坂道小説スレ
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乃木坂・欅坂・日向坂のメンバーを登場人物とする物語を執筆するスレです。
現在籍メンバーだけでなく、卒業したメンバーを対象としてもかまいません。
誰でも自由に書いてください。 『クラクション、ジャンクション』
彼女の名前はサーキットに由来する。
突然そんなことを思い出したのは、彼女が近づいてくる途中に人混みを避けながらクラクションの口真似をしたからだ。
厚めの唇を尖らせていたが、口角は軽い。
停止線手前で計算したようにブレーキをかけるタクシーのように、僕の前に適度な距離を保って彼女は立ち止まった。
彼女はグラスに口をつけた。
口紅の赤みのせいか、ジンジャエールのグラスがシャンパンに見えた。
「お久しぶりね」
わざとらしいキザな口調、戯けた表情もそのままだ。
久方ぶりの、そしていつもどおりの富田鈴花の姿だった。
(続く) 正直言って、富田が声を掛けてきたことには多少の驚きがあった。
二回目の高校の同窓会は、お盆休みも相まってか、五十人を超えている。
彼女はそのほとんど全員と友達で、会の最中引っ切り無しに声を掛けられていた。
そろそろお開きにしようかという声が上がりそうな雰囲気になった頃、少し遠いテーブルからまっすぐに僕の方へ向かってきた。
たった今彼女がかき分けてきた五十人を超える同級生の半数以上の名前を僕は知らない。
高校三年の秋、親の都合で突然の転校を余儀なくされ、わけもわからないままの卒業であったからだ。
つい二年前のことであるのにほとんど記憶にない。
そんな道路に転がった空き缶のような思い出のなかにも微かに甘い香りがするのは、他でもない富田によるものである。 初秋、あるいは晩夏と呼ぶべきだろうだろうか。
すずしい風が吹く日だった。
「えー、今日から皆と一緒に学んでもらう…」
テンプレ通りの文言、短くなった白いチョーク。
その時の心境は浮足立っているというよりかは、哀しいという方が近かった。
いずれにせよクラスには緊張気味の顔に映っていただろうから問題はないはずだ。
自己紹介が終わるとすぐに授業が始まった。
転校生毎度おなじみの周りを囲まれる情景は休み時間まで持ち越されることになった。
ただそれにより、1時限のあいだはずっと好奇の視線がちらちらと飛んできていた。
できるだけ目をそらすように努めていたが、授業の途中、一瞬だけ視線の端の人物に目を奪われた。
それが富田だった。
彼女は漢文を音読するために立ち上がっていたのだが、想像していたよりも遥かに背が高く、また想像していた声とも違った。 2限目の音楽の授業では、もう完全に目が離せなくなっていた。
歌のテストがあり、何故かわからないが僕も歌わされた。
「まぁ適当に歌ってくれー」と先生に言われたが、転校初日なのに滅茶苦茶である。
歌い終わってホッとする間もなく、富田の順番になった。
息を短く吸い込む音が聞こえたあと、歌声が響く。
ひとつも音程を外していない。少なくとも有線で流れてきても違和感を覚えないほどには十分にきれいな声だった。
そして何より、楽しそうに歌っている顔が、ミュージカルを連想させた。
もちろん歌の技巧にも感心したが、聞いている者を思わず微笑ますような力があった。
彼女のことを性格がいいと言う人もいれば、その正反対のことを言う人もいた。
数ヶ月過ごしてみた僕なりの結論は前者の方だった。
目立つというのはそれだけで色々な評価を集めることでもあるが、ともかく富田鈴花が常に議論の中心にいたことだけは間違いない。
僕の彼女に対する評価は、転校初日のたった一日だけの出来事に集約されていた。 校門の前でふと立ち止まっていた。
別に何かを見つけたわけでも、思い出したわけでもない。
ただ、帰る方向が分からなかった。
登校は親に送ってもらったし、新しい住所は今朝提出して職員室のデスクに眠る書類一枚のみだった。
両親とも仕事中だから電話もつながらない。
「転校生くんじゃーん」
彼女が声を掛けてくれるのは、なぜか帰り際が多かった。
「あぁ…えっと…」
わざと名前を知らないふりをした。本当は一番覚えている名前だのに。
「富田、富田鈴花。すずかの由来は鈴鹿サーキット。覚えやすいでしょ」
何万回も繰り返してきたかのような言い回し。
そう、その自己紹介の仕方はまるでアイドルのようであった。
特別なことを言っていないのに、一発で聞いている者の頭にプロフィールを植え付ける。
もちろんそんなことされなくたって、僕は彼女の名前を一生覚えていただろうけど。
「途方に暮れるてんこうせー、助けてくれるじょしこうせー」
何だそれは。急に始まったラップに困惑した。
そして彼女は続けて「どうしたんですか?」と言った。
人物像が乖離している。
僕が帰る方向がわからない旨を伝えると、何か目印になるものはなかったかと聞いてきた。
コンビニ、ファミレス、小学校、バラバラに思い出した順番から口走っていくと。
わずか数秒で彼女はその付近であろう町名をいくつか提示した。
「よし、困ったときはお互い様。一緒に帰ろう」
彼女は言った。 自転車のチェーンがカチャカチャと小気味よく回転している。
その音は家の方向とは全く関係のないところまで運ばれていた。
なだらかな丘陵をもう随分と長く自転車を押す彼女とともに歩いている。
彼女が小径へ逸れた。
「ほら見て。すごいでしょ」
そう言われて顔を上げると、うねった道路が見える。
見たところ高速道路のジャンクションだった。
僕が何と返答しようか迷っていると、急に清々しい叫び声が鼓膜に突き刺さった。
横を見ると、彼女は笑っている。
「あーすっきりした」
そしてまた、歌のテストの時の楽しそうな表情に戻った。
「こうでもしなきゃやってられないもん。私ね…」 富田鈴花の夢はアイドルだった。
それは非現実的な夢であるが、富田の場合はその夢に合点のゆく人物像を持ち合わせているようにも見えた。
他人事のように「頑張って」と言うのは、少し無責任な気がした。
「よくね、ここから飛び降りた時の夢を見るの」
「それでどうなるの?」
「結果は毎回違う。大怪我することもあれば、無傷で済むことも、時には空を飛べることだってある」
「それで?」
「別にそれは何でもない。でも、アイドルになるってそういうことなんだろうななんて思ったりする。ひとたび勇気を出したって、結果どうなるかわかんない。それが怖い」
彼女がジャンクションを見つめる。
ゆるいクラクションがこちらに届く。
「なれるかな?」
今思えば、その時彼女は分岐点に差し掛かっていた。
わずかに震える唇が、僕が見た高校時代の彼女の最後の感情表現だった。 明朝の便で帰っても十分間に合うスケジュールではあったが、富田がクルマで空港まで送ってくれると言うので、おとなしくお暇することにした。
すでに二次会へ動き出しているその他大勢とは特に語り合うこともないし、素直にクルマへ乗り込んだ。
予想通りと言うべきか、窓に流れる風景は空港とは全く違う方へ向かうものであった。
「もう免許取ったんだな」
どこへ向かっているのかと突っ込むべきか迷ったが、もう行き先は分かっている。
「今年の春休みにとった。暇さえあればドライブしてるよ」
「いつもひとりで?」
「高速が好きで走ってるだけだから、一緒に行ってくれる友達なんかいないよ。そういえば、アメリカの大学でしょ?すごいなぁ」
「まあ一応」
そう僕が言った時、ちょうど目的地にたどり着いた。
彼女はすぐにクルマから降りた。
「わたし…わたしなんか、あの時結局怖くなっちゃって飛び出せなかったもん。やっぱ君はすごいよ」
「富田」
「うん?」
「ごめんな」 アイドル目指して大怪我するよりか、大学を出たほうがよっぽど賢明だ。
あの時、彼女の震える唇を見て、僕はそう答えた。
それ以来、彼女は本当の笑顔を見せなくなった。
結局、普通に大学へ入って、芸能とは無縁の生活をしている。
「あの時、君に聞いたのはね、君が一番客観的な人だったから。友達は絶対に応援してくれただろうし、親は絶対に反対しただろうと思う」
「じゃあやっぱ俺のせいで…」
「それは絶対に違う。結局答えだすのは自分だから…」
あーっ!
多分人生で一番大きな声を出した。
彼女も一瞬驚いた顔をしたが、同じように叫ぶ。
目が合う。
「なれるよ、アイドル」
「そうだよね。よし、もう一回こっから頑張ってみる。そのかわり大怪我したら助けてね」
「もちろん」
再度目前に現るジャンクション、彼女に遠くからのクラクションは届いているだろうか。
震えながらも楽しそうな顔が多分その答えである。
「今度さ、高速道路巡り、一緒に行こうよ」
(完) >>13
軽やかでスタイリッシュな文体は読んでいて小気味がいいですね。
時系列を逆にし、クライマックスの少し前を冒頭に持ってきて、「いったい何なんだ」と読者に注意を喚起させた後、
追憶によって過去に遡るというのは小説の典型の一つですが、あざとくなく自然です。
富田の得意(?)なラップ的な韻を思い起こさせることだけを狙ってタイトルを付けたと思いきや、
「クラクション」と「ジャンクション」は隠喩になっているんですね。
前者は夢を諦めきれていないことの隠喩に、後者は人生の大きな分岐点の隠喩に。 >>15
物語の基本って日常→非日常→日常であると思うのですが、この非日常が過去であるパターンが大好きです。 >>16
なるほど、非日常を求めるのは過去にというわけですか。
たしかに、それが小説としては王道でしょうね。
大阪府さんはその巧みな筆使いは小説的で、多くの小説を読んできたというのは判断でき、王道を求めるというのはよく分かります。
ただ、個人的には評論やノンフィクションを小説よりも読んできたので、その反動として小説では思い切り荒唐無稽なものに惹かれます。
ドストエフスキーは「ストラーホフ宛の手紙」の中で次のように書いています。
>私は現実というものに独特の見解を持っています。
>大多数の人がほとんど幻想的なもの、例外的なものと見なしているものが私にとっては時として現実の真の本質をなしているのです。
>現象が日常性やそれに対する公式的な見方は私に云わせるとまだまだリアリズムではありません。
百人いれば百通りの小説の好みや評価の仕方があると思うので、何が正解ということもないのですが、非日常を過去よりは幻想に求めるというほうが個人的には好みですね。 載せたいんだけど
完結しない可能性99%でもok? 「菜緒。ねえ菜緒」
その声に小坂菜緒が目を覚ます。
「ーーえ?」
虚を突かれた菜緒がはっと顔をあげると、机の前に金村美玖が立っていた。
菜緒があたりを見回すと、席について授業を受けていたはずのクラスメイトたちはいつの間にか自由に動き出している。授業中の静寂はすでに消え、おしゃべり声が混ざり合う騒がしさが教室を満たしていた。
「もう、また寝てたでしょ」
形の良い眉を僅かに寄せ、切れ長な目を困ったように細めて、金村が咎めるような口調で言う。
「ご、ごめん・・・」
机の上に授業のノートーそれも授業の板書がなかばで途切れてしまっているーを広げているのは今や菜緒ひとりだけである。
当惑した顔をしている小坂に金村が微笑みかける。
「ノートならあとで見せてあげるから。ごはん食べよ?」 「菜緒〜美玖〜」
小坂の机でふたり一緒に昼食をとる菜緒と美玖のもとに、よそのクラスから宮田愛萌がやってきた。
「どうしたの愛萌?」
弾む足取りに髪をふわりと波打たせ、宮田愛萌は二人に愛らしい笑みを向ける。
。そして、他の生徒に聞こえないか、周囲にちらりと目をやってから、
「あのさ、またお願いしたいんだけど?」
と、二人に顔を近づけて小声で言った。
「お客さん?」菜緒も小さな声で返す。こくりと愛萌が頷く。
「いつ?」と金村。抽象的な言い方であったが、ふたりとも意を得ている様子だ。
「二人の都合のいい時でいいよ」
「じゃあ、あしたは?」美玖が菜緒に顔を向ける。
「うん大丈夫」菜緒が頷き、愛萌を見上げる。「いい?愛萌」
愛萌も頷き返す。
「わかった。伝えとく。じゃあ、明日の放課後、うちに来てね」 菜緒たちが暮らす町は、日向の国の中心地から離れた結構離れた場所にある。
地方都市のさらに郊外なので、いわば田舎のさらに田舎ーーあるのはほとんど住宅ばかりで、商業施設といえば大きめのスーパーマーケットとドラッグストア、あとはホームセンターぐらい。
地域のなかにはぽつんぽつんと小山が点在し、昔の名残かーーわずかばかりの面積の田んぼが、ところどころに残っている。計画的な開発が行われるでもなく、古い木造の民家と新しく建てられた小ぎれいな住宅が混在し、
人間の手がつかなかった小規模な自然が半端にちりばめたようにあとの余白を埋めている。
そのなかにある地域の氏神を祀る宮田神社は、宮田家が代々神職を務める神社である。
神社の周囲を囲む立派な木々が、まわりの住宅と神社を隔て、しっかりとおおきな石で作られた基礎の上、周辺より一段高いところに神社は建っている。 神社の敷地内、参道の脇に建つ社務所の一室で、紅白の巫女装束に身を包んだ宮田愛萌が今回の依頼者の応対をしていた。
「では今回の占いの内容は、なくした指輪の場所を教えてほしい、ということでいいですね」
「本当に、わかるんですか」と依頼者ーー30代の女性は言った。
依頼者の女性は、数日前、神社の表にある掲示板に張られた紙を見て愛萌に問い合わせをしていた。その張り紙には、宮田神社ではお祓いのほかにも占いもしており、仕事や恋愛、困りごとや悩み事のほか、失くした物の場所まで占えるとあった。
愛萌は、不安と怪しむ気持ちが半々といった表情を浮かべる女性を安心させるように、柔らかく微笑む。
「絶対、とまでは申し上げられないんですけど、でもお力になれると思います。では、占い師をお呼びしますね」
そういって、愛萌は部屋の戸を開ける。 入ってきたのは宮田と同じ巫女装束に着替えた小坂と金村であった。
学校の制服を脱ぎ、巫女の赤い袴を履き、純白の衣に袖を通した二人が、おなかの前で手を重ね、しずしずとお辞儀をした。
「この子たちが・・・?」
依頼者の女性が、二人の姿ー占い師というが、来たのは愛萌と同じぐらいの年齢の少女たちだーを見て驚いた顔をした。
「ですよね。皆さん驚かれます」愛萌が少し苦笑する。
「でも大丈夫です。どうぞこちらに」依頼者の当惑をそのままに、女性を部屋の奥に置かれた木台へと案内する。
「どうぞお座りになってください」円卓状の木台の周りには三つの円座が敷かれている。その三つに菜緒と美玖そして依頼者が座る。
「『こっくりさん』をご存じですか?」
そういいながら、横から愛萌が木台の上に大きな紙を広げた。
上質な和紙で、そこには格子状に線が引かれ、その枠の中に筆で50音のひらがなが書き込まれている。上のほうには別に二つの枠があり、そこには『はい』と『いいえ』が書かれている。 「『こっくりさん』・・・五円玉に指をあてて動かす、あれですか?」
木台の上に広げられた文字盤から連想した女性が答える。
「そうです。この神社では、『こっくりさん』の力を借りて、占いをするんです」宮田が説明しながら、文字盤の上に一つの5円玉硬貨を置いた。窓から差し込む夕べの斜光を受けて、五円玉がオレンジ交じりの黄金色に輝く。
「こどものころに遊びでやったことがある人もいるかもしれませんね。ただまあ、誰かが5円玉を動かしてるとか、あまり信ぴょう性がないように思われてますけど。」
愛萌がそう前置きしてから「しかし、私たちの占いは違います」とはっきりした口調で女性に説明する。
「いまからこの二人が、神の使いである狐様をここに下ろします。そのお力を借りて占いを行います」そして愛萌は美玖と菜緒に目をやった。
二人が頷き、木台の上に右手を出す。そしてその人差し指を五円玉に当てた。
「さあ、こちらに人差し指を当ててください」
「はい・・・」愛萌に言われて女性は、恐る恐るという感じで、菜緒たちが指を置く五円玉に自分の指をあてた。
それを待って、菜緒と美玖が二人視線を交わし、口を開く。
「こっくりさんこっくりさん。いらっしゃったら返事をしてください」
ぴたりとそろったふたりの言葉の後、しばらく無音の時間が流れる。
依頼者の女性が、緊張した面持ちで指の先にある五円玉を見つめる。
すると静寂の中で、五円玉がす、と動き始めた。 >>18
もちろん、どうぞ。
というか、水道や電気やガスと同じく、5CHは誰でも利用できるインフラですからね。
メンバーへの酷い中傷などのきわめて悪質な書き込みでなければ、スレ主であろうがなかろうが、誰も文句を言う筋合いはありませんよ。 >>19-24
情景描写がとても手練れていますね。
地方都市の描写では、寂れゆく共通の特徴を提示することで難なく物語の中に導かれ、舞台の都市ならではの特有な世界に浸される。
その描写も上空から俯瞰したような臨場感があります。
その後に、神社をクローズアップさせて物語を進行させるという手法もお見事です。
神社の内部の描写では、生き生きとしたイマジネーションが湧き上がってきます。
人物の衣装や物の配置だけでなく、こっくりさんが描かれている紙や夕日を浴びた五円玉の細部の描写に至るまですーっと頭の中に入ってきます。 >>17
「事実は小説より奇なり」をどう捉えるかという問題でしょうね。
この文言自体は正しい、つまり寄の大小関係はこの通りであると思うのですが、小説が奇なるものであるという前提が頷けません。
事実を切り取って単純化したものが物語なのだから、事実の方が奇なるのは当たり前ではないかと思うのです。
ドストエフスキーは登場人物だけでお腹いっぱいです。
よくあれだけ大勢にスポットライトを当てて魅力的に描けるなと感心致します。
ちなみに私は、好きな作家を一人選べというのは無理難題で死ぬまで結論出ないでしょうが、一冊だけというのなら迷わずゴールズワージー『林檎の樹』です。
映画小説とも一発屋が好きだったりします。
ノーベル賞取ってる人物に一発屋というのもあれですが…
>>19-24
五円玉が動き始めたところで一旦切られているあたり、読者の心をもて遊ぶといいますか惹きつけるといいますか、とにかく続きが気になります。
余りある静けさが逆にヒロインたちの怪しさを演出させているようにも感じられますが、この3人は常識があるだけに非科学的な行動を是と見立てさせることもできる。
そのバランスの保たれた世界が好きです。 「二人ともお疲れ様」
占いを終えた二人は別の部屋でもとの制服に着替えなおして、愛萌を待っていた。
そこに今回の依頼主を見送った愛萌が戻ってきた。
「どうだった?」と依頼者の反応を気にする菜緒。
「まあ、実際見つかるかどうかだけど、たぶん大丈夫だよ」と愛萌が答え、
「結構詳しく出たから、見つかるんじゃない?」と美玖も言う。
『こっくりさん』へのいくつかの質問を通じて、なくした指輪の場所はかなり限定的なところまで絞り込まれた。
帰るときの依頼者の様子は、半信半疑という感じだったが、とりあえず探してもらうということで、今日は引き取ってもらった。
「また連絡してもらうようにしてるから、見つかったら教えるね」
占いーーとくに探し物の依頼の結果のフィードバックは、依頼者から後日連絡をもらった愛萌が二人に伝えるのが通例だった。
「うん」と二人が頷く。 「あしたは依頼来てるの?」と美玖が愛萌に尋ねる。明日は土曜日なので、学校は休みである。学校のない週末に、占いの依頼は集中することが多かった。
「ごめん、明日明後日はないの。私、ちょっと都合が悪くて」
「そうなんだ。修行?」と菜緒が訊く。
「うん、ちょっと」愛萌が控えめに答える。宮田神社の後継者である愛萌は、神社の雑務の傍ら、『修行』ーー正確には神道の勉強と禊にはげんでいた。
「頑張ってね」と菜緒が友人に向けて言う。「愛萌はもうお祓いとかできるの?」
「私なんかまだまだ」愛萌が慌てたようすで首を振る。
「そっか」仰々しく否定した愛萌に、菜緒が微笑む。詳しいことはわからないけれど、愛萌ならきっと素晴らしい神職になれるはずだ。
「菜緒、そろそろ帰ろっか」と美玖がスマホで時刻を見て言った。
学校終わりに占いを始めたものだから、時刻は19時近い。
日が照る時間が長い日向の空もさすがに紫色に移り変わって、間もなく夜が訪れる。
「うん。じゃあね愛萌」と菜緒。
「二人ともありがとね。また学校で」
そういって愛萌は、二人を神社のそとまで見送った。
後日、依頼者の女性から、無事指輪が見つかったと連絡がきた。
愛萌はそれを二人に伝えると、いつものように二人はーーとくに菜緒は嬉しそうに笑顔をみせたのだった。 「行方不明、ですか・・・?」
愛萌は当惑した顔で言った。
「おねがいします・・・」
目の前に座る依頼者の40代の女性ーー上村はうつ向きながら細々といった。
学校から帰り、社務所の番をしていた宮田の前に、ふらりと今にも倒れそうな雰囲気の女性がやってきた。
顔は憔悴しきって生気を失い、ただ事ならぬ雰囲気をただよわせている。
愛萌が何事かと声をかけると、その女性は消え入りそうな声で、「娘を探してほしい」と言ったのだった。
女性曰く、まだ中学3年生の一人娘である上村ひなのが行方不明となっているらしい。
警察にもすでに届け出ているのだが、何の手掛かりも得られないまま3週間がたつらしい。
「・・・」愛萌はどうすべきか迷った。
確かに占いの広告には、恋占いから探し物まで、何でも承ると謳っていたが、このような依頼は初めてだった。 「ということなんだけど・・・どう?」
次の日、愛萌は学校で菜緒と美玖にこの件を相談した。
「わたしは別にいいけど」そういって美玖は菜緒のほうに目をやる。
「わたしもいいよ。困っている人がいるなら、力になりたい」菜緒がまっすぐした瞳を愛萌に向ける。
「・・・わかった。でも、もし危ないことになりそうなら、警察の人に任せるからね」
行方不明となれば、上村ひなのが何らかの事件に巻きこまれたとも限らない。
危険なことに首を突っ込むようなら、それ以上は警察の範疇だ。
「うん」二人が了承する。 週末、学校がない三人は、上村ひなのの母親を神社に呼んだ。
彼女に占いについて説明した後、さっそく菜緒と美玖は、上村ひなのの母と三人で『こっくりさん』を始めた。
「こっくりさん、こっくりさん。いらっしゃったら返事をしてください」
五円玉が静かに動き出す。動いたさきは『はい』の枠。
美玖と菜緒が視線を交わし互いにうなずく。
『こっくりさん』にどんな質問をするのかは事前に打ち合わせ済みだ。
『こっくりさん』が答えてくれる質問の数には限りがある。経験上3つ、よくて4つぐらいだった。
なるべく最短の質問で、重要な情報がつかむ必要がある。 「上村ひなのさんは、いま、どこにいますか」
質問は単純だ。もちろん、絞りこみが必要になるだろうが、まずは大まかでもいいので、上村ひなのの動向をつかむ。
す、す、、と五円玉が動く。
五円玉は先から止まっていた『はい』の枠から下の50音のひらがなの枠へ進入した。そこから文字盤の左、あかさたな、、と順番に枠から枠に動いていく。
五円玉に指を当てる三人は、固唾をのんでその様子を見守る。
すると、五円玉が動きを止めた。その場所は『や』の文字の上。
しばらくしたのち、五円玉が再び動き出した。次の文字に向かっているのだ。
今度は右。『や』から『ま』へ移り、そこで止まってしまった。
「やま・・・」美玖が小さく呟く。 『やま』ーーその答えが『山』としても、まだあまりに漠然としている。
「もう少し詳しく教えてください」
菜緒が『こっくりさん』にお願いして、さらに上村ひなのの居場所を絞り込む。
五円玉が再び動き出した。
『ま』から右へ。文字盤上の『た』行の枠に進み、そこで折れて下方への枠へ移動していく。動きを止めたのは『て』の枠だった。
五円玉はしばらく静止したのち、ふたたび移動を開始した。
まず上へ動いていき、次に文字盤の左へと動いていく。次に動きを止めたのは、『ら』の枠だった。
「寺・・・?」と菜緒。その後の五円玉に動きはなかった。
二つ目の質問の答えは『てら』ーー『寺』であろうか。だとするなら、一つ目の答えである『山』と『寺』を掛け合わせた場所が、上村ひなのの場所だ。
菜緒たち三人には、心あたりがなくはなかった。この地域には、山ーー山といっても本当に小さな小山だがーーがぽつぽつとあり、その中の一つに、山頂に寺が建つ山がある。
その寺は『長永寺』というのだが、そこを指しているのだろうか。 さらに詳しい質問をするか、菜緒と美玖が目を合わせていると、
「娘は・・・ひなのは無事なんですか!」といきなり上村が口を開いた。
菜緒たち二人が彼女のほうへ顔を向ける。
それは確かに、ひなのの母がもっとも気がかりであろう事柄だが、菜緒と美玖、そして三人は事前の打ち合わせで、それを質問するのはやめておこうと取り決めていた。
あまりに露骨な質問であるし、もしも否定的な答えが出ようものなら、ひなのの母にどれほどの苦痛を与えるかわからない。
そのため、ひなのの生死の問いかけは避けて、居場所に焦点を当てたのだった。
どうしてよいかわからず、菜緒と美玖は愛萌のほうに顔を向ける。
唇を真一文字に結んだ愛萌は逡巡した。上村の母は、必死な表情でこちらを見ている。
「・・・質問して」愛萌は二人に言った。
固い表情の二人は、五円玉に視線を戻す。そして菜緒が問いかけた。
「『こっくりさん』、『こっくりさん』。上村ひなのさんは生きていますか?」 静寂のなか、五円玉が動き出す。
『ら』から右へ、『あかさたなはまやらわ』の枠の真ん中、『は』の枠まで横移動すると、こんどは上へと折れて、五十音の枠から出た。
上にあるのは右に『はい』、左に『いいえ』の枠だ。
その二つの枠の間に五円玉が移動した。
「・・・・・・」
誰もが息をするのも忘れ、五円玉の行方を見つめる。
上村ひなのは生きているのか、それとも・・・。
しかし、五円玉は、『はい』と『いいえ』のはざまで、動くことはなかった。 >>27
ちょっと前に東京MXという放送局で、「文豪アルケミスト」というアニメをたまたま観たのですが、
その中で志賀直哉が太宰や芥川に、「小説は写実的であるべきものだ」とダメだししていましたね。
(他の作業をしながら観ていたので、かなり適当かもしれません。)
大阪府さんの立場はそのアニメの中の志賀直哉に近いものに思えます。
そういう視点でなら、大阪府さんの考えは身に沁みます。 ただ、「事実は小説より奇なり」については、違った考えを持っています。
小説でも、テレビドラマでも、現実ではあり得ない設定がよく見られます。
たとえば、何らかの事情で幼い時に離れ離れになったお互いの顔も知らない兄弟が大都会の同じ棟のアパートに住んでいたというような。
どれだけの低確率の偶然なのかと突っ込みたくなります。
ただ、小説にはそういう無茶な設定でも吸収できる魔力があります。
ある人に宝くじの一等賞金が当たる確率は天文学的に低い数字です。
でも、誰かには当たる。
それと同じように、日本だけでも1億人以上いるので、あり得ない設定でも、それに該当する誰かはいるかもしれない。
そして、小説では基本的にはドラマティックなストーリー展開が望まれるので、そういう人間が登場人物となる。
つまり、焦点を当てるのを無作為の個人から数奇な運命をたどった個人へと切り替えています。
そのとき、偶然は必然へと座標変換されるというわけです。
そういう意味では、小説のほうが事実よりもやはり「奇」であるという見方を個人的にはしています。 『林檎の樹』という作品どころかゴールズワージーという作家すら知りませんでした。
今はやることが渋滞しているので、余裕ができたら読んでみようと思います。 >>28-37
うまいですね。
今のところ、行方不明となっている少女をこっくりさんで占うというだけの話なのですが、
登場人物の一挙手一投足がつぶさに描写されているので、物語の中に吸い寄せられてしまう。
丁寧に物語をつくりあげようとしている誠実さが垣間見えます。 「どういうことだろう・・・」
謎の事態に、三人は社務所の一室で顔を見合わせていた。
結局、その後、五円玉は動かず、『こっくりさん』に呼びかけても反応はなかった。
また、『やま』と『てら』の答えを頼りに、それが該当しそうな近くの小山に建つ寺『長永寺』に上村ひなのを探しに行きもした。
しかし、寺の敷地を探しても、寺の住職に尋ねても、上村ひなのを見つけることはできなかった。
重い空気が三人にのしかかる。全員が、無力さと申し訳なさを痛感していた。
上村の母親とはすでに別れていた。彼女に協力しておきながら何の力にもなれなかった無様な有様に、ただ頭を下げるしかなかった。
上村の母は何も言わずに、だが一層力を落とした様子で去っていった。
こんなことなら、やらないほうがましだったとすら思える。彼女に多少なりとも期待を持たせてしまったのに、なにも得られなかったのだから。 「質問しすぎたかな?」と菜緒。
「3つでしょ?今までふつうにやってたけど・・・」
美玖が納得いかない感じで言う。「ていうか、途中まで動いてたし・・・」
質問が上限に達したときは、通常、五円玉が反応しなくなる。
ただ、今回のように、動き始めて途中で止まるというのではなく、はじめから質問に反応しなくなることが普通だった。
「縁起でもないけど」と愛萌が前置きしてから言う。
「もしも、上村さんが死んでいたら、五円玉はやっぱり『いいえ』に動くと思う。生きてたら、『はい』に」
「うん」二人も頷く。
自分たちの占いが完璧なら、五円玉ははっきりとした答えを出すはずだ。
今回のようなことは異例だ。今まで何度も占いをしてきた三人は、違和感を感じていた。
「今度、上村さんの家に行ってみようよ。何か手掛かりがあるはずだよ」
菜緒が言った。「すこしでも何かあれば、質問の仕方も変えられると思う」
「うん」美玖も頷く。
「そうだね。頼んでみる」と愛萌。 後日、三人は上村の母親の了承を得て、ひなのの家の自室を訪れた。
白を基調にした部屋で物は少ないが、かわいらしいさのある部屋だった。
三人が、ひなの失踪の手掛かりとなるものはないか、部屋の中を探す。
ひなのの母は、その様子を見ているのかいないのか、元気のない瞳のまま、部屋の入り口の近くに立っている。
「パソコン・・・」菜緒が、ベットのそばにある小さなガラステーブルの上に置かれた薄いノートパソコンに注目する。
「開けてみる?」美玖がひなのの母の了承を得てから、パソコンを開き、電源を入れる。
だが、
「パスワードがかかってる・・・」
画面には、ユーザー名とパスワードの入力画面が表示された。
「上村さん、パスワード知りませんか?」愛萌が尋ねる。
しかし、ひなのの母は首を横に振った。
それもそうか、と愛萌は唇を噛む。 「こっくりさんに聞いてみようよ」美玖が素早く提案した。
「そっか」美玖の機転にはっとする菜緒。「でもこれ、パスワードだよね・・日本語じゃないんじゃない?」
「なら、つくればいいじゃん」
すると美玖は持ってきていたバックから、紙とペンを取り出した。
紙をパソコンのあるテーブルに広げ、素早く枠線を引き、アルファベットと数字を書き込んでいく。
「準備いいね、美玖・・・」
即席の文字盤ーアルファベット版ーが作られるのを見ながら、菜緒が呟いた。
「ふふ」美玖が得意げに笑みを浮かべる。「小文字とかも書いてたほうがいいのかな」と独り言ちる。
「よし、できた」 「こっくりさんこっくりさん・・・」
いつもの質問でこっくりさんを呼ぶ。
今回、『こっくりさん』をしているのは菜緒と美玖の二人である。
愛萌はそばに控え、それを見守る。 「ひなのさんのパソコンのパスワードを教えてください。」
五円玉が動き出す。どうやら文字盤がアルファベットであっても、『こっくりさん』はできるようである。
初めにとまったのは『m』と書き込んだ枠だった。
再び動き出した五円玉が続いて『o』の枠で止まる。
意外なほどすんなりと事は運び、ひなののパスワードと思しき文字列が示しだされた。 「あいた!」
パスワードを入力し、エンターキーを叩くと、ホーム画面が立ち上がった。
「やった!」三人が顔を寄せて画面をのぞき込む。
「なんかない?日記とか?」興奮したようすで菜緒が言う。
「どうだろう・・・」美玖がパソコンを操作する。
しかし、
「う〜ん・・・」パソコン内のデータなどを探してみたが特にめぼしいものはなかった。
そもそもまだ中学生のひなのは、パソコンを使いこなすには至っていないのか、データは初期状態にちかい、空っぽの状態だった。
「ネットは?」愛萌が口を開く。「履歴とか残ってない?」
「うん」美玖がインターネットを開く。
「あ・・・残ってるね履歴」
検索履歴を調べてみると、ひなのが閲覧したサイト履歴がそのまま残っていた。
それらを一つ一つ開いて、何か手掛かりになる情報がないか調べていく。 「ねえこれ・・・」
履歴のなかにあったサイトのひとつで、美玖がパソコンの操作を止めた。
「・・・異世界に行く方法?」
同じく画面を覗いていた菜緒と愛萌が怪訝な顔をする。
そのサイトはトップに『異世界に行く方法』と銘打たれていた。
何かのオカルト系サイトなのか、背景は一面黒色で、赤やら紫やら、おどろおどろしい色付けがされた文字の文章が並ぶ。
「なにこれ・・・」
「他にもあるよ」
美玖が閲覧履歴を調べると、ほかにも類似のサイトのページがあった。
それらを開くと、『パラレルワールドに行くには』とか、『裏の世界』などと、先ほどのサイトと同じような内容を扱ったページが表示された。
なにやら、上村ひなのは、この類の事柄に強い関心を持っていたようだった。 その後、パソコンにあった残りの閲覧履歴を調べたり、パソコン以外になにかないか、ひなのの部屋を調べた三人であったが、例のサイト以外に、めぼしいものは見つからなかった。
三人はひなのの母に礼を言い、一旦、上村の自宅を後にした。
「異世界に行く方法ってあったけど、ほんとかな」
「う〜ん・・・」
帰り道を歩きながら、美玖と菜緒の二人は、ひなののパソコンに残っていた、オカルト系サイトのことが気になっていた。
「でもさ、そう考えたらつじつまが合わない?」と美玖が菜緒に話しかける。「『こっくりさん』で、ひなのちゃんが生きてるか訊いたとき、答えが返ってこなかったでしょ?あれって、ひなのちゃんが別の場所にいっちゃったってことじゃない?」
「そう・・・なのかな?」菜緒が考え込む。
「そうだよきっと!」美玖が語気を強める。
「でも、異世界なんてほんとにあるの?」菜緒が理性的な疑問を挟んだ。
「それは、わかんないけど・・・」美玖がわずかに勢いを失う。そして「試してみる?あのサイトにあった方法?」
と、冗談半分に菜緒に提案した。
「えっ・・・」と菜緒が困った顔をしていると、
「だめだよ」
突然、いままで黙って菜緒を美玖の後ろを歩いていた愛萌が口を開いた。 『夏の日の歌』
小麦色に灼けた肌を気に入ってはいないらしい。
頻りに乳白色の日焼け止めを腕に擦り付けるものの、容赦ない光線がじりじりと表面を刺し、流れ出る汗によって数分間でその効き目は無効化される。
機械的に庭から軒下を往復して、人間的な気だるさを漂わせながら雑草を毟る光景が、かれこれ二時間も続いていた。
「あー、だるい」と愚痴をこぼしながらも作業効率は全く落とさず、軍手を付けた両手で根っこからスルスルと雑草を抜いている。
庭にそびえ立つ向日葵は焦げてなお図太く太陽を向き続け、長い長い夏の一日を完全燃焼せんとばかりに照らされ続けていた。
「どう?高校生はもう慣れた?」
束の間の昼休憩、塩むすびを持つ指先が綺麗に揃っているのに心を奪われていたことと、彼女が頬張りながら喋っているのとで、その言葉を聞き逃した。
はっと気がついたように彼女の茶色い目を見ると、沈黙が生まれる。
「えっ、もしかしていじめられてるとかじゃないよね」
「ごめん久美ちゃんなに?今、聞いてなかった」
「何だ心配させないでよ。まあ何かあったら遠慮なく相談しなよ」
法事のために年一度、遠い親戚に当たる佐々木家とは顔を合わせていて、久美ちゃんとはもう十年以上の付き合いになる。
彼女のほうが二歳上なだけで、お互いに一人っ子だったから、集まった際には幼い頃からよく一緒に遊んだ。
今でも大凡そんな感覚で彼女とは接していて、その時間だけは少年時代にタイムスリップしたように童心へ帰ることができた。
「よし今年はこれくらいにしよう。もうこんな時間だし」
気付けば影が少しずつ伸び始め、雑草の束はきっちり昼休憩のときから倍に増えている。
久美ちゃんは軍手を外して水道で手を洗っている。
「久美ちゃんって本当にしっかりしてるよね」
タオルを渡してあげるついでに、そう言ってみる。
「どうした急に」
久美ちゃんは笑った。
「あ、わかった。そんなこと言って、お小遣いでも欲しいんでしょ」
他愛もない会話をする。
子供のように泥だらけのまま、親戚の待つ家へ帰る。
そんな無邪気なことが、果たしてあと何年できるのだろうか。
太陽について行く向日葵の如く、久美ちゃんの背中を追いかけた。
夏の真昼の暑い時。 >>41-49
その臨場感に相変わらず惹きつけられています。
そして、いよいよ物語が動き出し、佳境にはいっていきましたね。
こういう展開は個人的に大好物です。
生みの苦しみが一段と厳しくなると思いますが、期待しています。 >>51
ドラマらしいドラマが起らなくても、淡い恋心だけで物語はつくることはできるというわけですね。
光景の描写だけで語り手の心理を推し量ることができます。
いちいち説明的でなくても、何気ない会話や行動で語り手の心情が浮き彫りになってきます。
ある程度は本を読んでいなければ、大阪府さんの良さは分かりにくいでしょうね。 >>54
永井荷風の『小説作法』にこんな記述があります。
「一 小説は人物の描写叙事叙景何事も説明に傾かぬやう心掛くべし。読む者をして知らず知らず編中の人物風景ありありと目に見るやうな思をなさしむる事、これ小説の本領なり。史伝は説明なり。小説は描写なり。」
理想ですね。
青空文庫で短いのでよろしければ是非読んで見てください。
ついでに自分のなかでずっと引っ掛かっている一文を解読してくれるのではと期待しておりますw
「外面より観察してこれを描写するは易く内面よりするは難し。」
後半あたりの一文ですが、内面が何を指すのか理解できずにいます。
登場人物の内面か、作者の内面か、何処から何処へのアプローチかが分かりにくいんですよね。
>>55
幾分詩人が好きなものでw >>56
その一文とその前後の文章を読めば、登場人物の内面と解したくなりますね。
また、その後の文章に、次のように書かれていますね。
>叙景【も】外面の形より写さず内面より描く方法を取るべし。
「も」とあるので、登場人物の内面を描くことと叙景の内面を描くことは同じようなものだということのようですね。
叙景の内面というのはちょっと変な言葉使いですが、
表象だけで捉えるのではなく、その内部に潜んでいるものまで見抜けという主張でしょうね。
そうすると、登場人物でも叙景でも内面から深彫りしていくというのが肝要であるという主張だと解しました。
叙景の内面というのには思い当たる節がありますので、持っている本を引っ張り出して、例を挙げておきます、
ちょっと時間がかかるかもしれませんが。 >>57の続き
>菫の花を見るとき、我々は「可憐」だと感ずる。
>それはそういう感じ方の通念があるからである。
>ところが、ほんとうは私は菫の黒ずんだような紫色の花弁を見たとき、何か不吉な不安な気持ちを抱く。
>しかし、その一瞬後には、常識に負けて「可憐」だと思い込んでしまう。
>その一瞬の印象を正確につかまえることが表現する勝負の決め手となる。通念に踏みつけられる前に、その一瞬に私を揺さぶった菫の不吉な感じを救い出して自分のものにしなければならない。
(伊藤整「小説の書き方」。ただし本多勝一「日本語の作文技術」からの孫引きです。)
海に投げ捨てられた魚の臓物を見た後の描写。
>平穏な明るく透き通っている水の中に凄惨に美しい混沌が蔵されているのに気づいて身震いした。
>何か、胸が悪くなるような赤い色をしたもの、微妙なバラ色をしたものや、深い、気味の悪い紫色をした塊が、そこに横たわっていた。
>私は私の見ているものに堪えることはできず、それを避けることもできなかった。
>何故なら、それらの肉塊が私に抱かせる嫌悪は、その有機的な色の混乱やそういう浅ましい内臓の装飾的な効果が私に感じさせる疑いもない異様な美しさと私の裡で争っているからだった、
(ヴァレリー全集11「文明批評」に収録の「地中海の感興」P262)
綺麗→不気味、不気味→綺麗の方向性は真逆ですが、社会通念に侵食されるのを踏みこらえて、
一瞬の間に解放した真摯な感覚は鮮烈です。
独自性というきわめて困難なものを自分のものにすることができるヒントの一つにそういう姿勢があるのでしょう。
もちろん、そういう状況とはむしろ逆に、長く眺め続けることによって浮かび上がってくる叙景の内面というものもあるのでしょうが、
いずれにせよ本質を顕現させるためには、その中に入り込んで見ることが大切ということなのでしょう。
それは人物の内面についても当てはまることだと思います。 >>58
それとは気付かずに知らず知らずのうちに描写の持つ小針で刺されていたというような経験をすることがありますが、なぜその描写に引っかかりを覚えたかの理由は覚えていない。
ただその描写そのものの感覚だけが残っている。
概してその描写は先入観を捨て去った極めて写実的描写であって、決して共感を覚えるような象徴的な描写ではないんですよね。
伊藤、ヴァレリー両氏の主張する描写の一例は、アンビバレントな要素を含んでいるので、一歩間違えれば描写が独り歩きして作品のハイ・コンセプトから逸脱してしまう。
だからこそ、読者に気づかせてしまっては意味がないと思うのですが、東京都さんはそのあたりの処理がうまいので尊敬してるわけでございます。
上記のような例は、映像のサブリミナルの狡猾さとは違って、証拠が文字としてしっかり残っていることが、また文学のいいところですね。
大変参考になる文献をご提示いただきありがとうございます。 >>59
本当は衝撃を受けているのに、なぜ惹かれたかを説明できずに心に未消化のまま残るというのはたしかにありますね。
読み終えた後にざらついているものやもやもやしたものが残っているとき、頭の中に留めて持ち帰り、再び考えなおす。
知はそういったものから芽生えやすいというのも確かですね。
>概してその描写は先入観を捨て去った極めて写実的描写であって、決して共感を覚えるような象徴的な描写ではないんですよね。
これもよく分かります。
象徴的な表現を安易に狙いに行くと、一見高尚なように見えて、その実、中身がスカスカということがよくあります。
大阪府さんが書くもので、心象風景が象徴的に見えるものもありますが、
写実的足らんとするのを心掛けているのであって、象徴的というのは結果としてついてくるだけなので、その描写は常に充実していますね。 ちょっと訂正します。
×心象風景が象徴的に見えるものもありますが、
○情景描写が心象風景を表しているように見え、さらにそれが象徴的に見えるものもありますが、 書き込みがないので、保守がてらに雑文でも。
雑誌「ダヴィンチ」に長濱ねるのエッセーが新連載された。
高台にあって海の見える銭湯が地元・長崎にあるが、あまり繁盛はしていないということから始まる。
誰もが簡単に書けそうな描写に思えるが、けっして凡庸ではない。
淡々としたさりげない中にも、行間を読ませて、想像させ、読み手を引き込ませるという腕がある。
砂時計のところでは、意味がなかったり不合理であったりする習慣や伝統に人々がしがみついていることのアレゴリーのようにも読める。
もちろん、そんなことを長濱は意図はしていなくて、単に不条理なことを不条理なこととして描写しているだけだと思うが、
その丁寧な描写に読み手は勝手に深読みへと誘われてしまう。
マダニのところはギリギリを攻めているなあ。
小さいとはいえ、あんな気持ち悪いエイリアンのようなものが自分の体に穴を空けたということを吐露すれば、偏見を持たれかねない。
ましてや、アイドルは辞めたとはいえ、若くて可愛い芸能人で売っていく立場の者としてはイメージダウンになりかねない。
でも、その気持ち悪い描写も長濱の人柄のフィルターを通すことで浄化されていく。
その人柄を知らなくてエッセーを読んだ人も多いだろうが、文は人なりという言葉通り、
その全文から長濱ねるの人柄をうかがい知ることはできるので、同じように浄化されたと思う。 鈴木絢音が写真集を出すということで、久々に乃木坂板を除いたら、絢音の個スレに面白いリンクを見つけた。
「本が私と家族をつないでくれた」
乃木坂46きっての読書家・鈴木絢音が語る、本の魅力
https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/8045
その中で、次のようなことを述べている。
(1)電子ブックよりは紙の本に惹かれる。
(2)山や海への外出が嫌いな自分でも、その先が書店や図書館なら安心できたということで、
自分と家族、ひいては自分と他人との紐帯の役割を本は果たしてくれてきた。
そして、(1)と(2)の両方に関係するするエピソードとして、次のように言う。
>学生時代、友人からある本をもらったことがあります。
>彼女はあることにとても悩んでいて、それが理由だからか、表紙やページに傷ついている箇所がありました。その痕は、彼女がどういう思いでその本を読んでいたのかを私に訴えているようでした。
>書物には人の心が宿っている。そのときから、モノとしての本をより大切にするようになりました。
新潮社のPR誌「波」に載った宮田愛萌の書評の次の箇所を思い出した。
>私の本棚に並ぶ本たちは何度も手に取られ背表紙の端がボロボロになり、私だけのための本になっている。
>きっと、目隠しをされたとしても触るだけで自分の本を見つけることができるだろう。
内容だけでなく物質としての本への思い、中身と容れ物とが切り離せない本というものへの思いというものが上の二つに共通している。
本というのは汚されたことや損じられたことで価値が出てくることもあるということにそれは発展する。
上のような考えは他のことでも当てはまるかもしれない。
茶道には詳しくないが、欠けた茶碗を修復して使う「見立て」という考えがあるらしい。
壊れたものだからこそいっそう愛情を注ぐというものである。
あるいはキリスト教では、知恵の身を食べ、生命の樹にまで手を出そうとして楽園を追放された人間は穢れているが、
だからこそ神は慈愛を与えるという論理構成となっている。
さらに変態なら、未使用のパンティより、絢音や宮田が使ってシミのついたパンティのほうが価値があるという考え方をするかもしれない。 「変態なら」とすると、二人に失礼になるな。
「正常な男なら」とすべきだったか? 「本の道しるべ」という番組がいま放送されている。
毎回それなりに面白いが、第5回がなかなか見ものだった。
ライター夫婦(パートナーという言い方していたから、籍は入れていないかもしれない)の自宅が紹介されて、
家中に本棚があり、これから入れる予定のものも含め5万冊の蔵書がある。
真似しようとは思わないが、その光景は圧巻だ。
本に対する姿勢も参考となったところがあった。
今の自分の能力や状況でいらないと思っていた本でも今後は必要となるかもしれないから買っておく。
読書に没入することは大人になってからはできなくなっているので、それができた子供のときに読んだ本を原体験として置いておく。
上の二つは心にしみた。
第5回の再放送はNHK Eテレで翌週火曜のAM11:30〜11:54で放送される。 鈴木絢音“辞書を読む”――言葉の森の遊び方 辞書に「乃木坂46」を載せるなら?
https://www.fanthology.me/entry/suzuki-ayane
>>69のリンクでは紙の本全般に対するこだわりを見せていて、「乃木坂工事中」の中でも同じようなことは言っていたが、
ここでは紙の辞書に対するこだわりを絢音は述べている。
紙の書籍は電子ブックにはない有利なところがいっぱいあるというのは間違いない。
その最大の利点はランダムアクセスができることだと個人的には思う。
すぐに思いつくのは次の二つ。
(1)たとえば、現在読んでいるページと前のページとのつながりを確かめたくなったときにはそこに簡単に飛ぶことができる。
電子書籍でもおそらくブックマーク(チャプターマーク)を付けることはできるだろうが、最初からそこが重要だとはわからないことも多いのであまり有効とは言えない。
(2)一度読んで自分の頭の中にぼんやりと残っていることをもう一度詳しく読み直したいと思ったとき、意外と楽に見つけることができる。
調べるページが本の厚みのどこら辺で、また見開いたときに右側・中央・左側とかいうのはけっこう覚えていてそこを見つけることができる。 ただし、辞書や百科辞典に関しては電子もののほうが個人的には使い勝手がいい。
いくつかの種類の辞書や百科辞典が一つの電子辞書に収められているのが普通である。
それらを横断して言葉を調べることができる。
特に紙の百科辞典なんて置物になっているだけで、いざ調べようと思っても分厚い本が何巻も並んでいるだけでその気が失せる。
それに対し、電子辞書だとコンパクトだから手元に置いておけ、気軽に調べられる。
さらに、履歴機能を使うことで過去に調べた言葉を簡単に呼び出すことができる。
上のリンクでも「乃木坂工事中」の中でも紙の辞書に対する熱量は感じるが、優位性ということでは絢音はどう考えているのだろうか?
利便性ということでは最新鋭のホテルに軍配が上がるが。趣がある老舗旅館に泊まりたいというのと同じように、
電子辞書よりも質感がある紙の辞書を使いたいというだけなのだろうか? 『渦潮』
「うずしお」とひらがなで表記すると、平穏な水面に浮かぶ小さなうずが連想される。
ところが「渦潮」と漢字で表記すると、途端にその渦巻は白い波しぶきを伴ったものに変化し、時には、蟻地獄のような底なしの深さといった印象も加味される。
深い人物、それは時に怖さを伴う。
もちろん浅ましくないと意味を取れば褒め言葉であるが、一度でもその人物に巻き込まれてしまえば溺れてしまう可能性だってあるわけだ。
海なんてものは水面の形態がどうであれ、元来から人間が歩くようにはできていない。
だから特別に渦潮が危険であると言いたいわけではないのだが、それでも一度落とされた後に浮揚するには、その形態によって方法を変えなければならないし、必要な力もまちまちである。
そしてたちの悪いことに、浅瀬であるかのように錯覚させる「渦潮」は、初めのうちは「うずしお」に見えてしまうものである。
その「うずしお」がファースト・インプレッションであった彼女の名は、潮紗理菜である。 「出会いは一瞬出会えば一生」
初めて彼女が僕を振り返ったとき、彼女が僕から目を切って前を向いたとき、その両局面で彼女が残した言葉である。
その言葉通り、出会いは本当に一瞬の出来事だった。目の前が白くなったかと思うと、次の瞬間にはつぶらな瞳がこっちを向いていた。
彼女はハンカチを折りたたんでいる。かすかなヘリオトロープが漂っていた。
「ごめんなさい。風で飛ばされちゃって」
たとえ何を言われたって許せてしまえそうな、全くもって嫌味のない声だった。
そう、これが桜舞い散る4月の陽気に包まれた中での出来事ならばどんなによかったか…
彼女と出会う、もっと正確に言えばちょっとした会話ができるような関係になるには余りにも遅い時期で、とうに寒さになれすぎた頃であった。 女の子と臆することなく喋るのは難しい、そう信じ切っていたのだが、どうやら例外もあるらしいことにこの時初めて気がついた。
それは、今この人物と話しておかないと一生後悔をするレベルのルックスを彼女が持ち合わせていたということもあるし、何よりも一瞬で温かい空気を醸し出せる能力によるところが大きいのだと思う。
「あの…潮さんですよね?」
自分でも驚くほど情けないくらい貧弱な声が出た。
彼女は少し顔を上げる。
「お知り合いでしたっけ?」
その答えに淡い期待が弾け飛ぶ。まあ無理もない。彼女とは学年が同じくらいで他に接点はないのだから。
「いや、なんでもない。僕が個人的に知っていただけです」
そう言って、踵を返した。
「あ、ちょっと待って」
「なんですか」
彼女が僕の肩にわざとらしく手を置いた。
「君はわたしのことを勘違いしているよ」 「おそらくだけどね。優等生で真面目でおまけに人気者の潮さん。」
「は?」
「そうやって私のことをカテゴライズしているでしょ」
「あぁ…まあ、そうなのかな」
「人に先入観を植え付けたり、注意を引きつけたりするのは、実は簡単なんだよ」
彼女は見覚えのある財布と時計を両手に持っていた。
僕は慌てて自分の腕と尻ポケットを確認する。あるはずの物がない。
「ほらね。ハンカチで目を塞いだすきに財布をスって、肩を強く叩いたときに時計を外す。これくらいのこと簡単にできるんだよ」
「いつの間に…」
「それと同じで人は自分のことだって先入観ありきで見ている。あまり自分のことを過小評価しないこと。」
彼女は時計を財布を僕の手元に返す。
「〇〇くんだよね。出会いは一瞬、出会えば一生。よろしくね」
そう言って、彼女は恥ずかしそうに僕から目を切って前を向いた。
カランカランと鈴のような音が響いている。
桜舞い散るいつかの4月、また同じ音を聞くことになるとはつゆ知らず。
高校の合格発表で初めて彼女が僕を振り返ったときの出来事はもう少しあとの話である。 おしまいでございます。
2020/6/1 潮紗理菜ブログ「一期一会。」より >>81
お久しぶりですね。
柔らかな文体でストレスなく読ませるのはさすがです。
「渦潮」を潮紗理菜の「潮」にかけ、さらに音だけでなく、
表面的なペルソナの奥に別の人格が「渦潮」の如く宿っているという設定ですか。
善の奥に悪が、悪の奥に善が宿っているというのならよく見受けますが、
善の顔の奥にどこまで突き進んでいっても善人であるというのがオリジナリティのあるものとなっています。
現実の潮紗理菜の人格とも符合していて、文体だけでなく内奥も心地よく読めます。 >>82
お久しぶりです。
潮ちゃん見てると、意外と足が速かったり、いわゆるブラックなっちょな面があったり、面白い存在だなって思います。
外見、声なんかに全く尖ったところがないからこそ、そういった意外性を感じるのかもしれませんね。
結局のところ渦潮がどう足掻いても海であるように、人間も時と場合を無視すれば普通と呼ばれる人格に落ち着くのではないかと思っとります。
スナックスレの超紐理論、オカルトやスピリチュアルの分野だと思っていたんですが、れっきとした研究対象なんですね。
もっとも、難解過ぎて私たちの生活のどう貢献するのか見当もつきませんが笑 >>84
今の科学は難解になりすぎて、細分化して研究しないと、人間の頭が耐えられないんですよね。
だから、最先端の科学者でも自分の専門分野以外はオカルトのように感じるでしょうね。
超紐理論どころかニュートリノなんかでも人間の生活に役立つ日はおそらく永遠にやってこないでしょう。
原子力発電でも太陽でもその放出エネルギーの99%はニュートリノで、もし利用できれば、一気にエネルギー問題は解決するのですが、
利用する方法は絶望的なまでに閉ざされているんですよね。 >>85
夢があるんだか無いんだか笑
何らかのパラダイムシフトが起きて実現したとしても、今度はその膨大なエネルギーにより人間が滅んでしまったりして… たしかに今の科学技術は飽和気味で、全般的には明るい未来を感じられませんね。
まだまだ進化の余地がありそうなのはAI技術とゲノム編集技術くらいでかね。
もっともその二つも危うい面があり、最悪の場合、暴走して人間を滅ぼすかもしれません。。。。。
古本屋で雑誌を立ち読みすると、進化し続ける科学の明るい予想図が描かれているのを見つけることがあります。
生まれる前に発行されたものであるにもかかわらず、なぜか懐かしい気分にさせてくれます。
希望にあふれた科学技術というのは、もはや過去の物語となってしまったという世間一般の共通認識に侵食されているからかもしれませんね。 長濱ねるがレギュラーの「セブンルール」をまとめて観たていたら、ハバードとジュリアード音楽院を立て続けに首席で卒業したという才女とその母親にスポットが当てられたものがあった。
その中で、ロックやラッセルといった錚々たる大哲学者の教育論に混じって、>>58に挙げた本多勝一「日本語の作文技術」が映っていた。
おそらく母親の教育の礎となったものとしてさりげなく紹介したのだと思う。
エッセーとかなら、共感させるとか着眼は面白いとかを優先させて、必ずしも論理的である必要はないし、ときにはわざと曖昧にする場合もある。
だが、論評や論文なら、誰が読んでも同じ結論に達するという文章でなればならないので、そういう論理的な文章を書くためには読んで損はない本だと思う。 「白線のゆくえ」
わざとらしい咳払いで彼女を振り返らせた。
一瞬流れる沈黙。
彼女が再び黒板の方を振り返る。
そこに書かれていた一文は力強い。
少なくとも僕にはそう映った。
しかし彼女にとってはそうではないらしい。
「今のなしで」
その言葉とともに、真っ直ぐな眼が訴えかけてくる。
恥ずかしさなど微塵もないのが不思議である。
彼女は指先でその一文を消し去った。
「すごくいいと思います!」
フォローで気遣って言ったわけではなかった。
あんたに何がわかる?
とでも言いたげに口を半開きにさせたまま、小坂さんは生徒会室を去っていった。
黒板にはまだはっきりと筆跡が残っていた。
筆跡の強さである。
同じ生徒会で活動しているから、その異質さはよくわかる。
普段彼女が書記として作成する書類は淡々とした文字である。
今回の例外をどう捉えようか。
一旦遠ざかっていった足音が、再び近づいてきたため、急いで言葉を吟味する。
「本当にそう思う?」
小坂さんは息を弾ませながらそう言った。
「あの‥はい!だって、その、先輩キレイだし‥」
僕は俯きながら答えた。
彼女からなんとも言えぬ笑い声が漏れた。
同時にチョークの走る音が聞こえる。
『いっそアイドルにでもなってやろうか』
強く重ね塗られたその言葉はもう二度と消えそうになかった。
右横に添えられた彼女のサインには、まだまだ恥じらいが残っていたけれど。 × 筆跡の強さである。
○ 筆跡の強さが見られる。 「奢りと驕り」
ペットボトルのカフェオレは人肌程度にぬるくなっていた。
自販機から生徒会室までそれほど距離はない。ゆっくり歩いて10分弱である。
冷たい手をあたためながら廊下を歩いた。どこからか吹いた冷たい風が頬をなでる。
カフェインの覚醒効果よりも、外気のほうがよっぽど目が覚めた。
スライドドアに指をひっかけた。
電気が消えている。つけっぱなしで席を立ったはずだ。
室内はまだ温かい。これも、つけっぱなしにしていたストーブのためである。が、今は消えている。
壁掛けのホワイトボードを見た。右端の会長から順番に一番下っ端の僕の名前までが縦書きで並んでいる。
「出席」「欠席」「出張中」などのマグネットが各名前の下に貼られている。
そのいずれも、正確に現在の状況を表していない。
小坂菜緒「欠席」
珍しくこれも偽である。
通常であれば入室と同時にいのいちばんにマグネットを貼り替えているはずである。
それが今日は「欠席」のままであった。
特有の香りが室内に残っている。一度部屋に入った証拠だ。
勝手に彼女のマグネットを貼り替えた。
念の為に置きっぱなしにしていたカバンの中をチェックする。
みじめになって、その作業を瞬時に取りやめる。
「そんなわけないよな‥」
寂しい独り言である。
ボトルを開けて残りのカフェオレを流し込む。
立ち上がって、ボードの日付を更新する。
2月14日。
別に祝日ではない。だから今日だって普通に授業があった。
特に追記する事項もないとの結論に至る。ペンのキャップを閉める。
ボトルを手に取り、角のゴミ箱に投げ捨てる。音を立ててスポッと入った。
その数秒後にドアが開いた。
「おつかれさまです」
彼女は、後輩の僕に対して敬語で挨拶をした。いつも第一声のみこうである。
「おつかれさまです。小坂さん、マグネット貼り替えておきました」
「なんで?」
その問いかけに一瞬言葉が詰まった。普段どおりを装う。
「さっき部屋入っていくのが見えたので」
「そっか。でも今日は本当に欠席なんだ。部活あるから」
そう言って小坂さんはマグネットを貼り替えた。
そして開きっぱなしのドアに向かった。
ちょうど出る寸前で足を止めた。
「ほれ!」
不意に飛んできた“物体”をキャッチする。
「いつも飲んでるのそれだよね?」
「えぇ‥まあ」
「あれ、違った?」
「いや、あってますけど」
小坂さんは一瞬だけホワイトボードを見た。少し微笑む。じゃあねと軽く手を挙げる。
その後少しの間があったが、何事も起こすことなく去っていった。
心なしか手のひらのカフェオレは温かかった。 「読解力」
ちょうど単純な計算に飽き飽きしていた頃だった。
「今日テストが返ってきて、現文が30点だったんですよ」
帳簿に数字を並べながら、何気なしに発した言葉である。
別に特定の誰かに向けた言葉でもないが、顔を上げて「しまった」と思った。
声の届く範囲には、小坂さんしかいなかった。
愚痴に付き合ってくれるほど親身な人でもなければ、社交辞令でアドバイスをくれる人でもない。
ところがである。
「わたしは100点だった」
珍しく得意げな顔をしている。
ペンを止めて、明らかに返事を待っている。
いつもであればペンを素早く走らせながら、最低限のことしか言わない。
そんな彼女が今は何だか楽しそうである。
「えっとその‥すごいですね!どうやったら点数上がりますかね?」
「知らない」
ペースメーカーとして出場したマラソンの30km付近でレース終了を言い渡されるほどには、予想できていた展開である。
「でも‥ひとつ教えてあげられるのは、考えすぎないこと。答えはだいたい本文に載ってるから」
「へえ、だとすると現文ってあまり面白くないですね。」
「そうだよ。生活の中で分かりっこないことをあれこれ考えるほうがよっぽど面白い」
「小坂さんは?」
「ん、何が?」
「いやだから、小坂さんもあれこれ考えたりするのかなと思って」
「うーん、するよ。例えば、今は少なくとも君のこと考えてるから」
それは本当に“少なくとも”なのだろう。
彼女は会話の途中でまた下を向き、ペンを素早く走らせながらそう答えた。
その速度はいつもより少し早かったような気がしないでもないが。 「つながるということ」
「で、そいつにわたしから連絡しろと?」
小坂さんに“連絡先”を伝えるのは多分これで二度目だと思う。
一度目は自分の連絡先を伝えたはずだ。
方法はちょっと忘れたけど、現に小坂さんの連絡先が携帯に入っているから、一応交換はしたのだと思う。
まだ、彼女からは電話は愚かメールでさえも来たことがない。
「でも、そいつ僕のクラスでは女子から一番人気なんですよ」
「で?」
「で?とは?」
「だから、それでなぜわたしがわざわざ知らない人に連絡しなければならないわけ?」
「そいつが小坂さんのこと気になってるから‥とか?」
「理由になってない。仮にそうであっても直接わたしのところに来るべきだわ」
僕は以前にも似たようなことを言われていた。
集合するのが面倒くさいからと、夏休み中の生徒会の会議をメールで済ませたときのことだ。
休み明け、小坂さんが会長にこう言っていた。
「やっぱり、休み中でも一度くらいは集まったほうがいいと思います」
会長はすんなり承諾した。というか可愛いからか何なのか、小坂さんの意見には大抵の人が賛成する。
言いたいことを言い終えると、小坂さんは席に着いた。そして、独り言のように僕に問うた。
「メールだと、タイムラグがあるし、何より想いが伝わらないよね?」
彼女が珍しくポニーテールにしていたから、それは鮮明に覚えている絵であり、言葉でもあった。
「いいわ。挨拶文くらいだったら送っても」
「本当ですか!?なんかすみませんね‥」
「まあ生徒会室って敷居高いから、その人の気持ちがわからないでもないし」
その時、ふと思い出した。
桜散る4月の生徒会室、「何か困ったら、これに連絡して。生徒会室でだったら話くらい聞いてあげるから」と丁寧に紙に書かれたアドレスを渡され、それ以来僕は何の相談もしてこなかったことを。
ありきたりな枕詞をとりあえず言ってみることにした。
「小坂さん…伝えたいことがあるんですけど」
「何?」
唇がわずかに震えた。なるほど彼女の言うとおりだと思った。
メールでは、想いが伝わらないし、バレもしない。
こんなに緊張するなら、きっと何時までたっても想いなんか伝えられないと悟った。
僕は誤魔化しにかかる。
いつの日か友達がメールで送ってきたことを直接本人に言ってみる。
「生徒会じゃなくて小坂さんが敷居高い人なんですよ」
「えっ、そうなん?」
傾げた首に、困り眉、小坂さんは意外と面白い。 「ガラスの靴」
型にはまらない人というのは、自分から意図的にそうしている。
だが多分彼女は、自然とそうなっていると言ったほうが近いだろう。
少しずつ背伸びして違いを表現していくというよりも、そもそも最初からぶっ飛んでいる。
彼女を最初に見たのは大学の食堂だった。
ちょうど空席探していた時だった。
人でごった返す食堂のなかで、たまたま食事を終えた軍団が席を立った。縦に長く並ぶテーブルの中央辺りだった。
周りにも人はいたのだが、何故か彼女に目が留まった。
彼女だけが異質に見えた。それを単純にオーラと表現しても良いのだが、残念ながら違う。
彼女は真っ白なワンピースを着て、カツカレーを一人で食べていた。
別におかしいことは無いのだが、童顔で色白で白いワンピースを着た少女と、大学食堂の安いカツカレーとが、どう考えてもミスマッチだった。
ちょっと面白くなって、一つズラして座ればいいものを、わざと彼女の向かいに座った。
「ハロー、“あかり”ちゃん」
名前にアクセントを置いて呼んでみた。
彼女とは初対面だが、名前は知っていた。彼女は驚いた顔で「ハロー!……?」と返した。
なぜ私の名前を知っているのと言いたげな様子から察するに、英語の授業で使った名札をそのままワンピースに付けっぱなしにしていることに気付いていないらしい。
名札を指差すと、彼女は無邪気な笑顔で自分の名を告げた。
「ありがとう。丹生明里です」
束の間の昼食だったが、話しているうちにすっかり意気投合した。
その流れで丹生の研究室まで一緒に歩いた。
しかし2月の寒空は、やがて二人の声を黙らせていく。
そんな時だった。
「あの…よかったら今日晩ごはん一緒に食べませんか!?」
意外な誘いに少々驚いた。丹生の唇が震えている。
たぶん彼女なりに勇気を振り絞ったのだろう。その種の緊張を見るのは嫌いじゃない。
なるべく軽い感じを醸し出して、いいよと答えた。
「実はね、私…4年間、研究に没頭しすぎてゼミ以外に友達ができなかったの。だから最後の思い出にと思ったんだけど、やっぱり迷惑かな?」
「ううん、そんなことないよ。」
丹生は悲痛と安堵とが入り混じったような笑顔を見せた。
今は2月、つまり大学4年生の彼女は、もう来月には卒業してしまう。
その最後の友達が2つ下の自分でもよいのだろうかと思った。
「じゃあ私が奢るから、好きなところ選んでいいよ」
丹生が言った。
その後の顛末は、結局、安い居酒屋を選び、その飲みの席で特に面白いことは起こらなかった。
ただし、酔っていたからか、帰り道に無駄な買い物をしてしまった。
なぜそんなものを買ったのか今でも思い出せないが、透明な靴を二人で買った。
かなり酔っていた丹生は、その靴を履いて帰った。
自分が勧めたので、少し気が引けたが、一夜限りの飲み友達だと自分を納得させることにした。
丹生が同じ大学の院に進み、学部生の自分と何度も顔を合わせることになるとわかったのは、もう少し後だ。
実際に、4月以降も大学構内で、彼女を何度も見かけた。
大抵、ベンチで本を読んでいた。
「丹生ちゃーん」
彼女はいつも驚いた顔を見せる。
やがて恥ずかしそうな笑顔を見せる。
あの時買った透明な靴を、本人は気に入っているらしく、シラフの状態で履いている。
「なんで、金村は履かないの!?」
最近よくそんなツッコミを受ける。
彼女を見ているとなんだか不器用なシンデレラのようだった。
だから私は、親しみを込めてその透明な靴をこう呼ぶことにしたのだった。
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