり、輪廻も当然でありますね。
永遠に苦しまなくても良いように生きたいし、死ねたらいいなと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

143名無しを整える。2018/08/02(木) 00:11:31.84ID:wCigcxLL
てか、仏教じゃねーしw

144名無しを整える。2018/08/02(木) 19:02:28.97ID:OpFoe0Ib
>>139
パタンジャリのヨーガスートラ
第二章
2.16 未来の苦は回避することができる。

2.17 その避け得る苦の原因は、見る者【プルシャ】と見られるもの【プラクリティ:自然】の結合である。

2.18 見られるものは、照明(プラカーシャ)・活動(クリヤー)・惰性(スティッティー)というグナの三つの性向を備え、元素(五大)と感覚器官から成っているが、その目的とするところは、プルシャに経験と開放(解脱)を与えることである。

2.19 グナの段階には、特殊のもの、特殊でないもの、定義されるもの、定義され得ないものの四つがある。

2.20 見る者とは見る力そのものであり、それ自体は純粋だが、心を通じて見るという現れ方をする。

2.21 見られるものは、見る者のためにのみ存在する。

(´・(ェ)・`)つ

145名無しを整える。2018/08/02(木) 19:10:48.61ID:OpFoe0Ib
>>144
> >>139
> パタンジャリのヨーガスートラ
> 第二章
> 2.16 未来の苦は回避することができる。
>
> 2.17 その避け得る苦の原因は、見る者【プルシャ】と見られるもの【プラクリティ:自然】の結合である。
>
>
> 2.19 グナの段階には、特殊のもの、特殊でないもの、定義されるもの、定義され得ないものの四つがある。
>
> 2.20 見る者とは見る力そのものであり、それ自体は純粋だが、心を通じて見るという現れ方をする。
>
> 2.21 見られるものは、見る者のためにのみ存在する。
> うー、難解な専門用語がでてきてしまったづあります。、
『「プルシャ」とは、目には見えない世界のこと(=空・無)。
「プラクリティ」とは、目に見える世界のこと(=色・有)。
目に見えないブラフマン=神も、プルシャ。
プルシャは、人間には見えないけれども、確実にあるもの。
自然の法則、真理、「なぜ?」という疑問を挟めないもの。
「プラクリティ」は、私たちが生活している、物質世界全てがプラクリティ。
肉体、ありとあらゆる物質は、全てプラクリティで
例えそれが微細で、肉眼では見られないものだったとしても、「物質」であるものは、全てプラクリティ』。

2.18を解説していたたけないでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

146仏教初心者2018/08/02(木) 19:18:15.18ID:zMkzAt1x
自作自演して解説書から原文を引用して、
自問自答して解説書から解説を引用して、
最後に自画自賛。

www

147名無しを整える。2018/08/02(木) 21:44:13.24ID:H5Xg6E8A
>>146
自作自演してるという根拠は?
自問自答してるという根拠は?
自画自賛してるという根拠は?

148仏教初心者2018/08/02(木) 21:49:09.16ID:zMkzAt1x
>>147
鬼和尚に聞いて真偽を確かめりゃいいじゃないですかw

149名無しを整える。2018/08/02(木) 21:56:39.73ID:H5Xg6E8A
>>148
いや、それを言ってるのは君でしょ。
だから君に聞いてるの。

150仏教初心者2018/08/02(木) 21:59:18.51ID:zMkzAt1x
>>149
自作自演して解説書から原文を引用して、
自問自答して解説書から解説を引用して、
最後に自画自賛。

これのなにが気になるんですか?

www

151名無しを整える。2018/08/02(木) 22:03:36.14ID:H5Xg6E8A
>>150
>>147の質問には答えられないの?

152仏教初心者2018/08/02(木) 22:08:30.30ID:zMkzAt1x
>>151
だから、鬼和尚に聞いて真偽を確かめりゃいいじゃないですかw

153鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/02(木) 22:13:04.89ID:mGzsC2VN
普通、グナの三つの性質とはサットヴァ、ラジャス、タマスと呼ばれるものじゃ。
日本語訳の意味はあっているようじゃ。
物質的存在はプルシャが目覚めるためのものとしているのじゃ。
その教義そのものが全て目覚めるためのものであるがのう。
物質的存在が全て観察され、自他の区別がなくなれば悟りとしているのじゃ。

154名無しを整える。2018/08/02(木) 22:13:28.80ID:H5Xg6E8A
>>152
意思疎通ができないようだし、質問にも答えられないんだね。
君の発言が妄想で、考慮に値しないということがわかったよ。

155仏教初心者2018/08/02(木) 22:22:30.53ID:zMkzAt1x
>>154
意思疎通ができないようだし、君の発言が妄想で、考慮に値しないということがわかったよ。

156名無しを整える。2018/08/02(木) 23:04:30.23ID:OpFoe0Ib
>>153
鬼和尚、ありがとうであります。
見る者、見られるものと言う言葉が日常の用法と異なる意味で使われており、見る者とは、意識そのものみたいな意味で、見られる者とは、物質世界のことで、その外界を観察しつくせば、
意識そのものである「見る者」に、気づけといった理解で良いのでありましょうか?

くま書き込みを間違えてしまったのでありますが、くまが先に質問しようとしたのは、
2.18 見られるものは、照明(プラカーシャ)・活動(クリヤー)・惰性(スティッティー)というグナの三つの性向を備え、元素(五大)と感覚器官から成っているが、その目的とするところは、プルシャに経験と開放(解脱)を与えることである。

の中で、照明[プラカーシャ]=認識のこと
というのはググれたのでありますが、
活動(クリヤー)・惰性(スティッティー)というグナ が分からず、

2.18 の文章全体の意味合いがわからなかったので、お尋ねしたかったのでありますが、 これも、認識、活動、感情といった、身体=物質世界の経験を観察して、厭離することにより、意識そのものに至ると言う理解で良さそうでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

157仏教初心者2018/08/02(木) 23:15:39.55ID:zMkzAt1x
自作自演して解説書から原文を引用して、
自問自答して解説書から解説を引用して、
最後に自画自賛。

www

158名無しを整える。2018/08/03(金) 07:48:39.77ID:tuCoiJZv
>>144
パタンジャリのヨーガスートラ
第二章
2.22 それ(見られるもの)は解脱した者にとっては破壊されているが、他の者にとっては共有財として存在し続けている。

2.23 所有する者(プルシャ)と所有されるもの(プラクリティ)の結合が、それら両者が各自の本性と力(シャクティ)を把握する原因である。

2.24 この結合の原因は無知(無明)である。

2.25 この無知がなければ、そのような結合も起こらない。それが見る者の独存位である。

2.26 途切れることのない明敏な識別が、その除去の方法である。

2.27 最終段階の智は、七重である。(人は(1)もっと知りたいという願望、(2)何かを遠ざけておきたいという願望、(3)何かを得たいという願望、(4)何かをしたいという願望、(5)悲しみ、(6)恐れ、(7)惑わし、の七つが終息するのを体験する)
(´・(ェ)・`)つ

159鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/04(土) 00:22:52.81ID:G0PbAIjU
グナの三つの性質であるサットヴァ、ラジャス、タマスと言葉は違うが性質の翻訳は同じなのじゃ。
サットヴァとは気づくこと、認識することなのじゃ。
ラジャスとは活動なのじゃ。
タマスとは惰性なのじゃ。
ラジャス、タマスで検索するとよいのじゃ。

大体の意味はそれでよいのじゃ。

160名無しを整える。2018/08/04(土) 00:53:44.96ID:TDgZUVkj
自作自演して解説書から原文を引用して、
自問自答して解説書から解説を引用して、
最後に自画自賛。

www

161名無しを整える。2018/08/04(土) 09:50:06.85ID:rbtFu7WH
>>158
パタンジャリのヨーガスートラ
第二章
2.28 ヨーガの諸支分を修練していくことによって次第に不純が消え、そこに明敏なる識別へと導く智が明け初める。

2.29 以下がヨーガの八支分である。【禁戒】【勧戒】【座法】【調気】【制感】【集中】【瞑想】【三昧】

2.30 ヤマ(禁戒)は、非暴力(アヒンサー)、正直(サティヤ)、不盗(アステヤ)、禁欲(ブラフマチャーリヤ)、不貪(アパリグラハ)より成る。

2.31 これらの大誓戒は普遍的なものであり、階層、場所、時間、環境等によって制約されない。

2.32 ニヤマ(勧戒)は、清浄(シャウチャー)、知足(サントーシャ)、苦行(タパス:苦痛を受容し、それをひき起こさないこと)、読誦(スヴァディアーヤ:霊的書物の研究)、
自在神への祈念(イシューヴァラ・プラニダーナ:自己放棄)より成る。

2.33 否定的想念によって攪乱されたときは、反対のもの(肯定的想念)が念想されるべきである。それがプラティパクシャ・バーヴァナである。

2.34 暴力等のような否定的想念または行為がひき起こされたとき、あるいはたとえそれらが容認されただけであっても、
そしてそれらが貪欲、怒り、迷妄(貪・瞋・痴:とん・じん・ち)のいずれによって煽られたものであっても、またそれらが穏和、中位、過激のいずれの度合いによってなされようとも、
それらは無知に根ざしており、確かな苦をもたらすものである。このように省察することも、プラティパクシャ・バーヴァナである。

2.35 非暴力(アヒンサー)に徹した者のそばでは、すべての敵対が止む。

(´・(ェ)・`)つ

162鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/04(土) 22:49:57.63ID:G0PbAIjU
ヤマ(禁戒)はしてはいけないことなのじゃ。
ニヤマ(勧戒)はすべきことなのじゃ。
してはいけないことをしり、すべきことを知って実践するのが修行者なのじゃ。

163名無しを整える。2018/08/05(日) 12:37:56.97ID:qk0N9UHj
>>161
パタンジャリのヨーガスートラ
第二章
2.36 正直(サティヤ)に徹した者には、行為とその結果がつき従う。

2.37 不盗(アステヤ)に徹した者のところには、あらゆる富が集まる。

2.38 禁欲(ブラフマチャーリヤ)に徹する者は、精力を得る。

2.39 不貪(アパリグラハ)が揺るぎないものとなったとき、自らの生の原因と様態が余すところなく照らし出される。

2.40 浄化によって、自分自身の身体への厭わしさ、他人の身体に触れることへの厭わしさが生ずる。

(´・(ェ)・`)つ

164鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/05(日) 23:26:29.80ID:PXshwP6v
戒の効果が説かれているのじゃ。
それがそのまま現実になるのではないのじゃ。
督励の為に説かれているのじゃ。

165仏教初心者2018/08/06(月) 07:23:09.53ID:kzleNmrZ
で、何故、仏教僧でないのに和尚とか騙るの?

166名無しを整える。2018/08/06(月) 09:23:48.98ID:jMWVezNn
>>163
パタンジャリのヨーガスートラ
第二章
2.41 さらに、サットヴァの浄化、心の愉悦、一点集中、自己実現への適合性を得る。

2.42 知足(サントーシャ)によって、無上の喜びが得られる。

2.43 苦行(タパス)によって、身体と感覚の不浄が消え、超自然力が得られる。

2.44 読誦(スヴァディアーヤ:霊的書物の研究)によって、自らの望む神霊との霊交が得られる。

2.45 神に全てを任せることによって、サマーディは達成される。

(´・(ェ)・`)つ

167鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/06(月) 22:28:46.59ID:YzJyNWLS
ここでも神への帰依によるサマーディが説かれているのじゃ。
本当に心の底から信仰している神がなければ無理で在るがのう。
信仰の薄れた現代では難しいじゃろう。

168仏教初心者2018/08/06(月) 22:44:12.67ID:a6hpLfcI
ついに仏教は諦めて不二一元論のヒンズー教に鞍替えか?

www

169名無しを整える。2018/08/07(火) 03:15:44.68ID:gOxPv5ug
>>168
いちいちいい加減な事を言っては絡んで来て、捨て台詞を吐いて消える。

困ったもんですね。

170名無しを整える。2018/08/07(火) 06:58:15.50ID:AOTj7gta
>>166
パタンジャリのヨーガスートラ
第二章
2.46 アーサナ(座法)は、快適で安定したものでなければならない。

2.47 自然な性向である落ち着きのなさを減じ、無限なるものに瞑想することによって、座位(アーサナ)は習得される。

2.48 以後その者は、二元性によって乱されることがない。

2.49 安定した座位(アーサナ)が得られたならば、呼気と吸気が制御されなければならない。これがプラーナーヤーマ(調気)である。

2.50 気息のはたらき(ヴリッティ)は、内部的、外部的、制止的のいずれかである。それらは時間と空間と数によって規定され、長、短のいずれかである。

(´・(ェ)・`)つ

171鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/07(火) 22:40:15.52ID:oQMXMPeI
座方と呼吸法が説かれているのじゃ。
背筋を伸ばして正しく座ることが出来ればそれだけでもサマーディは達成されるのじゃ。
それが習得されればもはや迷妄に陥ることもないのじゃ。
 

172名無しを整える。2018/08/08(水) 04:05:27.04ID:2TgNm4Jw
鬼和尚、サマーディは1〜2か月しか続きません。
サマーディの最初に必ずサティがあります。
そのサティの方が大事です。

>それが習得されればもはや迷妄に陥ることもないのじゃ。

私は2回サマーディを経験しましたが、そういうことはありませんでしたよ。
 

173名無しを整える。2018/08/08(水) 20:49:34.47ID:DA0+h/6A
>>170
パタンジャリのヨーガスートラ
第二章
2.51 プラーナーヤーマ(調気)には、内的あるいは外的な対象に集中しているときに起こる、第四の型がある。

2.52 その結果、内なる光を覆い隠していたヴェールが破壊される。

2.53 そして、心がダーラナー(集中)への適正を得る。

2.54 諸感覚がその対象から自らを撤退させ、いわば心そのものを模倣するとき、それがプラティヤーハラ(制感)である。

2.55 それにより、感覚に対する無上の統御が得られる。

(´・(ェ)・`)つ

174名無しを整える。2018/08/08(水) 20:52:30.75ID:DA0+h/6A
>>173
>2.54いわば心そのものを模倣するとき、それがプラティヤーハラ(制感)

←心そのものとは、静まった状態、無みたいなことでありましょうか?

(´・(ェ)・`)つ

175鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/08(水) 22:46:22.99ID:/dq9yTnN
>>172 それはまだ座方が習得できていないからなのじゃ。
 座方が習得できれば座るたびにサマーディに入れるのじゃ。
 そうすればもはやあれこれと迷う事無く進むこともできるのじゃ。
 自らの身が聖典が正しいことの証となるのであるからのう。

>>174 そうじゃろう。
 感覚が心を離れて自らありのままに至った時、無に等しくなるのじゃ。
 眼で見ても耳で聞いても自我は起こらないのじゃ。
 それが真の制感なのじゃ。

176名無しを整える。2018/08/09(木) 05:41:29.73ID:RWStm6+z
>>173
パタンジャリのヨーガスートラ
第三章
3.1 集中とは、心をひとつの場所、対象、あるいは観念に縛り付けておくことである。

3.2 瞑想(ディアーナ)とは、そうした対象への認識作用の絶え間ない流れである。

3.3 三昧(サマーディ)とは、この瞑想(ディアーナ)そのものが形を失ったかのようになり、その対象がひとり輝くときのことである。

3.4 同一の対象についてこれらの三者【集中(ダーラナー)、瞑想(ディアーナ)、三昧(サマーディ)】をなすことが、サンヤマ(綜制)と呼ばれる。

3.5 サンヤマ(綜制)の終了によって、知の光が生まれる。

3.6 サンヤマは段階的になされるべきである。

3.7 これらの三支(集中、瞑想、三昧)は、それ以前の五支(禁戒、勧戒、座法、調気、制感)よりも内的である。

3.8 これらの三支さえも、無種子三昧(ニルビージャ・サマーディ)にとっては外的である。

(´・(ェ)・`)つ

177鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/09(木) 22:08:41.42ID:TJJ/RT6B
集中の三段階が説かれているのじゃ。
最初は対象に心を留めるだけで精一杯じゃろう。
それがダーラナーなのじゃ。
それから意識せずとも対象に集中しているディヤーナに至るのじゃ。
それでもまだ対象と自己が在るのじゃ。
自己が対象に統一されて一つになった感覚がサマーディなのじゃ。
サマーディまで到達するのはなかなか難しいものじゃ。
観察を行えばディヤーナだけでも悟りは訪れるのじゃ。

178名無しを整える。2018/08/10(金) 07:58:23.05ID:vjQyt/a2
>>176
パタンジャリのヨーガスートラ
第三章
3.9 生起してくる印象(サンスカーラ:雑念)は、それに代わる新たな心の作用を生むところの抑止の努力の出現によって止滅される。この、新たな作用と心との結合の刹那が、ニローダ・パリナーマ(止滅転変)である。

3.10 ニローダ・パリナーマの持続状態は、習慣づけによって確実となる。

3.11【心】の散動が滅衰して一点集中が実現してくると、サマーディ・パリナーマ(サマーディへの進展:三昧転変)が現れる。

3.12 また、過去となってひいていく想念と、今まさに生起しつつある想念が等似であるならば、それがエーカーグラター・パリナーマ(一点集中:専念転変)である。

3.13 これ(以上の三つのスートラ)によって、物質元素と感官に関する、可視的特性と時間的位相と状態の転変も説明された。

3.14 本性的に、潜伏、生起、非顕現の諸相を経ていくのは、根底体(プラクリティ)である。

3.15 それらの諸相の連続が、進化(転変)に諸段階の存在する理由である。

3.16 進化のその三段階にサンヤマ(綜制)を施すことによって、過去と未来についての知が生まれる。

(´・(ェ)・`)つ

179鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/10(金) 23:02:17.29ID:gKLIEGqF
集中によって雑念が無くなるのがニローダ・パリナーマじゃ。
更に深く集中して対象と一体になるとサマーディに入るのじゃ。
想念の自己同一化が止まり、刹那に生滅する想念が一時に見られるのがエーカーグラター・パリナーマなのじゃ。
それができれば気づきが自在にあり、心の働きの全てを観ることも容易なのじゃ。

180名無しを整える。2018/08/11(土) 10:36:01.48ID:Fc5Os8Ni
>>178
パタンジャリのヨーガスートラ
第三章
17 通常は、語と、その意味と、その語の表象内容とを混同するために混乱が生ずる。いかなる生類により発された語(あるいは音)でも、それにサンヤマを施すことによって、その意味を知ることができる。

18 サンヤマによって自らの心的印象(サンスカーラ)を直感することにより、前生についての知識が得られる。

19 他人の身体の区別的特長にサンヤマを施すことによって、その人の想念を知ることができる。

20 だがそれは、その人の心の中でその想念を支えているもの(例えばその思いの背後にある動機等)にまでは及ばない。それはそのサンヤマの対象とはならないからである。

21 自らの身体の形態にサンヤマを施すと、観察者の眼の光を遮ることによって知覚の力に干渉し、身体を見えなくすることができる。

22 同様にして、音その他(触、味、香)の消失も説明される。

23 カルマには、速やかに発現するものと徐々に発現するものとの二種類がある。それらあるいは死の前兆にサンヤマを施すことによって、死期を知ることができる。

(´・(ェ)・`)つ

181鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/11(土) 21:40:46.48ID:O+q+UtH5
集中することで得られるさまざまな力について語っているのじゃ。
そのまま信じられるものではないが在る程度は正しいのじゃ。
集中力が強くなれば不可能も可能になるのじゃ。
それを目当てに修業する者も居るのじゃ。

182名無しを整える。2018/08/12(日) 07:31:22.46ID:t4kQoW0X
>>180
パタンジャリのヨーガスートラ
第三章
24 慈その他の徳性にサンヤマを施すことによって、それらを発する力を得る。

25 象その他の動物の力にサンヤマを施すことによって、それらの力を得ることができる。

26 内なる光へのサンヤマによって、微細なもの、秘匿されたもの、遠方のものを知ることができる。(例えば原子のように微細なもの、隠された財宝、遠隔の地など)

27 太陽にサンヤマを施すことによって、太陽系全体を知ることができる。

28 月にサンヤマを施すことによって、星の配置を知ることができる。

29 北極星にサンヤマを施すことによって、星の運行を知ることができる。

30 臍の神経叢(チャクラ)にサンヤマを施すことによって、身体の構造を知ることができる。

(´・(ェ)・`)つ

183名無しを整える。2018/08/12(日) 12:30:01.62ID:t4kQoW0X
>>181
うむうむ。
ある程度であるますね!
(´・(ェ)・`)つ

184鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/12(日) 22:45:07.71ID:SwEoNtcl
↑ そうじゃ、実際に集中することでその対象に関して詳しく知ることもできるものじゃ。
 かなり真実が語られているのじゃ。
 実践によって確かめられるのじゃ。

185名無しを整える。2018/08/13(月) 07:58:37.27ID:UxDEvrNB
>>182
パタンジャリのヨーガスートラ
第三章
31 喉の窪みにサンヤマを施すことによって、飢えと渇きが止まる。

32 クールマ・ナーディ(喉の下方にある亀の形をした微細な管)サンヤマを施すことによって、瞑想の座位の不動性が達成される。

33 脳天の光(サハスラーラ・チャクラ)サンヤマを施すことによって、神人(シッダ)たちを見ることができる。

34 また、(純粋な生活を通じて)自然に発露する知(プラティバー)の中で、全ての力はおのずから現れる。

35 心臓にサンヤマを施すことによって、心(チッタ)を知ることができる。

36 知性(サットヴァ:覚)とプルシャ(あるいはアートマン)とはまったく別のものであり、知性がプルシャのために存在するのに対して、プルシャはそれ自身のために存在する。
これを峻別しないところに経験の全てがあるのであって、この区別にサンヤマを行なうことによって、プルシャの知があらわれる。

37 この知(プラティバー)より、任意の直感による超自然的聴覚・触覚・視覚・味覚・嗅覚が生ずる。

(´・(ェ)・`)つ

186名無しを整える。2018/08/13(月) 08:04:56.78ID:UxDEvrNB
>>184
うむ。超難しそうでありますが、実践で確かめるしかないでありますね。
集中の対象のアートマンみたいな物でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

187鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/13(月) 22:05:10.86ID:ZrlTZaJD
↑そのようなものじゃ。
集中によって智慧と力は発現するのじゃ。
それを正しく自らの本心の観察に使うべきなのじゃ。

188名無しを整える。2018/08/14(火) 12:47:48.15ID:0EEDEen7
>>185
パタンジャリのヨーガスートラ
第三章
38 これら(超自然的感覚)は、(ニルビージャ)サマーディにとっては障害であるが、世俗的追及にあってはシッディ(力、霊能)である。

39 (心を身体に縛り付けている)原因を緩めることによって、また、心の働きの筋道を知ることによって、他人の身体に侵入することができる。

40 ウダーナ気(上向きの生命エネルギー)を支配することによって、水、沼沢、刺などの上に浮揚することができる。

41 サマーナ気(均等化のエネルギー)を支配することによって、身体が光輝に包まれる。

42 耳と虚空(エーテル)との関係にサンヤマを施すことによって、超常的な聴覚が得られる。

43 身体と虚空との関係にサンヤマを施すことによって、綿の繊維のように軽くなり、隠して虚空を飛ぶことができる。

44 TAH PRAKASAVARANA KSHAYAH.
身体の外にあって(身体によっては)確認されない想念派動に対してサンヤマを施すこと(マハー・ヴィデハすなわち大脱身)によって、自己の光を覆う緬紗が破壊される。

(´・(ェ)・`)つ

189鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/14(火) 22:40:38.03ID:sUZTJede
それらの力に囚われればサマーディに至る障害になるのじゃ。
世間で金や名声を得て修業をやめてしまうからのう。
欲に負けずに修業を続けるのじゃ。
力にも囚われずに進むのじゃ。

190名無しを整える。2018/08/15(水) 08:11:47.67ID:fhChcDNp
>>188
パタンジャリのヨーガスートラ
第三章
45 粗大及び微細な元素、それらの本質、相関性、合目的性にサンヤマを施すことによって、それらの元素に対する支配が得られる。

46 それにより、アニマその他のシッディがもたらされ、身体の完成が遂げられて、その機能が諸元素の影響による妨げを受けなくなる。

47 端麗、優雅、強靭、金剛石のごとき堅固さが、身体の完成である。

48 諸感覚の把握作用、それらの本質、それらの目的と我想との関係等にサンヤマを施すことによって、諸感覚に対する支配がえられる。

49 それより身体は、心と同じ速さで動く力、感覚の補助なしに機能する力、そして根本原因(プラクリティ)に対する完全な支配を得る。

50 サットヴァ(純粋な反映性)と自己との差異を認識することによって、存在のあらるる様態に対する至上位(全能)−それは全知である−を得る。

51 それ(=これら全てのシッディ)に対してさえ無執着であることにより、束縛の種子が破壊され、かくしてカイヴァリャ(独存)の状態が顕現する。

(´・(ェ)・`)つ

191鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/15(水) 22:45:42.68ID:WtY8pf1A
修業の途中に現れる全ての体験に囚われなければ悟りも訪れるのじゃ。
囚われてしまえばそこで止まってしまうのじゃ。
囚われることが魔と呼ばれるのじゃ。
魔に何かの力があるわけではないのじゃ。
囚われる心が魔を呼ぶのじゃ。

192名無しを整える。2018/08/16(木) 07:52:10.29ID:ZSeCkDeY
>>190
パタンジャリのヨーガスートラ
第三章
52 ヨーギーは、天人からの賞賛といえどもこれを受容するべきではなく、慢心の笑みさえ浮かべるべきではない。ふたたび望ましくないものに補足される恐れがあるからである。

53 連続する刹那のまさしくひとつにサンヤマを施すことによって、識別知が現れる。

54 かくして、種類、特徴、位置などが酷似しているために見分けのつかないものが、識別されるようになる。

55 全ての対象のあらゆる在り方を同時的に理解するその識別知が、解脱をもたらすところの直感知である。

56 静穏な心(サットヴァ)の清浄さが、自己のそれと等しくなるに至ったとき、そこにカイヴァリャ(絶対、独存位)がある。
(´・(ェ)・`)つ

193鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/16(木) 22:18:03.31ID:eKEeyTXI
体験にも囚われずに修業を続けていれば今まで見えなかったものも観えるようになるのじゃ。
それも集中力が強くなったためなのじゃ。
悟りを得るための観察力も身につくのじゃ。
その観察力が主体であった観念をも見抜く力となるのじゃ。

194名無しを整える。2018/08/17(金) 07:41:05.04ID:Gl93holR
>>192
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
1 シッディは、前生においてなされた修行、あるいは薬草、あるいはマントラ、あるいは苦行(タパス)、あるいはサマーディにおいてもたらされる。

2 ひとつの生類から他の生類への転変は、自然(プラクリティ)の流入によってひき起こされる。

3 付帯的事象は、直接には自然の進化をひき起こすものではない。それらは、農夫のように(農夫が自分の田に水を引き入れるために、水路を塞いでいる物を取り除くように)、障害物を取り除くだけである。

4 ヨーギーの我想(アスミター)のみが(人為に)発現する(その他の)心の原因である。

5 発現した多くの心の働きはさまざまだが、大元であるヨーギーの心は、それら全てに対する命令者である。
(´・(ェ)・`)つ

195鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/17(金) 23:20:43.99ID:E34bNlTO
ヨーギーの心がプラクリティの充実を果たした時、アバターを表すことができるというのじゃ。
業という付帯的な事象ではなく、ヨーギーの心が因としてアバターは成せるのじゃ。
それらは一つ一つ自らの心を備えているがヨーギーの心がその絶対的な命令者であるのじゃ。
 

196名無しを整える。2018/08/18(土) 10:08:50.13ID:sxRbCXwC
>>194
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
6 (そのようにして発現した心のうち)瞑想から生じたものだけが、カルマの刻印を免れている。

7 ヨーギーのカルマは白(善)くも黒(悪)くもない。しかし他の者の行為には、善と悪、そしてそれらの交じり合ったものの三種類がある。

8 これらの(行為)のうち、結実(業報)のための好条件がそろったヴァーサナー(潜在記憶)(習気:じっけ)だけが、特定の生において発現する。

9 欲望とその成就は、類・空間・時間によって隔てられているが、それらには連続性がある。(欲望の)印象と(欲望の)記憶とは、同一だからである。

10 生命欲は永遠であるので、印象もまた無始である。

(´・(ェ)・`)

197名無しを整える。2018/08/18(土) 10:31:24.29ID:sxRbCXwC
>>195
他の生類への転変=アバターを成す
でありますか?

これは、輪廻的な意味ではなく、凡夫が悟るみたいなことでありましょうか?
生命の進化には、意思が必要みたいなことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

198鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/18(土) 22:47:34.89ID:J3E5UcKN
そうじゃ、アバターを成すのじゃ。

輪廻ではなくヨーギーの能力によるものなのじゃ。
夢幻の如く生命を作り出す能力なのじゃ。
仏教では変化身と呼ばれたりするのじゃ。

199名無しを整える。2018/08/19(日) 06:48:39.53ID:aivqELXV
>>196
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
11 印象は、原因・結果・基板・支持によって成立しているので、それら四者の消滅に伴い、これら(=印象)も消える。

12 過去と未来は、位相差のゆえにそのような特性をもって現出しているところの、事象そのものの内にある。

13 顕現の状態であれ精妙な状態であれ、それらの特性はグナ性のものである。

14 事象の自己同一性は、グナの転変の一律性に基づく。

15 客体は同一であっても、それを受け止める心がさまざまであるから、認識はさまざまに異なるのである。

(´・(ェ)・`)つ

200鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/20(月) 00:14:03.40ID:9x1DwUux
グナとはサットヴァ、ラジャス、タマスの三つの心の性質なのじゃ。
客体が同一でも認識が異なるのはその性質の優位に違いがあるからというのじゃ。
同じものを観てもサットヴァが優位ならば智慧を持って見られるのじゃ。
ラジャスが優位ならば活動的なものとしてみるのじゃ。
タマスが優位ならば怠惰なものとしてみるのじゃ。

201名無しを整える。2018/08/20(月) 08:13:31.78ID:8C9IR9EZ
>>199
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
16 また、客体の存在は、ただひとつの心に依存しているのではない。もしそうであるならば、そのひとつの心がそれを認知しない場合、その客体はどうなるのか?

17 客体は、心がそれによって染められるか否かによって、その存在が知られたり知られなかったりする。

18 心の作用は、その主であるプルシャには常に知られている。プルシャは不変だからである。

19 心は、自ら輝くものではない。それはプルシャに知覚される客体だからである。

20 こころは、主・客を同時に知覚することはできない。(そのことから見ても、心は自ら輝くものではないことがわかる)

(´・(ェ)・`)つ

202鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/20(月) 21:35:31.86ID:9x1DwUux
心によってものがあるのではないというのじゃ。
ものはあるが心の状態によって知られたり知られなかったりするのじゃ。
主客を同時に知覚出来ない心は、それ自らが知覚されたものであるからであるというのじゃ。

203名無しを整える。2018/08/20(月) 22:16:32.29ID:8C9IR9EZ
>>202
観察されるものは、観察者ではないのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

204名無しを整える。2018/08/21(火) 06:25:39.84ID:XQgLf1uu
>>201
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
21 もし、ひとつの心がもうひとつの心によって知覚されるということがあり得るとするならば、それら(=心)は数限りなく在ることになって、結果として記憶の混乱が生ずるであろう。

22 プルシャの意識は不変である。その像を映すことによって、心は自己に気付くのである。

23 心は、見るものと見られるものの両方から染められることによって、あらゆるものを理解する。

24 無数の欲望を持ってはいるが、心は他者(プルシャ)のために存在するのである。それ(心)はプルシャと連合してはじめて機能することができるからである。

25 心とアートマン(自己)の区別を知る者は、心をアートマンと考えることが永遠に止む。

(´・(ェ)・`)つ

205名無しを整える。2018/08/21(火) 16:07:15.91ID:3ZihULZ7
【ベネズエラ、トルコ】 世界教師マ@トレーヤ、米日破綻で終わる通貨危機のラストに、予告通り初出現
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1534817246/l50

206鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/22(水) 00:01:16.30ID:0BnWFTFD
>>203 そうじゃ、観察されることで自我は観察者ではないと気付くのじゃ。

決して認識されない認識主体で在るアートマンに達すれば認識される心は止まるのじゃ。
それは認識されるものであるからアートマンではありえないのじゃ。
そのようにしてアートマンの道は成就されるのじゃ。 

207名無しを整える。2018/08/22(水) 07:11:36.51ID:zgw8kwY5
>>204
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
26 そのとき心は識別(ヴィヴェーカ)の方へと傾き、絶対(カイヴァリャ)に引き寄せられる。

27 その間隙にも、過去の印象(サンスカーラ)から来る雑念が生ずることはある。

28 それらは、前述の(サーダナ・パダ 1、2、10、11、26)諸障害(煩悩)の除去と同様の方法によって除去することができる。

29 完全なる識別によって最も高い報償に対してさえ全く無欲となった者は、不断の、明敏なる識別のうちにとどまるものであり、それはダルマメガー・サマーディ(法雲三昧)と呼ばれる境地である。

30 そのサマーディによって、全ての苦悩(煩悩)とカルマ(業)は終熄する。

(´・(ェ)・`)つ

208鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/22(水) 23:00:39.95ID:0BnWFTFD
全ての苦悩と業が消滅するのは観照が起きたからなのじゃ。
パタンジャリはサマーディによって観照まで至れると主張するのじゃ。
そのためには自我の観察が為されているのじゃ。
実践によって確かめる以外にないのじゃ。

209名無しを整える。2018/08/23(木) 09:15:00.50ID:DN3B0iox
>>207
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
31 かくして、知の全ての覆いと汚れが完全に取り除かれる。この知は無限であるので、なおも知られるべきものはほとんどない。

32 そのとき、三つのグナはその目的を遂げたので、転変の継起を終える。

33 (前述の)継起とは、刹那の不可分の連続である。そしてその刹那は、その転変の終極においてはじめて把握される。

34 かくして、もはやプルシャに仕えるという目的のなくなった三グナはプラクリティに還入し、かの無上なる独存の境地(カイヴァリャ)が現れる。それは、純然たる意識の力が自らの純粋な本性の内に安住することだといってもよい。

(´・(ェ)・`)つ

210名無しを整える。2018/08/23(木) 21:56:37.74ID:DN3B0iox
パタンジャリのヨーガスートラ
終わってしまったのである。
次は何にしようか思案中のくまであります。
(・(ェ)・)つ

211鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/23(木) 22:43:28.63ID:x0YjkDR+
悟りに達すれば全ての知られるものもなくなるのじゃ。
知識さえも悟りのための道具に過ぎなかったのじゃ。
全ての観念は無くなり、三つのグナさえもなくなるのじゃ。
全ては永遠の意識に回帰していくのじゃ。

212名無しを整える。2018/08/24(金) 06:46:14.84ID:4beYD8NR
ガーヤトリー・マントラ

om bhrbhuva sva
tat savitur vareya bhargo devasya dhmahi
dhiyo yo na pracodayt
オーム ブールブヴァハ スヴァハ
タット サヴィトゥル ヴァレーニャン バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒ
ディヨー ヨー ナハ プラチョーダヤートゥ
(オーム 地よ、空よ、天よ
我らが、彼(か)の太陽神の愛でたき神の光輝を獲得せんことを
我が為に、彼が知性を鼓舞せんことを)


オーム ブールブヴァハ スヴァハ
タット サヴィトゥル ヴァレーニャン バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒ
ディヨー ヨー ナハ プラチョーダヤートゥ
(オーム 地よ、空よ、天よ
我らが、彼(か)の太陽神の愛でたき神の光輝を獲得せんことを
我が為に、彼が知性を鼓舞せんことを)

オーム ブゥ ブヴァ スァファ
物質的な世界 微妙な心の世界  因果の世界
タァ サヴィトゥ ヴァアレェエニャム
あの  宇宙の究極の実在を  あがめます
バァゴォ デヴァアシャ ディイマヒ
この究極の輝き  叡智の実在を、 深く瞑想します


ガーヤトリー・マントラ
(´・(ェ)・`)つ

213名無しを整える。2018/08/24(金) 15:46:42.59ID:qxMzaP5A
バガヴァッド・ギーターはどうでしょう?

214鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/24(金) 22:45:54.20ID:/YLTWPUk
よいことじゃ。
オショーとか、クリシュナムルティでもよいのじゃ。
自ら選ぶとよいのじや。

215名無しを整える。2018/08/24(金) 23:10:09.87ID:4beYD8NR
>>213
ご提案、ありがとうどあります。
バガヴァッド・ギーター、調べてみたのでありますが、以前はネットで無料で読めたらしいのでありますが、残念ながら削除されてたであります。
ヴェーダとかも探してみたのでありますが、なかなかまとまったものがないのであります。
>>214
クリシュナムルティなら、色々あるでありましょう。
探してみるであります。
ありがとうであります。

今夜は、昨日の流れで準備した、十三仏真言を置いておくであります。

不動明王真言
ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン

釈迦如来真言
ノウマク・サンマンダボダナン・バク

文殊菩薩真言
オン・アラハシャノウ

弥勒菩薩真言
オン・マイタレイヤ・ア・ソワカ

普賢菩薩真言
オン・サンマヤ・サトバン

地蔵菩薩真言
オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ

薬師如来真言
オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ

勢至菩薩真言
オン・サンザンザンサク・ソワカ

弥陀如来真言
オン・アミリタ・テイゼイ・カラ・ウン

大日如来真言
オン・アビラウンケン

阿しゅく如来真言
オン・アキシュビヤ・ウン

観自在菩薩真言
オン・アロリキャ・ソワカ

虚空蔵菩薩真言
ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャマリ・ボリ・ソワカ

(´・(ェ)・`)つ

216名無しを整える。2018/08/25(土) 01:42:55.10ID:ogUmOfil
urlが貼れないのですが、「my library バガヴァッド・ギーター」とgoogleで検索すると、6つ目に表示されるサイトに全訳が載っていますよ。

217名無しを整える。2018/08/25(土) 05:37:02.16ID:COjHMvmq
>>216
どうもありがとうであります!
バガヴァッド・ギーターの購読ゼミにさせていただくであります。
(´・(ェ)・`)つ

218名無しを整える。2018/08/25(土) 05:55:48.87ID:COjHMvmq
バガヴァッド・ギーター
第一章
クル族の王、ドリタラーシトラは、こう言った。

「サンジャヤよ、この神々が守る聖なる地、
クルクシェートラに集った、我が軍勢を見よ。
我が息子と、敵のアルジュナは、何をしている。」

盲目の王に代り、サンジャヤは語り始めた。
彼は、神仙の力で、千里眼を与えられていた。
この物語は、サンジャヤが、語ったものである。

ドリタラーシタラの子、ドゥルヨーダナは、
布陣した、アルジュナの大軍を、眺めていた。
そして、軍師のドローナに近づき、こう言った。

「アルジュナ率いる、壮大なる敵軍を見よ。
あれは、貴方の弟子により、布かれたものだ。
そこには、アルジュナに匹敵する、勇士がいる。」

「偉大な戦士ドルパタ、強力な国王カーシ、
スバドラーの息子に、ドラウパディーの息子、
見なさい、彼らは、誰もが、勇敢な戦士である。」

「ドローナが率いる、屈強なる自軍を見よ。
これは、貴方の手によって、布かれたものだ。
そこには、ドローナに匹敵する、大賢者がいる。」

「最大の英雄ビーシュマ、常勝の士ドルナ、
ソーマダッタの息子に、ドローナ軍師の息子、
見なさい、彼らは、誰もが、聡明な戦士である。」

その時、高らかに法螺貝が吹き鳴らされた。
英雄ビーシュマの、獅子吼が呼び水となって、
戦場に鬨の声が響き渡り、遂に戦闘が始まった。

この凄まじい大音量は、天と地を引き裂き、
ハヌマーンを掲げる、敵の軍勢を切り裂いた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

219名無しを整える。2018/08/25(土) 09:06:02.41ID:COjHMvmq
>>218
ふむふむ。
天使と悪魔の戦いではなく、
勇敢な戦士と聡明な戦士の戦いでありますね。
徳のあるものどうしのたたかいでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

220鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/25(土) 22:13:57.15ID:sT31TB3n
クリシュナ神を信仰する者の話なのじゃ。
カルマヨーガなのじゃ。
それは戦士階級の者には欠かせない教えとなるのじゃ。

221名無しを整える。2018/08/25(土) 22:57:49.30ID:COjHMvmq
>>220
なるへそ!戦場の指揮官に対する教えみたいなものなのでありますね。
仏教と使われる言葉や言い回しの共通な部分も多くありますが、ブッタの教えとの違いがいを考えながら読んでみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

222名無しを整える。2018/08/26(日) 00:40:24.35ID:h4bysm6j
大昔のボンボンの長い甘えた理論を現代に学びたい人
   暇な人

223名無しを整える。2018/08/26(日) 05:02:21.15ID:uGw2uxDC
>>218
1バガヴァッド・ギーター
第一章(つづき)
ハヌマーンを掲げる、敵の軍勢を切り裂いた。
アルジュナは、クリシュナに向かって、言った。

「ああ、クリシュナよ、戦車を止めてくれ。
わたしは、誰と戦うべきか、分かっていない。
見よ、戦うべき敵軍に、我が親族が集っている。」

「クリシュナよ、敵陣に並ぶ、親族を見て、
我が口は渇き、皮は焼かれ、足は震えている。
心が苦しむ余り、立つ事さえも、ままならない。」

「戦いで親を殺して、良い報いが有ろうか。
どうして、王国の勝利を望むことが出来よう。
王国も、勝利も、彼らの為に、望んでいたのに。」

「師匠、父親、息子、叔父、その他の縁者。
彼らが私を殺そうとも、私は彼らを殺せない。
たとえ、全宇宙の為にも、況や、王国の為には。」

「我らを危める者を、我らが殺めるならば、
我らの方にこそ、その報いは降り懸るだろう。
それゆえ、殺されようとも、殺すべきではない。」

「心を乱された者が、罪を犯したとしても、
心を乱さない者が、法を侵すべき道理はない。
我が一族が罪を犯せば、全ての民族が法を侵す。」

「ダルマが破られて、アダルマが現われる。
アダルマは、この世の、カルマを汚していく。
カルマに歪められて、カーストが壊されていく。」

「宇宙の秩序である、カーストが壊れれば、
地獄の蓋が開いて、すべての人が地に落ちる。
地上の王国が滅びる、そんな類いでは済まない。」

「どうして、王権の為に、大罪を犯せよう。
真剣を掲げた彼らが、王権を捨てた私を殺す。
それこそ、私が望むべき、相応しい結末である。」

それだけ言うと、戦いの最中、彼は座り込んだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

224名無しを整える。2018/08/26(日) 17:59:07.49ID:O8zBDl77
ぷぴぴ!(о´∀`о)

225鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/26(日) 21:36:34.94ID:ikZ7EIPX
殆どの宗教は殺人を罪としているのじゃ。
そのために武士の階級では苦悩が生じるのじゃ。
その階級の者のために戦闘的な教えが説かれるのじゃ。
日本では日蓮宗とかなのじゃ。
昔の武士は日蓮宗が多かったのじゃ。

226名無しを整える。2018/08/26(日) 23:18:07.39ID:/33YVkpx
嘘こけw

227名無しを整える。2018/08/27(月) 08:26:16.39ID:O4HnrcOf
>>223
バガヴァッド・ギーター 第二章

悲しみに沈む彼に、クリシュナは、こう言った。

「この危急に際して、その女々しさは何か。
アルジュナよ、悲劇に酔い痴れてはならない。
その弱気を、神々が歓ぼうか、賢者が喜ぼうか。」

アルジュナは、クリシュナに、このように語る。

「私が尊敬する、ビーシュマやドローナ達。
戦争だからと、どうして、彼らと戦えようか。
彼らの血で汚れた物を、食べて喜べると思うか。」

「我らが勝つべきか、彼らこそ勝つべきか。
どちらが良いのか、わたしには、分からない。
だた、彼らを殺したくない、それだけは解かる。」

「どちらが良いか、はっきり示して欲しい。
私は、悲しみの為に、真我が曇らされている。
私の迷妄を払えるのは、君の他に私は知らない。」

アルジュナに、クリシュナは、微笑んで言った。

「アルジュナよ、世に響く、賢者たる者は、
死についても、生についても、嘆かぬものだ。
君は、嘆く必要のない事で嘆く、言い訳じみて。」

「アルジュナよ、私にしても、君にしても、
我々は、今までに、存在しなかった事がない。
それゆえ、是からも、存在しなくなる事がない。」

「確かに、少年期、青年期、老年期を経て、
生まれた自我は、老いていき、死んでしまう。
しかし、真我は不滅ゆえに、再び生まれ変わる。」

「賢者は、それを見とめて、迷う事がない。
確かに、自我が生まれて、苦楽が生まれるが、
無常であることを見とめて、囚われる事がない。」

「楽が生まれると、必ず、苦が埋れている。
苦と楽や、生と死を、平等に見とめるものは、
楽を捉えようと、苦に捕らわれず、不死となる。」

「自我は不滅ではない、真我は不滅である。
真理を悟った者は、自我と真我の境界を見る。
アルジュナよ、遍く満ちる真実を、不滅と見よ。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

228鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/27(月) 22:50:51.62ID:nqlmhLZ4
不滅の真我とは認識できない認識主体なのじゃ。
在ると言えるのはそれだけなのじゃ。
それを知れば迷うことは無いのじゃ。

229名無しを整える。2018/08/27(月) 23:59:53.79ID:O4HnrcOf
うむ。
義務を果たす、とか、カースト、とかは、今まで講読会で読んだブッタの教えでさ、取り上げてげてなかったような気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

230名無しを整える。2018/08/28(火) 00:13:23.95ID:S7U1QP5S
そういえば、ニサルガダッタ・マハラジがバガヴァッド・ギーターを最高の教えと評していた対話録を読んだ記憶があります。
そして、ギーターを読むときは、アルジュナ側の視点ではなく、自分がクリシュナであり、自分が真理を語っているものとして読みなさい、と質問者にアドヴァイスをしていました。
マハラジの属していた宗派も、出家ではなく、在家で各々の役割を果たしながら修行するのを奨励していたので、似たものがあるのかもしれませんね。

231名無しを整える。2018/08/28(火) 03:21:55.26ID:dnM4kBZG
たびたび失礼します。
三つのグナの教えをみて感じたのですが、
これらの心のどの状況も苦を生むようにできているように思えるのです。
性格とはこれらの組み合わせにすぎないと説いた人もいます。
どの状況にも囚われないことが大事なのでしょうか。
自身に強くある性質がこれだと感じた場合、
それと真逆のことをすべきなのでしょうか。

232名無しを整える。2018/08/28(火) 03:24:44.12ID:r8vQoVVv
たびたび失礼します。
三つのグナの教えをみて感じたのですが、
これらの心のどの状況も苦を生むようにできているように思えるのです。
性格とはこれらの組み合わせにすぎないと説いた人もいます。
どの状況にも囚われないことが大事なのでしょうか。
自身に強くある性質がこれだと感じた場合、
それと真逆のことをすべきなのでしょうか。

233名無しを整える。2018/08/28(火) 03:24:59.48ID:72K+Amuy
たびたび失礼します。
三つのグナの教えをみて感じたのですが、
これらの心のどの状況も苦を生むようにできているように思えるのです。
性格とはこれらの組み合わせにすぎないと説いた人もいます。
どの状況にも囚われないことが大事なのでしょうか。
自身に強くある性質がこれだと感じた場合、
それと真逆のことをすべきなのでしょうか。

234名無しを整える。2018/08/28(火) 06:47:03.72ID:GfP00RWq
>>227
バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

「彼が殺すと思う者、彼が滅びると思う者、
どちらも、私という者を、理解できていない。
真我は殺しもしないし、真我は殺されもしない。」
「彼は、決して生まれず、決して死なない。
彼は、不生であり、常住であり、不滅であり、
自我は殺められようとも、真我は危められない。」
「さながら、人々が、服を着替えるように、
魂は、古い体を捨てて、新しい体に着替える。
服を破った処で、彼を殺せたと言えるだろうか。」
「如何なる物も、彼を危めることは出来ず、
如何なる者も、真我を殺めることは出来ない。
真我は、不動であり、堅固であり、永遠である。」
「彼が、死なないと考えて、嘆くにしても、
彼が、死んでしまうと考えて、歎くにしても、
彼が嘆くことはない、彼は現れないものである。」
「生が生まれると、必ず、死が埋れている。
生れれば死んでしまい、死ねば生れてしまう。
避けられないことに、君は、嘆くべきではない。」
「無いものが、現われてから、消えていく。
あらゆる現れは、無から始まり、無に終わる。
どうして、この事実を、悲しむ必要があろうか。」
「ある者は、この事実を、見て驚くだろう。
又、ある者は、この真実を、聞き愕くだろう。
それでも、彼を見とめる者は、何処にも居ない。」
「一切の者の身体に宿っている、この魂は、
永遠不滅であり、殺すことなど不可能である。
だから、君は、このことを、嘆くべきではない。」
「クシャトリア、武人の義務から考えても、
真理を護る戦いより、優れるものがあろうか。
武人として、聖戦に挑めれば、冥利に尽きよう。」
「戦えば、天国の使者が、君を出迎えよう。
逃げるなら、義務を果せず、武人の名が廃る。
戦士が汚名を残す屈辱は、戦死よりも耐え難い。」
「君が逃げるなら、今まで称えていた者も、
卑怯者や、臆病者と、君を蔑むようになろう。
況や敵をや、これに勝る恥辱が、何処にあろう。」
「君が戦死すれば、天上で極楽を味わうし、
君が戦勝すれば、地上で栄華を味わうだろう。
アルジュナよ、立ち上がれ、戦う、決心をせよ。」
「幸か不幸か、損か得か、勝つか負けるか、
考えることなく、我を忘れ、戦うべきである。
そうすれば、決して、君は罪を負うことがない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

235名無しを整える。2018/08/28(火) 06:48:15.97ID:GfP00RWq
>>230
おー!
マハラジさんおすすめでありましたか!
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

236名無しを整える。2018/08/28(火) 22:31:56.93ID:erFeNzUj
格義仏教的な理解では、佛教の理解なんて一生無理だなw

237鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/28(火) 22:51:02.81ID:sxGBTmzC
>>229 そうじゃ、お釈迦様は産まれによるカーストの区別には反対であったがのう。
 それぞれの義務を果たすものがその職に在るものなのじゃ。
 修業するものがバラモンであり、商いをする者が商人なのじゃ。

>>233 三つのグナはどれも執着すれば苦になるじゃろう。
 しかし、サットヴァは知覚するものであり、苦を厭離できる性質のものでもあるのじゃ。
 よく使えば苦を厭離できるのじゃ。
 執着せずに使うとよいのじゃ。

238名無しを整える。2018/08/28(火) 23:49:47.78ID:GfP00RWq
グナについて復習

>2.15 得たものを失うことへの恐怖と懸念、結果として心の中に残り新たな切望をひき起こす印象、心を支配する三グナの絶えざる相克、これらに鑑みるとき、識別ある者にとっては実にあらゆるものが苦である。

>サットヴァとは気づくこと、認識することなのじゃ。
ラジャスとは活動なのじゃ。
タマスとは惰性なのじゃ。

>グナとはサットヴァ、ラジャス、タマスの三つの心の性質なのじゃ。
客体が同一でも認識が異なるのはその性質の優位に違いがあるからというのじゃ。
同じものを観てもサットヴァが優位ならば智慧を持って見られるのじゃ。
ラジャスが優位ならば活動的なものとしてみるのじゃ。
タマスが優位ならば怠惰なものとしてみるのじゃ。

専門用語に慣れなければなりますまい。
(´・(ェ)・`)つ

239名無しを整える。2018/08/29(水) 06:44:01.97ID:AklDBYN/
>>234
2バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

「以上は、理論に於ける、知性の話をした。
以下は、実践に於ける、知性の話しをしよう。
知性を磨き上げれば、君は行為の束縛を離れる。」

「知性は、多くのものに、分けようとして、
真の知性は、一つのものに、集めようとする。
その念の力を、真我に集めて、人々は解脱する。」

「この実践には、無駄もなく、後退もなく、
それゆえ、この道を、少しだけ進むだけでも、
大いなる輪廻の恐怖が、減っていくことになる。」

「愚か者は、ヴェーダの華麗な詩句に酔い、
感覚の満足と、贅沢な生活に、心を奪われる。
様々な儀式を執り行い、天界に至ることを望む。」

「財宝の蓄積や、感覚の快楽に捕らわれて、
その追求のために、彷徨い続ける人の心には、
真理を愛して、神理に仕える、思いは生じない。」

「ヴェーダでは、善性と暗性と動性を説く。
アルジュナよ、いつも、善性を拠り所として、
執着を離れ、相対を脱却して、自己を統御せよ。」

「至る所に水が溢れる時、井戸は要らない。
同様に、真理を悟った者に、経典は要らない。
ヴェーダに溺れる者には、ヴェーダが未だ要る。」

「カルマとは、行為であり、結果ではない。
よって、行為の結果を、行為の動機とするな。
また、何もしないことに、囚われてはならない。」

「アルジュナよ、カルマを忠実に遂行せよ。
成否に捕らわれる、あらゆる余念を放棄せよ。
こうした、心の静寂を、ヨーガと呼ぶのである。」

「奉仕の精神で、行為の果報を期待しない。
一切の結果を、真我に委ねて、義務を果たせ。
報酬を期待するのは、雇われている人間である。」

「全智者に対して、自らを奉げた奉仕者は、
この世に於いて、自我を越えて善悪を離れる。
アルジュナよ、これこそが、行為の秘訣である。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

240鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/29(水) 22:28:46.15ID:JfRxzFkJ
>>238 そうじゃ、次の文もグナを説いているのじゃ。

「ヴェーダでは、善性と暗性と動性を説く」
 善性とはサットヴァのことなのじゃ。
 暗性がタマスであり、動性がラジャスなのじゃ。
 「アルジュナよ、いつも、善性を拠り所として、
執着を離れ、相対を脱却して、自己を統御せよ。」
というのがサットヴァによって観察し、執着を離れ、相対的な観念を脱却して自己を統御せよというのじゃ。
 

241名無しを整える。2018/08/30(木) 14:45:09.19ID:7b8NO5lq
>>239
バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

悲しみに沈む彼に、クリシュナは、こう言った。

「仏性が、真理である、神と合一した者は、
行為の結果を捨てて、生と死の束縛を離れる。
そして、苦楽を越えた、憂い無き境地に達する。」

「仏性が現れて、迷妄の闇から抜け出すと、
過去に捕えたこと、未来に捉えるだろうこと。
すべてに超然として、心が囚われることがない。」

「君の心が、ヴェーダの詩句に惑わされず、
すべてを平等に捉える、自己の本性を悟ると、
三昧により、不動となり、神の意識に到達する。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、真我に没入した者の意識、
智慧を具足した者の心とは、如何なるものか。
彼は、如何に語り、如何に座り、如何に歩むか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、感覚の欲望を悉く離れて、
自己の本性に満足し、超然として泰然とする。
純粋なる意識に、目覚めた者、彼を賢者と呼ぶ。」

「逆境に於いても、心が乱れることがなく、
順境に在っても、心が思い上がることがない。
貪瞋痴を越え、不動となる者、彼を聖者と呼ぶ。」

「好きなものを見ても、囚われることなく、、
嫌いなものを見ても、捕らわれることがない。
好き嫌いの感情を超越した者、彼を覚者と呼ぶ。」

「あたかも、亀が手足を甲羅に収める様に、
眼耳鼻舌身の対象から、感覚を引き払う者は、
完全なる智慧、プラジュニャーを得たと言える。」

「たとえ、禁欲を為して、快楽を離れても、
過去に味わった快楽は、記憶として残される。
それは、より良い物を味わい、越えるしかない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

242鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/30(木) 22:51:44.79ID:x9XxRpd1
行為の結果を期待せずに行うのがカルマヨーガなのじゃ。
難しいことでは在るがのう。
それが出来れば修業にも成果を気にせず打ち込めるのじゃ。
精進すれば純粋な意識にも到達するのじゃ。

243名無しを整える。2018/08/30(木) 23:32:21.49ID:7b8NO5lq
>>242
うむ。
不思議なことは、まるっきり予期してないときにしか起こらないのであります。
して、起こっても、気のせいかなと思っている短期間に、繰り返し起こるのである。
で、よし!と思って、再現性を期待すると、テコでも起こらないのである。
不思議であります。
(´・(ェ)・`)つ

244名無しを整える。2018/08/31(金) 06:53:17.77ID:7R1dixOW
>>239
2バガヴァッド・ギーター 第二章
悲しみに沈む彼に、クリシュナは、こう言った。

「仏性が、真理である、神と合一した者は、
行為の結果を捨てて、生と死の束縛を離れる。
そして、苦楽を越えた、憂い無き境地に達する。」

「仏性が現れて、迷妄の闇から抜け出すと、
過去に捕えたこと、未来に捉えるだろうこと。
すべてに超然として、心が囚われることがない。」

「君の心が、ヴェーダの詩句に惑わされず、
すべてを平等に捉える、自己の本性を悟ると、
三昧により、不動となり、神の意識に到達する。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、真我に没入した者の意識、
智慧を具足した者の心とは、如何なるものか。
彼は、如何に語り、如何に座り、如何に歩むか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、感覚の欲望を悉く離れて、
自己の本性に満足し、超然として泰然とする。
純粋なる意識に、目覚めた者、彼を賢者と呼ぶ。」

「逆境に於いても、心が乱れることがなく、
順境に在っても、心が思い上がることがない。
貪瞋痴を越え、不動となる者、彼を聖者と呼ぶ。」

「好きなものを見ても、囚われることなく、、
嫌いなものを見ても、捕らわれることがない。
好き嫌いの感情を超越した者、彼を覚者と呼ぶ。」

「あたかも、亀が手足を甲羅に収める様に、
眼耳鼻舌身の対象から、感覚を引き払う者は、
完全なる智慧、プラジュニャーを得たと言える。」

「たとえ、禁欲を為して、快楽を離れても、
過去に味わった快楽は、記憶として残される。
それは、より良い物を味わい、越えるしかない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

245名無しを整える。2018/08/31(金) 18:39:10.56ID:wIEFquqL
鬼和尚、サットヴァ=阿頼耶識=観察する能力なんですか?

246鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/08/31(金) 22:28:46.63ID:uKc3ARP0
>>243 期待すると記憶による観念を見ようとしてしまうからなのじゃ。
 何の計らいも捨ててただひたすら集中するとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>245 サットヴァは心の性質であるから阿頼耶識ではないのじゃ。
 ものごとを認知する性質なのじゃ。
 阿頼耶識がもつ性質の一つとはいえるじゃろう。
 それをうまく使えばよいのじゃ。
 

247名無しを整える。2018/09/01(土) 08:14:59.07ID:7ScrrC5V
>>246
>何の計らいも捨て
と言うことの意味が、よくわかったであります。ありがとうであります!

> サットヴァは心の性質であるから阿頼耶識ではない。
(阿頼耶識)ものごとを認知する性質
(サットヴァは)阿頼耶識がもつ性質の一つ
 
で、ありますか?
(´・(ェ)・`)つ

248名無しを整える。2018/09/01(土) 08:24:59.20ID:7ScrrC5V
>>244
バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

「アルジュナよ、感覚の欲求は強く激しく、
行を修めた者の心さえ、力ずくで揺るがせる。
不動の真我に、心を合わせる者は、智者である。」

「対象を見たり、対象を思ったりする事で、
人は、その対象に、愛着を感じるようになる。
愛着から欲望が生じて、欲望から嫌悪が生じる。」

「嫌悪から妄想が生じ、妄想で記憶が乱れ、
今までの教訓を忘れ、仏性が曇らされていく。
その結果、人々は、物質次元、現象界に落ちる。」

「解脱の道を歩んで、感覚を統御する者は、
真我の恩寵により、愛着と嫌悪から出離する。
現象界の、三重苦が消滅して、知性が安定する。」

「知性が、真我に回帰しようとしない限り、
感情も治められないし、仏性も修められない。
平安の境地に臨めないと、真の幸福も望めない。」

「あたかも、舟が風に吹き流されるように、
たった、一つの感覚でも、心を奪われたなら、
たちまち、人の仏性は、吹き飛ばされてしまう。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
諸々の感覚の対象から、完全に撤退した者や、
完全に超越した者は、完全に覚醒したと言える。」

「愚者に夜であろうと、賢者には昼である。
愚者には昼であろうとも、賢者には夜である。
賢者は、他の生物とは、異なる見方をしている。」

「さながら、無数の川が流れ込んでいても、
海は泰然としていて、常に不動であるように、
他の欲が流れ込んでも、賢者は平然としている。」

「物欲や肉欲、すべての欲望を放棄した者、
支配欲や所有欲、あらゆる願望を出離した者、
このような人だけが、真実の平安に至るだろう。」

「これが、ブラフマンに到達する道である。
ここに到達した者は、一切の迷妄が消滅する。
臨終に際して、ここに至れば、光明に没入する。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

249名無しを整える。2018/09/01(土) 21:22:01.57ID:TS1gimP6
「アルジュナよ、感覚の欲求は強く激しく、
行を修めた者の心さえ、力ずくで揺るがせる。
不動の真我に、心を合わせる者は、智者である。」

真我に心を合わせるとは、無に集中するということでしょうか?

250鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/01(土) 23:22:53.42ID:Bwkvh45C
>>247 サットヴァはものごとを認知する性質なのじゃ。
 サットヴァは阿頼耶識のもつ性質の一つと言えるのじゃ。
 そのように理解すると善いのじゃ。

>>249 真我とはそれ自体は認識できない認識の主体なのじゃ。
 ただ見るだけのものなのじゃ。
 見る意識そのものなのじゃ。
 何かを見ても心にそれに対する好悪や愛着が無ければ真我に心を合わせたといえるのじゃ。
 ただ見たものごとを見たものだけであると認識するのじゃ。
 サマーディ、忘我、無我の認知なのじゃ。

251名無しを整える。2018/09/02(日) 08:29:39.98ID:uuWWb54e
>>250
鬼和尚、ありがとうであります。
> 真我とはそれ自体は認識できない認識の主体。

そのような主体があった方が、無我にたどり着く道のイメージを持ちやすくなる気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

252名無しを整える。2018/09/02(日) 08:43:05.79ID:uuWWb54e
バガヴァッド・ギーター 第三章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。
「クリシュナよ、果報を求める行為よりも、
知性を磨く行為の方が、優れているのならば、
どうして、わたしに、戦えと言われるのですか。」
「あなたが、曖昧な言い方をしているため、
わたしの心は、迷いを越えることが出来ない。
私にとって、最善の道は何か、明言して下さい。」
クリシュナは、アルジュナに、このように説く。
「この世で、真理を悟る道は、二つがある。
ヨーギーには、実践者の道、行為の道があり、
サーンキャには、理論家の道、哲学の道がある。」
「たとえ、作為を恐れて、行為を避けても、
すでに犯した罪からは、逃れられる事はない。
この世を捨てたとしても、越えられる事はない。
「好もうが、好むまいが、人というものは、
プラクリティのグナによる、カルマによって、
唯の一瞬たりとも、活動しないでは居られない。」
「体が動かなくても、心が動いているのは、
自らを欺く行為であり、彼は偽善者に等しい。
体が動いても心は動じず、これが放棄者である。」
「何もしないこと、無作為に徹するよりも、
何も囚われないこと、無頓着に徹するべきだ。
行為をしなければ、肉体さえ維持できなくなる。」
「アルジュナよ、真我のために、活動せよ。
さもなければ、行為に縁って、行為が導かれ、
この、現象界に縛り付ける、輪廻の原因となる。」
「はじめに、創造主は、万物を創造されて、
それぞれ、カルマを与え、このように言った。
行為を奉げなさい、願望は適えられるだろうと。」
「人々から供養を受けて、神々は満足して、
神々から加護を享けて、人々は安心している。
神に報いられ、神に酬いない者は、盗賊である。」
「自らが食べる物を、自ずから食べる前に、
神に対して奉げる者は、すべての罪を免れる。
味を貪り食べる者は、罪を食べるようなものだ。」
「すべての生物は、穀物により生きている。
すべての穀物は、恵みの雨により生きている。
天からの雨は、義務の遂行によって降って来る。」
「カルマは、ブラフマンから発されていて、
ブラフマンは、永遠普遍の至高の存在である。
だからこそ、カルマに不滅の存在が関って来る。」
「アルジュナよ、こうして、行為の車輪を、
すなわち、チャクラを、回転し続けない者は、
感官の快楽を貪り続けて、空しい人生を過ごす。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

253名無しを整える。2018/09/02(日) 13:48:07.23ID:RMgKZVR3
>>250
>真我とはそれ自体は認識できない認識の主体なのじゃ。

「それ自体は認識できない認識の主体」とは「私は在る」とか観照者と呼ばれているものですか?

鬼和尚さまが悟るとは認識を滅することだとおっしゃているのは、その「それ自体は認識できない認識の主体」が消えることですか?

だとしたら涅槃においては何も認識のようなものはないということでしょうか、あるいは別の認識があるのでしょうか

涅槃は知覚の対象にならないとか認識できないというような説明を見かけますが、認識できないものの存在が語られるのがよくわかりません

主客未分であるとき「それ自体は認識できない認識の主体」があり、主体は主客なき主体のまま在るのはわかりますが、
その先において主体と認識はどうなるのでしょうか

254仏教の超初心者2018/09/02(日) 14:04:08.27ID:TZoMLoVJ
先ず、

1.ここで鬼和尚と名乗っている者は、仏教僧ではないのに僧侶を騙る紛い物であること。
2.仏教とスレタイにはあるが、実際の内容は不二一元論であること。


本来、ヴェーダでは「真我(アートマン)とは何々であると定義できないもの」とされているので、「それ自体は認識できない認識の主体」とも定義され得ない。
本来、仏教では常・一・主・宰なる我という本体認めておらず、延いては「それ自体は認識できない認識の主体」等という、確認できないもの等形而上学上の問題については無記としている。


簡単に云うと、無認識であったことを後から認識するだけの事(無認識の認識)に他ならない。

255名無しを整える。2018/09/02(日) 19:59:44.95ID:SyRfW1bo
鬼和尚、ギーター2章のまとめをお願いします。

256名無しを整える。2018/09/02(日) 20:41:43.02ID:uuWWb54e
お願いします。
|∧_∧
|・(ェ)・)
|⊂ノ.
|`J

257鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/02(日) 23:44:13.29ID:e77ganDF
>>251 そうじゃ、それがアートマンの法であり、道なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>253 違うのじゃ。
 それはないのじゃ。
 アートマンはそもそも存在しないのじゃ。
 上に書いたようにそのような認識できないものがあるとしたほうが修業の目標になり、やり易いから説かれたのじゃ。
 そしてそれは正しい説き方なのじゃ。
 何か修業の途中で認識できるものがあればそれは幻影と言えるからのう。
   
 唯識論が概ね正しいのじゃ。
 記憶に依存した認識である阿頼耶識が消えれば本来の認識が現れるのじゃ。
 主体も客体も無く認識するのが本来の認識なのじゃ。
 それを9識というとものいるが、言葉で説かないほうが正しいとする者も居るから知られないのじゃ。
 どちらも正しいのじゃ。

>>255>>256 クリシュナが説いたのは、本来カルマヨーガであるが、ここではそれとともにアートマンの法やブラフマンも説いているのじゃ。
 ギーターが読むべきものとされているのはそのようにヴェーダの法を遍く解説しているところじゃろう。
 仏教で言えば法華経のようなものじゃ。
 重要な法を物語りに託してそれぞれ説いているものなのじゃ。
 ここまでは百科事典的なものといえるのじゃ。
 後に更に詳しく解説が為されるのじゃろう。
 

258名無しを整える。2018/09/02(日) 23:57:07.13ID:uuWWb54e
>>257
鬼和尚、いつもありがとうであります。  マハラジ、ギーターの二本立てになり、ご苦労をお掛け致しますが、よろしくお願いするであります。
どちらも、これから先が、ワクワクくまくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

259名無しを整える。2018/09/03(月) 02:22:26.74ID:EO663O/v
>>258
別スレもあるんですか?
よかったらurl教えてください

260名無しを整える。2018/09/03(月) 02:34:32.26ID:EO663O/v
みつかりましたw

261名無しを整える。2018/09/03(月) 06:30:22.73ID:37cC01Vs
>>252
バガヴァッド・ギーター 第三章(つづき)

「一方で、自らの中に、アートマンを認め、
歓喜を帯び、満足を得て、安住している者に、
もはや、果たすべき業、義務は存在していない。」

「彼は、行為することで、得るものも無く、
また、行為をしないことで、失うものも無い。
そして、他の如何なる者にも、頼ることが無い。」

「よって、行為の結果に囚われることなく、
果すべき義務として、淡々と天命を遂行せよ。
そうしなければ、魂は、真我に回帰が出来ない。」

「例えば、ジャナカ王などが、挙げられる。
彼らは、義務の遂行により、覚醒に到達した。
君も、人々の手本となるべく、為すべきを為せ。」

「何事に於いても、偉人が行なったことを、
一般の人々は、同じように真似るものである。
指導者が範を示せば、彼に、全世界の人が倣う。」

「わたしは真我であり、この三界に於いて、
課せられていることなど、何一つとしてない。
それでいながら、なお、私は活動し続けている。」

「というのも、もし、私が活動しなければ、
誰もが私に倣って、活動しなくなってしまう。
私が活動しなければ、直ちに全世界が消滅する。」

「愚か者は、果報を求めて、活動をするが、
賢い者は、果報を求めないで、活動している。
その活動は、世の人を、正しく導くことである。」

「果報を求めない、賢者が活動しないとき、
果報を求めてしまう、愚者が混乱してしまう。
賢者は無償で活動して、奉仕の精神を倣わせる。」

「アルジュナよ、自我に囚われている者は、
サットヴァ、ラジャス、タマスの動きを見て、
自分が為している、働いていると考えてしまう。」

「しかし、一方、自我に捕らわれない者は、
自分の行為は、三つのグナの作用と見とめて、
決して、自分の行為に、捕らわれることがない。」

「アルジュナよ、三つのグナに惑わされて、
迷わされた人々は、現象界の活動に捕われる。
この姿は、囚われると見えず、越えると見える。」

「囚われた者に、不安を与えてはならない。
アルジュナよ、すべての行為を真我に任せて、
自らの行為と捕らえることなく、勇ましく戦え。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

262名無しを整える。2018/09/03(月) 17:54:33.10ID:EO663O/v
マハラジやギーターの言う「真我」は鬼和尚の「意識」と同じものではないんですか?

マハラジ  何ひとつ私によっては為されない。
すべてはただ起こるのだ。
私は期待しないし、計画も立てない。
ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
それらが非現実だと知りながら――。

質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったのでしょうか?

マハラジ  いつものように三つの状態は交替する。
そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
それらはただ起こる。
私には何も起こらないのだ。
そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存在―意識―至福がある。
私はつねにそのなかに在る。
いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできないのだ。

質問者 それでも、あなたは意識しています!

マハラジ  そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
私はほとんど気がつかないほどだ。

質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うことではこの状態はやってきません。

マハラジ  やってくるということはない。
それはつねにそうだったのだ。
発見はあった。そして、それは突然のものだった。
誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を発見したのだ。

質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らしたのでしょうか?
あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的なものでしょうか?

マハラジ  絶対的に揺るぎのないものだ。
私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
子供は子宮のなかに戻りはしない!
それはシンプルな状態だ。
極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。

2632532018/09/03(月) 18:44:03.54ID:mgR0mCrc
>>257
そうですか。

上座部仏教で言われている心、心所、色(物質)、涅槃の4つがあるという見方は妥当ですか?

妥当だとした場合、「私は在る」「観照者」「無我の境地」「九識」はどこに対応するものでしょうか?

心=「私は在る」「観照者」「無我の境地」
心所
色(物質)
涅槃=「九識」

でしょうか?

心と完全に厭離することで本来の認識(九識)があらわれそれが悟りであるということでしょうか

264鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/03(月) 22:13:46.77ID:4d+sWj3y
>>262 真我は意識ではないのじゃ。
 それは悟りを得るための法なのじゃ。
 真我を実現して意識にたどり着くと言えるのじゃ。
 アートマンは月を示す指のようなものじゃ。
 
>>263 それらも修業の為に作られた観念なのじゃ。
 囚われてはいかんのじゃ。
 何も対応しないのじゃ。
 
 心というならばそれは唯識ではマナ識とかになるのじゃ。
 阿頼耶識を厭離できれば悟りなのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

265名無しを整える。2018/09/03(月) 22:40:03.65ID:EO663O/v
>>264
>>262のマハラジ「私は突然、真我の存在を発見したのだ。 」
この部分はどう解釈すればよいのでしょうか?

266仏教の超初心者2018/09/03(月) 22:59:07.20ID:maWmGmHR
>>263
私は唯識に若干親しいので、その視座から五位で分析する場合は、以下に該当しませんでしょうか?

九識 → 心法
 (ただし第九識(阿摩羅識)は、唯識学では立てず、天台・華厳系にてたてられた識で、真如を示す 立ち位置ですのでよくは存じません)

「私は在る」 → 色法(認識である場合は心所法の慧?)
「観照者」 → 心所法(慧?)
「無我の境地」 → 心不相応行法(無想定、滅尽定) or 無為法(想受滅)

267名無しを整える。2018/09/03(月) 23:17:04.91ID:mgR0mCrc
>>264
あらゆる観念に捉われないというシンプルな導きですね。
ありがとうございました。

>>266
「私は在る」というのは二サルガダッタ・マハラジがよく話しているあらゆる認識に先だつ存在最初の感覚のことです。
観照者というのは非二元などでよく語られていますが定義が人によって少し違うように思います。
無我に関しては鬼和尚さまは自己の捉われはなくなったものの存在という認識の捉われが残っている小悟の状態として話されてるように思います。

鬼和尚さまの会話をいつも見ているのでこのあたりの鬼和尚さまの定義を理解したいと思い聞きました。

自分は唯識はまだあまり理解してないのでお言葉参考にして勉強してみたいと思います。
ありがとうございました。

268佛教の超初心者2018/09/03(月) 23:58:15.76ID:oODCE29n
>>267
成る程、そうですか。

>あらゆる認識に先だつ存在最初の感覚のことです。

佛教は現象(有為)については縁起説(此縁性や相依性等)なので「ありき」論はたてませんからね。
従って、マハラジ氏の「私はある」を佛教でいう五位説に当て嵌めるのは不適切でしたね。

>観照者というのは非二元などでよく語られて

その意味においても「観照者」も非佛の様ですから、同じく佛教でいう五位説に当て嵌めるのは不適切でしたね。

>鬼和尚さまの定義を理解したいと思い聞きました。

彼は佛教僧でないのは勿論、不二一元論者です。

269名無しを整える。2018/09/04(火) 06:45:09.92ID:Xo3ipGI9
>>261
3バガヴァッド・ギーター 第三章(つづき)

「もし、真我を信じて、私の教えに従がい、
いつでも、疑うことなく、行為をするならば、
いずれ、カルマの鎖を断ち、自由に成るだろう。」

「一方、真我を疑って、私の教えに逆らい、
いつでも、従うことなく、行為をしなければ、
いずれ、カルマの淵に落ち、破滅に至るだろう。」

「たとえ、優れた者でも、天命に縛られる。
つまり、あらゆる者は、本性に従がっている。
先天の性に逆らおうとしても、徒労に過ぎない。」

「感覚の対象に対して抱く、愛着と嫌悪を、
人は、よく修めることで、よく治めるべきだ。
この善悪の観念は、真理を悟る時に障害となる。」

「完全なる、他人の義務を引き受けるより、
不全だろうと、自分の義務を果し切りなさい。
他人の道で迷うよりは、自分の道で死ぬべきだ。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、自分の意志に反してまで、
時に人は、罪深い行為に、駆り立てられるが、
このような、無意識の力は、何の力であろうか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、その力は、カーマである。
カーマとは、ラジャスから生じたものであり、
この欲界に現われる、最大の敵であると心得よ。」

「煙に巻かれている炎、塵で曇らされた鏡、
それから、子宮に包まれている胎児のように、
あらゆる生物は、それぞれ、欲に覆われている。」

「欲望という天敵に、意識は汚されている。
それは、底なしの谷のように、飽きを知らず、
燃え盛る炎のように、身と心を焼き焦している。」

「欲望は、眼と耳と鼻と舌と身と意に宿る。
欲望に狂わされた心は、仏性を覆い隠すため、
正しい道が解らなくなり、我々の魂を迷わせる。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
何よりも先ず自らの、五感を統御することで、
理論知と実践知を損う、欲望を滅尽することだ。」

「真我が現われないと、仏性は現われない。
仏性が現われないならば、精神は洗われない。
精神のない感覚は無く、感覚のない対象も無い。」

「それゆえ、私は、仏性よりも上位と知り、
至高の支配者である、アートマンを確立して、
カーマと呼ばれている、恐るべき敵を征服せよ。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

270名無しを整える。2018/09/04(火) 06:48:53.36ID:Xo3ipGI9
>>269
うー。
ギーターって、戦士に対する教えと言うことで、洗脳に悪用できるのではありますまいか?
(´・(ェ)・`)つ

271名無しを整える。2018/09/04(火) 07:47:24.05ID:bMjDWu5h
どんな教えでもその危険性はありますよね。

ダンマパダ311 茅草でも、とらえ方を誤ると、手のひらを切るように、修行僧の行も、誤っておこなうと、地獄にひきずりおろす。

272鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/04(火) 22:56:46.38ID:efTluV2k
>>265 悟ったということをアートマンによって現したのじゃ。
 アートマンは本来実現されず、発見されないものじゃ。
 しかし、そのように言わなければ衆生はわからないからいうのじゃ。
 悟りも得るものでも、開くものでもないが衆生の為に悟りを得たとか、開いたとかいうのじゃ。
 得るものも開くものも無い悟りもそのように語らなければならないのじゃ。
 アートマンも実現されず、発見されないがそのように語らなければわからない者のために実現したとか発見したと言うのじゃ。

>>267 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさぃ。

>>270 そうじゃ、オウムの者も実はカルマヨーガによって洗脳されていたのじゃ。
 組織の為に殺人も良いという教義であるからのう。
 気をつけなればいかんのじゃ。

273鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/04(火) 22:57:05.73ID:efTluV2k
>>265 悟ったということをアートマンによって現したのじゃ。
 アートマンは本来実現されず、発見されないものじゃ。
 しかし、そのように言わなければ衆生はわからないからいうのじゃ。
 悟りも得るものでも、開くものでもないが衆生の為に悟りを得たとか、開いたとかいうのじゃ。
 得るものも開くものも無い悟りもそのように語らなければならないのじゃ。
 アートマンも実現されず、発見されないがそのように語らなければわからない者のために実現したとか発見したと言うのじゃ。

>>267 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさぃ。

>>270 そうじゃ、オウムの者も実はカルマヨーガによって洗脳されていたのじゃ。
 組織の為に殺人も良いという教義であるからのう。
 気をつけなればいかんのじゃ。

274名無しを整える。2018/09/05(水) 06:21:04.37ID:EhZPyKyl
成る程ねぇ。

オカルト板で始まったスレに鬼和尚のコテハンで現れてレスしているうちに、本物の仏教僧と勘違いされて、

> 452 名前:本当にあった怖い名無し [sage] :
>2007/05/12(土) 00:34:05 ID:RT7LEuIb0
> なんでいつの間にか鬼和尚が仕切ってるような
> 流れになってるんだ?

になっていったんだな。
良識あるスレの住民からは非佛の指摘も出ていたけれど、勘違いした連中の声に掻き消されて・・・


事の始まりからして鬼和尚は胡散臭かった訳だ。

275名無しを整える。2018/09/05(水) 07:22:36.18ID:wdKJobBH
>>261
バガヴァッド・ギーター 第三章(つづき)

「もし、真我を信じて、私の教えに従がい、
いつでも、疑うことなく、行為をするならば、
いずれ、カルマの鎖を断ち、自由に成るだろう。」

「一方、真我を疑って、私の教えに逆らい、
いつでも、従うことなく、行為をしなければ、
いずれ、カルマの淵に落ち、破滅に至るだろう。」

「たとえ、優れた者でも、天命に縛られる。
つまり、あらゆる者は、本性に従がっている。
先天の性に逆らおうとしても、徒労に過ぎない。」

「感覚の対象に対して抱く、愛着と嫌悪を、
人は、よく修めることで、よく治めるべきだ。
この善悪の観念は、真理を悟る時に障害となる。」

「完全なる、他人の義務を引き受けるより、
不全だろうと、自分の義務を果し切りなさい。
他人の道で迷うよりは、自分の道で死ぬべきだ。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、自分の意志に反してまで、
時に人は、罪深い行為に、駆り立てられるが、
このような、無意識の力は、何の力であろうか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、その力は、カーマである。
カーマとは、ラジャスから生じたものであり、
この欲界に現われる、最大の敵であると心得よ。」

「煙に巻かれている炎、塵で曇らされた鏡、
それから、子宮に包まれている胎児のように、
あらゆる生物は、それぞれ、欲に覆われている。」

「欲望という天敵に、意識は汚されている。
それは、底なしの谷のように、飽きを知らず、
燃え盛る炎のように、身と心を焼き焦している。」

「欲望は、眼と耳と鼻と舌と身と意に宿る。
欲望に狂わされた心は、仏性を覆い隠すため、
正しい道が解らなくなり、我々の魂を迷わせる。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
何よりも先ず自らの、五感を統御することで、
理論知と実践知を損う、欲望を滅尽することだ。」

「真我が現われないと、仏性は現われない。
仏性が現われないならば、精神は洗われない。
精神のない感覚は無く、感覚のない対象も無い。」

「それゆえ、私は、仏性よりも上位と知り、
至高の支配者である、アートマンを確立して、
カーマと呼ばれている、恐るべき敵を征服せよ。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

276名無しを整える。2018/09/05(水) 19:57:59.40ID:wB3xwv9O
真我に心を合わせている時は(できているのかわかりませんが)
行為する意欲もゼロになって体の動きも止まります
カルマヨーガはその状態で行為するということですが
どうやって行為するのでしょうか?

それとカルマヨーガとは結局どうやって悟りに至るんですか?
臨終に悟るんでしょうか?
「これが、ブラフマンに到達する道である。
ここに到達した者は、一切の迷妄が消滅する。
臨終に際して、ここに至れば、光明に没入する。」

277鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/05(水) 21:39:37.73ID:pTZ5b1lQ
>>276 行為に没頭してサマーディに至るのじゃ。
 よくあることじゃ。
 仕事に熟れた職人などはそのようにして名品を生み出すのじゃ。

 サマーディに至れば自我も見えて無我にもなるのじゃ。
 無我になれば認識も厭離できるのじゃ。
 

278名無しを整える。2018/09/06(木) 09:57:29.43ID:2pqiaI3x
バガヴァッド・ギーター 第四章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「この不滅のヨーガを、至上者である私は、
太陽神である、ヴィヴァスヴァットに教えた。
それから、彼が、人類の父であるマヌに伝えた。」

「こうして、ヨーガの道は、受け継がれて、
古の聖者達は、伝承の教えを守り継いで来た。
しかし、長い歳月を経て、この法統は失われた。」

「アルジュナよ、君は、私の真の信奉者だ。
だからこそ、君に、この原初のヨーガを説く。
君は、この人智を超えた、神秘を会得できよう。」
アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、太陽の神が現われたのは、
あなたの誕生の時より、遥かに昔のことだが、
どうして、あなたが、太陽神に授けられたのか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「私も、君も、何度も生まれ変わっている。
わたしは、前世のことを、全て覚えているが、
世の人々は、前生のことを、何も知らないのだ。」

「私は、生まれることも、死ぬこともなく、
万物の主にして、恒常不変たる真我であるが、
自己の本性に依存する、自己の幻影が出現する。」

「ダルマが滅びて、アダルマが栄えるとき、
私は、この現象界に、身体を現わすのである。
ダルマを伝える為なら、どんな時代にも現れる。」

「こうして、私の活動を、如実に知る者は、
この世の死に際して、魂が身体を離れた後に、
生まれ変わることなく、我が元に来るのである。」

「古より数多の人々が、全てを私に任せて、
執着と無智と憎悪を離れ、清浄となったのだ。
彼らは、熱により浄化され、私の状態に達した。」

「真我に奉げただけ、真我から与えられる。
すべてを私に任せれば、すべてが報いられる。
あらゆる人は、あらゆる道から、真我に向かう。」

「世の人々は、行為の成就と果報を求めて、
様々な神々を供養して、それらを願っている。
こうして、欲界の果報は、速やかに与えられる。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

279鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/06(木) 22:12:09.05ID:5yl/oK/1
クリシュナは自らがアートマンとして語っているのじゃ。
それもまた教えの一つではあるのじゃ。
アートマンに全てを捧げたものは全てを得るとは無我になり、悟りを得るからなのじゃ。
難しい道ではあるがのう。

280名無しを整える。2018/09/07(金) 06:35:58.54ID:Adin5zTF
>>278
バガヴァッド・ギーター 第四章(つづき)

「自然界にある、三グナとカルマに応じて、
わたしは、人間界を四つのカーストに分けた。
それでいて、わたしは、それらを超越している。」

「わたしは、如何なる行為も囚われないし、
また、真我は、如何なる果報も望んでいない。
私を悟った者も、行為や果報に縛られなくなる。」

「古来より、解脱した者は、誰であろうと、
こうして、真理を解して、行為を正していた。
よって、君も、先達に倣い、カルマを浄化せよ。」

「カルマとは何か、又、アカルマとは何か。
賢者でさえ、カルマを定義するのは、難しい。
カルマについて、今から、わたしが説明しよう。」

「アカルマは無活動、ヴィカルマは誤活動、
カルマ、つまり、活動の諸相は複雑であるが、
人は、カルマを正しく理解しなければならない。」

「カルマの中にも、アカルマを認めるもの、
アカルマの中にさえ、カルマを認めるものは、
如何に行為していても、相対を超越できている。」

「如何なる欲望も持たず、行動できる者は、
完全なる覚醒を得た者、覚者であると心得よ。
彼らは、真理の炎で、業を焼き尽した者である。」

「行為の結果について、捕らわれない者は、
カルマを作りながら、カルマに縛られないし、
自我を所有しない者は、ヴィカルマを作らない。」

「自然に得られたもので、満足を得ながら、
自他を比較して羨まず、成否に悩まない者は、
如何に活動していようと、縛られることがない。」

「現象界における、相対の利害を超越して、
自我を放棄して、無頓着に徹する者の行為は、
すべて、真我に対する供養となり、功徳となる。」

「ブラフマンの意識で、供養を行うならば、
ブラフマンの領域に、必ずや到達するだろう。

供物も、供養する者も、ブラフマン自身である。」

「種々の神々に、供養する修行者もいれば

ブラフマンに対し、供養する修行者もいよう。
音色を供える者もいれば、香を供える者もいる。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

281名無しを整える。2018/09/08(土) 00:21:09.68ID:E499kP5R
鬼和尚、3章のまとめもお願いします。

282名無しを整える。2018/09/08(土) 10:23:28.00ID:3ig6llpk
おねがいするであります。
|∧_∧
|・(ェ)・)
|⊂ノ.
|`J

283名無しを整える。2018/09/08(土) 10:32:22.51ID:3ig6llpk
>>280
バガヴァッド・ギーター 第四章(つづき)

「ある修行者は、感官や呼吸を供物として、
また別の修行者は、信念や苦行を供物とする。
ヨーガの八段階を実践して、ヴェーダを修める。」

「三昧に入るため、調気法を実践する者は、
入息と出息を供養し、最終的に呼吸が止まる。
また、ある者は、断食を為して、呼吸を止める。」

「供物の意義を知り、供養を実践する者は、
悪業の果報を清算して、心身を浄化しながら、
無上の甘露を味わい、永遠の楽土に入っていく。」

「甘露を得る者は、ブラフマンに到達する。
アルジュナよ、この供養を実践しないならば、
すべてのカルマは、究極の処、ダルマに通じる。」

「アルジュナよ、正しい導師に倣うことだ。
導師に仕えて、法則を尋ねて、真理を修めよ。
真我に至った覚者のみ、弟子に法を授けられる。」

「真理を悟った者は、幻影に迷うことなく、
あらゆる生き物は、真我の中に存在していて、
真我である私が、所有するものであると、知る。」

「たとえ、君が、悪人の中の悪人だろうと、
この偉大な、智慧の船に乗ることが出来れば、
あらゆる不幸の大海を、渡り切ることが出来る。」

「あたかも、森を、炎が焼き尽くすように、
全てのカルマは、智慧の炎で焼き尽くされる。
アルジュナよ、智慧が浄化の源泉であると知れ。」

「ヨーガを完成して、真我を楽しめる者や、
熱烈なる信仰を持って、欲望を制御する者は、
この無上の智慧を具えて、究極の平安に達する。」

「一方、無知にして、信心が足りない者や、
神から下ろされた、聖典を疑ってしまう者は、
現世においても、来世においても、不幸である。」

「果報を求めず、淡々と天命を果たす者や、
正しい智慧により、疑念や迷妄を払った者は、
自己の本性に徹して、業に捕らわれないと知れ。」

「君の心の迷いは、君の無智が原因である。
アルジュナよ、さあ、真理の剣で無智を祓い、
ヨーガにより武装して、立ち上がり自己と戦え。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

284鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/08(土) 22:07:56.02ID:lbdqVsKq
三章ではカルマヨーガによる義務の遂行が詳しく説かれているのじゃ。
真我の実現、或いは発見のためにと義務を遂行するのが修行者の務めであるというのじゃ。
義務の遂行を果たしてこそ覚醒もあると説かれたのじゃ。
制感によって欲から離れ、義務の遂行を果たせばいずれ、カルマの鎖を断ち、自由に成るというのじゃ。

285名無しを整える。2018/09/09(日) 08:42:11.43ID:ehf34qq9
>>284
うむ。
ここでは、戦士としての義務でありますが、日々の仕事や生活に誠実に取り組むことと受け止めれば良いのでありますね。
結果を恐れるのではなく、やるべきことをやれと言うことでありますね。

鬼和尚ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

286名無しを整える。2018/09/09(日) 08:55:16.09ID:ehf34qq9
バガヴァッド・ギーター 第五章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「先ず、あなたは、カルマを離れよと言い、
次に、あなたは、カルマを果たせと言われる。
どちらが正しいのか、ここに明言して頂きたい。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「行為の放棄、すなわち、サンニヤーサも、
放棄という行為、すなわち、カルマヨーガも、
共に解脱に導く道だが、後者の方が優れている。」

「行為の果報に、好き嫌いを抱かない者は、
いつも、離欲と放棄を行じていると、心得よ。
彼は、あらゆる二元を越え、現象界を解脱する。」

「ヨーガの修行法、すなわち、実践の道と、
サーンキャの修行法、すなわち、理論の道を、
愚者は別の道と考えて、賢者は同じ道と考える。」

「ヨーガを行うことで、与えられる境地は、
サーンキャを学ぶことで、得ることが出来る。
一方を究める者は、双方を極めることが出来る。」

「放棄の行為、つまり、奉仕の行為をせず、
行為を放棄するだけでは、不浄のままである。
一方、ヨーガを行じるなら、ブラフマンに至る。」

「ヨーガを行じる者の心は、清らかであり、
すべての生物に対して、思いやりの心を持ち、
カルマを作っていようと、カルマに縛られない。」

「見ても、聞いても、触れても、嗅いでも、
味わっても、起きても、食べても、動いても、
覚者は、内心では、何もしていないと観ている。」

「話すときも、捨てるときも、取るときも、
五感が対象に触れていると、見とめるだけで、
覚者の心は、いつでも、超然として囚われない。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

287名無しを整える。2018/09/09(日) 08:58:54.66ID:ehf34qq9
>>286
>行為の放棄、すなわち、サンニヤーサ、
>放棄という行為、すなわち、カルマヨーガ

>放棄の行為、つまり、奉仕の行為をせず、
行為を放棄するだけでは、不浄のままである。
一方、ヨーガを行じるなら、ブラフマンに至る。

うむ。整理して進まないと、籾殻脳が混乱するであります。
(´・(ェ)・`)つ

288鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/09(日) 23:00:58.94ID:qKn0j4qW
四章ではこのヨーガの起源と理論が説かれているのじゃ。
クリシュナはアダルマ、非法が栄えた時にこの世に姿を現し、正法を説くというのじゃ。
相対性を超越し、自我も行為も無い者はブラフマンとなるのじゃ。
制感や呼吸法を行い、ヨーガを行いヴェーダを学ぶことでブラフマンに到達するというのじゃ。

>>287 そうじゃ、全てを放棄してヨーガを実践するのじゃ。

289名無しを整える。2018/09/10(月) 07:14:56.86ID:TvPMRNDo
>>286
バガヴァッド・ギーター 第五章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「執着の心を捨てて、為すべきことを為し、
その果報を、ブラフマンに供養している者は、
蓮の葉が水に濡れないよう、罪を寄せ付けない。」

「カルマヨーガを行う者は、執着を捨てて、
心身と知性を用いて、あらゆる活動を行うが、
それは、ひたすら、自らを浄化するためである。」

「ヨーガを行じれば、心から平安に達して、
ヨーガを行じなければ、絶えず不安に怯える。
これは、果報を求めるか、否かの、違いである。」

「体を持った魂が、三つのグナを支配して、
諸々の活動について、心が無頓着でいるなら、
不自然な行為が消えて、自然な感覚に安らげる。」

「この体に宿っている、真我というものは、
行為することもなく、行為させることもない。
現象界の三グナが、すべての行為を演じている。」

「善行を果たすにせよ、悪行を果すにせよ、
真我は、そのどちらにも、突き動かされない。
真我は不動であるのに、自我が苦悩してしまう。」

「真の道理によって、無明の闇を打ち破り、
真の光明を得たならば、疑問は悉く氷解する。
あたかも、太陽の下では、万物が明らかな如く。」

「心と知性を、真理に固定して不動となり、
真我に帰依して、すべてを真我に委ねたとき、
智慧によって、すべての迷妄を祓い、解脱する。」

「真理を修めた賢者は、慈愛に満ちていて、
選民も、賤民も、家畜も、犬も、牛も、象も、
差別することなく、万物を平等に観るのである。」

「すべてを平等に見て、心が安らかな者は、
すでに輪廻を越えていて、生まれ変わらない。
彼らは、ブラフマンの中に、安住し切っている。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

290鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/10(月) 23:16:03.07ID:Em9o2vUy
カルマヨーガでは行いの結果を求めずに行動することが常に協調されるのじゃ。
果報をブラフマンに捧げるとか言うのじゃ。
それがサマーディにいたる行いのヨーガなのじゃ。
そのようにして光明を得たなら万物を等しく見る平等性智がもたらされるのじゃ。

291名無しを整える。2018/09/11(火) 02:16:47.94ID:QK6+zuin
>>290
くま、瞑想とかできなくなってしまったので、せめて、意識的にあらうと思ってるのであります。カルマヨガを実践するであります。
(´・(ェ)・`)つ

292名無しを整える。2018/09/11(火) 09:03:06.10ID:QK6+zuin
>>289
バガヴァッド・ギーター 第五章(つづき)

「真理を修めることで、迷妄を越えた者は、
好いものに囚われず、悪いものに捕われない。
彼らは、二元を越えて、ブラフマンに安住する。」

「解脱した者は、外なるマーヤに捕われず、
快楽を離れて、内なるアートマンに囚われる。
ブラフマンに集中し、永遠に続く幸福を味わう。」

「仏陀は、快楽というものが続かないこと、
過ぎた後に、苦悩が訪れることを知っている。
それゆえ、このような、虚しい喜びに耽らない。」

「もし、体を捨てる前に、感覚を制御して、
欲情と憤怒を抑制することが、出来るならば、
その人は、現世においても、幸福になるだろう。」

「内なる幸福を得て、内なる歓喜を味わい、
内なる光明を見とめる、ヨーガの実践者こそ、
ブラフマンと合一をして、涅槃に達するだろう。」

「二元の善悪を超え、内なる喜びに溢れて、
全ての疑念を打ち払い、利他を実践する者は、
ブラフマンに回帰し、永遠の平安を得るだろう。」

「憎悪や物欲や肉欲、煩悩を放棄した者や、
自己の本性を知り、真我に至る精進する者は、
やがて、梵我一如の境地、一元の境地に達する。」

「外界との接触を離れて、眼を眉間に注ぎ、
鼻腔を通る、入息と出息を、均等にしながら、
心と感覚と知性を統御すれば、必ずや解脱する。」

「供養の究極の目的である、自在神であり、
生類の幸福を願っている、大慈悲神であると、
真我を、よく知る者は、シャーンティに達する。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

293鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/11(火) 22:12:24.92ID:uYECMjhj
ここではヨーガのさまざまな技法が解説されるのじゃ。
制感、眉間への集中、呼吸法、怒りや欲の放棄等なのじゃ。
それらを実践してアートマンに至れば、この世を離れた喜びが訪れるのじゃ。
そしてブラフマンに回帰して永遠の平安に住する者となるのじゃ。

294名無しを整える。2018/09/12(水) 07:20:22.27ID:AL1AxIHK
バガヴァッド・ギーター 第六章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「行為の結果に執着せず、義務を果す者は、
たとえ、供犠を為さず、祭儀を為さなくとも、
真の出家者であり、ヨーギーである、と言える。」

「真の離欲とは、ヨーガと同じものであり、
ヨーガの目的とは、神と合一することである。
欲望を放棄しなければ、ヨーギーにはなれない。」

「ヨーガの初心者では、行為を果たすこと、
ヨーガの熟練者では、行為に囚われないこと、
これが、八段階のヨーガを修める、定法である。」
「あらゆる事物に対する、欲望を捨て去り、
あらゆる感覚に於ける、快楽を貪ることなく、
無償で行為する者は、ヨーガの完成者と言える。」

「己の心次第で、向上もして、下向もする。
人は、己の心を治めて、自らを高めるべきだ。
我が心とは、我が親友であり、我が仇敵である。」

「心を克服できれば、心は最良の友であり、
心を克服できなければ、心は最大の敵である。
友となるか、敵となるか、我が心が決めている。」

「心を克服した者は、至上の我に到達する。
彼にとっては、幸福も不幸も、寒さも暑さも、
名誉も恥辱も同じであり、真我に安らいでいる。」
「真智により、真我に満足したヨーギーは、
感覚を統御して、ブラフマンに安住している。
玉であれ石であれ、すべてを平等に認めている。」

「己に好意を持つ者と、己に悪意を持つ者。
友も敵も、善人も悪人も、そして中立の人も、
すべてを平等に捉える者は、非常に優れている。」

「ヨーギーは、心を真我に対して集中して、
人里を離れた所、森の中に独り暮らしながら、
心を常に制御して、欲望と所有を捨てるべきだ。」

「アルジュナよ、ヨーガを実修する行者は、
人里を離れた所で、クシャの草を大地に敷き、
その上に、鹿の皮と、柔らかい布を被せて座る。」
「座は、高すぎる事も、低すぎる事もなく、
神聖な場所に定めて、意識と感覚を統御する。
彼は、心を鮮明にして、精神を一点に集中する。」

「頭と体を直線に保ち、鼻の先を凝視する。
心を乱さず恐れを抱かず、梵行の戒律を守り、
意識を制御しながら、真我に専心しようとする。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
こうして、身口意を統御する、ヨーギー達は、
現象界を解脱して、真我である、私に回帰する。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

295鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/12(水) 22:46:44.11ID:WJHGbn27
第五章ではカルマヨーガの詳しい解説が説かれたのじゃ。
果報を期待せずに実践することがその要旨なのじゃ。
それによって行為は忘我の状態に導く方法となるのじゃ。
次の章では実践の方法が説かれるのじゃ。

296名無しを整える。2018/09/13(木) 02:06:14.68ID:y9SwEa1R
>鼻の先を凝視する。

これは目を寄り目な感じにして鼻の先を見るのでしょうか?
やってみたんですが、ぼやけてうまくできませんw

それとなぜ鼻の先が選ばれたのでしょうか?
眉間に集中するという話が以前出てきましたが、違いはありますか?

297名無しを整える。2018/09/13(木) 06:49:06.53ID:fKg81q0v
>>294
バガヴァッド・ギーター 第六章

「アルジュナよ、ヨーガを修めるためには、
食事が多すぎても、少なすぎてもいけないし、
睡眠が長くすぎても、短すぎてもいけないのだ。」
「食べることや、眠ることや、働くことや、
さらに、休むことや、楽しむことについても、
ヨーガを修めて、節度を保てば、苦悩が消える。」

「ヨーギーが、ヨーガを修めることにより、
物欲や肉欲を越えて、意識の動きを統御して、
真我に定住すると、ヨーガを完成したと言える。」

「風が吹かなければ、火が揺らがないよう、
心を完全に支配し得た、ヨーギー達の瞑想は、
真我に安定し切って、微動だにしないのである。」

「このように、自らの心を完全に支配した、
この無上の境地のことを、サマーディと呼ぶ。
これは、心を清め、自己の本質に安らぐことだ。」
「この素晴らしい境地に、定住するならば、
絶対の歓喜を味わい、真理を外れることなく、
彼は、絶対の幸福に達したことを、如実に知る。」

「加えて、この境地に、安定できたならば、
如何なる困難にも動じず、一切の苦悩を越え、
真実の自由である、絶対の自由を得るのである。」

「金剛の信念を以って、ヨーガを実修せよ。
一切の欲望を捨てて、全ての感覚を統御せよ。
仏性に導かれ、ひたすら、心を真我に固定せよ。」

「心というものは、頼り難くて揺らぎ易い。
何時だろうと、何処だろうと、迷走し続ける。
修行者は、心を断固として、真我の支配に置け。」
「いつでも、真我に安住する、ヨーギーは、
本当の意味で、無上の幸福を得たと言えよう。
彼の欲は静まり、罪を免れて心が安らいでいる。」

「こうして、現象界の汚染と束縛を脱して、
アートマンと合一し、揺るがないヨーギーは、
ブラフマンと交流して、絶対の歓喜に入るのだ。」

「真理を悟った者は、すべてを平等に見る。
万物に自己を見とめて、自己に万物を認める。
万物の中に真我を認めて、常に真我と共にある。」

「すべてを、自らに起こったことと考えて、
周りの苦楽を、自らの苦楽と見とめられる者、
自他を等しく見る者は、完全なヨーギーである。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

298鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/13(木) 21:47:13.81ID:7BV5C67r
>>296 ぼやけていてよいのじゃ。
 ただ集中する目標で在るだけなのじゃ。
 鼻先がいつでも目の前にあってやりやすいからなのじゃ。
 そしてサマーディにも入りやすいのじゃ。
 チベット密教のミラレパも弟子に鼻先に仏陀をイメージする行を教えたのじゃ。
 眉間に集中するのと同じなのじゃ。

299名無しを整える。2018/09/13(木) 21:56:57.82ID:fKg81q0v
>>298
鼻に集中するのは肉眼で見てやるのでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

300名無しを整える。2018/09/14(金) 05:47:00.98ID:HiU+PL7X
「こうして、現象界の汚染と束縛を脱して、
アートマンと合一し、揺るがないヨーギーは、
ブラフマンと交流して、絶対の歓喜に入るのだ。」

ここのブラフマンとは何を指していますか?
鬼和尚の言われる「意識」でしょうか?

301名無しを整える。2018/09/14(金) 06:17:36.23ID:dGSuj86p
>>297
バガヴァッド・ギーター 第六章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。
「あなたは、平等の境地について説いたが、
クリシュナよ、わたしの動揺しやすい心では、
その不動の境地を見つけることは、甚だ難しい。」
「心は、絶えず揺れ動き、荒れ狂っている。
この頑迷な心を、わたしが、統御することは、
思いのままに、風を操ることより、困難である。」
クリシュナは、アルジュナに、このように説く。
「アルジュナよ、絶え間なく動いてしまう、
心を治めることは、確かに難しいことである。
しかし、それは、不断の修練により可能となる。」
「アルジュナよ、信念が揺らいでいる人が、
真の理を体得することは、極めて困難である。
しかし、努めて励むならば、必ずや達成できる。」
アルジュナは、クリシュナに、このように問う。
「初め信仰していたが、持続しなかった者、
初めこそ精進していたが、俗心に流された者、
こうした人は、その後、どんな運命を辿るのか。」
「こうして、真理の道を踏み外した人々は、
流される雲のように、消滅するしかないのか。
この問いは、あなたしか、答えられないものだ。」
クリシュナは、アルジュナに、このように説く。
「真理を悟るため、善行を積み重ねる者は、
今生でも、来世でも、破滅に至ることがない。
善業を重ねた者は、決して、悪趣には落ちない。」
「挫折した修行者は、次に天界に生まれて、
とても長い間、天における生活を楽しんだ後、
人間界に生まれ、豊かな貴族の家庭に生まれる。」
「あるいは、彼は、偉大なる智慧を有する、
優れた修行者の家に、生まれ変わる筈である。
このような出生は、人の世界において稀である。」
「アルジュナよ、このような家庭に生まれ、
彼は前世における、神聖な意識を蘇らせた後、
再び最高の目的に向けて、精進することになる。」
「前世で、聖なる意識を経験したがために、
彼は、無意識の内に、ヨーガの思想に魅かれ、
ヨーガを、学ぼうとしただけで、魂が歓喜する。」
「転生を繰り返し、修行を重ね続けながら、
あらゆる穢れを、洗い清めているヨーギーは、
この至上の目的に、最終的に帰り着くのである。」
「どの苦行者より、ヨーギーは偉大である。
いかなる知識人より、ヨーギーは偉大である。
あらゆる祭祀者よりも、ヨーギーは偉大である。」
「アルジュナよ、偉大なるヨーギーとなれ。
すべてのヨーギーの中で、最も優れた者とは、
信愛を奉げて、バクティヨーガを為す者である。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

302鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/14(金) 22:41:58.31ID:cavqIlil
>>299 そうじゃ、両目で見るのじゃ。
 あまり力を入れてみると痛くなるのじゃ。
 軽く見るぐらいにするのじゃ。

>>300 そうじゃ、意識なのじゃ。
 全てであるブラフマンと交流するので在るからのう。
 全てになるのじゃ。

303名無しを整える。2018/09/15(土) 12:14:44.57ID:nxIAO7Sl
道の半ばで挫折してしまった修行者について教えてください。
どこまでこれは本当でしょうか?

304名無しを整える。2018/09/15(土) 12:21:42.70ID:MJQD3Hwj
>>302
眉間に集中するのと同じように、目を閉じて、鼻先辺りに集中するのでもよいでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

305名無しを整える。2018/09/15(土) 12:41:15.91ID:MJQD3Hwj
バガヴァッド・ギーター 第七章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、真我の言葉を聴きなさい。
心を真我に定めて、全力でヨーガを実修せよ。
そうすれば、必ずや、君は私を知ることになる。」

「アルジュナよ、私は、今、ここにおいて、
あらゆる理論知と、あらゆる実践知について、
残らず、君に語ろう、これ以上の教えなどない。」

「真理を求めている者は、千人の中の一人、
真我に達している者は、その千人の中の一人。
優れたヨーギーさえ、真理を悟れる者は少ない。」

「地、水、火、風、空、マナス、ブッディ、
アハンカーラ、これらの、八つの構成要素で、
真我から分離した、プラクリティは形成される。」
「プラクリティとは、物質源のことである。
真我には、物質原理の他に、精神原理がある。
それは、万物を支える、生命エネルギーである。」

「物質的な物にせよ、精神的な者にしても、
全てのものは、真我により生起するのであり、
総べてのものは、真我により消滅するのである。」

「真我より貴いものは、何一つとしてない。
あたかも、糸に通された、珠の飾りのように、
あらゆるものは、アートマンが支えているのだ。」

「真我は水の味であり、日と月と光である。
ヴェーダの真言における、聖音AUMである。
空間における音であり、人間の中の能力である。」

「真我は大地の芳香であり、火の熱である。
生きている者の命であり、タパスの炎である。
万物の種子で、知の中の知、光の中の光である。」

「真我とは、肉欲にも物欲にも囚われない、
一切から超然とした、強者の中の強者であり、
ダルマに背かないカーマ、法に従がう欲である。」

「サットヴァ、ラジャス、タマスからなる、
あらゆる現象は、すべて真我から生じている。
万物から真我は生じず、真我から万物が生じる。」

「サットヴァ、ラジャス、タマスからなる、
マーヤに覆われている、生きとし生ける者は、
高次であり、不変である、真我を認識できない。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

306名無しを整える。2018/09/15(土) 20:32:10.50ID:HmXvRAq+
↑ここの真我は鬼和尚の言われる「意識」ですか?

それと、6章のコメントもお願します。

307鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/15(土) 22:20:48.44ID:4KuoveCP
>>303 それは本人の行いによって違うじゃろう。
 真面目に善事を積んで修業していた者にはそのような福楽も在るじゃろう。
 適当にやって悪事をしていた者はやはり地獄行きなのじゃ。
 本人次第なのじゃ。

>>304 それでもよいのじゃ。
 自分に合ったやり方でよいのじゃ。
 実践し続けることが大事なのじゃ。

>>306 違うのじゃ。
 それは修業の目標なのじゃ。
 悟りに導く方法の一つなのじゃ。
 悟って気づく境地である意識とは違うものなのじゃ。

 六章ではカルマヨーガの実際的なやり方が示されたのじゃ。
 座法から鼻先に集中する法や果報をブラフマンに委ねる精神的な法まで余すところ無く説かれたのじゃ。
 これに従って実践することができるのじゃ。
 例え道半ばで挫折しても志は無駄にはならないことも示されたのじゃ。

308名無しを整える。2018/09/16(日) 11:58:19.64ID:TNWu7b+A
>>305
バガヴァッド・ギーター 第七章

「幻影に打ち勝つことは、甚だ困難である。
しかし、全てを任せて、真我に服従する者は、
三つのグナを、容易に乗り越えることが出来る。」
「智を損っている者、悪業を為している者、
心が惑わされている者、魔性を有している者、
これら四種の人々は、決して真我の元に来ない。」
「苦を抱えている者、幸福を考えている者、
道を求めようとする者、智慧を愛している者、
これら四種の人々は、いずれ真我の元に訪れる。」
「彼らの中でも、真理の法則を良く学んで、
浄心を抱いて、真我を崇める者が最上である。
彼らが真我を愛するから、真我が彼らを愛する。」
「彼らの魂は、実に、清らかで高貴であり、
自我の根本が真我であることを、良く心得る。
彼らは皆、至高の帰趨である、真我に帰依する。」
「数多の生涯を経て、真理を悟り得た者は、
真我が、万物の中の万物、因の中の因と知る。
このような、偉大な魂の存在は、実に稀である。」
「物欲など、煩悩に歪んだ心を有する者は、
そのカルマによって、様々な神々を妄信して、
そこのダルマによって、教義や戒律に従属する。」
「どのような形でも、神を拝む気になれば、
その神に相応しいよう、彼の信仰心を固める。
それは、真我である私が、助けているのである。」
「人は、望んでいるものに、臨んでしまう。
彼は、望ましい神に、望ましい者を、望むが、
それは、真我である私が、授けているのである。」
「神々を望む者は、必ず、神々の世に行き、
真我に臨む者は、必ず、真我に帰って来れる。
知性が低い者ほど、低級な世界を望んでしまう。」
「愚か者は、現れたものしか見えないため、
隠されている、不変の真我の存在が見えない。
彼らは、真我が作り出した、幻影しか見えない。」
「わたしは、過去のことも、現在のことも、
未来のことも、知っているが、皆は知らない。
真我は皆を知っているが、皆は真我を知らない。」
「アルジュナよ、生きとし生ける者たちは、
無明の中に生まれ、欲望と憎悪により生じた、
二元の世界を、実在していると、錯覚している。」
「遠い過去の生から、今生の今に至るまで、
悪しき業を落して、清らかな生活を続けた者、
二元の迷妄を払い除けた者は、真我を礼拝する。」
「智慧ある者は、真我にこそ平安を求めて、
老や死から解脱しようと、精進し続けるのだ。
彼らは、ブラフマンを知り、アートマンを知る。」
「わたしが、すべての現象の支配者であり、
三界を通して、すべての供養の享受者である。
こう悟った者は、死に際しても私から離れない。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

309名無しを整える。2018/09/16(日) 12:15:48.02ID:TNWu7b+A
>>308
うーむ!第七章を読むと、
ブッタが真我を否定したと言われる意味が、分かるような気がするであります。
>「人は、望んでいるものに、臨んでしまう。
彼は、望ましい神に、望ましい者を、望むが、
それは、真我である私が、授けているのである。」
・・・彼らは、真我が作り出した、幻影しか見えない。」

神を作り出した真我(=神=クリシュナ)を否定しないと、神の序列の話しに止まり、結局神どうしの戦争になってしまうからでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

310鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/17(月) 00:13:41.04ID:KQFyFarq
真我とアートマンがべつのもののように翻訳されているのじゃ。
そもそも真我と翻訳すべきではないのじゃ。
真の我などはないのであるからのう。
アートマンは求める者のみが見出すことが出来るのじゃ。

311名無しを整える。2018/09/17(月) 09:14:27.57ID:UbIKhoEu
>>310
>彼らは、ブラフマンを知り、アートマンを知る。

ブラフマン=アートマン=真我=「ただひ一つの意識」=「無我」でありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

312名無しを整える。2018/09/17(月) 09:27:41.56ID:UbIKhoEu
バガヴァッド・ギーター 第八章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「ブラフマンとは、アートマンとは、何か。
カルマとは、現象界とは、神とは、何なのか。
クリシュナよ、どうか、私に、説明して下さい。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「カルマは、万物を生み出す、生命であり、
ブラフマンは、永遠かつ不変の、実在であり、
アートマンとは、内なる原理たる、本性である。」

「確かに、プラクリティは、変化し続ける。
しかし、三界を含む大宇宙は、私の体であり、
生き物の、心臓に宿った真我は、私自身である。」

「誰でも、死に際して、肉体を離れるとき、
真我だけ念じる者は、真我の元に遣って来る。
アルジュナよ、これを、決して疑うべきでない。」

「誰でも、死に際して、肉体を捨てるとき、
生前に念じていたことを、死後も念じている。
そして、死後に念じる者に、来世は生まれ変る。」

「真我を観想し続け、自己の義務を果たせ。
いつでも、意識を、真我に結び付けておけば、
死に際して、必ずや、真我の元に帰れるだろう。」

「絶え間なく訓練して、至上者を観想せよ。
決して、他のものに、心を乱してはならない。
そうすれば、必ず、至上者の元を訪れるだろう。」

「全知かつ全能たる、宇宙の支配者であり、
最古にして最新である、万有の維持者である、
輝ける人格神として、私、クリシュナを念じよ。」

「ヨーガで培われた、不動の信念によって、
臨終の際、眉間に気を集めて、真我を念じる。
そうすれば、真我の元に、必ず来る事が出来る。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

313名無しを整える。2018/09/17(月) 09:40:21.26ID:UbIKhoEu
>>312
うーむ。
=ではないのでありますね?
>ブラフマンは、永遠かつ不変の、実在であり、
アートマンとは、内なる原理たる、本性である。

>三界を含む大宇宙は、私の体であり、
生き物の、心臓に宿った真我は、私自身である。」

・・・
三界を含む大宇宙とはブラフマンのことでありましょうか?
アートマンは原理、本性で、ブラフマンはその体で、その心臓に宿る真我はクリシュナだと言うことでありますかね?
やっぱり、= でよいように思えるであります。
(´・(ェ)・`)つ

314名無しを整える。2018/09/17(月) 18:09:08.42ID:H7qbHKkc
1 真我と訳されている部分は全てアートマンに置き換えるべきですか?

2 >>312を読むと、真我だけを念じる、真我を観相し続けるとあります。
空を乾観想するのと同じ印象を受けましたが、この2つの行に違いはありますか?

3  >アートマンとは、内なる原理たる、本性である。
この文の解説をお願いします。

3 >誰でも、死に際して、肉体を捨てるとき、
>生前に念じていたことを、死後も念じている。
>そして、死後に念じる者に、来世は生まれ変る。
これは本当でしょうか?
>ヨーガで培われた、不動の信念によって、
>臨終の際、眉間に気を集めて、真我を念じる。
>そうすれば、真我の元に、必ず来る事が出来る。
真我の元に来るとは、どのような状態でしょうか?

5 7章のコメントもお願いします。

315鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/17(月) 20:00:38.21ID:KQFyFarq
>>311>>313 悟れば全ては一つと言えるのじゃ。
 そうでなければ同じではないのじゃ。
 人は内なるアートマンの追求によってブラフマンに至るのじゃ。
 アートマンは川であり、ブラフマンは海のようなものじゃ。
 人は川を通って海に入り、川と海が一つの水でできていることを知るのじゃ。
同じようにアートマンを追求して全てを捧げれば、ブラフマンに至り、全て一つと知るのじゃ。
 

>>314 1 そうじゃろう。
 混乱しているようじゃ。

2 そうじゃ、同じなのじゃ。
  認識する全てを否定して認識できないものに行き着くのじゃ。

 3 認識する全てを否定すればそれ自体は認識できない認識主体に至るのじゃ。
  それこそが人の内なる原理、本性本質であるアートマンなのじゃ。
  それは論理や文字で語るべきことではなく、実践して至ることで了解するものなのじゃ。

 4 迷信なのじゃ。
  行いの報いによって相応しいところに行くのじゃ。

  認識主体に来るのじゃ。
  ただ見るだけの意識に合一するのじゃ。
 
 5 七章ではアートマンの解説と実践が説かれたのじゃ。
  三つのグナでさえアートマンによるものなのじゃ。
  アートマンに全てを捧げることや、集中すべきことが実践なのじゃ。
  アートマンを通してブラフマンに至ることがその最終目的なのじゃ。
  

316名無しを整える。2018/09/18(火) 07:07:26.31ID:3BBrQ0qv
バガヴァッド・ギーター 第九章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、君は、私を疑うことなく、
私を信じているから、最高の秘儀を授けよう。
これを知るならば、あらゆる苦悩を解決できる。」

「これは、至上の叡智にして、無上の浄化、
神秘の中の神秘であり、ダルマの完成である。
行い易い道であり、永遠に続く歓喜の道である。」

「バラタ一族の勇者である、アルジュナよ。
この至上の道を信じない、疑い深い者たちは、
解脱することが出来ず、現象界を転生し続ける。」

「決して現れない、非顕現である私の中に、
このすべての宇宙は、普遍的に広がっている。
真我の中に万物が現れ、万物の中に真我が宿る。」

「私の中に、万物は物質として存在しない。
真我は、万物の維持者で、普遍に存在するが、
現象の一部ではなくて、創造の源泉なのである。」

「あたかも、気として流れる、風の元素が、
いつでも、空元素の中しか、存在しないよう、
万物は、真我である、私の中しか存在できない。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
カルパが始まる時に、真我が万物を展開して、
カルパが終わる時には、万物が真我に回帰する。」
「アートマンの意思が、宇宙の法則である。
真我である私の意志により、すべてのものが、
繰り返し現象して、繰り返し消滅するのである。」

「それでいながら、私は、意志に縛られず、
すべての現象を離れ、すべての活動を行なう。
わたしは、いつも、中立であり、無頓着である。」

「万物の物質原理である、プラクリティは、
アートマンの意思で活動し、陰陽を描き出す。
陰と陽が移り変わると、創造と破壊を繰り返す。」

「私は、超然たる心と、超越した力を持ち、
すべての支配者、真我であるにもかかわらず、
愚かな者達は、普通の人間であると見てしまう。」
「迷える者は、正しい信仰を捨ててしまい、
虚しい知識を得ながら、虚しい行為を為して、
その空しさ故に、彼らは、分別を失ってしまう。」

「優れた者は、いつでも、真我を賛嘆して、
信愛の心をして、私の前で、恭しく礼拝する。
彼らは、忍辱を為し、精進を忘れることがない。」

「知性を磨いて、真理に至ろうとする者は、
真我を、至上主として、姿を変える者として、
あるいは、宇宙そのものとして、礼拝している。」
(´・(ェ)・`)
(つつく)

317鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/18(火) 22:54:57.99ID:Rjk333Qs
アートマン、認識できない認識主体から全ては生まれるのじゃ。
それこそが秘儀としてクリシュナが説くことなのじゃ。
唯識論と同じなのじゃ。
語る言葉は違っても説くことは同じなのじゃ。

318仏教の超初心者2018/09/18(火) 23:06:11.94ID:kJHNjuOd
>唯識論と同じなのじゃ。

仏教の唯識では認識”主体”は一切認めておりませんよw
「常・一・主・宰」なるものを認めれば、それは非佛ですから。

いい加減なことを言わないように、ね。

319名無しを整える。2018/09/19(水) 07:03:56.85ID:7geKqd8G
>>316
バガヴァッド・ギーター 第九章

「アートマンは、供養であり、供物であり、
バターであり、ヴェーダであり、礼拝であり、
マントラであり、儀式の火であり、薬草である。」
「アートマンは、目的であり、真理であり、
帰依処であり、聖なる音であり、友人であり、
宇宙の父であり、宇宙の母であり、始祖である。」

「真我は、雨を留めて、雨を降らせている。
また、真我は、不死でもあり、可死でもある。
さらに、真我は、実在でもあり、不在でもある。」

「三ヴェーダを学んで、善業を重ねる者は、
悪業を浄化した後に、神々の世界に生まれて、
地上では想像も及ばない、快楽を得るのである。」

「善業の果報で、天国の快楽を味わう者も、
果報が尽きたなら、即座に地上に落とされる。
楽を求めて生きれば、虚しく現象界を浮沈する。」
「何も求めることなく、私を礼拝する者は、
必要なものが必要なだけ、私から与えられる。
そして、必要なものは、決して失うことがない。」

「私以外の他の神を、無欲に信仰する者は、
それは、正しい方法とは、決して言えないが、
実は、真我を信仰していると、言えるのである。」

「真我は、あらゆる宗教の、主宰神である。
他の神を信じる者は、真我のことを知らない。
そして、知らない限り、輪廻の苦楽を繰り返す。」

「神々を拝めば、神々の世界に生まれるし、
祖先を拝むならば、祖先の世界に生まれよう。
即ち、真我を拝めば、真我の元に来るのである。」
「誰であれ、私に対して、信と愛を込めて、
一枚の葉、一輪の花、一個の果物、一椀の水、
少しでも供えれば、それを喜んで私は受けよう。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

320dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd 2018/09/19(水) 18:48:04.83ID:V2amDHcE
鬼和尚こんにちは^_^)
普段こちらにいらっしゃることが多いのですか?

ジャンキーもいる。。

321名無しを整える。2018/09/19(水) 21:50:57.05ID:7geKqd8G
>>317
鬼和尚、ありがとうであります。
物である肉体の脳が、意識を受信して、それを表現するのでありますね。その表現が観念でありますね。
なぜ受信できるかはわかりませぬが、最初に意識があり、意識が全てだと言うことも、そう思えるであります。
論ではないでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

322鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/19(水) 22:56:45.34ID:ThV4hfOF
>>318 わしもギータにも認識主体を認めてはいないのじゃ。
 それは認識できないと書いてあるのが読めないようじゃのう。
 おぬしは認識できないという意味が理解できていないのじゃ。
 
 常・一・主・宰などもわしもギータにも認めていないのじゃ。

 認識主体を認めているのはおぬしなのじゃ。
 それがあると思って書いているのであるからのう。
 常・一・主・宰を認めているのもおぬしなのじゃ。
 その観念を心に持ち、それが存在しない言葉に投射しているのであるからのう。
 おぬしのようにそれらに囚われることこそ煩悩になるのじゃ。

 涅槃や不死の境地をお釈迦様も説いたのじゃ。
 それも観念をもって見れば常住一切の境地に他ならないように見えるものじゃ。
 
>>320 ここにも毎日書いているのじゃ。
 多くは無いのじゃ。
 他のスレと同じなのじゃ。

>>321 そうじゃ、全ては意識なのじゃ。
 物とか空とかも観念のみなのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。

323佛教の超初心者2018/09/19(水) 23:10:39.79ID:mAv8uzPT
>>322
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ついに頭がおかしくなったのか?


>>322/馬鹿鬼のレス
 >わしもギータにも認識主体を認めてはいないのじゃ。 

→上記の反証
  >>317/馬鹿鬼のレス
    >アートマン、認識できない認識主体から全ては生まれるのじゃ。 

>>322/馬鹿鬼のレス
 >認識主体を認めているのはおぬしなのじゃ。
 >それがあると思って書いているのであるからのう。

→上記の反証
  >>318/佛教の超初心者のレス
    >仏教の唯識では認識”主体”は一切認めておりませんよw
    >「常・一・主・宰」なるものを認めれば、それは非佛ですから。

>>322
 >涅槃や不死の境地をお釈迦様も説いたのじゃ。
 >それも観念をもって見れば常住一切の境地に他ならないように見えるものじゃ。 

 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 有為の視座から見れば非常・非楽・非我・非浄で、
 無為の視座から見れば常・楽・我・浄なだけでしょw

 佛教の超初心者でもその程度は常識ですが? 

324仏教の超初心者2018/09/19(水) 23:11:42.75ID:mAv8uzPT
鬼和尚や?


仏教舐めるな。

325仏教の超初心者2018/09/19(水) 23:35:35.66ID:mAv8uzPT
馬鹿鬼や?

ちなみに、岩波の赤本程度は目を通してるよw

326名無しを整える。2018/09/19(水) 23:56:20.35ID:7geKqd8G
>>322
鬼和尚、ありがとうであります。
ところで、
>認識できない認識主体
とは、認識主体は認識できないと言うことでありますよね。
従って、認識主体はいないと言うことでありますね。

これを、Aさんが認識できない、認識主体。と言うように読んじゃうと、主体があると主張してるように、勘違いしてしまうのかもでありますね。
こんな理解でよいのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

327仏教の超初心者2018/09/20(木) 00:23:38.71ID:jhpCBio7
>>326
馬鹿鬼や?
今更後付けで俺のせいにして誤魔化すでない。

俺が

「常・一・主・宰」なるものを認めれば、それは非佛ですから。(>>318

とお前の過ちを指摘したから、さすがにこれはまずいと思って何時ものように誤魔化しに奔ってるんだろ?


お前の主張

 認識は出来ないが認識主体はある

 根拠
  >アートマン、認識できない認識主体から全ては生まれるのじゃ。 >>317

当方の主張

 認識”主体”自体、(唯識)仏教では一切認めていない

 根拠
  >仏教の唯識では認識”主体”は一切認めておりませんよw  >>318
  >「常・一・主・宰」なるものを認めれば、それは非佛ですから。 >>318

328仏教の超初心者2018/09/20(木) 00:31:09.66ID:jhpCBio7
他にも馬鹿鬼が  認識主体を認めている  レスを抽出しておく。


206 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [] 投稿日:2018/08/22(水) 00:01:16.30 ID:0BnWFTFD [1/2]
>>203 そうじゃ、観察されることで自我は観察者ではないと気付くのじゃ。
決して認識されない認識主体で在るアートマンに達すれば認識される心は止まるのじゃ。


228 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [] 投稿日:2018/08/27(月) 22:50:51.62 ID:nqlmhLZ4
不滅の真我とは認識できない認識主体なのじゃ。
在ると言えるのはそれだけなのじゃ。


315 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [] 投稿日:2018/09/17(月) 20:00:38.21 ID:KQFyFarq [2/2]
認識する全てを否定して認識できないものに行き着くのじゃ。
3 認識する全てを否定すればそれ自体は認識できない認識主体に至るのじゃ。
 認識主体に来るのじゃ。

329仏教の超初心者2018/09/20(木) 00:55:10.84ID:jhpCBio7
馬鹿鬼や?

お前のあまりにも低い佛教理解は、論ずるにも値しないレベルだよ。

ギータ読む暇があったら「中村元の仏教入門」とか、先ずそのレベルから仏教を学びなさい。

話にならん。

今後も、あまりにもひどい事を書く様なら、都度、指摘は入れて注意するから。

330名無しを整える。2018/09/20(木) 07:42:59.98ID:Yp4KnYnd
バガヴァッド・ギーター 第十章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、私の深遠なる言葉を聞け。
君は、掛け替えの無い、私の親友であるから、
更に深い教えを、君の為に、話して聞かせよう。」

「たとえ、神であろうと、聖者であろうと、
わたしの起源を、すべて知ることは出来ない。
というのも、私が、神や聖者の起源であるから。」

「私が、世損であると、見とめる者だけが、
人間の世界にあって、幻影に迷えることなく、
すべての罪の穢れから、解脱していくのである。」
「知性、知識、不惑、寛容、正直、自制心、
寂滅、苦楽、発生、消滅、恐怖、無畏、満足、
不殺生、平等心、禁欲、布施、名誉、不名誉等。」

「これらの資質を与えるのは、真我である。
人類の始祖である、マヌは、真我から生じた。
すべての生物は、彼らを、先祖として生まれた。」

「このような、私の働きを認めている者は、
バクティーヨーガにより、常に私と共にある。
そう、これについては、何の疑いもないことだ。」

「一切の根源の真我から、万物が展開する。
この真理を悟った者は、全身と全霊をもって、
真実の私を信仰して、真我である私を賛美する。」
「彼らは、いつでも、わたしを想い続けて、
すべての生活を、私のために奉げるのであり、
私について語り合うことを、無上の喜びとする。」

「アートマンを、信愛して、奉仕する者に、
アートマンは、仏性を用いるヨーガを授ける。
ブッディにより、彼らは、真我の元に回帰する。」

「このような者に、特別な慈悲を施すため、
真我である私は、彼らの胸の中に宿りながら、
智慧の灯明を以って、無智から生じた闇を破る。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「あなたは、至高のブラフマン自身であり、
無上の住処にして、万物を浄化する方である。
不生にして不滅、世に遍在する元始の神である。」

「神仙たちは、あなたを、このように呼ぶ。
ナーラダ、アシタ、デーヴァフ、ヴィヤーサ。
そして、今、あなたも、そのように宣言された。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

331名無しを整える。2018/09/20(木) 07:57:05.42ID:Yp4KnYnd
>>330
「神仙たちは、あなたを、このように呼ぶ。
ナーラダ、アシタ、デーヴァフ、ヴィヤーサ。
そして、今、あなたも、そのように宣言された。」
の別訳
>ナーラダ アシタ デーヴァフ
そしてヴィヤーサ等の大聖者たちは皆
あなたに関するこの真実を認めました
そして今 あなた自身がそれを宣言された

(´・(ェ)・`)つ

332佛教の超初心者2018/09/20(木) 14:55:38.43ID:ZkpKQ+91
先ず、馬鹿鬼は文章の読解力を身につける事。

「未と非と不」の違いを学ぶ事。

例えば、未認識と非認識と不認識は違う様に、「唯識のそれは未か?非か?不か?」「ギータのそれは未か?非か?不か?」ってね。

印哲じゃ「定義されないもの」とか「否定でしか表せないもの」とか「言語化されないもの」とかよくでてくるから。

333佛教の超初心者2018/09/20(木) 15:02:49.14ID:ZkpKQ+91
四句は知ってるか?

1.真実である。
2.真実でない。
3.真実であり、真実でない。
4.真実であるものでもなく、真実でないものでもない。

とか、

1.有
2.無
3.有かつ無
4.非有かつ非無

とか、中学校で長方形の線の中に、丸を二つ重ねて真部分集合とかA^Bとかやったろ?

334佛教の超初心者2018/09/20(木) 15:05:00.30ID:ZkpKQ+91
四句を応用して認識主体を考えてみな。

335佛教の超初心者2018/09/20(木) 15:50:43.04ID:ZkpKQ+91
もう一つ。
確かに阿頼耶識は、無始無終の根本識で自体分で不可知だけど、

認識されない認識"主体" ≠ 阿頼耶識

だから。
そこら辺は、阿頼耶識を主体と見誤る末那識や意識(第六識)する問題とする立場から明らかだから。

336dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd 2018/09/20(木) 17:41:00.34ID:4frM17sj
りんごもみかんも好きだよ!

337鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/20(木) 21:00:21.23ID:yTQq8BxL
十章において終にクリシュナは神も聖者もアートマンから生じると説いたのじゃ。
もはや神への信仰から離れ、アートマンを唯一の道として実践すべきことが説かれたのじゃ。
それこそがアートマンへの献身の道なのじゃ。
全てをアートマンに捧げ、全てになる道なのじゃ。

338鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/20(木) 21:02:05.42ID:yTQq8BxL
>>323 あいかわらず瞬殺しやすいのう。
 わしの反証としてあげたものから、おぬしがわしは認識主体を認めたと思うならば、それこそがおぬしがその観念を認めていることになるのじゃ。
 唯識を本当に知っているならば認識できないものと書いたことが何を意味するのか、わかるはずであるがのう。
 字面だけで本当は唯識を理解していないのじゃ。

 有為の視座であろうが無為の視座であろうがその観念を持っているならばおぬしが執着していることになるのじゃ。
 それすらもわかってないのじゃ。
 瞬殺ブーメランじゃな。
 
>>325 眼を通した程度ではいかんのじゃ。
 ちゃんと理解していないと上の如く見当違いのことを書いて恥をさらし、瞬殺ブーメランを食らうことになるのじゃ。
 わからないことはちゃんと分からないと書くべきなのじゃ。

>>326 そうじゃ、そう言えるじゃろう。
 ちゃんと理解しているのじゃ。
 もともとアートマンも修業の為に作られた法であるからのう。
 お釈迦様もそれを正しく知ってアートマンの無を説いたのじゃ。
 お釈迦様こそただしくヴェーダを理解して衆生に説いたのじゃ。
 
>>327 上のレスを読んでみるのじゃ。
 賢い者にはちゃんと理解できるのじゃ。
 おぬしだけが理解できていないのじゃ。
 お釈迦様もヴェーダを正しく理解し、ヴェーダの言葉で法を説いたのじゃ。
 おぬしもここでちゃんと学ぶと善いのじゃ。

>>329 ありがたいことじゃ。
 わしの間違いを指摘してくれるというのじゃな。
 もしそれが正しければわしは喜んでそれを受け入れ、訂正するじゃろう。
 
 おぬしもそのようであって欲しいものじゃ。
 学者の本は役に立たないのじゃ。
 常に自分の眼で原典を読むのじゃ。
 原典にはしばしば学者の本と正反対のことが書いて在るのじゃ。
 実際に読んで確かめるのじゃ。
 

339鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/20(木) 21:03:28.67ID:yTQq8BxL
>>332>>333>>334 もしわしが知ったかぶりをしてそのように書いたならば、わしは間違いを犯した訂正する謝罪するとか言うじゃろう。
 賢いものならば恥ずかしいことを書いたとか思うのかもしれん。
 おぬしは自由にすると善いのじゃ。
 
>>335 おぬしは阿頼耶識が認識されない認識主体ではない書いたのじゃな。
 それにはわしも賛成じゃ。
 阿頼耶識は認識されない認識主体ではないのじゃ。
 そもそも誰も阿頼耶識がそうであるとは書いていないがのう。
 わしが何を書いているのかおぬしだけが理解していないのじゃ。
 

340名無しを整える。2018/09/20(木) 21:10:50.84ID:Yp4KnYnd
南硫黄島の原生林には果物が少ないそうなのである。
そこにも果物を主食とする蝙蝠が住んでるそうなのである。
無いものはないので、違う食物を探してるのかもでありましょう、昼夜の別なく飛び回る蝙蝠が生息してるのである。
その進化の過程のドキュメンタリーを、先週の日曜にNHKでたまたま見たのである。
ファーブルさんみたいな千葉先生のファンになったくまである。
ちなみに千春先生の専門は、コダマキバサナギガイ である。
(´・(ェ)・`)つ

341名無しを整える。2018/09/20(木) 21:17:24.27ID:Yp4KnYnd
>>338
鬼和尚、ありがとうであります。
正しく理解できてて良かったであります。
(´・(ェ)・`)つ

342名無しを整える。2018/09/20(木) 21:20:03.81ID:Yp4KnYnd
>>340
訂正
千春先生→千葉先生
(´・(ェ)・`)つ

343佛教の超初心者2018/09/21(金) 00:07:30.37ID:TPOkeBr1
>>338.>>339
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

なんだそりゃ?

お前はやっぱり何も分かってないじゃないかwww
噛み付くなら先ず最低限の体験や知識を積んでからにしてくれないか?

追って佛教の知識や体験についてはこのスレに書いてくから。

344名無しを整える。2018/09/21(金) 07:00:49.56ID:Yktud2Cx
>>330
バガヴァッド・ギーター 第十章

「クリシュナよ、あなたが語られたことは、
全て真実であると、わたしは信じて疑わない。
神にせよ、魔にせよ、あなたのことを知らない。」

「真我を知っているのは、真我のみである。
あなたこそは、神の中の神、万神の神にして、
生きとし生ける者の父であり、至高の主である。」

「願わくは、この私に、あなたの聖なる力、
すべての世界に光り輝く、あなたの麗しい姿。
これらについて、詳らかに、解き明かし下さい。」

「いかに、あなたを思い、知ったら良いか。
どのように、あなたを想い、念じたら良いか。
ヨーガの主よ、どうか、私に、現わして下さい。」

「あなたの神秘について、聞けば聞くほど、
わたしは、飽きることなく、味わいたくなる。
クリシュナよ、どうか、私に、明かして下さい。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

345佛教の超初心者2018/09/21(金) 11:05:46.63ID:UYqkiO2m
仏教勉強会で外典を出す異常さは言うまでもなく、内典でいうと「ダンマパダ」以下のレベルしか紐解けないんだろうなぁ・・・。

ハッキリ言ってしまえば、佛教でも、小学校低学年向けの勉強会レベル。

倶舎や中論、唯識や如来蔵とか、高度の思考や理解力、並びに体験なくして覚知出来ないものは理解出来ないんだろ?

346佛教の超初心者2018/09/21(金) 11:08:21.63ID:UYqkiO2m
まさか、こんな糞スレを読む方はいないだろうけど、万が一、ここでの内容が佛教と勘違いされたら困るし、その方の不幸になるからこうしてレスしている。

悪く思うな。

347佛教の超初心者2018/09/21(金) 11:14:07.16ID:UYqkiO2m
馬鹿鬼は自分の事を棚に上げて、わざわざハッタリをかまして言って来るから分かり易いw

つまり、ハッタリで知ったかぶりで、分かってなくて見栄っ張りで、嫉妬深くて・・・
ま、そもそも知能が低いって事だね。

統失で飲んだ薬の副作用で体験したそれは、ただの妄想で佛教とは関係ないから。

348佛教の超初心者2018/09/21(金) 12:43:32.38ID:UYqkiO2m
「智慧の声が聞こえたのぢゃ〜」

「仏像が礼拝を要求してきた」
「黄金の炎が立ち上がるのを見た」
「広目天としていう!」
「室戸岬で蓮華をみた」



         x≦系圭 \
          ,ィ升圭圭圭圭ハ ⌒ト、
            {圭圭圭圭圭圭.i}.圭圭\         ヽ i i l l l l l l l l l l l i /
           入圭圭圭圭圭ヌ圭圭圭ハ        二
        ,ィK圭>≠=-≦ 圭圭圭圭ハ       二
         i圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭. い       二  そういうの一番嫌なんですけど・・・
          |圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭ハ         二  
          |圭圭圭圭圭圭圭ヲ⌒マ/圭「⌒!        二 
          {圭圭圭圭圭>!ヽ Y   マ圭し |        二
          X´_  _   r1┤ l ト.   マ/{ jメ.从\    二    
          ∨ y ノ´ ! | | l| l | |          Nハ⌒´ 二  もういや、仏教始めなきゃよかった・・・・
           l / /l| | :| | ! j .| |        Y:|   .二.  
           l | | | |  ;     ト、     i  Z   二
         /| ! ! !.从         ヽ    !  .N   二
      / ∧.   N \       .    从  リ ∨ // ! ! ! l l l l l l l l l l ! ヽ
       | / ∧       |\          / ∧_ノ   ∨
       | / / ∧       |  \      }/  / /   l|
       | / / ∧      !  ̄ !    !_ //    j|
       | / / / }     .l   |    |_ /       .'
      |⌒ \ /    リ   |    | , '      /
      ∧   /     /     |    ∨ .      /         /
      / ∧ /     /|     !     ∨     /           /

349名無しを整える。2018/09/21(金) 18:43:49.71ID:pMfUNIdm
鬼和尚のように悟っていたら、普段の生活や仕事や5chへの書き込みも自然と、
行為の結果を期待しないカルマヨーガになってるんでしょうか?

350名無しを整える。2018/09/21(金) 18:55:29.80ID:/cLJaRyw
何処の世界にでも沸いてくる
知ってるつもり博士

誰もが一度はかかる中二病の亜種

351仏教の超初心者2018/09/21(金) 20:03:08.74ID:3h6ghOvJ
自分の知識や経験が及ばない処はすべて「それは観念なのじゃ」で誤魔化すからね。

まさに厨二病覚者wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

352鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/21(金) 21:59:54.04ID:Qrb4gbSg
九章はアートマンの真の本質が説かれたのじゃ。
全てはアートマンから生まれ、アートマンに帰っていく。
アートマンが全ての源泉であり、礼拝すべきものというのじゃ。
アートマンに全てを捧げる帰依こそ真の秘儀であるとクリシュナは説いたのじゃ。

353鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/21(金) 22:01:15.44ID:Qrb4gbSg
>>341 そうじゃ、善かったのじゃ。
 正しい知識は修業を実践する時に継続する道標となるものじゃ。
 自分が何か間違っているのではないかと疑心暗鬼になれば迷いも出て、修業を辞めてしまうこともあるからのう。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>343 なにやら可哀想になってきたのう。
 一切反論しないということは自分が何か物凄い見当違いをしていたことには気づいたのじゃな。
 要するに唯識とは認識されたものが全てであるから、認識できないものとは存在しないということになるということだけじゃ。
 唯識の要旨を知っていれば直ぐにわかることじゃ。

 阿頼耶識などは全く関係ないのじゃ。
 唯識であるから何か阿頼耶識のことを書いているのであろうとか、てきとうに見当をつけていてはいかんのじゃ。
 上の如くおぬしに佛教の知識や体験がないことはもはやみんな知っているからそのようにはったりを書かないで善いのじゃ。
 
>>349 そうじゃ、もはや何の期待も無く法を説くのじゃ。
 真摯に道を求める者の道標になるだけなのじゃ。
 愚かな者にも慈悲によって教えを説くのじゃ。
 

354仏教の超初心者2018/09/21(金) 23:43:15.56ID:3h6ghOvJ
>>353
> 一切反論しないということは自分が何か物凄い見当違いをしていたことには気づいたのじゃな。

 いやいやいやwww

 あまりにもお前が佛教に対して無知なんで、一体何から説明すればいいのか、考えるのも面倒なんだよ。
 うぬぼれないように。


>>353
> 要するに唯識とは認識されたものが全てであるから、認識できないものとは
> 存在しないということになるということだけじゃ。

はぁ? 
はぁ? 
はぁ?

唯識っていうのは、三界唯識・唯識無境って事なんですよw
「認識出来ないものは存在しない」じゃないの、「(仮によって)認識しか存在しない」って事なの。


いいか?
この程度のレベルからお前に説明するのが如何に面倒なことか?

だから宗教板でも相手にされないんだよw

355仏教の超初心者2018/09/22(土) 00:14:43.70ID:zUwU/QdW
> 要するに唯識とは認識されたものが全てであるから

分かるかなぁ・・・

「認識されたものがすべて」じゃないの、「認識がすべて」なの。
だから

 三界唯識(=識しか存在しない)
 唯識無境(=外なる世界は無い)

なんだよ。
勿論、その識も自体も縁起してる故に空って事ね。

356仏教の超初心者2018/09/22(土) 00:22:12.29ID:zUwU/QdW
1.認識されたものがすべて
  → 二元論(主体と客体を立てる)

2.認識がすべて
  → 一元論(主体のみを立てる)

3.識自体も縁起に依り現象している
  → 佛教

357仏教の超初心者2018/09/22(土) 00:31:18.45ID:zUwU/QdW
これじゃまるで、違った意味での鬼和尚の仏教勉強会だなw

358仏教の超初心者2018/09/22(土) 01:06:16.82ID:zUwU/QdW
悟ったとか云うのは実際はこんなもんなんです。

覚者を騙るものには注意してください。



自身の統合失調症の発病の様子を克明に記録した手記『ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記』(小林和彦/新潮文庫)では、発病して精神科病院へ入院させられる直前に、さまざまな幻聴や幻視を体験したことについてこう書いている。
「僕はこの夜のことは、肉体的苦痛もあったが、人間の心は皆つながっており、ある種の精神状態に入れば誰とでも交信できるという認識を新たにした幸福な体験をしたと思っている。
宇宙の真理にまでは触れられていなかったが、それは永遠の謎としてとっておこう。僕はこの晩を境に新しい人間に生まれ変わったことを確信した」

 同じく統合失調症患者の手記『隠れた薬害? 精神分裂病』(夏来進/文芸社)の内容は、さらに宗教との類似を思わせる。
鹿児島ラ・サール高校から東京大学医学部というエリートコースを歩んでいた著者は、研修医時代に、「私は神だ」「お前は祝福された存在だ」「私は、お前をより高い次元の素晴らしい所へ導くためにやってきたのだ」といった声を聞く。
その声に突き動かされるように著者は自分なりの宗教観を編み出し、その考えを街角に立って話すようになった。
そのうち、そんな彼の話に耳を傾け、お布施をしようとする人まで現れたという。
しかし、興奮状態から医学部の教授と乱闘事件を起こした彼は、精神科病院に連れて行かれ、精神分裂病(当時の呼称)と診断される。
大量の抗精神病薬を投薬され、3カ月の入院をさせられた彼が退院して、かつての宗教活動の仲間に「すみませんでした。私は精神病でした」と告げると、仲間たちは呆然となったという。

359名無しを整える。2018/09/22(土) 08:34:03.02ID:Pta1NX+A
>>344
バガヴァッド・ギーター 第十章

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「いいだろう、我が信奉者、アルジュナよ。
それらについて、詳しく言えば、切りが無い。
それゆえ、主要なものだけを選び、君に語ろう。」

「私は、真我として、生き物の心臓に宿る。
万物の本初であり、中間であり、終末である。
マリーシやヴィシュヌであり、太陽や月である。」
「ヴェーダならば、サーマヴェーダであり、
神々ならばインドラ、山々ならばスメール山。
感覚ならば意識であり、生命ならば知力である。」
「バラモンならば、ブリハスパティであり、
夜叉ならばクベーラ、ルドラならシャンカラ。
供養ならば唱名であり、湖水ならば大海である。」
「ガンダルヴァならば、チトララタであり、
将軍ならばスカンダ、神仙ならばナーラダ仙。
聖仙ならブリグであり、達人ならカピラである。」
「馬ならば、ウッチャイシュラバーであり、
牛ならカーマデュク、象ならアイラーヴァタ。
竜ならアナンタであり、魚ならばマカラである。」
「征服者ならばカーラ、生殖ならばカーマ、
人類ならば王であり、祖先ならばアリヤマン。
獣類ならば獅子であり、鳥類ならガルダである。」
「戦士ならラーマ、悪魔ならばプララーダ、
武器ならばヴァジラ、水ならヴァルナである。
川ならガンジスであり、山ならヒマラヤである。」
「浄化なら雨であり、文字ならア字である。
創造の本初であり、中間であり、終末である。
学問ならば哲学であり、議論ならば合理である。」
「賛歌で言えば、ブリハト・サーマであり、
詩ではガヤトリー、音声ならばAUMである。
全て奪い去る死であり、全て生み出す生である。」
「暦月ならば、マールガシールシャであり、
季節ならば春であり、光輝ならば栄光である。
審判ならばヤマであり、詐欺ならば賭博である。」
「女性で言えば、名声、幸運、吉祥、記憶、
叡智、堅実、忍耐を揃えた、女性の中の女性。
ゆえに、勝利であり、決意であり、勇気である。」
「バーンダヴァならば、アルジュナであり、
聖者ならヴィヤーサ、思想家ならウシャナー。
統治者なら刑罰であり、政治家なら政策である。」
「ヴリシニなら、ヴァースデーヴァであり、
賢者なら智慧であり、存在ならば種子である。
真我がなければ、如何なる物も、存在し得ない。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

360名無しを整える。2018/09/22(土) 14:42:20.00ID:Pta1NX+A
>>359
別訳
戦士ならラーマ →征服者のなかでは"時間"
学問ならば哲学であり、議論ならば合理である。→学問のなかでは真我(アートマン)を探究する科学、討論する者たちの間の弁証法 ※討論、弁論によって矛盾を越えて新しい真理に到達する方法
(´・(ェ)・`)つ

361鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/22(土) 22:58:18.80ID:NBh/J+uv
アートマンは心臓に宿り、種子は阿の字であり、オームの真言を唱えて観想するのじゃ。
正確に書けばアウムの真言じゃな。
全てはアートマンによって創造され、アートマンに収束されるのじゃ。
密教の阿字観にも通じる法なのじゃ。

362鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/22(土) 22:59:00.24ID:NBh/J+uv
>>354 自分の無知を誤魔化しただけじゃな。論破瞬殺
 
>>355 更に無知の誤魔化し。瞬殺二段返し。

>>356 珍説を設定してはったり。そのようなはったりは通用しないのじゃ。瞬殺はったり返し。
 これからもわしの引き立て役に励むのじゃ。
 みんなそのような活劇が無いと退屈するからのう。
 
 

363名無しを整える。2018/09/22(土) 23:13:57.32ID:Pta1NX+A
>>362
鬼和尚、いつもためになる講義をありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

364佛教の超初心者2018/09/23(日) 02:07:09.21ID:jXJuJGi7
>>362
wwwww
やっぱりな、言うと思ったよ。

お仕置きされた似而非覚者の言い訳なんざ、3、4歳児の駄々と同じだから。

君の佛教の消化(知識と体験)レベルは、せいぜいダンマパダの読み下し文レベルなんだよ。
唯識三年倶舎八年って言うのも知らないだろ?
倶舎八年やって唯識三年やって漸く唯識が理解できるってね。

お前の様な似而非覚者の仏教ごっことは全く別次元のレベルなんだよ。

佛教舐めるな。

w

365名無しを整える。2018/09/23(日) 04:21:41.95ID:saCmU2Pf
>>361
一息で「あーーーうーーーーむーーー」と唱えるんですか?

366名無しを整える。2018/09/23(日) 05:53:34.37ID:GhxIlSUN
>>359
バガヴァッド・ギーター 第十章

「アルジュナよ、以上は、一部に過ぎない。
この世界に於いて、真我の私が映し出す姿は、
このように神聖であり、このように際限がない。」

「アルジュナよ、この世界に現われている、
高貴なものや、壮麗なものや、偉大なものは、
全て私が現した、一筋の閃光に過ぎないと知れ。」

「こうして、真我を分析して、何になろう。
すべてを総合した、わたしを悟るべきである。
すべての存在は、私から生じているに過ぎない。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

367名無しを整える。2018/09/23(日) 20:06:46.23ID:saCmU2Pf
善も悪も自分も他人も何もかも全てはクリシュナであると観想すればいいんでしょうか?
その時は頭の中でクリシュナの姿を使ってもいいんでしょうか?

368鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/23(日) 22:50:13.47ID:qjqIPaTF
全ての存在はアートマンから生じているとクリシュナは語ったのじゃ。
それすらも全ての一部なのじゃ。
凡そ認識できる全てのものがアートマンから生じ、アートマンに回帰していくさまを観想するのじゃ。
認識するもの全てと心身の全てを心臓の奥のアートマンに投入すればアートマンの法は完成に近づいていくのじゃ。

369鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/23(日) 23:05:38.25ID:qjqIPaTF
>>363 どういたしまして、またおいでなさい。

>>364 臨済宗の完全な敗北宣言じゃな。
 わしがそう言うと予測していたという事はおぬしはごまかしとはったりを書いて、わしに見抜かれて完全に論破されることもわかっていたということじゃな。
 このように旧弊を改められない臨済宗は真の如来であるわしによって論破され破滅したのじゃ。
 後は何を書いても負け犬の遠吠えに過ぎないのじゃ。
 今日も5ちゃんねるで真実の瞬間が現われたのじゃ。

>>365 そうじゃ、一息なのじゃ。
 最近はYOUTUBEにマントラの音声があげられていて無料で聞けたりするのじゃ。
 興味の在る者はマントラとかで検索して聞いてみると善いのじゃ。

>>367 それはクリシュナを深く信仰している者ならばそうしてよいのじゃ。
 そうでなければ何の効果もないのじゃ。
 クリシュナもアートマンの一つの化身にすぎないのであるからのう。
 静かな所にすわり、最初は胸に玉座とか蓮の座をイメージするのじゃ。
 その上に阿の字があるとイメージするのじゃ。
 クリシュナを信仰する者はそれがクリシュナになるとイメージしても善いのじゃ。
 万物が阿の字やクリシュナから生じ、還っていく様を観るのじゃ。
 更に自分の存在も胸の中心に帰り、認識さえも還って行くと観るのじゃ。
 途中に雑念が湧いても無であり、非であると念じて消していくのじゃ。
 恐れずに全てを投入すれば悟りにも近づいていくのじゃ。

370佛教の超初心者2018/09/24(月) 04:40:32.89ID:ysMpxzkQ
>>369
???
臨済宗?
法相唯識の話だけど?

どこをどう論破したつもりか、全く意味不明だし、考えが余りにも飛躍してサラダボール状態だね。

そもそも、
「智慧の声を聞いたのぢゃ〜」
「わしは悟ったのぢゃ〜」
とか、明らかに幻聴や妄想ですよ。

心療内科に行きなさい。

371佛教の超初心者2018/09/24(月) 04:44:25.40ID:ysMpxzkQ
>>369
wwwww

阿字観やった事無いんだね。デタラメ言わない様に。

僕は若い頃、一応(高野山真言宗の)本山で教わったけど。

372佛教の超初心者2018/09/24(月) 04:56:15.47ID:ysMpxzkQ
一応あげておきます。


鬼和尚のそれは、悟りとかそういうものではございません。
下記の(2)(4)該当かと。
精神を病まれているだけです。


臨床心理学者の松田真理子博士は、2004年に学会賞を受賞した「統合失調症者のヌミノース体験」題する論文で、多数の統合失調症患者の広汎な臨床検査に
基づき、「統合失調症の症状と宗教の症状とは、全く同じ」という結論に達している。
患者には、クリスチャンが圧倒的に多い。
松田博士は、旧約の預言者は、すべて統合失調症患者としている。
「精神病は感染する」(感応精神病)というのが、現代の精神医学の定説。

宗教が統合失調症と全く同じである以上、狂人の言葉をいくら学んでも無意味である。その「治療法」こそ、真剣に議論すべきこと。

宗教板は、統合失調症患者である宗教信者たちの、得難い臨床観察の場なのだから。

松田博士の論文は、既に学会の定説であった精神医学者宮本忠雄氏等の「統合失調症と宗教との相似性」の臨床検査による追認であり、松田氏の論文にも引用されているその相似性のまとめは、下記の通り。

真正の宗教体験と統合失調症体験との相似:
(1)見えないものの現存感と実体的意識性
(2)神の声と幻聴
(3)見神と幻視
(4)啓示と思考注入・妄想着想
(5)超越者からの支配感(召命感)と被影響体験・させられ体験
(以上、前にあるのが宗教体験で、後にあるのが統合失調症の体験)

373佛教の超初心者2018/09/24(月) 05:09:00.77ID:ysMpxzkQ
厄介なのは、病んでいるその当人(鬼和尚)が佛教をその治療法としてデタラメを吹聴してる事。
また、これを指摘し注意を喚起する者に対して執拗にアバターを使い非難中傷を繰り返している事。

ご注意下さい。

374名無しを整える。2018/09/24(月) 07:01:23.39ID:jQEUr2E+
バガヴァッド・ギーター 第十一章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「最も神秘的なもの、真我の問題について、
あなたが、懇切丁寧に、教えて下さったため、
今や完全に、私の迷妄は、悉く消え失せました。」

「クリシュナよ、蓮のような眼を持つ方よ。
万物の生成と消滅について、詳しく教えられ、
あなたの力と栄光が、無限であると知らされた。」

「至上者にして、大元霊である、至上神よ。
願わくは、あなたが、宇宙の現象の中に入り、
活動している、普遍的な様相を、見せて下さい。」
「ヨーガの支配神よ、もし、このわたしに、
彼方の宇宙的な形相を、見る資格があるなら、
どうか、あなたの宇宙の形相を、見せて下さい。」

クリシュナは、アルジュナに、このように解く。

「良いだろう、それでは、良く見るがよい。
神聖にして多様なる私の姿、アーディティヤ、
ヴァス、ルドラ、アシュヴィン、マルトの姿を。」

「いまに見たいもの、これから見たいもの。
見たいものは、何でも、私の中に、見とめよ。
すべてが私の中で、渾然一体であることを見よ。」

「アルジュナよ、肉眼で、真我は見えない。
だから、いまから、天眼を、君に授けるから、
天眼によって、我が荘厳なる、神秘の姿を見よ。」

すると、ヴィシュヌの化身、クリシュナは、
大宇宙の支配者であることを、十二分に示す、
脅威の姿を、アルジュナの前に、現して見せた。

それは、無数の口、無数の眼、無数の腕で、
清々しい衣服を着て、華々しい花環を付けた。
全ての方角に顔を持つ、無限なる神の姿だった。

あたかも、千の太陽が、同時に昇るように、
至上者の持つ普遍の光は、辺りに満ち溢れた。
アルジュナは、神の体内に、万物の活動を見た。

数え切れない宇宙が、動いているのを見て、
アルジュナの髪は逆立ち、驚嘆して合掌した。
そして、一心に、至上主を、礼拝したのである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

375名無しを整える。2018/09/24(月) 14:01:11.43ID:EhJs8BDS
長文のループに心酔してるのは
ゲーム脳と一緒
結局理解してないから寝ているのと一緒

376佛教の超初心者2018/09/24(月) 14:31:35.45ID:ysMpxzkQ
そもそもギータはヒンズー教の聖典で仏典でない。
佛教ではクリシュナの様な存在を認めない。
佛教は無(非)我を説き真我を肯定しない。

佛教の看板を掲げてヒンズー教の布教をしている。

377名無しを整える。2018/09/24(月) 17:35:40.73ID:OQ7tbhTe
大乗だから大丈夫なのが解らんのか!

378佛教の超初心者2018/09/24(月) 19:42:51.40ID:ysMpxzkQ
鬼和尚の仏教勉強会wwwww

379名無しを整える。2018/09/24(月) 20:29:54.13ID:NklEynfz
>>369
https://www.youtube.com/watch?v=PLYmf3isz-0&t=43s

この動画のような感じですか?
AUMじゃなくてAOM、あーおーむーに聞こえますけど。

380鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/24(月) 21:22:09.65ID:YaauzW88
十章ではアートマンの法の完全な実践法が示されたのじゃ。
胸の奥にアートマンを観るのがその方法なのじゃ。
阿の字をイメージしてオームのマントラを唱えるのじゃ。
認識する全てがアートマンから生じ、アートマンに帰っていくのを観るのじゃ。
認識するもの全てをアートマンに捧げ、認識できないものに到達するのじゃ。

381鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/24(月) 21:30:43.73ID:YaauzW88
>>370 おぬしは臨済宗の者と称していたのじゃ。
 論破されてからとぼけても無駄なのじゃ。
 代表のおぬしが論破されて臨済宗全体がわしに論破されたのじゃ。
 良かったのう。これで心置きなくわしに帰依できるのじゃ。

>>371->>373 負け惜しみじゃな。
 論破されたから相手を精神異常と罵るのは小学生以下なのじゃ。
 それが臨済宗の流儀という事じゃな。
 哀れな宗派じゃ。

>>379 それでよいのじゃ。
 あの音で口をあけているからオームに聞こえるのじゃ。
 集中できればよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

  

382名無しを整える。2018/09/24(月) 21:47:04.20ID:GW2Qut/X
>>377
スレチ。帰れアホ

383佛教の超初心者2018/09/24(月) 22:20:36.79ID:ysMpxzkQ
>>381
???

世親も祖師のひとりだけど?

論破も何も、私はあなたの幻聴や妄想に統失患者特有の症状の発現を見たので、実例を根拠として示したんだけど?

「智慧の声を聞いたのぢゃ〜」「儂は悟りをひらいたのぢゃ〜」「(勝手に)各宗派を論破したのぢゃ〜」とか、ね。

あなた、異常ですよ?

384名無しを整える。2018/09/25(火) 06:29:51.69ID:ExaQ2PKN
>>374
バガヴァッド・ギーター 第十一章(つづき)

アルジュナは、クリシュナに、このように叫ぶ。

「あなたの体内に、あらゆる生物が見える。
聖仙も、竜王も、蓮華に座したブラフマーも。
遍満して辺際なく、本初もなければ終末もない。」

「天に昇る太陽か、いや、燃え上る火炎か、
十方に広がる光輝は、眼が暗むほど眩しいが、
それでも、至る所、白光を放つ、御姿が見える。」

「究極の真理の実在、宇宙の本源の帰依処。
あなたは、永遠なる法則の、守護者であって、
人類の記憶を遥に越えた、最古の支配者である。」
「その腕の力は無限、その両眼は太陽と月。
その口からは、光り輝く、火炎が燃え広がり、
その光輝により、全宇宙が、燃え上がっている。」

「あなたは、天と地の間に、充満している。
その畏るべき姿を見て、生きとし生けるもの、
いや、三界すべての存在が、悉く震撼している。」

「あらゆる神々は、あなたに吸い込まれる。
あなたに恐れ戦いて、祈りを奉げる神もいる。
聖者や覚者は、幸あれ、と、あなたを賛美する。」

「ルドラ、アディティヤ、ヴァス、マルト、
ガンダルヴァ、ヴィシュヴェ、アシュヴィン、
サーディヤ、ヤクシャ、アシュラ、シッダ達も。」
「数え切れない顔に、数え切れない腕や脚、
恐ろしい歯、怖ろしい眼、言語に絶する姿を、
一目も見れば、三界すべて、悉くが打ち震える。」

「すべての宇宙に遍満する、ヴィシュヌよ。
無数の口を大きく開き、爛々と眼は燃え盛る、
あなたの姿を見て、私の心は、恐怖に揺れ動く。」

「神々の支配者である、全宇宙の守護者よ。
どうか、わたしを哀れみ、慈悲を与え下さい。
恐怖で竦み上がり、どうすべきか、解からない。」

「敵も味方も、あなたの口に吸い込まれる。
あなたの凄まじい牙で、頭から噛み砕かれる。
悉く押し潰され、散り散りに消えるのが見える。」
「燃え上がる火炎に、蛾が飛び込むように、
国王も英雄も、あなたの口に飛び込んで行く。
何と怖ろしい光景を、あなたは現されたものだ。」

「ああ、あなたは、もとより、何者なのか。
万物の始祖たる至上者よ、あなたが見えない。
この私には、あなたの意思、あなたが解らない。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

385鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/25(火) 23:30:21.70ID:G1hqW1x7
ビシュヌはアートマンそのものの姿を見せたのじゃ。
創造神も聖者も全てがその中にあるのじゃ。
それは認識するもの全てが含まれるのじゃ。
自らは認識するが、認識されないアートマンの姿なのじゃ。
それは個人の認識からは正しい姿なのじゃ。

386名無しを整える。2018/09/26(水) 07:11:06.99ID:pEWKAme3
>>384
バガヴァッド・ギーター 第十一章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。
「我は時なり、諸々の世界の支配者である。
私は、この世を滅ぼすため、この世に現れた。
おまえを除いて、すべての将兵は、滅ぼされる。」
「良いか、アルジュナよ、我が手足となれ。
時なる私は、すでに、彼らの死を定めている。
眼前の敵を征服し、王国の栄光を楽しむが良い。」
「ドローナ、ビーシュマ、ドゥルヨーダナ、
豪傑達の命は、すでに、私が奪い取っている。
ただ戦えば良い、汝らは滅びず、彼らが滅びる。」
このように、クリシュナの言葉を聞かされ、
アルジュナは、震えながら、何度も礼拝した。
そして、口ごもりながら、このように言上した。
「諸々の感覚の支配者たる、クリシュナよ。
あなたを見て、世界は喜んで、生類は信じる。
あなたを聞いて、阿修羅は逃げ、成就者は拝む。」
「ブラフマーよりも偉大な、万物の始祖よ。
あなたは、神々の支配者、世の帰依処であり、
不滅の太源、全ての因、有無を越えた者である。」
「あなたは、最初の人格にして最古の太祖。
すべてを知る存在であり、究極の目的である。
あなたの無限の変化で、この宇宙は満ちている。」
「あなたは、最初の生物にして最古の生命。
あなたは、風神ヴァーユ、月神シャシャンカ、
火神アグニ、水神ヴァルナ、死神ヤーマである。」
「わたしは、あなたを、十方から礼拝する。
あなたは、無限の能力と、無限の権能を持ち、
すべての宇宙に遍満し、すべてがあなたである。」
「あなたの、このような姿を知ることなく、
わたしは、あなたを、親友として接していた。
愛する余りの数々の非礼、どうかお許し下さい。」
「同じものを食べては、冗談を言い合って、
同じところに寝ては、一緒に寛ぎ合っていた。
親しい余りの数々の不敬、どうかお許し下さい。」
「あなたは、万物の父で、無上の師でした。
あなたと、同等な者も、同座できる者もない。
この三界において、あなたに勝る者などいない。」
「あなたは、万物の母で、至上の神でした。
あたかも、父が、我が子の失敗を許すように、
妻が夫の浮気を許すように、私を許して下さい。」
「ああ、千の手を有する、宇宙の支配者よ。
なにとぞ、以前の姿に、戻ってくれませんか。
歓喜と恐怖に占められて、私の心が悩み悶える。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

387鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/26(水) 23:51:56.16ID:u3j7qwd1
これはヴィシュヌ派の書であるからブラフマーさえもクリシュナの中にあると説かれるのじゃ。
ヴィシュヌに絶対の帰依を図る書なのじゃ。
全ての神もヴィシュヌの化身ということになるのじゃ。
真言宗では大日如来のようなものなのじゃ。

388名無しを整える。2018/09/27(木) 06:42:20.75ID:BkWXHBvc
>>386
バガヴァッド・ギーター 第十一章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、君に恩寵を与えるために、
ヨーガの力を用い、我が最高の姿を現わした。
今まで誰一人として、見た事が無い元始の姿を。」

「この姿は、何をしようと、見れはしない。
凄まじい姿を見て、君は、畏れてしまったが、
もう安心するが良い、直ぐ、元の姿に戻るから。」

クリシュナは、アルジュナに、こう言って、
以前の人間の姿に戻り、彼を慰めたのである。
人の姿に戻ったのを見て、彼は漸く落ち着いた。

「先の姿は、見たくても、見れないものだ。
苦行や供犠を修めて、慈善や祈祷を重ねても、
そうした手段では、真我の真実の姿は見えない。」

「ただ、わたしを、信愛することによって、
真我の真実の様相を、見とめることが出来る。
この方法を除いて、他には有り得ない、と知れ。」

「利己を離れ、空理を捨て、生類を愛する。
真我を信愛して、真我に奉仕し、目的とする。
アルジュナよ、彼は、必ずや、私に還って来る。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

389鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/27(木) 22:04:43.40ID:7IY26t8X
本来の帰依は神仏に心身の全てを捧げる事なのじゃ。
そのようにしてこそ速やかにアートマンにも辿りつけるのじゃ。
なかなかそこまで行う者は居ないがのう。
むしろ献身の道こそ難しいのじゃ。

390佛教の超初心者2018/09/27(木) 22:33:06.11ID:FT+QrpD9
仏教僧でも何でもないのに和尚と騙り、ダンマパダの読み下し文レベルの知識で中論や唯識、倶舎や如来蔵をデタラメに初心者相手に吹聴する。
体験といっても、薬物の副作用で起きた幻聴を智慧の声を聴いたなどと支離滅裂に騙る。

佛教舐めるな。

391名無しを整える。2018/09/27(木) 23:07:39.95ID:BkWXHBvc
>>389
帰依とは、一体になることでありますね。そのものになりかることでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

392名無しを整える。2018/09/28(金) 06:43:11.96ID:cDulFelT
バガヴァッド・ギーター 第十二章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「あなたを愛して、礼拝している修行者と、
ブラフマンを愛して、礼拝している修行者は、
ヨーガにおいて、どちらが優れているのですか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「信愛によって、真我を礼拝している者と、
知識によって、真理を探究している者とでは、
前者の方が、優れていると、真我の私は考える。」

「しかし、非人格的な、真理を礼拝する者、
感覚を抑制し、すべての生命を平等に見る者、
利他の為に働く者も、最終的に真我の元に来る。」

「目には見えない真理に、心を寄せる者は、
困難なる道を歩んでいると、わたしは考える。
肉体に覆われている者に、その道は甚だ険しい。」

「地に現れている真我に、心を寄せる者は、
すべてを、真我に供養して、真我を礼拝する。
真我は、速やかに彼らを、生と死から救い出す。」

「いつも、私を想い、全ての知性を委ねよ。
そうすれば、君は、私の中に住むことになる。
それができなければ、信愛のヨーガを実修せよ。」

「バクティは、信愛のヨーガのことである。
信愛が出来ないならば、奉仕に努めることだ。
私に献身することで、信愛の境地に至るだろう。」

「バクティは、奉仕のヨーガのことである。
奉仕が出来ないならば、放棄に務めることだ。
我を放棄することで、奉仕の境地に至るだろう。」

「ヨーガが出来ないならば、知性を究めよ。
知性より瞑想が優り、瞑想よりも放棄が勝る。
果報を放棄すれば、速やかに、心は平安になる。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

393佛教の超初心者2018/09/28(金) 11:47:30.69ID:LU8Zvw2S
無について、
バラモンについて、
戒定慧について、
善悪について、
認識主体について、

その他諸々w

394鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/28(金) 22:57:23.44ID:nB0+QaRA
>>391 そうじゃ、一体化するのじゃ。
 自分を無くすのじゃ。
 難しいことでは在るがのう。

全てを捨ててアートマンと一体化するのが最上のヨーガなのじゃ。
それが出来なければ信愛によってアートマンを念じるのじゃ。
それが出来なければ奉仕、奉仕が出来なければ放棄をするのじゃ。
果報の放棄なのじゃ。
更に下に瞑想が有り、その下が知性なのじゃ。
知性によって悟りを求めようとするのは最低の部類に入るのじゃ。

395仏教の超初心者2018/09/29(土) 00:47:52.16ID:eF+Z8KzP
……そもそも佛教と何の関係もないでしょ?

何で佛教を騙るの?

www

396名無しを整える。2018/09/29(土) 08:05:44.58ID:bfnT8nI9
>>392
バガヴァッド・ギーター 第十二章

「すべての生き物に対して、慈悲のある者、
幸福と不幸を平等に受け容れ、寛大である者、
足るを知っている者、こういう人を私は愛する。」

「誰にも迷惑を掛けず、他を干渉しない者、
誰からにも影響を受けず、他を強制しない者、
私心を捨て切った者、こういう人を私は愛する。」

「順境にも、逆境にも、心が動揺しない者、
全てに淡々と振る舞って、何も苦悩しない者、
見返りを求めない者、こういう人を私は愛する。」

「敵方や味方を問わず、他に平等である者、
名誉と侮辱に心が動かず、常に平静でいる者、
相対を越えている者、こういう人を私は愛する。」

「無益な交際を避けて、真我を信愛する者、
無益な言葉に捕らわれず、真我に奉仕する者、
バクティを修める者、こうした人を私は愛する。」

「住む場所に囚われず、究極の道を進む者、
断固とした決意を持って、不滅の道を歩む者、
真我を目的とする者、こうした人を私は愛する。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

397名無しを整える。2018/09/29(土) 08:16:44.49ID:bfnT8nI9
>>396
うむ。
戦場の敵陣にいる肉親と戦うよりも死を選ぶべきではないかと悩む弟子に、「義務を果たせ!」と叱咤するところから始まったので、どうなるのかと思ったのでありますが、
全ては、戦争も社会も他者も、全ては「無明」の例えばなしと受け取って読めばよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

398名無しを整える。2018/09/29(土) 16:02:26.71ID:hJ9JOXmE
>>394
知性によって悟りを求めようとするとはどういう意味ですか?
悟りを知識として学んでいるだけの状態でしょうか?

「目には見えない真理に、心を寄せる者は、
困難なる道を歩んでいると、わたしは考える。
肉体に覆われている者に、その道は甚だ険しい。」
これはクリシュナという対象がないので心が定まりにくいからでしょうか?

399名無しを整える。2018/09/29(土) 18:04:39.73ID:bfnT8nI9
>>392
>「目には見えない真理に、心を寄せる者は、
困難なる道を歩んでいると、わたしは考える。
肉体に覆われている者に、その道は甚だ険しい。」

別訳
至上者の非人格的な相(姿) 即ち非顕現の真理に
心をよせる者たちの進歩は甚だ困難である
肉体をもつ者たちにとって
その道は常に険しく様々な困難を伴う
※仏教ではミダ信仰を易行道、様々な修行により自性を悟って解脱するのを難行道という

人格神を信じちゃう方が近道だよってことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

400名無しを整える。2018/09/29(土) 19:22:55.80ID:hJ9JOXmE
そういえばパパジもランジット・マハラジも元々は、クリシュナが全て!というくらい熱烈な信奉者でしたが、
後に師と出会って、形のあるクリシュナへの信奉が捨てられて悟ったようです。
神への執着が捨てられないと、ラーマクリシュナのような感じで終わるのでしょうか?

401名無しを整える。2018/09/29(土) 20:08:44.43ID:bfnT8nI9
うむ。
否定によってしかあらわせないアートマンを擬人化して、人格神のように扱うことから生じる誤解をなくすために、ブッタは無我を説いたのでありましょうかね。

悟りを得んとするならば、出家して、屋根の下に住まず、働かず、生産せず、修行に打ち込むことは、困難な道でありますから、帰依の道もありなのでありますかね。
どっちも難しそうであります。
(´・(ェ)・`)つ

402名無しを整える。2018/09/29(土) 22:57:11.86ID:HKxlWJ2Y
>>397 そうじゃ、物語に託してアートマンを説いたのじゃ。
 人は物語を好むからのう。

>>398 そうじゃ、知識だけでは悟りは訪れないのじゃ。
 お釈迦様も知識だけではいかんと言っているのじゃ。
 
 対象が無ければそうなるじゃろう。
 そもそも何を信じ、実践すればよいのかわからないからのう。
 対象があれば帰依もしやすいのじゃ。

>>399>>400>>401 そうじゃ、阿弥陀信仰などもそういえるじゃろう。
 しかし、最後には捨てなければいかんのであるがのう。
 それが難しいのじゃ。
 入り易く捨て難い、入易捨難といえるのじゃ。

 出家修業の道は入り難いが捨て易いのじゃ。
 厳しい生活ならば全て捨ててしまえと思うからのう。
 入難捨易といえるのじゃ。

403名無しを整える。2018/09/30(日) 07:54:42.69ID:4D3WKHC2
13バガヴァッド・ギーター 第十三章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
もう一度、君に、最高の知識を話しておこう。
古の聖者は、これを知って、完成の域に達した。」

「この知識を、体得することによってのみ、
あらゆる生命は、真我である、私と同化して、
物質宇宙の創造と破壊に、巻き込まれなくなる。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
プラクリティは、大ブラフマンとも呼ばれて、
わたしが、種子を蒔くと、生物が現われてくる。」
「クンティーの息子である、アルジュナよ。
私は、生命の種子を蒔く、すべての父であり、
同時に、生命を子宮に宿す、すべての母である。」

「プラクリティには、三つの性が存在する。
即ち、サットヴァ、ラジャス、タマスであり、
プラクリティに接触すると、霊魂が束縛される。」

「バラタ一族の勇者である、アルジュナよ。
サットヴァは、幸福を求める、善の性であり、
他より優れているが、他と同じく魂を束縛する。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
ラジャスは、欲望を昂らせる、動の性であり、
際限なく、利益を求める行為に、魂を束縛する。」
「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
タマスとは、迷妄に陥らせる、暗の性であり、
狂気や怠惰や多眠に塗れさせて、魂を束縛する。」

「タマスは、人々が怠惰に執着してしまい、
ラジャスでは、人々が利益に執着してしまい、
サットヴァでは、人々が幸福に執着してしまう。」

「サットヴァが、優勢になったかと思えば、
別の時には、ラジャスやタマスが優勢になる。
こうして、三つの性質は、互いに競合している。」

「アルジュナよ、善性が優勢になった時は、
両目、両耳、両鼻、口、肛門、生殖器、即ち、
肉体の九門が、智慧の光により輝くようになる。」
「アルジュナよ、動性が優勢になった時は、
激烈なる執着、利益を求める活動、焦燥の感、
激しい努力、昂ぶる欲望、飽くなき追求である。」

「アルジュナよ、暗性が優勢になった時は、
人は、暗愚になり、邪悪になり、物臭になり、
無気力、狂気、妄想などが、現れるようになる。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

404鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/09/30(日) 21:24:58.73ID:HcH+LqDN
ここからまたプラクリティの詳しい説明に入るのじゃ。
サットヴァ、ラジャス、タマスの三つの心の性質なのじゃ。
この三つの性質が時々にどれかが優勢になって心が変化するというのじゃ。

405名無しを整える。2018/09/30(日) 21:32:35.86ID:4D3WKHC2
>>404
インド人の分析に対する執念はすごいでありますね。
インドの賢い人が思いきり考え尽くしてくれたことに感謝せねばなりますまい。
(´・(ェ)・`)つ

406名無しを整える。2018/10/01(月) 06:54:12.69ID:XPiNFAZB
>>403
バガヴァッド・ギーター 第十三章

「タマスで死ねば、無智に陥る家に生まれ、
ラジャスで死ぬなら、仕事を追う家に生まれ、
サットヴァで死ぬなら、信仰を培う家に生れる。」

「タマスで行えば、行うほど、愚昧になり、
ラジャスで行なえば、行うほど、苦痛になり、
サットヴァで行なえば、行うほど、善良になる。」
「タマスから、愚鈍や狂気が生まれて来て、
ラジャスからは、食欲や貪欲が生まれて来て、
サットヴァからは、真実や智慧が生まれて来る。」

「タマスで生きると、低い世界に転生して、
ラジャスで生きるなら、同じ世界に転生して、
サットヴァで生きるなら、高い世界に転生する。」

「すべての行為は、自分が行うのではなく、
これら、グナの働きに過ぎないと、知る者は、
三グナの働きを超越して、真我の元に辿り着く。」

「肉体を纏った者が、三グナを超越すれば、
生老病死の苦しみから、完全に解脱を果たし、
現象界にいる内から、至福の神酒を飲むだろう。」
アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「グナを超越した人の、特徴とは何ですか。
彼は、どのように生活し、どのように行動し、
さらに、グナを、どのように超越するのですか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「パンドゥ王の息子である、アルジュナよ。
サットヴァの光、ラジャスの欲、タマスの闇。
これらの、三つの性質に、中立を保ち続ける者。」

「真我に定住して、幸福と不幸を区別せず、
石と金を平等に見て、善悪の感情を起さない。
賞賛と非難や、名誉と恥辱に、心を動かさない。」
「友と敵を同じように見て、平等に扱う者、
物質を求める仕事には、全く手を出さない者、
以上のような人は、三グナを超越したと言える。」

「いかなる場合も、自我を放棄している者、
真我を信愛しながら、真我に奉仕している者、
以上の者は、速やかに、ブラフマンに到達する。」

「そして、私が、ブラフマンの住居である。
即ち、不滅の一元であり、永遠の法則であり、
相対の幸福と不幸を越えた、絶対の幸福である。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

407鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/01(月) 22:50:35.13ID:BIs0OY/n
>>405 そうじゃ、いかすのじゃ。
 昔のインドでは現代の哲学者の考えるようなことは既にみんな考え尽くされているのじゃ。
 唯心論も唯物論もみんなあるのじゃ。

 修業によって三つのグナを超越するのじゃ。
 三つのグナを超越した者はブラフマンに到達するというのじゃ。
 それそこそが時間にも制約されない永遠絶対の幸福なのじゃ。
 

408名無しを整える。2018/10/01(月) 23:09:52.69ID:XPiNFAZB
>>407
うむ。
くまもそんな気がするであります。
不可知のことを、難しいことばで語ろうとするから、変なことになるのでありますね。
いくらでも単純に易しくかたれるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

409名無しを整える。2018/10/02(火) 07:44:58.27ID:eydwreB+
バガヴァッド・ギーター 第十四章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「根が上に枝が下に、葉がヴェーダの讃歌、
決して枯れない、菩提樹がある、と言われる。
この樹を知る者は、すべての、ヴェーダを知る。」

「無数の枝は、グナに養われる感覚の対象。
下に伸びる根は、利欲に培われる人間の名利。
この無数の根こそ、人の世界に縛る行為となる。」

「この世に住む者は、この枝の姿が見えず、
始まりも終わりも、根ざす所も分からないが、
無頓着の斧を持って、樹を切り倒すべきである。」
「それから、不退転の境地を求めるが良い。
そこから、全てが開始して、総てが展開する。
そこは、至上神に、すべてを任せる境地である。」

「名声を望むことなく、迷妄を出離した者、
欲による善と悪を越えて、真我に安住した者、
これらの者は、必ずや、不滅の境地に導かれる。」

「真我の住処は、日も月も火も必要がない。
自らが光り輝いて、ここを訪れた者は誰でも、
現象界に戻ろうとは、決して考えないのである。」

「生命に内在する魂は、真我の部分である。
魂は、眼耳鼻舌身意、六つの感覚を使用して、
苦労を重ねながら、肉体を操っている、と知れ。」
「あたかも、春の風が、香りを運ぶように、
魂は、自らの想いを、次の体に運ぶのである。
こうして、人は、体を乗り換え、生まれ変わる。」

「不滅の魂は、六つの識別の作用、つまり、
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識を持ち、
それに応じた、生まれ方や、生き方をしている。」

「霊魂は、三つのグナに、支配されながら、
様々に経験して、時が来れば、肉体を離れる。
しかし、無智なる者には、この事実が見えない。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

410名無しを整える。2018/10/02(火) 19:46:54.43ID:O/puN5nt
「根が上に枝が下に、葉がヴェーダの讃歌、
決して枯れない、菩提樹がある、と言われる。
この樹を知る者は、すべての、ヴェーダを知る。」

この例えがよくわからないので、解説を御願いします。

411名無しを整える。2018/10/02(火) 19:49:16.70ID:O/puN5nt
>>409
クリシュナの言う「魂」は、鬼和尚の言葉では何と表せますか?

412鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/02(火) 23:06:40.20ID:6Wjc2OEl
>>408 そうじゃ、知識は実践のためのものなのじゃ。
 実践できるだけの知識があれば善いのじゃ。

>>410 それは次の文につながるのじゃ。
 通常の人の樹は感覚を求めて枝が上で、名利を求めて根が下にいくのじゃ。
 それが逆であるから感覚を制御し、名利を求めぬ者が枯れぬ菩提樹に例えられるのじゃ。
 そしてヴェーダの賛歌を常に唱える修行者となるのじゃ。

>>411 そのようなものはないが、意識でも善いのじゃ。
 輪廻も意識の見る夢路であるからのう。
 

413名無しを整える。2018/10/03(水) 06:32:48.83ID:Aul8uKJy
>>409
バガヴァッド・ギーター 第十四章

「自己の本性を悟るとき、この事実を知る。
しかし、未熟ゆえに、自覚できていない者は、
不滅の魂を見とめることが、出来ないのである。」
「すべての世界を照らす、太陽の光にせよ、
月の光にせよ、火の光にせよ、私の光である。
すべての輝きは、真我である私から発している。」

「天体は、真我の力で、天空を回っている。
真我の神酒は、大地の食物を養い育てている。
地の植物に、滋養が溢れる、甘露を与えている。」

「生物は、真我の力で、生命が宿っている。
呼気と吸気に合せながら、四種の食物、即ち、
飲む物、噛む物、舐める物、啜る物を消化する。」

「真我は、全ての人類の心臓に宿っていて、
彼らに、記憶と知識と忘却を与える役がある。
ヴェーダは、真我を知るため、真我に著される。」
「この宇宙には、必滅と不滅の二つがある。
物質の世界は、必滅なるが故に、無常であり、
霊魂の世界とは、不滅なるが故に、常住である。」

「この二つを超越して、至上者が存在する。
それは、不死不滅である、真我のことであり、
三界に入ってきて、すべてのものを支えている。」

「わたしのことを、真我であると知る者は、
迷いの無い者であり、すべてを知る者である。
彼らは、全霊を以って、真我を礼拝し奉仕する。」

「今、私は、最も神秘的な教えを明かした。
アルジュナよ、この秘儀を解する者は誰でも、
必ずや、智慧を得て、究極の目的を果すだろう。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

414鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/03(水) 22:56:57.71ID:PjS7S1fx
アートマンは人の世のみならず太陽や月や星の光さえも自身から発しているというのじゃ。
全ての植物や生命さえもアートマンによってあるという。
人の心臓に宿り、不生不滅のものなのじゃ。
全霊をもって礼拝すればアートマンに達することもできるというのじゃ。

415名無しを整える。2018/10/04(木) 05:46:21.01ID:7Cqq8xw8
バガヴァッド・ギーター 第十五章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「無畏、善性の増大、智慧のヨーガ、布施、
節制、祭祀、ヴェーダの学習、非暴力、廉直、
不瞋恚、苦行、正直、離欲、生類に対する慈悲。」

「小言を言わないこと、欠点を探さぬこと、
平静、威光、寛容、堅固、清潔、柔和、謙虚、
アルジュナよ、以上は、神性に属すものである。」

「口が煩いこと、他の人の欠点を探すこと、
思い上がり、尊大、高慢、憤怒、粗暴、無知。
アルジュナよ、以上は、魔性に属すものである。」
「アルジュナよ、君は、神性を持っている。
神性は、天人の性質であり、人を解脱に導き、
魔性とは、修羅の性質であり、人を束縛に誘う。」

「世の創造物に、神性と魔性の二つがある。
既に、神性について、君に説明しているから、
今度は、魔性について、君に解説するとしよう。」

「魔性の者には、勧戒と禁戒の分別がない。
礼儀も弁えないし、清らかさの欠けらもない。
彼らは、不誠実であり、誰もが、不正直である。」

「魔性の者は、得てして、このように言う。
世界は幻影であり、因も無いし、神も居ない。
すべては、性欲により、生じているに過ぎない。」
「このように考えるため、彼らは自ずから、
知性を失い、無智に覆われ、堕落を免れない。
残酷な行為を喜んで、世界を破滅に導いていく。」

「欲は飽きを知らず、独善に嵌り慢に陥る。
迷妄なるがゆえに、誤まった見解に囚われて、
不浄なる信念を抱き、邪まなる行動に捕われる。」

「欲望を満たすことが、進化に必要である。
魔性の者は、このように考え、死に至るまで、
欲望の享受に没頭して、焦燥感に苦しめられる。」

「数え切れない、欲望の網に捕らえられて、
情欲と瞋恚に心身を委ね、快楽を求めるため、
彼らは、不法な手段で、富を蓄積しようとする。」
「魔性の者は、無智のために、妄想してしまう。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

416鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/04(木) 22:36:25.02ID:05MeU6A0
自ら破滅を招く愚かな者の性質を明らかにするのじゃ。
不誠実で不正直の者には悟りの道を行く資質すらないのじゃ。
貪欲を正しいものと肯定し、自ら苦を作り出すのじゃ。
無知の為に不正に富を求め、破滅を招くのじゃ。

417名無しを整える。2018/10/04(木) 23:44:19.68ID:7Cqq8xw8
>>416
誠実で正直であることを、諦めてはいけないのでありますね。
すべての人が、誠実で正直であろうとしてるのかもしれぬでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

418名無しを整える。2018/10/05(金) 06:05:28.99ID:xOWU1ZKV
>>415
バガヴァッド・ギーター 第十五章(つづき)

“私は、財産を、増やさなければならない。
私は、現在、これしか、財産を持っていない。
しかし、将来、これより、財産を持てるはずだ”

“私は、宿敵を、減らさなければならない。
邪魔者は消せ、わたしだけが、主人公である。
成功者であって、有力者であり、資産家である”

“私は、血統を、誇こらなければならない。
高貴な血筋の縁者に囲まれ、私は幸福である。
祭祀を行ない、慈善を行なう、我が喜びである”

「アルジュナよ、心配と焦燥に囚らわれて、
幻影の呪縛に、捕えられてしまった者たちは、
欲望の満足に執着し、地獄の底まで落ちていく。」

「彼らは、独善的であり、無遠慮であって、
いつも、売名の目的で、偽善を誇らしくする。
規則に従わず、無礼に振る舞って、頑固である。」

「魔性の者は、非常に、利己的であるため、
権力欲と自尊心に囚われ、情欲と瞋恚に耽る。
彼ら自身の中に住まう、真我を軽蔑しさえする。」

「彼らは、嫉妬心や羨望心が、極めて強く、
他に害を加える事を、喜んで良しとするため、
繰り返し繰り返し、修羅の胎内に投げ込まれる。」

「修羅に転生する者は、真我に近づけない。
生まれ変わるごとに、悪趣の世界に沈み込み、
最終的には、最も忌わしい存在に生まれ変わる。」

「地獄に至る原因に、三種類の欲望がある。
その三つの欲とは、肉欲と憤怒と食欲である。
魂を堕落させる、この三つの欲望を切り捨てよ。」

「これらの、三つの悪しき門を避けた者は、
真我の実現に、相応しい道を歩むことが出来、
次第に向上して、必ずや、究極の目的を達する。」

「アルジュナよ、聖典が示す道を軽視して、
欲望のまま行動する者は、生命の完成を損い、
絶対の幸福が得られず、至高の目的に至らない。」

「アルジュナよ、聖典が示す教えに拠って、
行うべきを為して、為さないべきを行なうな。
それを知り、それを守り、向上の道を突き進め。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

419仏教の超初心者2018/10/05(金) 14:53:08.36ID:2/TyFjOJ
今年一番笑えたレス(暫定版)

一週間前のレスを今来たレスと勘違いするとか・・・
さすがはでおー大明神!!!!!!!!!!!

施設入所者はキチガイ度が群を抜けて一味も二味も違うねぇwww


でおー/2018/08/31(金) 17:57:53.22
  鬼子、ぴっぴ、不思議現象が起きている。
  鬼子、ぴっぴのレスのタイムが午後6時になっている、なんだ、これは?
   210ピッピ・シェアトゥ2018/08/24(金) 18:24:19.86ID:k57qVemM>>212
   212日本鬼子 ◆3yNEHqeJlglY 2018/08/24(金) 18:27:59.44ID:m93AGJaS

でおー/2018/08/31(金) 18:13:12.52
 今のぴっぴのレスタイムは2018/08/31(金) 18:10:07.29ID:QQ+2hUm+
 だが・・・・。このレスタイムが・・・・。
   ピッピ・シェアトゥ2018/08/24(金) 18:24:19.86
   日本鬼子 ◆3yNEHqeJlglY 2018/08/24(金) 18:27:59.44
 だぞ、時間が後退した笑。

でおー/2018/08/31(金) 18:19:09.43
 あ、日にちが違った


ピッピ・シェアトゥ /2018/08/31(金) 18:10:07.29
 何が不思議なの

ピッピ・シェアトゥ /2018/08/31(金) 18:34:36.79
 あほか

420鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/05(金) 23:30:44.04ID:ci7x7Ul3
>>417 そうじゃ、それが悟りを求める者に必要なのじゃ。
 全ての者にも必要なのじゃ。

 魔性の者も敵を倒せとか思うのじゃ。
 それは利己のためであり、利益という結果を望んで行うのじゃ。
 結果を望まないカルマヨーガとは違うのじゃ。

421名無しを整える。2018/10/06(土) 05:59:00.83ID:DYtVyKbH
バガヴァッド・ギーター 第十六章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「以下のものについて、私に教えて下さい。
すなわち、プルシャとプラクリティについて、
活動と活動の実感、知識と知識の対象について。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「我々の身体こそが、活動する主体であり、
身体を統御する精神が、実感する主体である。
そして、真我こそが、一切を認識する者である。」

「真の知識とは、この関係を理解すること。
アルジュナよ、では、認識する者とは、何か。
如何に解釈して、知識とするのか、聞きなさい。」

「この知識について、古来から聖者たちは、
賛歌や格言の形で、様々に表現を為している。
取り分け、ブラフマ・スートラに、明瞭である。」

「地水火風空、個我、仏性、プラクリティ、
意識、十門、五感、欲望、憎悪、喜楽、悲苦、
意志力、肉体、知力、以上により、解釈される。」

「アルジュナよ、慢心や虚栄を捨てること。
欲望の対象から心を離し、我執を無くすこと。
非暴力、寛容、正直、奉仕、清浄、決意、自制。」

「生老病死を苦と見て、本質を究めること。
あらゆる執着を捨て去り、愛着を越えること。
好きなこと、嫌いなことを、平等に捉えること。」

「至上者に対する信仰、世俗を離れること。
無益な交際を避けて、悟る意義を認めること。
以上が智慧であり、これに反すれば無智である。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

422鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/06(土) 22:51:45.85ID:mZYQs9NP
悟りに必要な真の知識とは肉体と精神とアートマンの関係を理解することなのじゃ。
肉体が活動の主体であり、精神が実感の主体であり、アートマンが認識の主体なのじゃ。
それを知るには地水火風空の五大から、心身全ての観察に拠るしかないのじゃ。
その実践を助けるためにさまざまな禁戒と勤戒もあるのじゃ。

423佛教の超初心者2018/10/07(日) 07:44:29.97ID:cGrtmeF5
>無について、
>バラモンについて、
>戒定慧について、
>善悪について、
>中有について、
>認識主体について、

その他。

424名無しを整える。2018/10/07(日) 08:52:37.00ID:WrChVfrg
>>421
バガヴァッド・ギーター 第十六章(つづき)

「永遠の生命を得るため、知るべきことを、
アルジュナよ、今から君に、説明しておこう。
ブラフマンは無始であり、有無を超越している。」

「至る所、彼の手や足や目や頭や顔があり、
至る所に彼の耳があり、すべての音を聞いて、
すべてを覆い尽して、彼は時空に充満している。」

「彼は、すべての感覚機能を具えているが、
彼自身は、すべての感覚器官を持っていない。
彼は、グナを楽しみながら、グナを越えている。」

「彼は、万物の内にも、万物の外にも在り、
動であり不動であり、遥かに遠く極めて近い。
その精妙なること、とても、肉眼では見えない。」

「個々に、分かれているように、見えるが、
決して、分かれることなく、常に同一である。
創造者にして、維持者であり、破壊者でもある。」

「彼は、光輝の中の光輝、光の源泉であり、
グナの明暗を超越した所で、光り輝いている。
彼は、知識の目的であり、すべての中心に住む。」

「以上のものが、活動と知識の説明である。
以上のことを解する、私の熱心な信者だけが、
真我である私の浄土に、来ることが出来るのだ。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

425鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/07(日) 23:01:01.25ID:Xtd9OkLO
ブラフマンの説明なのじゃ。
ブラフマンは一切でありながら、一切をも超越している観念の彼方に在るものじゃ。
全てである意識と同じであると理解してよいのじゃ。
知識として理解できるものではないが、悟ればそれが認識されるのじゃ。

426名無しを整える。2018/10/08(月) 08:19:20.71ID:LWqcJtVY
>>424
バガヴァッド・ギーター 第十六章(つづき)

「プルシャとプラクリティは、無始であり、
変化作用のヴィカーラーと、属性の三グナは、
どちらも、物質源である、プラクリティである。」

「プルシャは、精神源であり、経験の主体。
プラクリティは、物質源であり、現象の因果。
全ての物理現象は、プラクリティが源泉である。」

「プルシャが、プラクリティである三グナ、
三つの属性に干渉され、物質世界が誕生する。
トリグナの干渉の仕方で、善悪二元が出現する。」

「一方で、体の中に、至上霊が宿っている。
それは、パラマートマー、至上我と呼ばれて、
全ての活動を経験して、全ての体験を監督する。」

「プルシャとプラクリティの、相互の関係、
あるいは、三グナの相互の作用を解する者は、
たとえ、どの環境に居ても、地上に再生しない。」

「これを、人は、瞑想や哲学や奉仕で悟る。
或いは、他の人から聞いて、私を拝み始める。
こうした人々も、生死の鎖から解放されるのだ。」

「バラタ一族の勇者である、アルジュナよ。
動く者も、動かない者も、すべての生き物は、
肉体と霊魂、対象と認識者の結合であると知れ。」

「すべての生命には、至上主が等しく宿る。
必滅の中に、この不滅のものを見とめる者は、
真に存在の実相を見ていると、言えるのである。」

「あらゆる場所や、また、あらゆる生命に、
至上主の存在を、等しく見とめている者達は、
自分を傷つけることなく、至高の境地に達する。」

「プラクリティが、カルマを作るのであり、
アートマンは、無関係であると見とめる者は、
真に存在の実相を見ていると、言えるのである。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
アートマンは不滅であり、物質を越えている。
それは、肉体に宿るが、決して影響を受けない。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
あたかも、太陽が、世界を照らし出すように、
霊魂は、肉体の中で、意識を照らし出している。」

「智慧の芽を開き、霊魂と肉体を見る者は、
プラクリティの鎖を、断ち切る法を見とめる。
彼らは、速やかに、至上の目的に達するだろう。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

427鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/08(月) 22:51:01.89ID:3tSIPksD
プルシャとプラクリティ、パラマートマーの説明なのじゃ。
プルシャは精神の原理であり、経験の主体、
プラクリティは物理現象の源なのじゃ。
三つのグナはプラクリティに属してプルシャに働きかけるのじゃ。
そして物理世界の認識が起こるのじゃ。
パラマートマーはそれらの上で経験の監督をするというのじゃ。
この言葉通りに全てが在るのではないのじゃ。
あらゆる観念が主体無く起こることを認識できればよいのじゃ。

428名無しを整える。2018/10/09(火) 07:08:50.03ID:EkW7TnAm
>>426
バガヴァッド・ギーター 第十七章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、聖典の教えには従がわず、
独特の信仰により、神々を礼拝する修行者は、
サットヴァ、タマス、ラジャス、どれに属すか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「肉体を有する者には、三つの信仰がある。
それは、生まれながらの、三グナで決定する。
これから、それぞれについて、君に説明しよう。」

「生まれつきの性格で、異なる信仰を持つ。
信仰とは、その人の性質を表わすものであり、
その実、信仰の本体は、その人自身の姿である。」

「タマスが優位な人は、幽鬼を信仰し易く、
ラジャスが優位な人々は、魔神を信仰し易く、
サットヴァが優位な人々は、善神を信仰し易い。」

「聖典に従うことなく、禁欲を行なう者は、
その実、虚栄心のために、苦行を為しており、
すればするほど、欲望と執着の虜になっていく。」

「プラクリティである、三つのグナにより、
人々が好む食物について、三つの種類がある。
供養、修行、布施について、同じことが言える。」

「サットヴァの人が愛する、食物とは何か。
水分や脂肪が豊富であり、生命力を増進して、
体を浄化して、力と健康と幸福と歓喜を与える。」

「ラジャスの人々が愛する、食物とは何か。
苦味や酸味や塩味が強く、熱くて乾いていて、
刺激性が高いばかりに、心身の病の原因となる。」

「タマスの人が愛している、食物とは何か。
新鮮でない、悪臭がある、不味いものであり、
食べ残しなど、食べてはいけない不浄物である。」

「サットヴァの人が愛する、供養とは何か。
聖典の指示に従がって、果報を望むことなく、
ひたすら、真我を愛して、供養に専心している。」

「ラジャスの人々が愛する、供養とは何か。
聖典の指示に従わず、現世の利益を得るため、
虚栄のため、名声のため、供養に専心している。」

「タマスの人が愛している、供養とは何か。
聖典の指示に従わず、信仰心が伴うことなく、
真言も唱えず、食物も供えず、供養を軽蔑する。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

429名無しを整える。2018/10/09(火) 08:17:04.54ID:EkW7TnAm
鬼和尚、おはようございます。
自我って、記憶に基づき、自他を分別し、自を守ろうとする、思考感情や行為の主体と、くま達が思ってるものでありますよね。
ロボッとに、その能力を組み込めば、人工的なプログラムか、生命に付随するかの別はあっても、「自我」と言えそうでありますよね。
無我、自我は幻想であるを、前提とすれば、ロボットの自我も幻想と説明しなければならぬでありましょう。
幻想である人の自我がプログラムしたものだからでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

430鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/09(火) 22:12:31.13ID:dzuUIXxn
↑そう言えるじゃろう。
 機械には無いはずの自分という観念を持てば機械もまた迷いに陥るじゃろう。
 それは人の自我と同じ働きをするものじゃ。
 無我であれば正しく働くこともできるのじゃ。


 三つのグナはそれぞれに優位である性質を人に与えるのじゃ。
 ラジャス、タマスが優位であれば人に不利な性質がもたらされるのじゃ。
 サットヴァが優位であれば知性を主とする性質でよい効果が得られるというのじゃ。

431名無しを整える。2018/10/10(水) 00:35:08.15ID:pxFdF//C

432名無しを整える。2018/10/10(水) 05:54:15.09ID:CEFXC3gW
>>428
バガヴァッド・ギーター 第十七章

「サットヴァの人が愛する、修行とは何か。
清らかな信仰心を持ち、果報を望むことなく、
身と口と意に於ける、三種の修行を修めている。」

「ここで、身の修行とは、如何なるものか。
神々を礼拝し、先達を尊敬し、師匠に仕える。
清潔、正直、節制、非暴力、以上に努めること。」

「ここで、口の修行とは、如何なるものか。
悪口を言わないこと、ヴェーダを唱えること、
優しい言葉を語ること、有益な言葉を語ること。」

「ここで、意の修行とは、如何なるものか。
自己を抑制して、心身の浄化に精進すること。
実直であり、率直であり、心が穏かであること。」

「ラジャスの人々が愛する、修行とは何か。
尊敬を受けるために、名誉を得るためにして、
不安定で長続きしない、苦行に励むことである。」

「タマスの人が愛している、修行とは何か。
自分を傷つけるため、他人を傷つけてしまい、
自他のためにならない、無智に励むことである。」

「サットヴァの人が愛する、布施とは何か。
適正な時に、適切な所で、適当な人に対して、
果報を求めることなく、布施を喜ぶことである。」

「ラジャスの人々が愛する、布施とは何か。
果報が有ると歓喜し、果報が無いと後悔する。
果報を求めるあまりに、功徳を損うことである。」

「タマスの人が愛している、布施とは何か。
不適な時に、不適な所で、不正な人に対して、
敬意を供えることなく、無礼を施すことである。」

「創造の元始より此の方、三つの聖なる言、
オーム・タット・サットは、至上者を示した。
僧侶は、いつも、礼拝の時に、この語を唱えた。」

「それゆえ、ブラフマンを知っている者は、
礼拝や布施や修行をする時に、聖典に従がい、
必ず、はじめに、聖音オームを唱えるのである。」

「あるいは、この世界から解脱を願う者は、
現象界に結び付ける、果報を求めることなく、
いつも、心から、聖音タットを唱えるのである。」

「聖音サットは、実在や善行の意味であり、
礼拝や布施や修行による、最高の境地であり、
それらを、すべて、至上者に奉げることである。」

「アルジュナよ、たとえ、信仰のない者が、
礼拝や布施や修行をしても、徒労に過ぎない。
それはアサットと呼ばれ、図らずも無益である。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

433名無しを整える。2018/10/10(水) 06:11:55.93ID:CEFXC3gW
名無し殿のおすすめで読み始めた、バガヴァッド・ギーター も、いよいよ明日から最終章 第十八章であります。
6回ほどに分けて、コピペする予定であります。
次の、講読会で取り上げるのは、同じくおすすめの「黄金の華」に決定!

たいへん長い文章であり、くまのガラ携でコピペすると段落分けもなく、よみずらくなるので、くまの独断で、段落わけについてのみ編集した。
また、5ちゃんだと長文故に規制さるると思われるので、講読会場を別館に移動する予定であります。
(´・(ェ)・`)つ

434名無しを整える。2018/10/10(水) 17:59:22.34ID:NKNArjHF
鬼和尚、くまさん、毎日ありがとうございますm(_ _)m

435仏教の超初心者2018/10/10(水) 18:19:58.16ID:4s2WZrQ/
これもいつものように、ラジワンの「黄金の華の秘密」でもアマゾンから手に入れて、受け売りで馬鹿鬼がコピペして書くんだろ?

そもそもそれって、バグワン流の道教解釈もどきで、道教でさえないものだろ?

言わずもがな、全然佛教とは関係ないだろ?

佛教でないものを仏教と偽るのは如何なものかな?

436仏教の超初心者2018/10/10(水) 18:24:51.94ID:4s2WZrQ/
思想・良心・表現の自由かもしれないけど、「真理は一つ、表現が違うだけ」とか、そんな幼稚なレベルで仏教をメタ認知してどうするんだろ?

仏教徒の端くれとして、こうしたバカげたことは直ぐにでも止めて貰いたいと常々憂いてるんだけど?

困ったもんだよなぁ……

437仏教の超初心者2018/10/10(水) 18:30:55.38ID:4s2WZrQ/
>>434
自作自演・自問自答・自画自賛、ご苦労様ですw

438鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/11(木) 00:06:46.50ID:U8WUH2MB
更に三つのグナについて解説しているのじゃ。
身口意の修業が説かれるのじゃ。
いずれもサットヴァによるものこそ真の実践であり、悟りに導くものであるというのじゃ。
そして真言とそれを唱える実践が信仰による礼拝でなければ意味が無いと説くのじゃ。

>>433 ご苦労さんなのじゃ。

>>434 どういたしまして、またおいでなさい。

439名無しを整える。2018/10/11(木) 06:47:52.76ID:rkkiLytc
バガヴァッド・ギーター 第十八章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「無限の力を持たれている、クリシュナよ。
離欲とは何か、出家とは何か、教えて下さい。
ケーシ鬼を、打ち滅ぼされた神、ヴィシュヌよ。」

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、賢者は、このように見る。
離欲は、行為の果報を、望まないことであり、
出家とは、果報の行為を、行わないことである。」

「アルジュナよ、学者は、このように言う。
全ての行為を止めなさいと、言う者が居れば、
布施と供養だけ続けなさいと、言う者も居よう。」

「バラタ王家の勇者である、アルジュナよ。
ここで、離欲について、わたしの見解を聞け。
聖典には、離欲に三種があると、説かれている。」

「供養と布施と修行に関する、三つの行い。
これらはの行為は、決して止めてはいけない。
それを行う者を、浄らかに変える、からである。」

「しかし、たとえ、この行為を行なう時も、
果報を求めることなく、義務と考えることだ。
アルジュナよ、これこそ、わたしの見解である。」

「ラジャスの人々が愛する、離欲とは何か。
行なうべきことが苦しく、苦しい故に離れて、
怠ける故に疎かになり、成長しないことである。」

「タマスの人が愛している、離欲とは何か。
自分に与えられた義務を、遂行することなく、
ひたすら、為すべきことを、避けることである。」

「サットヴァの人が愛する、離欲とは何か。
名誉や利得に関心がなく、願望することなく、
ひたすら、為すべきことを、行なうことである。」

「アルジュナよ、サットヴァの離欲者とは、
不運な仕事を嫌わず、幸運な仕事に囚われず、
為すべきことを行なう、信念を有する者である。」

「肉体を持っている人にとって、実際的に、
あらゆる行為を捨てることは、不可能であり、
行為の果報を求めない者が、真の離欲者である。」

「離欲しないと、死後に生前の業が現れる。
楽や苦や不苦不楽、三つの果報が現れ始める。
しかし、離欲すれば、これらの果報は現れない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

440鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/11(木) 22:39:53.98ID:U8WUH2MB
この章でカルマヨーガの真髄が解説されるのじゃ。
離欲が果報をもとめないということなのじゃ。
供養と布施と修業の三つに関しても果報を求めずに行うのじゃ。
離欲もまたサットヴァの性質によって為されるべきなのじゃ。
「不運な仕事を嫌わず、幸運な仕事に囚われず、
為すべきことを行なう、信念を有する者である。」
と、クリシュナはその真髄を語るのじゃ。

441名無しを整える。2018/10/12(金) 06:47:19.10ID:nA+2Jdk3
>>439
バガヴァッド・ギーター 第十八章(つづき)

「アルジュナよ、行為を全て完成するには、
五つの因があると、奥義書では説かれている。
これから、これについて、わたしの言葉を聞け。」
「行為の場である体、行為の主である自我、
器官があること、運動すること、宇宙の意思。
これら五つのものが、行為の要因であると知れ。」
「身口意において、善い行為をするにせよ。
身口意において、善からぬ行為をするにせよ。
どちらも、これら五つのものが行為の因となる。」
「それゆえ、行為するのは自分だと考えて、
この五つの要因に、考えが及ばない愚か者は、
意識の深層、宇宙の真相を見ることが出来ない。」
「自らの欲のために、行為していない者は、
たとえ、多くの人を殺し、悪い業を積んでも、
悪しきカルマの報いに、苦しめられる事がない。」
「知る事、知る物、知る者が、行為の原因。
行なう感官、行う事、行う者が、行為の条件。
これらが揃い、行為という結果が、現れて来る。」
「プラクリティである、三つのグナにより、
人々が好む知識について、三つの種類がある。
知識、行為、主体について、同じことが言える。」
「サットヴァの人が愛する、知識とは何か。
すべての存在に、真我が実在することを知り、
無数の異なる姿に、分かれたと知ることである。」
「ラジャスの人々が愛する、知識とは何か。
分かれているものは、違うものと考えるため、
実は同じものであると、見とめないことである。」
「タマスの人が愛している、知識とは何か。
部分を捉えるだけで、全体と捕えているため、
確かめることなく、盲目的に信じることである。」
「サットヴァの人が愛する、行為とは何か。
囚われることもなければ、避けることもなく、
果報を求めることなく、義務を果すことである。」
「ラジャスの人々が愛する、行為とは何か。
自我に囚われているため、欲望が大きくなり、
欲望を満たすためなら、苦労を喜ぶことである。」
「タマスの人が愛している、行為とは何か。
将来のためにならず、他人のためにもならず、
聖典を修めることなく、迷妄に陥ることである。」
「サットヴァの人が愛する、主体とは何か。
成功に囚われることなく、失敗に捕われない。
私欲を捨てているのに、熱心に行なう者である。」
「ラジャスの人々が愛する、主体とは何か。
成功に囚われているため、失敗に捕らわれる。
熱望と絶望の間を、飽きずに行き交う者である。」
「タマスの人が愛している、主体とは何か。
無智に覆われているため、分別が侭ならない。
高慢と卑屈の間を、懲りずに繰り返す者である。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

442鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/12(金) 22:44:25.51ID:Px6C26oM
行為についての解説と、知識と行為と主体について三グナとの関わりが解説されるのじゃ。
ここでもやはりサットヴァによる実践が推奨されるのじゃ。
なかなか難しいことではあるがのう。
知識も行為も主体もサットヴァを優位に進めるのじゃ。

443名無しを整える。2018/10/13(土) 09:34:02.69ID:+CepfHWt
>>441
バガヴァッド・ギーター 第十八章(つづき)

「プラクリティである、三つのグナにより、
人々が好む知性について、三つの種類がある。
知性、決意、幸福について、同じことが言える。」

「サットヴァの人が愛する、知性とは何か。
束縛するものと解放するもの、活動と非活動、
勧戒と禁戒、美徳と不徳を分別するものである。」

「ラジャスの人々が愛する、知性とは何か。
束縛するものと解放するもの、活動と非活動、
勧戒と禁戒、美徳と不徳を分別しない事である。」

「タマスの人が愛している、知性とは何か。
束縛するものと解放するもの、活動と非活動、
勧戒と禁戒、美徳と不徳を取り違える事である。」

「サットヴァの人が愛する、決意とは何か。
ヨーガの修行することで、精神が不動となり、
マナスとプラーナと感覚を、支配する事である。」

「ラジャスの人々が愛する、決意とは何か。
世間に於いても、修行に於いても、ひたすら、
名誉と利欲を得ようと、努力し続ける事である。」

「タマスの人が愛している、決意とは何か。
恐れること、嘆くこと、悲しむこと、愚かさ、
これらを愛して、抜け出そうとしない事である。」

「サットヴァの人が愛する、幸福とは何か。
始めは毒薬のようで、後で甘露のようになる。
覚醒の道を進むことで、清純に至ることである。」

「ラジャスの人々が愛する、幸福とは何か。
始めは甘露のようで、後で毒薬のようになる。
感覚の味を得ることで、錯覚を喜ぶことである。」

「タマスの人が愛している、幸福とは何か。
始めが幻想のようで、後も妄想のようである。
真我を覆い隠すことで、幻影を見ることである。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

444鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/13(土) 22:57:16.98ID:xJoKS7Zc
次は知性、決意、幸福と三つのグナとの関わりなのじゃ。
これもまたサットヴァによるものを至高とするのじゃ。
それはただの知識ではなく、実践のための教えなのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

445名無しを整える。2018/10/14(日) 09:08:24.09ID:2QsPseBC
>>443
バガヴァッド・ギーター 第十八章

「悪人を懲罰する者である、アルジュナよ。
地上の世界に於いても、天上の世界に於ても、
プラクリティのグナから、解脱した者は居ない。」

「僧侶のバラモン、武人たるクシャトリア、
平民であるヴァイシャ、奴隷であるスードラ、
生まれつきのグナにより、義務が決まっている。」

「忍耐できる、自制すること、修行、純潔、
平静であること、信仰すること、智慧、正直。
アルジュナよ、これらは、僧侶のカルマである。」

「決断できる、支配すること、武勇、知謀、
寛大であること、指導すること、勇敢、戦闘。
アルジュナよ、これらは、武人のカルマである。」

「バラタ王家の子孫である、アルジュナよ。
農耕や、牧畜、商売は、平民のカルマであり、
強制的な、労働、使役は、奴隷のカルマである。」

「自分に与えられた、天命を果たしながら、
すべての生き物は、いずれ完成の境地に至る。
それには、どうすればよいか、良く聴きなさい。」

「自分に与えられた、義務を果たしながら、
あらゆる所に遍在する、真我を礼拝する者は、
善人であれ、悪人であれ、究極の完成に達する。」

「自分のカルマを、完全に果たせなくても、
他人のカルマを、完全に果たせるよりもよい。
与えられたカルマを遂げる者は、罪を犯さない。」

「さながら、火には煙が付いて回るように、
たとえ、自らの義務に障害が付いて回ろうと、
アルジュナよ、決して天命を諦めてはならない。」

「何事にも執着しない、鋭い知性を持って、
自我を克服しながら、何事も切望しない者は、
すべてのカルマを超越して、完成の境地に至る。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

446鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/14(日) 21:57:04.70ID:uBLQA/Dp
当時の信仰によるカーストの解説なのじゃ。
生まれによる職の違いは決まっているというのじゃ。
その中で義務を果たすことが究極の完成に近づくことであるというのじゃ。
それはお釈迦様の言うとおり、間違いで在るがのう。
自ら定めた義務を果たすことが大事なのじゃ。

447名無しを整える。2018/10/15(月) 06:44:10.08ID:4GIMwizv
>>445
18バガヴァッド・ギーター 第十八章

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
どのように、この完成の境地に到達するのか。
ブラフマンに到達するのか、話して聞かせよう。」

「静かな所に住んで、多くの物を食べない。
身口意を統御して、世事に囚われることなく、
ヨーガを修める事に、ひたすら、専念し続ける。」

「権力、物欲、名誉、情欲、瞋恚を捨てて、
自我を所有することなく、常に平静である者。
彼は、ブラフマンと合一し、完成の境地に至る。」

「この地に達した者は、絶対の歓喜に浸り、
憂いもなく、望みもなく、全てを平等に見る。
そして、真我に対して、純粋なる信愛を奉げる。」

「人は、信仰と慈愛に通じることによって、
真我である、わたしの実相を知るようになり、
彼は、直ちに、わたしの浄土に入るようになる。」

「たとえ、如何なるカルマを果していても、
私を信愛して、奉仕する者は、私に守護され、
私の祝福により、永遠の楽土に、至るのである。」

「いつでも、真我を思って、活動を行ない、
全ての活動を、真我の保護の下で行うがよい。
心から真我を信愛して、心を真我に集中させよ。」

「真我に奉仕すれば、真我の守護によって、
必ずや、すべての障害が取り除かれるだろう。
真我に仕えず、自我に疲れる者は、必ず滅びる。」

「たとえ、私に逆らい、君が戦わなくても、
クシャトリアとして、武人の義務がある限り、
君は、カルマによって、戦うことになるだろう。」

「バラタ王家の子孫である、アルジュナよ。
君は情に流されるばかり、私の命を逆らうが、
必ず、カルマによって、従うことになるだろう。」

「真我は、人の胸に宿り、彼らを指揮する。
アルジュナよ、真我に対して、絶対服従せよ。
そうすれば、真我に導かれ、永遠の浄土に至る。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

448鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/15(月) 22:54:04.44ID:hJ39CXZB
まとめとしてブラフマンへの道が説かれるのじゃ。
感覚を制して食事を節しただひたすらアートマンを求めるのじゃ。
アートマンに全てを捧げて奉仕する者がブラフマンに到達して永遠の歓喜に入るのじゃ。
更には義務を果たすことも説かれるのじゃ。

449名無しを整える。2018/10/16(火) 04:22:27.59ID:b/fjF5yi
>>447
バガヴァッド・ギーター 第十八章(つづき)

「最後に、君に、秘儀の中の秘儀を語ろう。
アルジュナよ、このことを充分に考えてから、
戦うにせよ、逃げるにせよ、君が望む通り行え。」

「アルジュナよ、君は、最愛の友人だから、
今から君に、無上の真理を話して聞かせよう。
この真の理は、真の利になるから、良く考えよ。」

「あらゆる宗教を退け、わたしに服従せよ。
わたしが、すべての悪業から、君を救い出す。
恐れることは何もない、ひたすら、私を畏れよ。」

「わたしを信じない者、わたしに逆らう者、
禁欲しない者、修行しない者、学習しない者、
これらの者には、この秘儀を解いてはならない。」

「わたしを見とめる者、わたしに従がう者、
禁欲をする者、修行をする者、学習をする者、
これらの者だけに、この秘儀を説くことである。」

「こうして、この秘密の教えを説くことは、
真我に対して、無上の奉仕をしたことになる。
こうした奉仕者は、私が愛して、私の元に来る。」

「アルジュナよ、私は、ここに、宣言する。
この我々の対話を学ぶ者は、その知性により、
必ず、私を信愛して、私を礼拝するようになる。」

「また、疑うことなく、信じて確める者も、
諸々の悪業から解脱して、吉祥の世界に至る。
さあ、アルジュナよ、汝の迷妄は取り払えたか。」

アルジュナは、クリシュナに、このように叫ぶ。

「ああ、クリシュナよ、貴方の慈悲により、
我が迷妄は消え去り、私は真知を取り戻した。
私の信念は揺るぎ無い、私は貴方に付き従がう。」

すべてを見ていた、サンジャヤは、王に言った。

「奥義の内容に、私の頭髪は逆立っている。
わたしは、神仙に与えられた、天眼通により、
この神聖なる対話に、巡り会えることが出来た。」

「王よ、クリシュナが示した、普遍の真相、
あの言語に絶する、偉大な形相を思い出すと、
何度でも驚嘆し、私は歓喜に満ち溢れてしまう。」

「ヨーガの支配者、クリシュナが立つ陣営、
弓の名手である、アルジュナが居る敵陣こそ、
勝利と繁栄が存在すると、そう、私は確信する。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

450鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/16(火) 23:40:20.68ID:zHpQENaz
クリシュナはここに至って秘儀を説くというのじゃ。
それは他の宗教を全て退け、わたしだけを信じることであるというのじゃ。
それが秘儀であり、信じて確かめるものも救われるというのじゃ。
このことから全ての教えはヴィシュヌに対する信仰から来ているということが出来るのじゃ。

451名無しを整える。2018/10/16(火) 23:52:20.06ID:b/fjF5yi
>>450
ヴィシュヌ 、ググってみたら、なんかすごい神様のようであります。

鬼和尚、いつも、ありがとうであります。

明日から別館で、黄金の華の購読会をはじめるであります。

ここはでは短めの文章を拾ってきて、読書会を続けるであります。

452名無しを整える。2018/10/17(水) 17:49:35.18ID:64vNfCQK
鬼和尚、バガヴァッド・ギーターの総評をお願いします

453仏教の超初心者2018/10/17(水) 17:56:53.97ID:6nQrEBZM
>>452
佛教ではありません。

以上w

454名無しを整える。2018/10/17(水) 21:39:45.68ID:j5x7uSvU
クリシュナを信じられないならそのギータは読まない方が良いのでしょうか?

455鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/17(水) 22:31:58.98ID:001c1xSA
>>451 ご苦労さんなのじゃ。

>>452 バガヴァッド・ギーターは総じてカルマヨーガによるアートマンの法を説いているものじゃ。
 果報を期待する事無く実践するカルマヨーガによって、アートマンの法も実現するというのじゃ。
 その根底にはヴィシュヌ神への信仰が不可欠なのじゃ。
 信仰によって人間には困難なカルマヨーガによる義務の遂行が為され、アートマンの法も成就するのじゃ。

 そのアートマンの法の実際的なやり方をも説いているのじゃ。
 適切な座を選んですわり、胸に種字の阿字をイメージし、真言を唱えて集中するのじゃ。
 全てが胸のアートマンから作られ、アートマンに還っていくことをイメージするのじゃ。
 認識できないものにまで達すればアートマンの法は完成したといえるのじゃ。

 その法のための自らの義務の遂行や三グナのサットヴァによる日々の精進にも言及しておるのじゃ。
 誰にでもできるという法ではないが、実践すればためになるものじゃ。
 実践によってその効果も確かめるのじゃ。

456名無しを整える。2018/10/17(水) 23:07:08.00ID:Q+55izf/
>>455
うむ。
修行は、意識的にあろうとすることでよいのでありますね。
一歩一歩に向ける意識でありますね。
理解がすすんだような気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

457名無しを整える。2018/10/18(木) 21:02:47.62ID:bwADlhBO
別館に、新スレたてたであります。

こちらも、スレ消滅まで読書会をつづけるであります。もしかすると、途中でおわるかもなのである。
では。

時の流れ
鈴木 大拙

「時」は流れると云ふ、それはどんな意味であるか、もとよりはつきりわからぬ。が、我々は普通さう云ふ、またさう考へて居る、何だかわからぬにしても、時を過去・現在・未来にわけると、その「流れ」は
過去から現在に、現在から未来へと云ふ塩梅に、どん/\流れて行くと云ふことになつて居る。
「時」を刻むと云ふ時計なるものがある。カチと響いてしまへば、それが過去で、カチ/\とやつて居るときが現在で、まだカチとも何とも云はぬときが未来だと云ふ。
併し少し考へて見ると、これほど曖昧なことはない。なぜかと云ふと、このカチなるものを捉へることほど困難なことはないのである。カチときくとき、それは既に過去であり、まだきかぬと云へばそれは未来で
ある。現在は過去が未来に転ぜんとする刹那がそれだと云ふが、その刹那はいつも移動性をもつて居る。アッと云ふ間もなく「刹那」はもうそこにないのである。現在ほど現実なものはないと云ひつつも、その現
在ほど捉へ難いものはない。捉へ「難い」ではなくて、その実は捉へ「能はぬ」である。現在が既にさうだとすれば、その現在を基点として、過去と未来とを語らんとする人間の考へは、極めて浮動性を帯びて居
ると云はなければならぬ。浮動性と云ふよりも寧ろ極めて抽象的だと云つてよい。現在・過去・・未来などと云つて、「時」を刻むのは人間の考への実際的便利の上から云ふので、その実これほど「事実」に即せ
ぬ、非具体的なものはないのである。

458鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/18(木) 22:44:21.60ID:KsLjXTUM
>>456 そうじゃ、常に気付いていることが肝心なのじゃ。
自分にも気付くようになるのじゃ。

時間も人の作り出した観念に過ぎないものじゃ。
本来は無いのじゃ。
変化していくものごとを説明するために作られた観念なのじゃ。
大拙もそれを語っているのじゃ。

459名無しを整える。2018/10/19(金) 06:18:32.66ID:KmK9rOqu
>>457
時の流れ 2
鈴木 大拙

「時」を空間的に翻訳して水の流れに喩へて見ると、何だか解つたやうでもあるが、その実、問題は益々迷路に入るのである。川上が過去で、川下が未来だと云ふことに見たいのであるが、「時」の未来なるもの
は、まだ出てこないのであるから、川の水を山の上からでも見るやうなわけに話することは出来ぬ。川と云へば、両岸に沿うて川床がある、その上を水が流れて、そこに「川」なるものが出来る。「時」にはそん
な川岸も川床も考へられない。而して又吾等は「時」なるものを川のやうに、「時」そのものから離れて、それを「時」の岸から見るわけに行かぬ。「時」の岸に上つて「時」の流れを見ると云ふときには、その
「時」は現実性を失つてしまふ。なぜかと云ふに、吾等はいつも「時」そのものの中に居るのである。過去・現在・未来の三世に「時」を切つたり、またその外で「時」の流れなるものを一つの連続体として眺め
ると云ふことは、「時」そのものと、何等の関係をもたぬ抽象体の話をして居ると云ふことになるのである。
「事実」と云ふことは、どんなことを云ふのか、はつきりわからぬやうでもあるが、「時」の事実は実に「時」そのものの中に
生きて居ると云ふことに外ならないのである。「時」そのものの中に生きて居ると云ふことは、「天上天下唯我独尊」と云ふことでなければならぬ。此独尊者が「時」を作つて行くのである。「時」は独尊者の生
きて行く痕跡なのである。「時」を此独尊者から離しては解せられぬのである。「時」は痕跡であるから、それのみを「事実」だと見て居ては、巨人の独尊者はもうそこには居ないのである。吾等の考への混雑は
実に此矛盾から始まると云ふべきであらう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

460鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/19(金) 22:57:36.32ID:GJOUCK7v
自我の記憶から時間という観念も生まれるというのじゃ。
今まで生きてきた経験が在るから時間も在ると認識するのじゃ。
記憶が時間をも成立させるのじゃ。

461名無しを整える。2018/10/20(土) 11:40:23.19ID:mFIvF+Hs
>>459
時の流れ 3
鈴木 大拙

 何が具体か何が抽象かと云ふことは、その人の考へ方、見方によりて相違すると思ふ。例へば、此処に一つの茶碗があると云ふ、又向うに雀が四羽電線の上に集まつて居ると云ふ。これほど具体的なはなしはな
いと考へられる。すべて感覚上の経験は具体的で、それが一旦思惟に上せられると抽象的になると云はれる。ところが、これが果してさうかと云ふに、此感覚上と云ふのが甚だ具体でないのである。独尊者その人
の動きからと云ふと、「此処」とか「其処」とか云つて、空間に区切りをつけたり、雀とか茶碗とか云つて「個」的限定をやることは、頗る抽象的なことなのである。こんな限定は独尊者の与かり知らぬところで
ある。即ち独尊者と云ふものから引き離して考へたところから、「此処」があり、雀が出るのである。雀と云ふ「個」は思惟を経た抽象体である。「此処」と云ふも同じ道理である。独尊者の本体は此処にも居な
ければ、雀でもないのである。それ故、彼は此処にも在り、彼処にも在り、雀でもあり、電線でもあり、ペンでもあり、何でもかでもあり得るのである。
 世間では独尊者は抽象的思惟の結果であると云ふ。併し、今一つの観点からすると、即ち雀と云ふも既に抽象的であると云ふ方面から見ると、独尊者と云ふものほど具体的なものはないのである。それで宗教者
ほど具体的世界に棲んで居るものはないと云へる。親鸞聖人など世間は虚仮で、何もかもそらごとであると云はれるが、実にその通りである。「虚仮」とか「そらごと」とか云ふのは、抽象的だと云ふ言葉に外な
らぬ。又世間では哲学者を抽象的概念の請負業者と見て居るものもあるやうだが、なるほど或る哲学者はさうだとも云へるであらうが、中には全くさうでないのもある。此見分けをするには、やはり独尊者を体認
したものでなければならぬのである。而して具体的なものほど普遍性をもつて居るのである。抽象性を帯びたものは、どこかに主観性を隠して居る。而して此主観性の故に一般的には受けとれないのである。自分
の考では、普通の人の見方を逆にせぬと、真実の世界――それが即ち最も具体的なるものであるが――、それへは入ることが出来ぬと云ふのである。これが出来ぬと、「思想善導」など云ふことはとても口にすべ
きでない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

462名無しを整える。2018/10/20(土) 11:46:04.38ID:mFIvF+Hs
>>461
独尊者とは、覚者=ブッタのことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

463佛教の超初心者2018/10/20(土) 15:46:43.63ID:W5yl7u/L


単純に時間の不可得性と即今脱落の話の事でしょ?

大袈裟なんだねw

464鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/20(土) 22:16:46.40ID:uRFo+Jfc
>>462 アートマンのようなものじゃ。
 未だ悟りを得ぬ者のうちにも在るものじゃ。
 時を作り出すので在るからのう。
 悟った者は時を作り出さないのじゃ。

465名無しを整える。2018/10/20(土) 23:15:43.76ID:mFIvF+Hs
>>464
なるへそ!へそのゴマであります!
鬼和尚、いつもありがとうであります。
よろしかったら、黄金の華 の方にも、たまにお越しください。
(´・(ェ)・`)つ

466名無しを整える。2018/10/21(日) 00:22:06.55ID:HrvfcOqa
鬼和尚、したらばの方にくまさんの新スレ立ってますよ。

467名無しを整える。2018/10/21(日) 09:07:53.10ID:6PFBcj/I
>>461
時の流れ 4
鈴木 大拙

「時」の流れに沿うて歴史が展開して行くと云ふことを聞くこともあるが、こんな無意味なことはないと思ふ。歴史と云ふものがあつて、時を流れるとは考へられぬ。
時は前述の如く、白紙を瀑布のやうに拡げて居て、そこを歴史が或る高処から落ちて来る。而してそれを吾等が見て居ると云ふものではないのである。
白紙を掛けたやうな「時」と云ふものは本よりないのである。さう考へるのは抽象の結果である。
随つて歴史が其上に何か跡づけて行くと云ふのは、本当の歴史の影を追つかけて飛びまはると同じである。
手に入れたと思ふのは抜殻に外ならぬ。そんな抜けがらを捉へて後生大事と心得て居るものに限つて、生きたものを死んだものに仕替へてしまふ。
即ち死骸のミイラを仏壇なり神殿なりに祭り込んで、その前に三拝九拝して、その中から後光の流れ出るのを待つて居る。
鰯の頭の信心よりまだ馬鹿げて居るのみならず、こんな手合ひに限つて、自分の抽象した干枯びたミイラの押売りをやらうとする。
自分だけの信心ならそれもさうで、別に他から何とも云はれず、またそれで趣きのあるものである。が、干物の押売をやる連中になると、その禍の及ぶところ誠に図り知るべからざるものがある。
 歴史の干物、「時」の影ぼふしを随喜渇仰して居る人々は、「過去」に膠着して一歩も前進し能はぬのである。干物はどうしても蘇息せぬ、影ぼふしはどうしても自分で動き出し能はぬ。
それ故、彼等には現在も未来もない、また主観を飛び越えるほどの元気もない。彼等はいつも過去の影を背負つて居るので、而してその影の重きに堪へ得ないので、過去をぬけ出て、現在にはひることが出来ぬ。
ましてそれから未来への飛躍を試みんとする意気に至りては、露ほどもない。本当の歴史は飛躍の連続である、非連続の連続である。
独尊者はいつも現在の刹那において過去から未来へ躍り出る。彼は現在の一刹那において黒暗暗の真只中を切り抜ける。此一飛躍の中で所謂る「過去の歴史」なるものが、溌剌たる生気を取り返すのである。
独尊者の巨歩は実に此の如く堂堂たるものである。何ものの閑人ぞ、敢て彼を干乾しにはせんとする。又何ものの「現実」主義者ぞ、彼を「過去」の棺桶の中に封じ去らんとする。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

468鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/21(日) 22:09:54.02ID:9L4oacuu
>>465>>466 行って見るのじゃ。

469名無しを整える。2018/10/22(月) 06:48:47.42ID:Cb0x4iHx
>>467
時の流れ 5
鈴木 大拙

 独尊者は「時」の流れに順はぬ、「時」の中に居ない。「時」は却つて彼の跡を逐ふのである。彼あるが故に「時」がある。彼の動くあとに「時」がのこるのである。
彼には固より「時」をのこす意図も何もない、彼ほど現実の具体者はない。抽象せられた「時」なるものは彼を何ともすることが出来ぬ。彼の後へにくつついてまはつて居る。彼に追ひつかんといくらあせつても
、彼はいつも「時」よりも一歩前進して居る。彼は「時」を使ふが、「時」は彼を使ひ得ぬ。昔趙州禅師は「諸人は十二時に使はれて居るが自分は十二時を使つて居る」と云つたが、その通りである。趙州は独尊
者であつた。これが臨済の、「随処に主となる」である。別に何かのはからひがあつて、主人公となると云ふのではない。「自然法爾」底なのである。人間的に「主」とか「客」とか云ふが、独尊者の方からはそ
んなものはない。孤行独往である。それを人間――「時」――が跡から跡からと逐ひまはる。而してそれを「歴史」と云つて、それに一所懸命にくひ下つて居る。彼等は「時」の流れに溺れるものである。
 独尊者とか、主人公とか、独往などと云ふと、世間で云ふ自我主義者又は専制家又は暴力団などを聯想するかも知れぬが、これほど甚しい誤解はないのである。
殊に近来は「力」哲学が盛んに宣伝せられて居る。力の前にはすべてのものが懾服しなければならぬやうに仕向けられて来た。それから此種の宣伝に乗じて、各種の暴力主義が謳歌せられて居る、又実行せられて
居る。併し此ほど危険な思想と現実はないのである。これが何年か続けば、国は亡びてしまふ、民族は衰へてしまふ。誠に寒心すべきである。

 歴史を解するには「時」を知らなければならぬ。「時」を知るには、多少かの思索・反省・分析が必要である。併し只それだけではいけない。思惟から直観へはひらねばならぬ。
即ち独尊者の実体を把握しなければならぬ、最も具体的か最も真実的で最後的なものを把握しなければならぬ。その時、「時」の流れと云ふことの意味に徹底し得られる。即ち本当に生きて行けると自分は信ずる。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

470鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/22(月) 19:21:56.52ID:7ybubiMN
みつからなかったのじゃ。
おかしなことじゃ。

471名無しを整える。2018/10/22(月) 19:33:31.57ID:oORbRlU7
鬼和尚の仏教購読会 別館
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/8-n

どうでしょうか?

472名無しを整える。2018/10/22(月) 20:29:01.15ID:Cb0x4iHx
>>471
   , - ,----、
  (U(   )
  | |∨T∨
  (__)_)
ありがとうであります。

473名無しを整える。2018/10/23(火) 07:20:29.11ID:VTpVov2z
釈宗演師を語る
鈴木大拙1

 今年の夏、米国シカゴ市で万国博覧会を開くその序ついでに、万国宗教大会を催すと云う計劃けいかくがあったと聞く。併しかしそれは中止になったらしい。その理由の一として、もしそんな大会を開くと、今
から四十年前に同じ市で同じ会合があった時のように、東方からの宗教者に宣伝の好機会を与え、藪から蛇をつつき出すことになる、而しかしてそれは基督キリスト教徒にとって好都合のことではないと、こう云
うのが一の理由となって中止せられたものだと、或る人は云って居た。こんな理由もあったかも知れぬ。何故かと云うに、吠檀多ヴェーダンタ教や仏教など云う東方の教えが米国に入り込んだのは、実に印度や日
本の人々が宗教大会に大いに気焔を吐いた、その時からのことである。釈宗演師などの名が米国に伝わり、又再度の渡航を促すようになったのは、実にその因縁をこの時に結んだのである。
 不思議な因縁で、自分の渡米もこの時に出来たのである。仏教のうちでも禅が割合に英米に知れて来たのも、やはりその機はこの時から熟し始めたのである。それで今釈宗演師につきて語らんとするに当り、自
分の想は自然に今度計劃せられた宗教大会から四十年前の大会に溯るわけである。
 宗演師はその頃既に多少英語を解して居られたけれど、大したことではなかった。自分の英語も怪しいものであったけれど、それでも何かの助けになった。大会のプログラムを談じたり、講演の草稿をこしらえ
たり、往復の手紙を書いたりなどした。今から見ると、どんな事をやったか、随分冷汗をかくような事をやったに違いない。宗演師講演の英訳を了おえて、それを当時円覚寺内の帰源院に来て居られた夏目漱石さ
んに見てもらったことを覚えて居る。元良もとら先生も、その時居られたかと思う。
 とに角、この大会が縁になって、米国のケーラス博士は『仏陀の福音』と云うものを書いた。これが不思議にも欧米によく売れた。ケーラスは随分沢山色々の書物を書いたが、今でも売れる本は『仏陀の福音』
だけである。彼の名はこれで不朽になるであろう。自分はこの書を和訳した。それから、大会のプログラムによりて、自分は又また『新宗教論』と云う一著述をやった。
 余宗は知らぬが、こんな大会に臨済宗の管長で師家であったものが単身出かけるなど云うことは、破天荒の事であった。それで宗演師の渡米に反対するものも、可なりあったのは事実だ。併し師は敢然として外
遊することに決心して、著著その準備を進めた。今では禅坊さんの外国行は何でもないが、時勢も変れば変るもの。但しその始めをなす人には、可なりの決意と先見とが必要である。この点から見ても、宗演師に
は時代から一歩先んずるだけの見識と実行力があったわけである。その当時、師はまだ三十を越ゆること四、五を出でぬと思う(今年代記を持ち合わせて居ないし、その上自分は殊に時の観念に乏しいので、歴史
的記述は何時も無茶苦茶である。乞御諒察)。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

474鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/23(火) 23:02:31.58ID:pNxsBj4V
>>471 ご苦労さんなのじゃ。
 行ってみたのじゃ。

475名無しを整える。2018/10/24(水) 04:58:19.06ID:YiNn80E3
>>473
釈宗演師を語る2
鈴木大拙

 その頃平井金三ひらいきんぞうと云う人がシカゴ市に居て、大会では仏教のために大雄弁を振ったと聞いて居る、何でも英語に堪能であったと見える。印度からはヴィヴェカナンダと云う吠檀多教の大立者が来
て、この人が大会の花形役者であった。今時の米国基教者は、この人のようなものが、又大会に乗り込んで来るかと心配して居るのだ。印度人は語学の天才で、雄弁・高論をやる、その上印度思想の幽遠なところ
を滔滔とうとうとしゃべり立てたので、基教の外、世界に何の宗教もないと思って居たものにとっては、千年の夢一時に醒めたと云う塩梅であったに違いない。仏教者はそれほどに光彩を放たなかったが、今まで
の基教的伝統・因襲に飽きたらず居たものは、喜んで仏教に耳を欹そばだてたのである。宗演師の一行は、シカゴ市附近の富豪で、又思想界の趨向に興味を持って居たヘグラー翁に招かれ、その家にしばらく滞在
して、宗教上の問答をやった。固もとより師などは余り語学がいけないので、相手役は平井氏が主として勤めたが、言葉の上よりも、人格の上で一段の威圧を感ぜしめたのは、宗演師であったらしい。それは自分
が渡米してからも、何時までもその人々の口に上ったからである。これに言葉が自由に出来たら、中々面白き事もあったろうと思う。とに角これが機会となって、ケーラス氏をして『仏陀の福音』を書かしめたこ
とは、大なる収穫であった。
 宗演師は人を包容するだけの器量を備えて居られた、即ち人をして出来るだけその力を延ばさしめられた。自分等でも、喜んでその能を尽さんとの決心をしたものである。親切でよく人の世話をせられたけれど
、干渉がましいことは少しもしなかった。他を信じすぎられたかと思われさえもした。自分の力ではどうかと危ぶむことでも、平気で、「やれ」と命ぜられた、そう云われると、何だか今まで無い自信までついて
来ることもあった。
 こんな風にして弟子を育てられたものと見える。併し自分等は俗人でもあった故か、そんなに叱られたこともなかったが、植村などは随分ひどくやられたと思われた。植村定造と云うのは、始め自分等と一緒に
学生として参禅したものだ。ところが、大学を出てから植村は坊さんになった。老師の弟子になって宗光と命名せられた。自分が在米十余年間に一廉の人物に仕上げられたらしい。その間の生活は知らなかったが
、老師が再度の渡米の時洩らされた述懐談で、その模様の大体を知り得た。宗光の亡くなったのは、宗演師にとりて非常の打撃であった。彼もし今日に生きて居たなら、一方の宗匠として、何かやり得たと思う。
他のお師家さん達や管長さん等のように、妙に納まりこんで、「吾こそは三界の大尊師でござる」と云って居ることはなかかろうと信ずる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

476名無しを整える。2018/10/25(木) 07:23:23.65ID:6zs4wAut
>>475
 話は横に入ったが、植村宗光は、日露戦争が休戦の仮条約を締結したその次の日に戦死したのである。彼は予備少尉か中尉であったので、戦争に呼び出された。戦争も大分進んで居た頃なので、新参の士官など
は古参のものにいじめられたそうだ。それで馬賊の指揮の方へまわされて、正規の戦闘よりも、間道へ間道へと進んで行った。これが早く休戦の報に接する機を失した所以だ。その頃東京の自分へ送った手紙には
、「直宗光」と云う赤い大きな名刺を添えて、実戦に処した経験などを審つまびらかに云って来た。通化附近の戦に股を射貫かれて倒れ、遂に捕虜となったらしい。それから先は、どうしても分明でない。その筋
も手を尽したが、どうも通化あたりで銃殺せられたらしい。その報知が在米の宗演師の手許に来たのだ。
 もう休戦にもなったから植村も除隊で渡米して来るかも知れぬなどと、互に噂して喜んで居た矢先、宗光戦死の知らせ。その時の老師の落胆の模様は今でも目に浮ぶようだ。「死んではもう万事休す」だと云わ
れた時、自分も旧友を懐おもうて悵然ちょうぜんたらざるを得なかった。丁度夕方頃で、太平洋沿岸の一室、落莫たる大海原に対して憮然ぶぜん久之の光景、誠に気の毒であった。その後老師の洩らされた言葉に
、「こんなに死んで行くなら、あれほどにしなくても善かったのに」と云うのである。その意味は、「あれまでに強く痛棒を加えて、無慈悲と思われるほど鍛錬の力を加えなくてもよかった、可哀相なことした」
と云う心である。植村は中年で僧侶になったもの故、殊に目をかけて、我慢の角を矯め、且つ他時異日たじいじつの発展を期せんとて、痛く鉗鎚けんついを加えられたものと見える。それでこの長歎息ちょうたん
そくがあったわけだ。親が子供に対すると同じ情熱の気分が見える。宗演師は一個の禅僧として、意志強く、又世を浮雲の如く見て行く、所謂いわゆるお悟りの人のように思われもしたであろうが、その実、情の
人であった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

477名無しを整える。2018/10/26(金) 02:40:20.46ID:/NSX7I9Y
>>476
釈宗演師を語る4
鈴木大拙

 情の話をすると、こんなことがあった。或る時、若い婦人(と思う)が早世した。その葬式に臨んで、不図ふと師は涕泣ていきゅうした。傍人はこれを怪しんで、「世捨人にも亦これあるか」と云う。このこと
を師は後からわしらに話して、「世間では禅坊主はまるで人間でないと思って居るらしい」と云って居られた。
 宮崎虎之助みやざきとらのすけは、「予言者」として飛びあるいた、妙な宗教者であった。わしの所へ尋ねて来て、これから東慶寺へ行くから紹介せよと云う。宗演師に会って、色々と自分の不遇・不幸を訴え
たと見える、即ち或る宗教者は有福なブル的生活をして居るのに、自分は轗軻かんか不遇、今日の衣食にすら窮すると云う不平であったらしい。これは後から老師から聞いたのである。その時老師は、「そんな不
平があっては、まだ真の予言者にはなれぬ、今一段の修行を要する。併し実際問題として、衣食に窮してはお困りだろう」と云って、老師は信者の喜捨金一包をそのまま与えて別れられたことがある。宮崎君のよ
うな宗教家は時々見付かる。一種の体験はあるが、知性の発達が、これに伴って居ないので、事物全般の展望が欠けて居る、それで畸形児的なものに成って仕舞う。一寸書き加えておく。
 野田大塊居士が、野人そのままの風采で、、円覚寺から下りて来て、向いの松ヶ岡へ行かれるのに、時々出くわしたことがある。呼ばれて東慶寺で一緒に話したこともある。少し出過ぎたかも知れぬが、或る日
老師に、「野田と云う人は、所謂る昔風の豪傑で、枝大葉そしたいよう、今日の政治家に適して居るか、どうです」と云った。すると老師は、「いや、ああ見えても、中々秩序の立ったよい頭を持って居る」とて
、深く推奨せられたことを覚えて居る。
 又或る時、円覚寺中興の祖、誠拙せいせつ和尚に「大用国師」の追諡ついしがあった時、わしは又出過ぎたことを云ったことがある、「今日の坊さんは、国師号を戴くことや、寺を建てたり、法事をしたりする
ことに、骨を折ってばかり居る。もっと建設的な仕事をやらぬと、仏教や禅道の将来は思いやられる」と。こう云った時、老師は何時ものようには何の意見も吐かれず、黙して居られた。寺を建てること、法事の
ことなどにつきての老師の意見は多少知って居るが、今度は国師号のことを附け加えて愚見を吐いたので、「予が現に報いんとする切情を知らぬ、この馬鹿奴」とでも思われて、沈黙を守られたかと、まあ今はそ
う考えて居る。
 宗演師は六十一にならんとして逝かれた。今日生きて居られぬ齢でもない。居られると、有難い高僧であったろう。折に触れて逝かれた人を思うこと誠に切なるものがある。学生時代から、金がなければ金を貰
い、智慧が足りなければ智慧を借り、徳が薄いところ、気のきかぬところは、その時々に補って貰い、亡くなられるまで面倒をかけたその人と、相別れて既に十五年(?)ほどになる。
 師は誰にでも情の厚い人であったが、自分から見ると殊にそんなように感ずる、これは人情の常であろう。
 今日師を語らんとして、ただ思い出すことの一片を書き付くると、何時とはなしに
、私情を語るようになった。読者の寛恕を乞う。
(三月三十一日、円覚寺、春雨に閉籠められて記す。)

(´・(ェ)・`)
(おわり)

478名無しを整える。2018/10/27(土) 09:48:15.21ID:196wGA8V
>>477
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 昔は方外の友などといえば、面白い聯想もあったものである。勿論もちろん近代といえども、僧侶殊に禅僧については、尚なお従来の伝説やら歴史やら挿話などが、くっついているので、わしらも審美的に方外
の友に対して一種の興味を有っていることは事実である。併しこんな趣味がいつまでも続いて行くのがよくないのかも知れぬ、所謂いわゆる中古的骨董的趣味とでもいうべきもので、進化の歴史からは、こんな低
徊主義は自ら亡びて行くのが本当かも知れぬ。今日の多くの禅僧達には

楊岐乍住屋壁疎  楊岐ようぎ乍はじめて住するや屋壁おくへき疎まばらにして
満床皆布雪真珠  満床まんしょう皆な布しく雪ゆきの真珠しんじゅ
縮却項暗嗟吁   項くびを縮却ちぢめ暗ひそかに嗟吁さうし
翻憶古人樹下居  翻ひるがえって憶おもう古人こじんの樹下じゅげに居せしを
(『楊岐法会語録』)

などと貧乏に安んずる清僧も余りないようであり、又

摧残枯木倚寒林  摧残さいざんせる枯木こぼく寒林に倚より
幾度逢春不変心  幾度いくたびか春に逢うも心を変えず
樵客遇之猶不顧  樵客しょうかく之に遇うも猶お顧かえりみず
郢人那得苦追尋  郢人えいひと那なんぞ苦しきりに追尋ついじんするを得ん
(『景徳伝燈録』巻七大梅法常章)

というような風流気のある仙僧も見受けぬようである。これに反して日曜学校をたてたり、病院をこしらえたり、孤児院の世話をしたり、小学校や中学校を経営するものは、そこここに見当らぬこともない、これ
が禅僧の時勢に適しいやり方なのであろうか。
女房もあり子供もあり、葷酒はいうに及ばず肉食も勝手にやるようになった今日では、禅僧について居た古来の聯想や歴史を全く棄てて、当世風になるのが、所謂る和光同塵の精神かも知れぬ。併しかしわしらは
今日までも尚なお禅僧の君等を方外の友人として見たいのである。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

479名無しを整える。2018/10/28(日) 05:11:45.03ID:zgNaECcQ
>>478
僧堂教育論
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 中学時代から世話してやった大学の学生がこの頃遊びに来ると、曰く、もう三十以上の人間は今時駄目である、古い頭では何にもならぬと。わしらは三十どころでないのであるから、頭も最も古い方々に属する
。そのせいか知らぬが、禅僧などに対する趣味は尤もっとも古臭い。殊に工業主義、器械主義、商売主義のみ横行する今日のような世界に、昔気質の禅僧が一人や二人、出来るなら、日本全国に百人ばかり居てく
れたらと思うこと屡しばしばである。貧乏寺でも何でも構わぬが、孤貧を守りて金力に屈せぬ坊さんがいると如何にも愉快に感ずる。大臣だとか華族だとかいえば、慇懃いんぎんを尽くすというような阿附主義で
ない坊さんがいると如何にも溜飲が下がる。枯淡な生活に安んじて、如何にも古禅僧を憶うというような坊さんに出遇うと、何か知らず有りがたくなる。如何にも消極的ではあろうが、そこに不思議に人を引きつ
ける力がある。自分が権力を憚はばかり、金力を恐れねばならぬ境遇にいるからの事でもあろう、君等の禅僧の地位が羨ましい。この期待を裏切る坊さんがいると、それだけ癪しゃくにさわるわけであるが、それ
は余り多くを坊さんに望むからのことであろう。それはとに角として、世間には自分たちのような理想を禅僧の上に懸けて居る人がないでもなかろう。趣味の新古は別として、わしらは保守主義の上にも一種の審
美感を有っているのは事実である。これは田舎の爺さんにちょん髷まげを望むのと少しは違うと思う、強いて言えば、角力取すもうとりの髷をそのままに保存したいと思う位かも知れず。併し予自身にとりては、
保守主義の古禅僧にはそれどころでない、もっともっと意義ある何かが著いているように思う。
 処ところが、今日の禅宗には段々に古いところがなくなって、どこに禅宗の禅宗たるところがあるのか分からなくなって仕舞った。お経のよみかたが違い、お経が違い、儀式が違い、お寺の構造が違い、衣や袈
裟が違う、それだけで禅宗の特色が出るものなら、五山も十刹も、片端しからつぶして、それを皆真宗に代えたらよい。真宗にも制度の上や歴史の上などで随分変更させなくてはならぬものもあるはあるが、日本
に発達した仏教、民衆の宗教としては、禅宗などより真宗の方が余程力がある。禅は余りに貴族的で、選ばれたものだけの宗教であるが、真宗には誰人をも包摂する力がある。禅刹をみな真宗に改めるも亦また妙
ではないか、肉食妻帯お構いなしの処などは、今時の禅坊さんの尤も歓迎するところである。それはそうとして、予が始めから述べたいと思うところは僧堂教育なのである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

480名無しを整える。2018/10/29(月) 06:00:30.83ID:pHb3VOsB
>>479
僧堂教育論 (つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 禅宗にはどこにも禅の特色として見るべきものがない、今日の処、禅は一派の宗旨としては、亡滅の悲運を期するより外にないと云うてよい。それにしても何とかして救いたきはその教育法である。その中に始
めから居るものは、こんなものなどと云うかも知れぬが、予等の如き俗人にとりては、僧堂教育の精神ほど有り難いものはないのである。予自身の歴史から見て、僅かの年月ではあるけれども、僧堂のご飯を食べ
たと云うことが、どれほど予が徳性の上に影響を及ぼしたかわからぬ。今でもその時代のことを思い出しては有り難いと感謝して居る。こんな因縁だけでも、予は禅に対して報恩底のことを何か為なくてはならぬ
と思わざるを得ぬのである。その時代の人で下らぬ坊さんも居たとは思うが、それでも今日一方に割拠して既墜きついの真風を振い起さんとして居る人もないではない。禅宗の命脈は現時のお寺様の上に亡びて、
僧堂のうちに繋がれて行くのである。所謂る和尚さまなるものの上には、弥いやが上うえに痛棒を加えておいてよいが、禅堂の組織と精神の上には何とかして行末絶えざる栄光あれと祈るのである。
 殊に僧堂教育の精神が現時日本の学校教育の痛処に針を下すが如き趣があるので、これはどうしても守り立てなくてはならぬ、今のままでは勿論よくあるまい。もっと閑があり、金があったら、シナへ行って僧
堂の現状から、その地における歴史、それから日本僧堂の沿革などを調べて見たら、何か現時の精神教育に裨益ひえきすることもあると信ずる。今は自身の経験から見た特徴の最も尊ぶべきを二、三述べたいと思
う。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

まもなく、落ちそうである。
落ちたら、青空文庫でつづきをどうぞ!

481名無しを整える。2018/10/30(火) 08:20:57.68ID:aJG/qZmC
>>480
僧堂教育論(つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 禅堂教育で予の最も喜ぶところはその実地的なるところに在る。人生の実際について直ちに品性の陶冶とうやをやるところが教育になるのである。近頃米国あたりの新教育主義に“Learning by doing”と云う
事がある、それは勿論知識修得の上の話である。固もとより知識修得がやがて品性陶冶になるので、所謂る智育と徳育とは一つになって行なわれるのである、が、新教育主義の眼目は知識を実地経験の上に獲得し
ようとする処に在る。僧堂教育はこれを直ちに品性修養の上に実習するのである。「一日不作一日不食」というた百丈の精神は経済的であったか、今日の所謂る共産主義者の心持であったかどうか、それはわから
ぬとしても、日日の作務普請によりて、禅の力を実地の上に鍛錬することは、禅堂の特色である。大衆が自営主義を実行するのは貧乏のためだけではない、この貧乏で一物いちもつ不将来ふしょうらいの所が又有
り難いのであるが、とに角経済の上には托鉢をやり田作りをやり薪拾いをやらねばならぬ。それをやる所に空想妄想の発生を自ら防ぐ途が開けて来る。そうしてその中から水を汲み柴を搬はこぶ即ち是れ神通妙用
じんずうみょうゆうという智慧が湧き出る。かくの如くにして湧き出たものでないと、所謂る学校の卒業生のようで煩悶とかいうものに囚われて仕舞う。何だか理窟はいうても、手や足が言うことを聞かぬ。覚え
た理窟は概念で抽象性を帯びているから具体の実地界へ来るとまごつかざるを得ぬ。これを禅坊さんの如何にも甲斐々々しいのに比べると話にならぬ。実地の訓練をへぬと物にならぬ。日本近時の学校教育が形式
にばかりなって働きがないのは、つまり僧堂教育の精神がかけているからである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

482名無しを整える。2018/11/04(日) 10:21:41.82ID:sMyUToME
【炎の講演家】鴨頭嘉人【稀代の天才】
http://itest.5ch.net/fate/test/read.cgi/keihatsu/1541292729

483名無しを整える。2018/11/17(土) 11:10:06.89ID:fLI40mer
>>481
僧堂教育論(つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 第一学校で時間を定めて、朝八時から午後二時か三時まで、何を教え、何を習うというのが間違である。こんな稽古はまず跡まわしにして学校では実地の仕事を先きにやる。学校の掃除、器具の手入れは勿論、
賄まかないもやる、草取りもやる、運動場の設備もやる、その町々の衛生的経営実施もやる、村の道普請もやる、殖林もやる、校舎の増築もやる、電車の軌道も築き上げる、耕作もやる、下水の疎通もやる、園丁
にもなる、小使にもなる、使あるきをやる、その外人生社会に必須な仕事は何でもやる、必要なる専門家の指揮の下でこれをやる。これを午前午後の日課にする、或は一日の授業がこれで済んでもよい。
何十人か何百人かの学生が手を分けて毎日一定の時間だけこんな塩梅になって行けば、学校のある附近の町々は、余程文明的施設に富むことになるに相違ない。
勿論もちろんこれをやるには今日の学校の組織では出来ぬ。根本の主義が違うからである。市の原則、即ち実行によりて学習するという原則を本とした教育法は、又別個の問題として深く実地的に考えて見ねばなるまい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
落ちたら、青空文庫へ

484名無しを整える。2018/11/18(日) 10:02:34.98ID:00Jr3zD3
僧堂教育論(つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 とに角、禅堂教育の主眼は実地主義であるから従来の慣習を今少し拡張して、禅堂所在の村々に対して何か社会的計画をやることにまで歩を進めたらどんなものか知らぬ。
雲水の大衆は僧堂に何年かいるものとして、その幾年かの一分を社会的奉仕に用うる。
本山における事業を扶たすけるのみでなく、又村の葬式をやるだけでなく、前の川が雨で崩れたらそれも直す、道路の修繕も、小作もやる、村の若いものの夜学や日曜日の稽古や遊びなども指導してやる、村に図
書館のようなものでも建てる世話をしてやる、悪い顕俗を矯ためてやる、屋根葺やねふきも手伝ってやる、必要なら車も引く、馬を追う、何でも社会的生活に大切なこと、これを向上するようなことには、大衆の
手を貸してやる。
そうしてそれに対する報酬は、相手の随意にしておく、而して師家を助けて行く評席格の人々は、是等の奉仕者を監督し、激励して行く、僧堂教育の精神をよく発揮するように世話してやる。
 こんな塩梅に実地に修行して行くと六、七年の後には、世間の経験に習熟した禅坊主さんの幾許いくばくかが毎年社会に出て行くことになる。
こんな人々が自分の寺に帰ると、直ちに肉食妻帯の和尚さん又は葬式屋さんにはならずして、その村々のために文化的施設をやろうと思う、自己の向上のために益学問でもやろうと思う人々が出来る。
僧堂卒業の人が皆こうなるではなかろうが、何分の一かがかくの如くなって行けば、十年五十年の後、可なりの人類が日本に出来るようになるに相違ない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
落ちたら、青空文庫へ

485名無しを整える。2018/11/19(月) 07:02:54.69ID:jq5Ij3Yy
僧堂教育論(つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 封建時代の僧堂を出た人は、在堂の間に色々の事を修得した、単に労作的の事だけでなく、趣味的文化的修養さえもやった。詩文の一つも出来るのみならず、坐作進退などの諸儀式も習った。刀のぬきかた、槍
の使い方さえも心得る、その外随分さまざまの芸をやった。
昔しの坊様は社会的に有用家人であった、人を教うる資格があった。
今日は封建の時代と違い、吾々の理想は遥かに広く高くなった。従ってそれに相応した実地の教育が僧堂に行われてもよいと思う。
近頃一燈園の評判が高い、善悪の批評はあるが、又一種の試みである。とに角、これに入り来るものが相当にある処を見ると、ある種の希望を満足させるものと見ねばならぬ。
奉仕のあとが近代的でなく、又如何にも消極的で、退嬰たいえい主義のところがあるのは、まったく欠点であるというて可い。
 禅宗の坊さんが只冥想にのみ耽けらずに勤労に服すると云う教育はどこまでも保存しなくてはならぬ。
百丈が「一日作さざれば」の精神を、経済的にだけでなく、寧ろ宗教的に解して、これを禅堂の根本主義に、いつまでも、しておきたいものである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
落ちたら、青空文庫へ

486名無しを整える。2018/11/20(火) 06:11:34.82ID:ZBT+MzXF
僧堂教育論(つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 実行によりて学習すと云う精神と相並びて大切なのは陰徳を重んずることである。
これはシナから伝来した禅風かどうかは知らぬが、禅堂生活の第一義としてこの「左の手でした事を右の手に知らせない」と云う道徳は、是亦また誠に有り難いことである。
世間的道徳律をのみ見て居た青年の自分が禅堂に入りてこの陰徳主義を教えられたとき、これは誠に有り難いことであると思うた。何でもないようなことであるが、わしらの頃には、禅堂で朝起きて面なり手なり
を洗う水の如何にも少なかったことである。普通手洗水鉢に備えてある手杓の三分一ほどの手製のものがあった、それで汲み得る水で面を洗うのである。又それで口を嗽すすぐのである。猫の顔を洗うような塩梅
であった。なぜそんなことをするのかと聞けば、陰徳をつむのである。天与のものを無駄使いせぬのであると云われた。
そこにどんどん水が出て居てもそれである。その時私は思うた。成程そうである。われらは天与のものを乱用アビユースする権利はない。太陽は正直なものの上にも、不正直なものの上にも照ると云うが、われら
から見ればその照るのが有り難いのである、勿体もったいないのである、この勿体ないと云う事が宗教の精神である。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
落ちたら、青空文庫へ

487名無しを整える。2018/11/21(水) 06:42:54.51ID:8dU7ryKD
>>486
僧堂教育論(つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

禅宗では人を人とも思わぬようなことをやるが、それでもこの勿体ないと云う心、与えられたものを無暗むやみに使い尽さぬと云う心がなかったら、多くの禅坊さんは皆箭やより速かに地獄へ堕つることであろう
。この主義を推して行くと中々種々の事の上に応用せられる、今一々これを説くわけにゆかぬが、どうしてもこの勿体ないという心持が何事につけてもなくては十年二十年の修行も全く無用である。陰徳をつむと
いう処に語弊はある。が、勿体ない、有り難いという心には、誠に尊むべき宗教心の閃めきが仰がれる、禅の修行もこれを目当にしなくてはならぬ。一向宗の人は何かいうと「有り難うございます」という、口癖といえばそれまでであるが、ここに留意す
べき心念がある。基教の人は謙遜ヒュミリティーという、その心持は「有り難い」と同じであろう。どの教でも究竟はここへ来ることではないかしらん。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
落ちたら、青空文庫へ

488名無しを整える。2018/11/22(木) 03:57:57.98ID:lR9c4m5i
僧堂教育論(つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 この「有り難い」を禅堂教育の中心主義としたい。これは義務心だとか権利だとかいうのではない。只何故とも知らずに「涕涙ているいこぼるる」である。こうなると報酬の念が出なくなる。近代文化の大禍害
を癒やし得る最上の良薬はこの無報酬の念でなくてはならぬ。
何かというに、今日吾等の文明が吾等の精神の上に加えた最も罪深い仕業は、何事をも金銭で勘定をつけるということである。
如何なるものも何かの代金で買われるという考え、これが近代文明の一切の悪事の基本的概念なりである。
あれはいくらの収入がある、いくらの財産を持って居るなどいうことが、すべての人の上下貴賤を批判する唯一の標準になって仕舞った。何でもかでも金銭でその価値を定めるというのである。
是れは如何にも賤しい考である。どうしてもこの考から超越しなければ、本当の精神的価値は出て来ぬ。
世間の学校では形式的の忠孝主義や愛国心の鼓吹をやったけれども、これには亦時代錯誤の処もある。
これからは人間の真個の価値というものを目当てにして、これを完成するようにしなくてはならぬ。そうして之をするには無功用主義の道徳をその根本から闡明せんめいするということが先ず第一である。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
落ちたら、青空文庫へ

489名無しを整える。2018/11/23(金) 08:22:05.45ID:W/xBF/bL
僧堂教育論(つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 何でも金銭で勘定することになると、金持ちが一番えらくなる、これが今日の趨勢である。
あれは何百万円出したとか、家屋や庭園を公共用に提出したとか云うと、新聞などは大騒ぎをやる、如何にも馬鹿げた話しである。
わしらは金こそ提供しない、地面こそ寄附しない、そんなものは始めからないのである。
併しわしらは自分の持って居る力を日々提供して居る。少しの学問でもあれば、それを奉仕の用に使う、読書の力、文章の力、思索の力、何でも有るものは悉ことごとく公衆のため文化促進のために使って居る。
そうして是等は金銭で換算せられて居らぬ、その実は換算出来ぬのである。
禅堂の師家など如何にも無報酬労働主義を体験して居らるる、えらいものである。
その労働を資本主義家の金にしたらどの位になるか知れぬ。数字に直して何十とか何百とか云えば、世間の盲目漢はきょろきょろする、如何にも見苦しい。
共産主義の人々は此等俗人の俗見に倦あいて来た、それでこれを経済的見地から改造しようと思うのである。
併し見地が経済的水準を出ない以上は、何処かに欠陥が現われないでは止まぬ。そうしてその欠陥が以前のより更に大なるかも知れぬ。
どうしても考を経済学以上の処まで上げなくてはいけない。それをなし得るのは、宗教の力、殊に僧堂の如き教育組織の下で成就すると信ずる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
落ちたら、青空文庫へ

490名無しを整える。2018/11/24(土) 01:01:37.08ID:2QZoz2jB
僧堂教育論(つづき)
――禅僧の友人に与う――
鈴木大拙

 今日の僧堂教育は種々な方面から改造を要することであろう。
それはその局に当るものが深く考えたら何か名案が出るに相違ない。
只わしらの大おおいに当局者に頼みたいことは、上来じょうらいほんの大体だけを述べた陰徳と労力主義との二つを教育の中心にして万端の施設をそれから割出して欲しいと云うことである。
この二つは何れも今日の教育の弊を矯めるの最も有効なる原則である。
これが昔しから僧堂に伝わって来たと云うことは、吾等の祖師に対して大に感謝すべきところなのである。
恐らくは予が禅僧に対する保守的趣味の根元を分析して見ると此等両個の原理に対するあこがれが現われ出るも知れぬ。
近頃そこらあたりに、いくつとなくごろごろして居る禅寺の坊さんに対する嫌悪の念、又その中に二、三今尚古風を標榜して居らる禅僧に対する欣幸きんこうの念、この二つの正反対の感じが、わしら俗人どもの
胸に往来するのは、単に保守主義に対する審美感より出るのではないかも知れぬ。
もっと深いところに何かあるのであろう。吾等の宗教的意識は近代化した禅宗だけでは、何としても、満足することが出来ぬのである。
 尚君に書きつけて送りたいこともあるが、余り暑いのにと思うて又次の折を待つことにする。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

491名無しを整える。2018/11/24(土) 07:52:42.91ID:2QZoz2jB
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経)

わたしはこのように聞きました。

ある時期、ブッダは クル国 のカンマーサッダンマという町に滞在していました。
ある日ブッダは「修行者たちよ」と声をかけられました。
「はい、尊者よ」と修行者たちが返事をすると、ブッダは次のように説き始められました。
たった一本の道があります。
その道とは、生きているものを清らかにする道です。
悲しみや嘆きを乗り越える道です。
肉体的苦痛や精神的苦痛を終わらせる 道です。
正しい道 を見つけ、ニルヴァーナ を実現する道です。
そのたった一本の道とは、四つの サティパッターナ です。
この四つとはそれぞれ何でしょう。
身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない と気を抜くことなく、きちんと理解し、心に留めます。
そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。

感覚 は感覚にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない と気を抜くことなく、きちんと理解し、心に留めます。
そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。

心は心にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない と気を抜くことなく、きちんと理解し、心に留めます。
そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。

心の中味 は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない と気を抜くことなく、きちんと理解し、心に留めます。
そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
(わたしはこのように聞きました 了)
(´・(ェ)・`)つ

492名無しを整える。2018/11/25(日) 08:29:21.68ID:84qwfDLe
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
1. 息を吐く・息を吸う

では、どうすれば、身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない といつも感じて生きることができるでしょう。

森に行き、樹の下か、誰もいない静かな場所で脚を組み、背筋を伸ばして座り、深い気づきをその対象に向けます。
そして、研ぎ澄まされた深い気づきで、息を吸い、息を吐きます。
長く息を吸う時には 「長く息を吸っている」 と自覚します。
長く息を吐いている時には 「長く息を吐いている」 と自覚します。
短く息を吸う時には 「短く息を吸っている」 と自覚します。
短く息を吐いている時には 「短く息を吐いている」 と自覚します。
「呼吸する身体全体を感じながら、息を吸おう」 このように訓練します。
「呼吸する身体全体を感じながら、息を吐こう」 このように訓練します。
「呼吸を静めながら、息を吸おう」 このように訓練します。
「呼吸を静めながら、息を吐こう」 このように訓練します。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

493名無しを整える。2018/11/26(月) 06:50:14.16ID:J5c85IAe
>>492
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
1. 息を吐く・息を吸う(つづき)

熟練の轆轤 (ろくろ) 匠にしてもその弟子にしても、轆轤 (ろくろ) の紐を長く引く時には 「長く引いている」 と自覚しています。短く引く時には 「短く引いている」 と自覚しています。
そのように、修行者も長く息を吸う時には 「長く息を吸っている」 と自覚し、長く息を吐く時には 「長く息を吐いている」 と自覚するのです。
短く息を吸う時には 「短く息を吸っている」 と自覚し、短く息を吐いている時には 「短く息を吐いている」 と自覚するのです。
「呼吸する身体全体を感じながら、息を吸おう」 このように訓練します。
「呼吸する身体全体を感じながら、息を吐こう」 このように訓練します。
「呼吸を静めながら、息を吸おう」 このように訓練します。
「呼吸を静めながら、息を吐こう」 このように訓練します。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるので。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

494名無しを整える。2018/11/27(火) 07:21:59.67ID:9Q2Se5FL
>>493
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
1. 息を吐く・息を吸う(つづき)

身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(息を吐く・息を吸う 了)
(´・(ェ)・`)つ

495名無しを整える。2018/11/28(水) 07:02:54.65ID:+uNAgXZA
>>494
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ

2. 歩く・立つ・座る・横たわる

そして、歩いている時には 「歩いている」 と自覚します。
立っている時には 「立っている」 と自覚します。
座っている時には 「座っている」 と自覚します。
横になっている時には 「横になっている」 と自覚します。
つまり、自分の身体がどのように動いているのか、止まっているのか、を自覚するのです。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅
するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(歩く・立つ・座る・横たわる 了)
(´・(ェ)・`)つ

496名無しを整える。2018/11/29(木) 06:08:07.10ID:zWAdKiks
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
3. きちんと把握する

修行者は、出ていく時も戻る時も、きちんと把握して行動します。
前を見ていても、どこを見ていても、きちんと把握して見ます。
手足を曲げる時も、伸ばす時も、きちんと把握してそうします。
托鉢の鉢を持つ時も、僧衣を身に着ける時も、きちんと把握してそうします。
食べる時も、飲む時も、噛む時も、味わう時も、きちんと把握してそうします。
小便をする時も、大便をする時も、きちんと把握してそうします。
歩く時も、立つ時も、座る時も、寝入る時も、目覚める時も、話す時も、黙っている時も、きちんと把握してそうします。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしで
もなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(きちんと把握する 了)
(´・(ェ)・`)つ

497名無しを整える。2018/11/30(金) 14:28:14.61ID:hmI6l8+U
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
4. 不浄の観想

そして、足の裏から上へと、髪の毛の先から下へと、皮膚に覆われさまざまな不浄物でいっぱいのこの身体をじっくりと観想します。

「この身体には、髪、毛、爪、歯、皮膚、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、喉、顔、脳、胆汁、痰、膿、血、汗、固形脂肪、涙、液体脂、唾液、粘液、滑液、尿がある」 と。
両端に口があり、中にサーリ籾米、ヴィーヒ籾米、緑豆、豆、胡麻、玄米など、いろいろな穀物で一杯になっている袋があるようなものです。

見分ける眼を持った者が、袋を開けて 「これはサーリ籾米です。これはヴィーヒ籾米です。これは緑豆です。これは豆です。これは胡麻です。これは玄米です」 と調べるようにです。

このようにして、足の裏から上へと、髪の毛の先から下へと、皮膚に覆われ、さまざまな不浄物でいっぱいのこの身体をじっく
りと観想します。

「この身体には、髪、毛、爪、歯、皮膚、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、喉、顔、脳、胆汁、痰、膿、血、汗、固形脂肪、涙、液体脂、唾液、粘液、滑液、尿がある」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。

他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。

身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。

つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。

修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(不浄の観想 了)
(´・(ェ)・`)つ

498名無しを整える。2018/12/01(土) 08:03:20.34ID:/287bwHj
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ

5. 元素 の観想
そして、身体がどのような構造になっていようとも、主要元素で構成されているものとして、この身体をじっくりと観想します。 「この身体は地の元素、水の元素、火の元素、風の元素でできている」 と。

腕の良い屠殺人かその弟子が、牛を屠殺して肉片に解体し、大道の 四辻 に座っているように、修行者も身体がどのような構造になっていようとも、主要元素で構成されているものとして、この身体をじっくりと
観想します。 「この身体は地の元素、水の元素、火の元素、風の元素でできている」 と

このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。

つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )

これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(元素の観想 了)
(´・(ェ)・`)つ

499名無しを整える。2018/12/02(日) 08:18:15.18ID:fETiOJED
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体

[第1段階]
まず、死体置き場に捨てられ、死後一日、二日、三日と経ち、腫れあがり、青黒く変色し、膿の流れている死体を見るのです。
そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

500名無しを整える。2018/12/03(月) 07:13:15.47ID:2EA5/tgW
>>499
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第2段階]
死体置き場に捨てられ、カラスに貪られ、鷹に貪られ、ハゲワシに貪られ、サギに貪られ、犬に貪られ、虎に貪られ、豹に貪られ、ジャッカルに貪られ、さまざまな虫に貪られている死体を見るのです。
そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

501名無しを整える。2018/12/04(火) 08:02:35.03ID:TIDSvLC+
>>500
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経
一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第3段階]
死体置き場に捨てられ、腱でつながり、血と肉がまだついている 骸骨でしかない死体 を見るのです。
そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

502名無しを整える。2018/12/05(水) 08:27:29.89ID:rF7MJag9
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第4段階]
死体置き場に捨てられ、腱でつながり、血のついた肉のない骸骨でしかない死体を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

503名無しを整える。2018/12/06(木) 06:46:50.36ID:dz22TcB3
>>502
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体

[第4段階] (つづき)

自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
(´・(ェ)・`)つ

504名無しを整える。2018/12/07(金) 07:32:52.41ID:RRUt2iHB
>>503
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第5段階]
死体置き場に捨てられ、腱でつながり、血も肉もついていない骸骨にすぎない死体を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

505名無しを整える。2018/12/08(土) 09:23:58.50ID:yhdHbru2
>>504
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体

[第5段階] (つづき)

身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
(´・(ェ)・`)つ

506名無しを整える。2018/12/09(日) 07:59:12.82ID:rRGekwY2
>>505
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第6段階]
死体置き場に捨てられ、骨があらゆる方向に散らばり、ばらばらの骨にすぎない死体を見るのです。
ある所には手の骨が、ある所には足の骨が、ある所には足首の骨が、ある所には脛 (すね) の骨が、ある所には腿 (もも) の骨が、ある所には尻の骨が、ある所には肋骨が、ある所には背骨が、ある所には肩の
骨が、ある所には頸 (くび) の骨が、ある所には顎の骨が、ある所には歯が、ある所には頭蓋骨が、散らばっているのです。
そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

507名無しを整える。2018/12/10(月) 07:51:46.49ID:nLKJ2ihV
>>506
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体

[第6段階] (つづき)

他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。 自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
(´・(ェ)・`)つ

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