ゆうきまさみ総合40【新九郎 奔る!】
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■前スレ
ゆうきまさみ総合39【新九郎 奔る!】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1660688867/
■作者公式サイト「ゆうきまさみのにげちゃだめかな?」
http://www.yuukimasami.com/
■ゆうきまさみtwitterアカウント
http://twitter.com/masyuuki/
■次スレは>>980がたてること
■>>1の本文一行目に「!extend:on:vvvvv:1000:512」
VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>1
ああっ!1さま!スレ立てなされたのですか!
なんと神々しい!
ひときわお美しいテンプレになられたのではございませんか! 死んだ旦那が回りから嫌われていたと知らされる姉ちゃん・・・・ 応仁の乱で1番損したの斯波家だよな
所領の越前を朝倉に獲られるわ、遠江は今川さんに荒らされるわで踏んだり蹴ったり >>12
おーほっほっほっほもっと言っていいのよ(姉ちゃんじゃない) >>18
ちうても、斯波義廉も乱の原因の大きな部分を占めてるから、自業自得感はあるがな(自己レス >>17
まあ、今川が遠江を荒らしたのも失地回復のためではある
一時期は了俊さんが遠江守護だったが、了俊失脚と入れ替わりに斯波領になったんだよな
その時に叔父の了俊さんをかばわなかった甥を、自作同人誌のなかで薄情なやつ呼ばわりしてたような
なお、この同人誌はたしか作中に表紙だけ出てたような? 織田家は元々神社だから信長も朝廷に優しかったのかな?秀吉は朝廷に上手いこと織田家との主従関係を切って貰った大恩がある
それはともかく、この時代の朝廷は幕府に頼んで守護たちから集金するとか、富子さんが金策で関所作るとかなので後世に比べたら不安定だよね。 今年のNHK大河ドラマは、サザエとカツオが結託して波平と後妻を
追い出そうとしている構図だそうだが、本作だと複雑すぎて他に喩えられない。 戦国大名の動きは暴力団の喩えで説明するとわりとわかりやすいのだが
関東情勢はそれですら説明がむずかしい。 >>28
時政は権勢欲が強すぎて政子や義時にとって邪魔だったからね
時政追放後、義時が親父と同じ道歩むのは皮肉だが 未亡人には二種類ある
子供のいる未亡人と子供のいない未亡人だ 今川家督問題が解決するまでまだまだ出来事があるんだよな
借金返済、古河公方と上杉の和議、新九郎の結婚、太田道灌暗殺と 未亡人ってイヤな言い方だな
未だ亡くならない人って何それ 未亡人といえば響子さんを直ぐに思い浮かべる昭和世代
響子さんがもし子持ちだったらどうだったかな >>34
古河公方と両上杉の和睦は仲介した上杉政憲に思い切りとばっちりが… >>33
曹操「後家は良いぞ」
家康「百姓の後家とか最高だね」
文宣帝「兄嫁NTRと叔母とのSMプレイ最高です」 ヤスは確実に子を宿すよう経産婦求めてただけだし……
関ヶ原後は安心したのか□リに走ってる >>39
築山殿で懲りて良血を求めなかった説もある
関が原以降は10代ばっかだけどね
小笠原さんの娘ならそれなりに釣り合った相手なのかな
新九郎は ローティーンの頃に成人前後の女性と
自分が成人迎えてからは経産婦の後家と
子供が育ったあとは若い娘と
理想の性生活か? >>35
もともとは一人称だからね
自己卑下が入ってる >>36
五代と三鷹が響子さんの娘を取り合う作品になります >>43
五代くんが三鷹さんを出し抜いて響子さんの娘と結婚して
賢太郎に遺書を残すのか >>35
「夫が先に死んだ妻」を今風に言うと何だろう? >>36
五代がひっくるめて、実の子同様に愛するだろう。
千千代丸もまあそんなようなもんだし。 >>45
後家…はむしろ未亡人以上に使わんな
他のケースも含むがシングルマザーか >>47
家康数え59歳で夜伽シーンあったの思い出した >>47
逆に家康は健康の秘訣の一つとしてセクロスに夢中になってはダメと言い残してる
60過ぎて子供に恵まれたのは心の余裕だったのかもしれない >>48
まあ、後家は古語だが未亡人は古語ではないしなあ
少し違う意味だか、寡婦が現代っぽい(それとて、前世紀の古い言葉かな) フランス書院的には未亡人が現役で登板回数最多ではないか? ところで義忠さんはなんで30過ぎまで独身だったんだろうな >>59
それは判らんけど、氏親も似たようなもんだったはず。 >>59>>61
正室を娶るのが遅くなれば、その辺の女に手を付けて庶長子を作ってしまい
後で生まれた正室腹の嫡男との間で揉めることになる可能性が高くなりそう 草創期の足利みたく惣領制が十分機能してると庶長子は良き戦力となったが…… 戦力にはなったんだよなあ
なぜか刃がこっち向いてたけど 戦力になる庶長子といえば悪源太義平
戦力にならない庶長子といえば織田信広 癖の強い信長兄弟の中で
揉め事も起こさず正妻腹で大名として生き残り
何やかんやで関ヶ原すら参戦してるのに
信長を扱う創作物だと
上二人の兄ちゃんはおろか母ちゃんにすら
ナチュラルに居ない扱いされる信包さん
程では無いけど扱い悪いな信広さん 二回謀反して最後は伊勢長島の一向宗相手に戦死したんだっけか>信広 今川との戦で捕虜になり竹千代(家康)と交換に使われてたね
戦に弱い印象が強いを持たれるけど織田家一門衆のまとめ役になってた人 >>63
記録がはっきりしないだけで正室が早死にした可能性
よくあるのが産後の経過が思わしくなく…ってやつ >>63
母方の実家なりのバックアップ、後ろ楯のないやつが家督相続レースに参加するのはほぼ不可能
そこらの女に手を出した程度では、その子供が家督争いを起こすリスクは低い
よほど人望があれば別だが、経済力や人脈を個人の実力として扱う時代、ある程度の地位のある家臣とか近隣国の有力者か守護とかの娘の子でもなければ、跡継ぎ争いへの参加はほとんどないよ 有力者が御輿代わりに養子に取るパターンとか創作ではよく見る 信広さん、謀反のあとはわりと堅実に一門衆としての仕事してたし信長も評価してんだけどね
戦死はそれなりに痛手だったと思う 出自の良し悪しなど気にしない人も出てくる時代になってきたと作中でも言われてたね >>77
それは先代 持国の代からの争いが続いただけで、義就の母親はたぶん無関係
誰の子であろうと争いを避けられたとは思えない
そもそも持国と家老たちとの争いは嘉吉以来ずっと続いてたから(途中で和睦して小康状態だった時期はある)
義就の生まれるより前からだよ >>85
何が言いたいのかよくわかんないけど
第11集で盛頼の弟が指摘してたように
血統が重視される時代じゃなくなってきたからだと思う
神輿になればどうでもいいんでしょ >>83
鯉昇兄さんも桃ちゃんも今の名前でいいので名跡継承の障害は無いのに柳昇を継ぐ気のない昇太 >>87
僕は鯉朝さんのファンです。
上方にもよく来てくれるから。 しかし足利将軍家が比較的近い縁者から跡継ぎを取り続けられたのも
割と奇跡に近いのかもな
徳川家は色々、こう、あったもんなあ 話ぶった切るけど、7巻表紙で上杉定正の上に描かれてるのが誰なのか分からないんだけど、皆さん分かりますか?
他は定正の右が道灌、長尾景春、足利政知で景春の上が上杉顕定で合ってる?
政知はこの時点で本編未登場のはずだけど… 足利は二代義詮の系図が続いた格好で徳川は秀忠系は七代将軍で断絶かな >>90
足利系の顔立ちだから成氏の予定だったんじゃないかな?
でも結局は影で顔見せしない方針に変えたのかも >>86
何故そういう時代になったのかって話だな
持国の場合は弟殺して家督を奪ったりしてて持国も重臣側も候補者が少なかった >>91
血筋としては保科正之の血が幕末の少し前までは残ってた 弥次郎養子になりたいのか、まあ借金まみれの家なんて継ぎたく無いわな >>25
ねーちゃん若くして後家さんになっちゃったわけだけど、溢れ出る性欲はどうしていたのかしら? >>97
性欲はおいといて小鹿さんとこへ嫁ぐという手はなかったんかね
よくある話のような 政治的なスタンスが同じで伊勢家の思惑と合致すればあり得たかもね >>99
日本で旦那の弟と再婚するってあんまりなくね?この場合従兄弟だけど
モンゴルとか遊牧民じゃ当たり前の文化だけど >>101
弟が家督を継ぐなら、子供と後家をまとめて引き取るので一石二鳥
よくある話だよ レビラト婚って五胡十六国だと漢人胡人問わずあるあるムーヴなんで乱世での財産分与と権力安定の手段の可能性が >>100
伊勢家の思惑は今川が遠江を制圧することではなくむしろ堀越の政知の支援ではないの
故人義忠より小鹿さんの方が、目的が合致するはず
まあ、そろそろ敵方の斯波義廉が遠江に入る時期になりそうなんで(越前に続いて尾張も失う頃)、どちらにも目を向けてほしいとこかもしれんけど、
義廉はすでに風前の灯だからなあ >>109
ないよ
朝鮮人や士農工商以外の身分なら知らんけど >>110
なんも知らんと粋がるからネトウヨとばかにされんだよ
戦後の話でも長男が戦死して、次男が農家を継ぐときに長男の嫁と長男の子供をどうする?となったとき、次男と長男嫁が結婚すりゃ丸く収まるじゃねーか。次男と長男嫁は赤の他人だ。なにが気に食わない? レビラト婚って日本では逆縁婚とか貰い婚つって江戸時代以前はあったよ 兄のお下がりというとちょっと抵抗あるけど、性別逆で奥さん死んだから代わりにその妹を貰うというならグッとくるな 太平洋戦争で戦死した兄の嫁と弟が結婚した話はそれなりにあったと聞く
「だんだん街の徳馬と嫁」は月刊スピリッツ掲載
映画連合艦隊もそうだったかな あれは弟も戦死したが そういう例が「あった」のと「よくあった」のには恐ろしい程の違いがあるんだけど
大体この辺を無視して罵倒し合うよな 今週号読んだヨシヒサもヤジロウも反抗期か
弥次郎は兄貴に家継いで欲しいからあんなこと言ってるだけかもだが
仲良し兄弟ばっかで何より 家と家との同盟のために嫁のやりとりするんだから、契約を切るわけじゃないならお替わりだすかそのまま使って貰うかの二択になるし
適切な人員いないなら後者にしてもらうよね まったくないと言うのと違うがメジャーかと言われたら悩むくらいの議題だな
専門板で真面目に議論してそうなレベル 江戸時代の旗本の間でありそう
時代劇ドラマでもそういう話よく観たな 兄嫁が身体差し出して敵討ち煽るか
弟が謀略で兄殺して家督と兄嫁手に入れるかの
だいたい陰のあるストーリーだなあ 今週も盛り沢山だったな。一休宗純絡みで新右衛門さん登場。 今の大河で描かれているような鎌倉殿誕生の輝かしい記憶があるから関東公方の地位にも特別な権威があるのかなあと思ったりする 室町体制の制度としてじゃなく、
関東武士たちの主観の中ではね 新九郎の借金ってどれくらいなんだろ、と思って検索したら1文が100円くらいと出たが、だとしたら残り1貫文なら10万円?
当初の2500文でも25万円、そんな少額の借金でヒイヒイいうような家じゃないはずだし、今の感覚でどれくらいなんだろう?
いずれにしても盛頼が妙音寺に貸してる90貫文に比べたらかなり少額だけど… 一休なんて煩悩を我慢できない開き直った生臭坊主
程度にしか思えないんだけど
ゆうき先生は結構評価してるんだなー意外
兄弟子たちなんか法嗣になったときの手続きがどうたらこうたらで
業病やみだの何だのって罵倒してるのにね
まあ養叟なんかは一休のせいでとんでも坊主と思われてたのが
最近はかなり見直されてるそうだけど
弥次郎は何か考えがあるのかなーなくてもいいけど
しかし御所の雰囲気はほんと悪いね読んでてつらいわ >>101
イスラム教だと義務レベルだな
>>111
悪久「あんちゃんのお古はゴメンじゃ」
義弘父「ウルセー兄貴の家乗っとるんだからつべこべ吐かすな」
まあお姉ちゃんの選択としては、大人しく実家に帰って悪あがきするぐらいならどっか適当な有力守護大名の後添いにでもなって新しい旦那の家を後ろ盾に介入させて、それで強引に家を取り戻すってのもあったんだよな
世間からは毒婦呼ばわりされるけどw
やらなかったのは、そこまでの覚悟も女子力もなかったのか、咥え込む女房に先立たれた適当な男がいなかったのか
別に逆年の差婚で初婚の聡明丸でもいいっちゃいいけれど、あれはそもそも前の穴に興味なさそうだしなあ >>127
生臭であろうと戒律我慢できなくったって
立派なこと言って弟子が育てばいいじゃん的なことはある
でなきゃ一向宗とかもそもそも… 新九郎家の借金は領地経営に使うやつだよな
年貢の上がりじゃやっていけないから自分の名前で借金して持ち出し あー利息が膨らんで利息だけでも返済せねばとまた借金してーという悪循環なやつかな 弥二郎の養子縁組先の「加賀守」は誰か調べてみたけど、京都伊勢氏で申次だった伊勢貞遠がそう名乗っていたのでこの人物かその父かな
延徳3年に幕府奉行人が龍王丸に出した書状に伊勢盛時が貞遠に便宜をはかるように働きかけたというような文があるそうなので繋がりはあったようだし >>126
江戸時代の一文より室町戦国期の一文の方が何倍も高い価値だよ
江戸時代のなかでもインフレが進んでて、後の時期ほど一文の価値は低くなるけど、江戸時代の最初にデノミがあって旧一文が新四文ぐらいになってるし >>126
貫高制で調べると1貫=2石らしいので、
2人分の年俸の方が近いのでは? >>113
Wikipediaの同項目より
奥州藤原氏当主藤原秀衡は、その死にあたって自らの妻で
嫡男藤原泰衡の生母を庶長子藤原国衡に嫁がせるよう遺言した。
古河公方足利義氏の娘(足利氏姫)は、豊臣秀吉の意向で小弓公方
足利頼純の嫡男足利国朝と結婚した。名族である関東公方系足利家
の分裂解消と再興を意図したものであったが、国朝が早世したため、
足利氏姫はその弟足利頼氏と再婚した。頼氏は喜連川藩の初代藩主
となり、足利氏姫との間の嫡孫尊信が跡を継いだ。
徳川家康の異父妹多劫姫は、最初の夫松平忠正の死後にその弟忠吉と再婚した
(その後さらに保科正直と再婚しており、3人の夫それぞれとの間に子供がいる)。
初代薩摩藩主島津忠恒の正室亀寿は、忠恒の兄島津久保の死後に忠恒と再婚した。
小笠原家初代小倉藩主小笠原忠真の正室亀姫は、忠真の兄小笠原忠脩の死後に忠真と再婚した
佐賀藩主鍋島勝茂の嫡男鍋島忠直の正室ムリ姫は、忠直の死後にその弟の直澄と再婚した。
勝茂の跡を継いだのは忠直とムリ姫の子の光茂で、直澄は別家(支藩蓮池藩)を立てた。
薩摩藩士北郷家で、北郷久直の死後に北郷久定が久直の娘千代松を娶って跡を継いだが早世し、
その弟の島津忠長(以後代々島津姓を名乗る)が千代松を娶ってその跡を継いだ。
男爵九鬼隆一の嗣子(次男)九鬼一造の死後、弟(四男)の九鬼周造が一造の妻縫子と結婚した。
ただし、周造と縫子はのちに離婚しており、また隆一の死後は一造と縫子の子の隆一郎が男爵位を継いだ。 姉上「あー太郎が帰ってきてる! 何そのヒゲ、えらそーに!」
ユニコーンの「ヒゲとボイン」を思い出したが太郎には合わんな。 >>137
あの2人の逸話、やり取りがお笑いぽくて微笑ましい >>137
一休は親鸞を天下一と評してるし
思想的には浄土真宗寄りだったみたいだよね。 今回名前だけ出てた大館殿って大舘常興日記で有名な常興こと尚氏さんでいいんかね、初登場? >>143
大館尚氏って2巻で細川勝元暗殺未遂やらかした人でしょ? >>144
本当だ、2巻に出てる
でも年齢的に応仁の乱の時の五番衆番頭はおじいちゃんの持房か、従弟の政重な気がするが・・・今回のは政重?下の名前が出ないとよく分らんな >>115
仁義なき戦い広島死闘篇のヒロイン(梶芽衣子)も旦那が死んで旦那の弟と再婚させられそうになってヤクザ(北大路欣也)とくっつくからのう
なおそのヤクザは親分に鉄砲玉として洗脳されて警官隊に囲まれて自殺する模様 >>148
あー10巻最後に出てる髭面な人ね、大舘治部少輔の名乗りだから尚氏でいいのかな? >>128
ユダヤ教だと神の怒り=雷に撃たれて死ぬからな。
なぜかG行為の権現じゃなかった語源になってるが。 一休さん出て来ちゃったか
現代日本人はアニメ一休さんのせいで一休さん像がかなり偏ってしまってるよなぁ
そもそも子供時代は一休なんて名前じゃないという話もあるが 新苦労「いつか奴等の足下にビッグマネー(万貫)叩きつけてやる」 >>152
和尚の崩れた感じが5,6年前にNHKでやってた「大人の一休さん」ぽいな
愛人の名前が違ったと思うが >>154
道腹でいきなりラップ合戦始めちゃったり、はっちゃけてた思い出が。 >>144
尚氏って名前から見て、義尚の家臣だよな、年齢的に若すぎるんじゃないの? >>142
元々のルーツは説法だってロン毛とパンチの
パンチの方が言ってたな 義尚を囃し立ててた近衆の中に結城DQNブラザースも混ざってたんだろうか >>156
大舘氏は 新田氏の庶流で足利氏に仕えるようになってからは幕府の奉行人や奉公衆として重職についている
義政の悪夢に出てくるお今(乳母だった今参局)も大舘氏の出身
尚氏はこの後悪名高い結城兄弟や鎌倉幕府から続く官僚一族の二階堂政行と共に義尚の側近として権勢を振るうことになる
結城兄弟みたいに義尚の没後について即失脚逃亡ということにはならなかったけど >>101
いや、昔はあったのよ。戦争で旦那が死んだ未亡人が、旦那弟と結婚とか。
子供が居なければ、実家に帰るとかも有っただろうけど、子供が居ると跡継ぎ云々も有るし。 >>158
あの時点で「尚氏」だったのかな
義尚が元服して義尚になる前だったのに
誰から「尚」の字を貰ったのか 戦時中の男がいない時代とそれ以前じゃちょっと違うような
氏姫や亀寿って家付き娘が婿取ってるパターンだし
実家があれば姉ちゃんみたいに帰るだろうし >>162
義尚の家臣になった際に改名したか、もしくは親子か、かなあ? >>112
うちの職場の元上司は兄貴の嫁さんと一緒になったと言っていたな
理由は聞いてないし、兄貴と嫁さんが死別なのかどうかもわからん
年齢的に戦争は関係ない いちいち自分の周りの事言い出したらキリがないからレビラト婚は普通にあったで無事解決でいいんじゃね 中央アジアの一般的さに比べると例外的にも程があるけどなw 元祐筆なら遺言書の偽造も難しくないか
やっぱり姉ちゃん強かだわ 当人どうしがそれでも構わないと言うならば、両家にとってはその方が都合がいいから……
程度で、当人の意思を無視して強制するほど強い規定はなかった、程度ではないかなあ
将軍家とかでは、もともと御台所の親族女性が次期将軍の元に嫁いでるから、レビラトはもともと不要 西岸先生の三丁目の夕日だったか鎌倉ものがたりだったかは忘れたが
婿入りした先の奥さんが亡くなって、一度家を出た後で
奧さんの妹と再婚してまた婿入りする話があった気がする 大河ドラマで先週あった畠山氏を滅ぼしたやつ、
畠山重忠さんの未亡人が足利の人と再婚して源氏系畠山氏に
なったというのも室町時代に続く話なのでヨシ >>162
初名は重信で義尚の将軍就任後に偏諱を受けて改名してる >>176
世間全体では興味ない人の方が多数派というか大多数だと思うけど、この漫画のファンのなかではどちらが多数派なのだろうか >>177
尚氏の息子は晴光だよな
通字ないんかな大館氏って 通字より偏諱優先って感じだな
晴光の子も輝光だし、弟は藤安だし この漫画のファン全体でも『歴史マンガだから』読んでるわけではないだろ
あとここはゆうきまさみスレなのに全く関係ない日本史の話をするスレだと憚ってる厚顔無恥が多すぎないか
話の上で脱線どころか最初から明後日の方向に突っ走ろうとしてる 総合じゃなくて単体のスレ立てようか?
したら住みわけ出来るっつうか 新九郎単体スレじゃなくて歴史のお話したい奴が全員節度を持って移動してくれればそれで済む話
嫌なら見るなとか言う輩がいるけど何故専スレでスレの趣旨に沿った話題をしてる方が配慮せにゃならんのかと 歴史版を追い出された中途半端な歴オタのせいで
センゴクスレも潰れたからな
このままだとここも同じになる >>186
最初もほうれい線入れて年食ってる感じにしてた >>181
ゆうきセンセが、これまであまり触れられなかった時代を
独自のセンスで描いてるから、読んでる この時代、一休さんは既になくなっているものかと思っていたが生きてたんだねぇ
そういや大河の花の乱にも出てたっけ、一休さん 今日の国葬ニュースで思い出したけど、
(安倍元総理死亡直後の、まだ事件の背景がなにもわかってなかった頃に国葬と決めたあとで統一教会問題が大ごとになった結果が、まあ結果的にみて勇み足になったことで反対もでたんだろう)
少し前に大御所義政さんの夢にもでてきた普広院さん、嘉吉の変のときも、赤松氏の単独犯ではなく、背後にいそうな有力者が複数浮かんでいて、かなりヤバイ情勢だったそうだ
管領の持之さんは、主君を守りもせずに逃げ出した臆病者と陰口を叩かれ、また、襲撃時にうけた傷にも耐えながら事態解決を図って、心労と過労と傷の悪化からだろうか、翌年には死去してしまったようだ、
あとに残された嫡子の勝元さんはまだ13歳だったという 新九郎が胃潰瘍になるほど悩んでたの知ってて
宗長に代筆させて提出してた姉ちゃん
鬼通り越して鬼畜
>>144
そう思ってる人多いのか?
勝元襲ったのは大舘尚氏配下の連中でしょ?
あの時は切腹もんだって言われてたけど
そこまでのおとがめはなしだったんだね
まあ12か13の子供だもんなあの時は 万万が一、事が露見した時にあくまで自分ひとりの企てとして
新九郎はじめ伊勢家に累が及ばないようにした姉の配慮なんじゃね この79話で名前が出た伊勢肥前守盛種ってすでにどこかで登場してるっけ? >>117
新九郎が役目に付いてすぐ聡明丸にお酌する回かな 一休の愛人って森侍者って名前の方が有名かもね
確か目の見えない人だったかと
一休の名声を聞いて弟子にしてもらおうと思って行ったら
愛人にされちゃったという
ここで無関係な話延々と続けて
文句言うと「だったら別の話ふれよ」と開き直る歴オタと
一休はシンパシーを感じ合える関係かもしれない
>>194
そんな優しい配慮してたんだろうか姉ちゃん 荏原で読み書きの練習をしてたコワモテ君が今回護衛やってるのな
あともしかして今回って後年に伊勢【宗瑞】を名乗るのに関係する話なのかな >>193
奉公衆は意外と連帯意識高いからな
というかあれ襲わせたの義政だよな多分 >>197
森侍者ってしんじしゃと呼ばれていたから漫画も間違っていない。 現在歴史漫画を連載中なら、本当の歴史の話がスレで話題になるのは当たり前
ただ作者の過去作の関連話題を話すのは異常 サッカー漫画スレで実際のサッカーが話題にならない事はないし
料理漫画スレで実際の料理が話題にならない事もない
これらを嫌っても防ぐ事は不可能
むしろ不可能なのに発狂して荒らす自治厨が害悪なのは明白 それにしたって関係ない時代の話しだすのはおかしいだろ とまあ、わかりやすいレス乞食だから
『ある程度の脱線は致し方ない、普段はちゃんとレスしてるよ?』みたいな人は自制して欲しい 古いアニメスレであ~るネタがちょっと弾んだぞ
あそこも老人しかいないと思ってたら30代という若者がいて驚いた
ここで旧作話題にするの嫌がる奴は意外と若年なのかも >>208
過去作の話題じゃなくて、過去作の関連話題な
あーるの話題じゃなくて当時の写真部事情とか、
じゃじゃ馬の話題じゃなくて競馬の話題とか >>202
とセンゴクスレを潰した歴オタが開き直っております センゴクとキングダムはつまらな過ぎて無理
読む気ゼロ >>210
作中描写と明らかに関係のない歴史ネタとか、歴史ネタ繋がりで他作者作品の話とかで盛り上がったら論外だけど、
作中ででた描写の関連話題を禁止するのはおかしいだろうに >>211
俺もセンゴクとキングダムは読んでないな 歴史漫画のスレでもここまで関係ない時代まで話題にするスレも珍しいと思うけどなあ
皆スレチにならないとこを探って知識披露してる感じ なんかずーっと歴史話を粘着してる自治厨いるな
話についていけないからスネてんのか?第一自治は気取るが
ゆうきセンセの話も新九郎の時代の話もしないしw 逆ギレも程々にな
明らかにスレチな話題は言われた時点で遠慮すべき 月刊Outを読んでた頃は、
この作者がこんなに頭のいい人だったとは知らなかった(失礼
そいやヤマトタケルも歴史ものだよな一応 >>216
道真(ミチザネ)の件は、ひょっとしたら道真(ドウシン)が単行本にでてきてたことからの派生じゃなかろうか(憶測) >>222
ヤマトタケルは歴史というべきか神話というべきか迷う、かなり境界線ぞいかなあ 歴史の諸説に明るいからといって頭がいいわけじゃないだろ
日本史学自体が学歴あっても頭の悪い奴のすくつだぞ 日本史学会の半分は朝鮮人だからな
おかしいのも仕方ない >>225
別に新九郎だけ読んでそう思ってる訳じゃないぞ ゆうきまさみ作品で太田といえばコイツ↓
https://patlabor.tokyo/character/290/
まさか太田巡査の御先祖様がムッシュー道灌なんてオチはないよなw >>226
自警団がうるさいから簡単に書くが国籍や出自は関係ないぞ
>>227
作者個人についていうなら俺は「頭の悪い」類の人間だと思ってるがね
どんなことであれ公然とイデオロジカルな発言をする奴は頭悪いよ
革命闘士みたいに自分以外は全部敵っていう潔いw人生を望むなら別だけど
出てけ言われそうだから止める >>228
そのページ酷いな
>規律や上下関係を重んじる典型的警察官
>命令や指揮を無視して暴走をすることも多い
こんな短文で致命的な矛盾繰り込むのはなかなかできることじゃない
太田に限らずパトレイバーに警察に対する冷笑があるのはみんな知ってるんだからカスだとはっきり書けばいいのに >>229
頭の良い悪いって何を基準で考えるかで結構変わってくるねー
そういう意味での分類なら確かにそうかのかもね 饅頭の皮みたいなのに蜜だか味噌みたいなのつけて食べてたけどあれなに? 2日前に西荏原(西江原)で殺人事件があったな。
容疑者である被害者の孫は逃走し死んでしまったらしいけど。
伊勢掃部助家は戦国時代末期以降荏原での痕跡が無くなってしまったようだが、今の西江原地区の住民の先祖は伊勢掃部助家の家人や地域の百姓だったんだろうか? >>226
外国人の一世が日本史の研究者になることはまず無いだろ。
二世、三世以降は日本の学校に行って育てば
日本人だよ。まあそれでも日本史の研究者ややらないんじゃないか?
お前の先祖だって1500年くらい遡れば半島出身かも知れないけどな。 えー、でも日本人がフランスに行ってロシア史を研究するとか稀によくありそうだろ。 というか、日本人の一世が外国の歴史の研究者になったケースと言えばエジプト史の吉村作治。 変な方に話が滑ってるから>>225を補足してほんとに終わりにする
日本史学界は進歩的文化人として唯物史観に沿うというのが未だに主流だが
同時に天皇は万世一系唯一の支配者だという矛盾した幻想=皇国史観のコアをも固持している
その真意はともかくそんなわけで国籍や出自は無関係というかむしろ極左的国粋主義者かなw
これで本当に止める >>243
じゃじゃ馬の後書きで凱旋門賞レポートの時普通に顔出しで写真載せてたけどな 義尚が髻切った時の貞宗の顔すごかったなあ
ああいう顔もできる人なんだなあ
梅ちゃん先週の重賞2つとも中てたんじゃないかなあ パトレイバー原作ヘッドギアとして何度か顔写真を掲載してたけど、もう30年ぐらい昔だしなぁ >>241
少し前までは、近代歴史学の中国史で著名な研究者はみんな日本人だったけど 幼少の時パトレイバーのテレビアニメ見てたが最後のテロップに、
この物語はフィクションである。が、10年後は定かではない。
にワクワク感を覚えたっけな 最近の展開を読んでると、盛貞が義政の勘気を蒙らず、新九郎がすんなりと義尚に取り立てられてたらどんな人生になったんだろうかと思う >>253
あの時代のあれやこれやは、だいたい義政のせい、だからな
義視や政知といった兄弟も義政のせいでハシゴ外されてるし、そりゃ政知も曇らされるわ >>249
ちょっと前の中国史の研究者って日本人かフランス人が多かったもんなぁ >>254
新書「嘉吉の乱」でも「応仁の乱とその後の混乱はやっぱり義政が悪い。当事者意識がなさすぎる」とバッサリ
ただ中国でも六朝みてると君主以外の自律的な権力を削減して君主に集中するのってかなり難しい印象。
ましてや君主権力を強化しようとした親父(義教)が暗殺されてのみてると肝心なところでビビるのは無理ない
1巻でも貞親も「御所さまはご父君義教公の最後が目に浮かぶのだろう」と言ってたし >>254
「新九郎、奔る!」を実写化するなら足利義政役は大泉洋にしよう。「全部大泉のせい」w >>243
ジャンプを選ばなかったのはジャンプの顔出し表紙を避けたのかな? 御手打ちを止めたことで新九郎が義尚の勘気を被るのか >>261-262
史実だとこの後に義尚の申次や奉公衆になってるからそれはないかな この漫画の義尚と新九郎兄弟は付き合いが深くて長い。
それで数年後にいきなり見知らぬ義材が来て無茶なことしだしたら忠誠心持てと言われてもね >>266
新九郎は足利義尚の奉公衆になってすぐに駿河に下向し、小鹿討伐後も今川の元に留まって京には戻らなかったので義尚の死も義材の将軍就任にも立ち会っていない
義尚晩年の乱行や側近の専横も直接見聞きせずに済んだとも言えるけど 新九郎は後に伊豆で所領を拝領するから今川と政知の板挟みになるんだろうな
それと京への取り次役にもなりそうだから聡明丸ともか >>256
それでも、義政の時代の初期までは、ろくに武力を持たない貞親ら側近が幕府を主に動かしてたんだよな
そこまで将軍周辺に権限を集中できたのは義教晩年ぐらいになってからのはず
無理が祟って、長くは続かなかったけども。 >>269
いつの時代でもどこの国でも古今東西、中央集権化が進む間はそんなもんだよ。
その過程を過ぎて中央集権化が極まったり、生産技術が広汎化してコストダウンを求めて地方に資本や中央で負けた人間が逃れていくと中央が弱体化する。 伊勢氏が数代に渡って幕府の事務方やってたのは
比較的世の中が安定していたからじゃねーの 古くはエジプト中王国、さらには趙宋王朝初期みたいに儀礼化で地方宮廷を解体していこうとするのは兵力的に全土を併呑する力がない王朝ではまあある話。 義尚、もう新九郎と同じくらいの体格なんだな
無精髭めいていた太郎もしっかりとトリミング髭になってるし各々の年輪の積み重ね方が丁寧だ 死なないのは死人だけ
親死に子死に孫死に、これが一番めでたい 盛定はいつまで生きるんだろうな
長生きして欲しいけど、駿河行きには同行しそうもないしなぁ 同行するかもよ
中央から消えるから記録からもフェードアウト 京と須磨の菩提から離れる気になるかな、という気もするが >>238
そんなに遡らんでも江戸時代に政争に破れて逃げてきたよ。日露戦争で戦死出してるから日本人だけどな 何が典拠なのかは知らんが
新九郎の方が養子に出たという設定の小説もある
兄が健在だが備中から出ずにフェイドアウト 浅田真央も在日コリアン三世だしな
力道山、大山倍達、前田日明と「日本を代表する英雄」に
なりたがるのが多い印象(美空ひばりとかも) >>282
力道山→北朝鮮シンパ
大山倍達→反共壺カルト
前田日明→反共壺カルト(極真松井派)に取り入ろうとして門前払いに >>277
息子から芋づる式になんか史料見つからないかねえ ゆうき先生が父ちゃんをどうするかが一番信憑性がありそう
黒田先生も協力なさってるし >>281
Wikipediaの後北条氏のページだと、新九郎が伊勢駿河守貞雅なる人物の養子に入ったと書いてるんだよな。何が出典なのかは分からんけど
でも北条早雲のページにはそんな事は書いてないという
これに限らず新九郎奔るに関連するWikipediaはページ間の矛盾がいろいろあるから参考にしづらい >>277
黒田先生が歴群の記事で触れてるけど、「北条早雲」が88歳と長命だったというのは父の盛定の没年令と取り違えられたものらしい
そうなると1420年(応頃永27年)生まれの盛定の没年は1507年(永正4年)ということになり,新九郎(伊勢宗瑞)が50代になってすでに伊豆に勢力を確立していた頃まで存命だったということになる
息子に付いて伊豆に行ったのか、京に残ったのか、あるいは荏原に戻って法泉寺で余生を送ったのどれかになるのかも 父ちゃんは今川で厄介になるパターンもありそうだな
そこまで生きてるか知らんが >>288
wikiを信じている時点でゴニョゴニヨ >>283
ソースはない模様
朝鮮顔だからかな?彼女は反日言動がないから大丈夫だよ
まだ吉永小百合のほうがあやしい。うんこしないとか嘘つくなって >>283
美空ひばり、和田アキ子、松坂慶子なんかはとっくにマスコミでも解禁されてて
女性週刊誌っとかでも公然と語られてたから、自分以外の世間では常識かと思ってた
今ネットを見ると、まだ生粋日本人説を主張してる人もいるんだね
プロレスは好きな世代なので色々調べたものだけど
星野勘太郎が韓国で大人気だったのは現地では本名の韓国名で
試合をしていたからで、藤波がWWFジュニアを返上する際には
韓国で「タイトルマッチ」をやって藤波から王座を「奪取」した
(当然日本では報じなかった)なんて話を聞くと、一粒で
何度もおいしいコンテンツだなあと実感してしまうw つか別に変な国家思想にでも囚われてなければ出生とかどうでもよくね? >>290
子供も孫もこぞって駿河に行ったら京都で独りだからなあ
ついてって新九郎のブレーンみたいになるかもね
須磨の位牌は持ってくでしょ
あ、でも亀ちゃんは京都で嫁ぐんだっけ
だったら残るかな 盛定パパの晩年はよう分らんし、いくらでも創作できそうではあるな
というか9代義尚時代にも生きてたかどうか分らんか >>304
なあに、信長の祖父だって信定だったり信貞だったりして記述が安定してないし、よくあることだよ
特に当時は。 姉「父上の借金なんだから、父上が死ねばチャラに出来ないかな?」 >>309
偽書作りの時もそうだったな姉ちゃん
どう転んでも自分は無疵 さすがだ >>309
盛頼が借金取り立ててる描写を見るに
死んだからって団信発動!は無いようだが
家に貸してるんだし 一時的には踏み倒せるかもしれないが、それ以降、誰からも借銭できなくなる。 >>306
信長の祖父に関しては本来は信貞なのに
江戸時代の織田家が織田敏定に繋げるために恣意的に信定と書くようにした疑惑があるからなあ >>313
西原理恵子センセイも仰られてるが「返せない借金は借金ではない」からね サイバラは先生扱いしたくねえなあ
作家だけど大分下の方のヨゴレだし 鉢形城址行きたいけどまだ暑そうだな
>>316
本人が一番先生呼ばわりを嫌がるだろうけどね
ああいう毒が受け容れられる社会であるのはいいと思う
お嬢さんはお気の毒だったが >>299
文正の政変の時は駿河に行ってるけどね
京に居られなかったからとはいえ >>319
むしろ、その時点ですでに駿河とのつながりがあったから娘が義忠と縁付いたのかもね >>317
麻雀のころから楽しんできたけど、娘さんの告発で
結局まわりの人をネタとして消費してきただけというのが見える化されちゃって
もう読むのがきつくなった >>314
まあ、信定の偏諱をうけたとおぼしい人たちが軒並み定でなく貞を使ってるんだし、信定ではないのは間違いなさそうではある 弥次郎は新九郎と伊豆で活躍するのは確定だから、とーちゃんが京都や荏原に残るようだと面倒見てくれる人がいないよね。
とーちゃん生活力なだそうだし。 >>315
薩摩の250年払いも返さないぞ
もし本当に返済していたら完済するのは2087年くらいだから >>324
島津藩として借りたのなら日本政府に返済義務がある
受け取るほうはいまどこにいるのかな >>323
なさそうだねえ
姉ちゃんは駿河で宗長はじめ文化人と交流してたっていうから
そこで居候が現実的かな 龍王の姉ちゃんはどっかの公家に嫁ぐんじゃなかったっけ? >>323
まぁ、身の回りの世話は家臣がやってくれるだろうけど・・・・
息子、娘が居なかったら、父ちゃん寂しくって死んじゃいそう そういや、新九郎奔るのタイトルで北条5代全部出来るんだな
さすがにやらないだろうけど >>332
後北条氏滅亡までやったら神漫画になるだろうけど 、最終回まで俺が生きてられるとは思えない >>333
そもそも新九郎の時点で備中伊勢氏の宗家じゃないしたいして存続に関係ないのでは >>297
史実はともかくこの漫画の父上が、連歌の会も気楽にできないド田舎に行くはずないと思う・・・ 家督は新九郎が継いだけど備中伊勢家自体は盛定の代で取り潰しになってるんじゃないの?応仁の乱の終結後に再会した貞藤にも言われてるし
領地は没収されてないから宙ぶらりん状態って事になるのかな >>323
京都が一番暮らしやすいんじゃないの?銭さえあれば。
同族の伊勢一門の庇護も期待できるし、京都の警察権はなんだかんだで最後まで幕府が握ってたんだし。 >>337
宗長「やりましょう、新しい歌会を。そうだ、道灌殿も歌には明るいようだし関東の歌人を呼んで」 >>338
あるいは本家の伊勢守家預かりみたいな物か 本家の食客みたいなものか
別に本家の方針に口出しする性格でもないし貞宗も悪くは扱わないだろう >>339
まぁ京都人にとっては京都以外は田舎だからな 備中伊勢氏の本家は盛定父ちゃんの兄ちゃんが本家なんで家の存続は新九郎とは関係ない
父ちゃんの隠居と新九郎の無位無官で実質断絶状態なのは盛定が興したの備前守家 その備前守家も位階官職与えられてないだけで
領地没収されたわけではないので取り潰しとは違う
牢人したわけではないんだよな 作中では新九郎もお目見えを許されてるしな
降格であってクビではない >>338だけど備中じゃなくて備前でした。ややこしくてごめんなさい
盛定は貞宗の政治顧問というか相談役として今の連載時点でもそこそこコメントを求められてるから結局京都から離れないと思う >>349
どのタイミングになるかは判らないけど、この結末だと思う。
そして、千千代が跡継ぎになるとか。 >>326
宗長さん、この後波瀾万丈な人生だけど85歳まで長生きするんだよな
死んだのは新九郎や伊都、氏親より後 Wikiの備中伊勢氏の項に「伊勢隆資」という人物がいたことが紹介されているけど
「資」の字から那須の匂いがするので千千代丸のことじゃないの?
那須隆資として元服したけど後で伊勢に復姓したとか >>355
いや、母の弦姫が架空の人物なんだし千千代丸も架空じゃね?
ああいや、隆資から逆算して千千代丸が創作された可能性もあるのか。 >天文七年【1538年】頃、国重刀工が生活していた備中国荏原住国重作と銘を切って作刀していた当時の東荏原荘【ひがしえばらのしょう】の領主の伊勢隆資【たかすけ】が出雲国の尼子氏の軍勢に滅ぼされ、同年、どう言うわけか、国重刀工は、備後国西条住国重作という作品があって、尼子氏に連行されたのか、どうかはわからないが、そんなお話しを数話前に紹介させていただいた。
http://ad19420605.livedoor.blog/archives/1978875.html
隆資の代で備中伊勢氏は滅ぶのか?(当惑) 盛頼のその後の家系もよくわからんし、那須の血を引いた人間が備中伊勢家を継いでてもおかしくないな >>359
えらく読みにくいブログだな
隆資の「隆」は毛利隆元からの偏諱だろうけど、「資」が那須氏との関係を示すのかよくわからんな
荏原荘に残ってる伊勢氏関連の文書では1530年代まで「盛」の付く人名が多くて荏原を退去するまで通字として使ってたようなので、この諱は誤記でなければなにか事情があったんだろうな >>353
TOUGHでないと異国関東で生き残れないな >>325
明治政府が徳川幕府が諸外国と結んだ契約を始めは踏み倒そうとしたが
マジ切れされて泣く泣く買い戻した話思い出した からくり事件帖で佐野浅夫が近藤正臣に、日本は無理やり手篭めにされた生娘がアバズレから遣り手婆になるようなもんて言ってたが新九郎も梟雄になっていくんだろうな >>361
隆元は1523年生まれで元服したのが1537年だから偏諱は考えにくいな。
このスレ住民的にはつる殿の息子千千代丸が将来の伊勢隆資に落ち着くのが一番じゃない?非業の最期は想定外だけど。
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/43/saiho_43_72.html
続柄は不明だけど盛平・隆秀・盛勝と続くから一応新九郎の血筋は西でも戦国時代後半くらいまでは残ったということで。 >>364
新選組「お金がないのならどこかから押し借りすればいいじゃない」
会津藩「せやせや」 >>367
後半はむしろ会津藩が新選組が押し借りした金を当てにするようになったからなw
しかし新九郎も苦労してるように貨幣経済の台頭は平安末期から始まってたのに
武士の脳みそから銭は卑しい物という固定観念は武士階級滅亡まで消えなかったのは何故だろう ふと思ったんだけど
第3集で新九郎が「ではなろう!お主らが恥じぬ主にな!」って叫んだ時の顔は
パトレイバーのラストで野明が内海に
「やっていいことと悪いことがあるぞ!」と叫んだ時の顔を彷彿とさせる
この二人顔も性格も似てるかな 引き出しが少ないと、ちょっとでも類似があると見たもの何でも似てる似てる言い出すのな
まあある意味人生新鮮で羨ましいが >>367
つか、攘夷派など反幕府の連中も同じように押し借りしてたけどな
むしろ、押し入った先の人を殺しまくるなどしてて、より悪質だった
江戸時代の貨幣蔑視については儒教の弊害が大きいと思う
貨幣に慣れてなかった前半の武士とは全然別だろう さすがにそれは例外として、
室町時代だと、銭勘定もできないヤツは(経営能力のないヤツは)生き延びれてないと思うけどな
作中でも随所に銭関係の話題がでてるのは、現代っぽい描写じゃなくて史実の反映だぞ >>373
変態だけど
金が何たるか
どうすれば金を人の為主君の為に活かせるか
理解してた凄い人なんだけどな
変態だけど
後子孫の教訓とはいえちったあ残したれや >>375
子孫はヤバそうな書類は全部焼却したんじゃないかな 昨日の話題だけどそもそも一族で一番有名なのが備中に旧領があった新九郎だから
備中伊勢氏と呼ばれるようになっただけで本来の本領は丹後っぽいよね
盛富伯父上が相続したのが丹後川上本庄な辺り >>325
今返されてもインフレで100円以下の価値しかないだろうけどな wikiの弥二郎のページ、「一節には盛興」がいつの間にか付け加えられてる
父親と八郎貞興から一字ずつ貰った漫画オリジナルだと思ってたんだが・・・もしかしてソースはこの漫画!とか? 関ヶ原の戦いの後、徳川家康が北条氏盛に「君は北条姓を名乗っているけど、本当の先祖は伊勢氏だよね?父祖所縁の地に移封してあげるよ」と言って河内狭山から備中荏原に移封されていたらどうなっていたか。 >>380
おいらもウィキ見たが、元ネタは黒田基樹説でしょ?黒田説をゆうきまさみが採用したと思われ。
>近年、黒田基樹は北条氏照の旧臣で宝蔵寺(埼玉県朝霞市)の開基となった高橋家の過去帳に旧主北条氏の一族として、「伊勢丹波守盛興石雲 古又伊勢弥次郎」という人物が記載されていることを紹介している。同記事によれば、伊勢弥次郎盛興は早雲寺殿(伊勢宗瑞)の伊豆平定中に負傷して出家し、大永2年(1522年)7月28日に59歳で死去したと記されている[注釈 1]。現存の過去帳は1950年代に書写されたものであるが、信頼性が高い高野山高室院「北条氏系図」と比較して同系図に記述のある部分については内容が一致している事、弥二郎の終見文書が伊豆平定の鍵を握る存在であった大見三人衆への取次に関する文書であるから、黒田はこの過去帳の後北条氏と弥二郎の経歴に関する記述の信頼性が高いと判断している[1]。
ウィキの引用元は黒田基樹著「伊勢宗瑞 (シリーズ・中世関東武士の研究)」(戎光祥出版)。Amazonで調べたら新品・中古とも18,500円超えてた… 伊勢守家は貞親も貞宗もずっと京にいるけど(失脚した時以外)、所領はどこなんだろう >>382
ちゃんと文献はあるのね、ありがとうございます
前に暇を持て余して新九郎からwiki巡りしてた時には無かった筈なんだ >>384
「伊勢宗瑞」を読んだ歴史マニアが付け加えたか、あるいは黒田氏自身が加えたかw >>378
北条早雲1432年生まれ素浪人説が受け容れられていた頃でも
「一族で一番有名なのが備中に旧領があった新九郎」だっただろうか? >>388
そもそも「備中伊勢氏」なんて名前が出来たのが新九郎備中出身説が唱えられてからじゃない? >>383
越中(富山県)の高岡市や富山市には「伊勢領」という地名が散在しており、この近辺には政所代蜷川氏の名字の地である蜷川があるのでこの辺にも所領があったかもしれない
もちろんそれだけじゃなく山城など各地にあってそれぞれを代官が差配してたんだろうけど
備中伊勢氏も荏原荘以外にも長兄が分割相続した丹後があり、作中では山城には大道寺が監理していた所領があり、新九郎はそこで育ったことになってる もともとは伊勢国が根拠だったはず、それゆえに伊勢氏だったはず >>393
本命が来ても穴が来ても外すのが梅ちゃんやで 三職七頭の中でも伊勢だけは所領も目立つものはなく配下の兵も戦うレベルではないな
他は最低一国以上の守護として軍事力もかなりのものなのに
貞陸の時に山城守護にはなってるけど警視庁長官みたいなもんだろうし 室町体制の本来だと、
侍所頭人が山城国守護を兼ね、侍所所司代が山城国守護代を兼ねることになってたらしい
まさしく警視総監だね 室町時代初期ぐらいまで、もしくは半ばぐらいまでは、所領の単位は荘園であり、国司や守護は所領経営の単位ではなかったんだよな
作中の時代は、その末期ぐらいか
経営単位はあくまでも荘園、新九郎にとっての荏原
主だった武士達はどれも、大きな荘園を持ってるか複数の荘園を持ってる 直接の所領は少なくても、将軍御料所の管理を通じて相当の利益があったのかも。管理と所有の区別が曖昧な時代だし。 荘園の領有権は上中下3段階ぐらいにわかれてるのが普通なわけでな
上から、本家領家荘家と呼ぶわけだが、現地で管理するのが荘家、中間領主(地元の大寺社とかが多い)が領家、最上位が本家だが、御領所は本家が将軍家、領家が家臣(奉公衆とかが任されてる)、その下が現地オーナーって感じだろ
幕臣の領地でもあるわけ あと
荘園制のなくなった江戸時代でも、旗本領とか幕府代官の領地を幕府直轄領と言ってるわけだし 新九郎叔父を恨んでるけどあの状況だと盛景が処断しなくてもどの道兄上はダメなんじゃなかろうか 割り切れないだけで
恨んでるとかではないのではと思っている 仮にあの時に死ななかったとして、盛定の備前守家からは廃嫡
よくて西軍では貞藤の備中守家に養子扱いで編入か?
それでも貞藤には正嫡の貞職がいるからその先に目はないな
更にいうと今出川殿の息子(義稙)の代まで生きてられるほど八郎にはマンガ的運命力は感じない >>401
生きてても廃嫡だろうしね
八郎本人も「家督なんぞ新九郎にやるわ!」って言ってたし 姉さん京に戻って長いから、八郎の件の真相は既に知らされてるだろうな。 それは母上の位牌でしょ
むしろあの時に八郎も一緒に入ってるって言われなかった以上知らないままの可能性の方が高いと思う
盛定と貞藤が再会した時に(伊都も顔出しした際)もちょっと不自然なくらいに病で亡くなった須磨と同列のように死んだとしか言われなった あ、>>407のレス前半は撤回します
持仏堂には両名収まってるけど八郎の死因は弥二郎さえ病死だと思ってるくらい徹底してるんだから伊都も知らないはず >>382
世の中には図書館という便利なものが…
その本置いてあるような図書館は限られるけどね >>404
八郎があそこで死なずに西幕府で生き長らえたあと、応仁終結後にどんな顔して京に戻るのかは気になる 今出川殿の下向に付き添って京には戻らない気がする
オキナガになって500年後にもボケ半分に義視さま~っ!しか言わないbotと化してる方がゆうき漫画チックではある >>368
せめて卑しいものとしないと上に立てないからでは?
新九郎の頃とっくに土倉なんかに財布握られてたし 後漢の頃の「塩鉄論」という書は、「国が商人の真似とか恥ずかしい」「金あっての国」みたいな討論の記録。 >>410
ダメ元で検索したら市立図書館には無かったが県立図書館にありやした!
仕事の帰りに借りてきます┗(∀`*)┫=33 図書館で目当ての本がなくても
取り寄せ依頼したら他の図書館から融通してくれるし
なかったら新規購入してくれる >>414
漢文の討論形式でよくあるやつや
実際には鎌倉武士どころではなく修羅の国みたいだけど 今週号の時点で今何歳なのかよくわからなくね?
登場人物の名前に年齢もつけてくれ
現代の記事みたいに「誰々(20)」ってカッコ付きで年齢書けばいい ほとんどの登場人物が生没不明なんだから無理じゃね? まあ年齢は大事よな
現在でもいっこ違っただけで先輩後輩の間柄になって人間関係に大きな影響及ぼすし
年上が年下に何か反論されたらその内容以前に
なめられた!ケンカ売られたぜこの野郎!
ってなっちゃう この漫画では北條早雲は従来の定説通りの90才近くまで生きてた説なんだっけ? >>424
従来の定説だと、義忠の正室になったのは姉ちゃんじゃなくて妹になるんだよ >>424
60代な
息子の年考えたらちょうどいい 目つきの悪い福島殿は綱成のご先祖なんだろか
本人は年食ってるけど息子世代が一緒に伊豆乱入かね >>423
先週若輩の将軍様が年上の側近になめられて成敗しようとしていたわけだが 先週の第79話からすると、父・盛定の勘違いから小笠原政清に、息子が娘さんを嫁に欲しいらしく、とか話してしまいそうな気がする。とはいえ次話は予告のタイトルを見るに盛頼の再登場か、史実で伊勢新九郎が借銭したと記録に残っている相手の渡辺帯刀尉の登場かな? わかった!
頼朝の下文が偽物だと論破して千千代丸を那須の後継者にねじ込めばいいんだ!
姉ちゃんは将来「じゃじゃ馬」の千草母さんみたいになるのかな
今は年相応にしくじりが多いけど >>432
論破するのと後継者ねじ込みにあまり相関が無い気が >>433
那須家が荏原支配してる拠り所はあれでしょ >>434
だから論破しちゃうと戦になるだけで、後継者の捩じ込みなんか出来ないで。
基本的に武士=ヤクザだからプライドを傷つけるようなことすれば武力衝突にしかならない。
もし、新九郎があの場で論破してたら、その場で切り殺されていたでしょう。 どっかのたらこや反社弁護士の影響なのか逆転裁判の影響なのか
論破したことなんて基本なんの意味も持たないぞ?むしろ損する >>436
飛田新地やアイフルの子会社の弁護士やってた橋下徹より武富士やたかじんの弁護士やってた吉村洋文のほうがアカン事について だからそこは上手くチクチクと
これ御所様に言ったらどうなるかなーとか
黙っててほしかったらさー千千代をさーって
たぶん新九郎がやらされるに違いないうわー 新九郎に金貸したおかげで歴史に名が残った渡辺帯刀さん 安土宗論でも「そもそも論戦なんかやるなよ。大名でもやらんぞ」
って信長からきつく言い渡されてるからな >>430
そりゃ、年齢より身分のほうが重要だからな >>437
吉村洋文って、菅直人が橋下をヒットラーに例えた(独裁ではなく弁舌の巧さ)時に「国際法上問題があると意味不明な事を言った弁護士さんですか? 信長や信玄の時代になると他人の地に攻め入ることは珍しくもなくなって
日本中のあちこちで大義名分なんかなくても利益を求めて他の領地を侵略するようになったけど
この漫画の時代の時点ではまだそういう強者は堂々と奪ってよしな戦国時代気分じゃないんだろうな
だからいくら細川や山名が強者でも後の戦国時代みたいな領地拡大はできなかった(しなかった)わけで もしこの漫画の時代の時点で信長や信玄が生きてて織田や武田の当主だったとしても
美濃や信濃などの他国を侵略したりせず自国でおとなしくしてたんだろうな 爺さんの信縄が弟と親父の連合軍とバッチバチにやりあって信虎の時まで甲斐ぐちゃぐちゃだし氏親とド突き合いしてるしだから
そもそも自国で大人しくできないぞ じゃあ室町中期に
分一徳政っていまいちようわからんのだが
同時に両者が幕府に1割納めたら裁判は普通にやるのか? シスコンで、筆おろしは年上なのに、嫁は幼妻か・・・・ 本当はロリコンで貧乳好きだけど
諸事情で胸のある大人の女性と結婚している人は割といる 京、荏原、駿河の往復ってこの時代の人にしては移動距離が半端ないな >>450
つる殿バキバキのシックスパックなのになぁ >>447
甲斐源氏は先祖由来の内ゲバ体質で親族係累同士の内輪揉めが
絶えないところだから特殊w
武田の本家分家は上杉禅秀の乱以来関東の乱に関わり続けていて、
特にこの話の頃からは信昌と信縄の親子相克が関東勢のどちら側を
味方にするかの争いになり、新九郎はまさにその争いの渦中に
叩きこまれるわけで、これがスレチなら「北条早雲」という
名前もスレチになっちゃう >>455
普通に仲の良い姉弟で
とくに腹違いの弟が姉に強い恩義を感じてるというだけだな
もともと庶出ということからか、家の母にも産みの母にも強めの愛情とコンプレックス持ってるし
後ろ暗い出生の秘密を与えてしまった千千代丸のそのあたりを笑い飛ばした盛頼はマジでありがたかったと思う >>453
某時代小説だと、新九郎と姉がモロ近親○姦でヤバい内容だったよ(白目)挙げ句に姉ちゃん、小鹿範満にレ○プされるし、茶々丸はヤベー奴だし >>460
歴史ものや時代ものは作者の隠れた性的嗜好が出るから好き。
シバ=センセイが「国盗り物語」で道三の嫁に幼児語で性的卑語叫ばせたり陳舜臣=センセイ(司馬センセイとマブダチ)めやたらおねショタ展開(13歳の匈奴の王子に性的に調教される蔡琰とか)やったり漫画だとセンゴクでもお市さんがアナル首締め解禁の超ハードM嬢だったり
あと隆慶センセイはややロリコン気味とか 史実の大道寺重時(太郎)には盛昌(駿河守)という息子がいるからちゃんと嫁さんもらうはず。 >>463
そうか、あの作品には南原幹雄先生の性癖が反映されているのか…(どの作品かバレるなw)
ちな富樫倫太郎の「北条早雲」は「主人公が理想論者」「オリキャラ無双」で近年の戦国大河っぽかったのは内緒です。 そのいいかただとゆうきセンセがお姉さん好きなの分かっちまうじゃねーか >>454
鎌倉時代ぐらいから、武士が必要に応じて長距離の移動するのは珍しくない
平安時代でも国司の現地赴任で何ヵ国か歴任してたら全国行脚みたいになるものだし この時代のまともな家の主従の男が晩婚となる理由がないしな 「三浦道寸は享年66、嫡男義意は21だから義意は道寸45歳のときの子どもになる。若い頃は別の女性を娶ったが、何らかの事情があって義意の母(横須賀連秀の娘)を後妻としたのではないか?」って、「中世武士選書36 三浦道寸」に書いてありましたよ。
だから新九郎も太郎もそろそろ嫁取りするでしょう。 富樫の小説だと小鹿範満を討つよりずっと前に
最初の妻と息子がいたけど早くに両方亡くしている 神奈川県立歴史博物館で中世の武士に関する特別展をやるらしい
鎌倉中心だろうけど新九郎関連も何かないかな
早雲寺展はおもしろかったな >>472
15世紀までは関東の政治的な中心地だったし、あると思うよ 先生をわざわざセンセイとかセンセとか書くヤツって痛いのを自覚してないんだろうか 大して痛いとも思わん
彼岸島スレ行ったらセンセェだらけだし 痛いというか単に年寄りって感じだな
60歳以上なイメージ いうても漫画家や職業作家を先生と呼びたくないところはある
平気でエンタメの為に嘘つくから ゆうきセンセ って書いてるのはいつもDD論振りかざしてる人 >>458
父親譲りの弓の腕は新九郎を凌ぐかもしれないしね >>473
南原幹雄の「謀将 北条早雲」だよ。
ネットで一部試し読みできますのでどうぞ↓
上巻
https://www.kadokawa.co.jp/product/200412000345/
下巻
https://www.kadokawa.co.jp/product/200412000346/
>>486
「謀将」の茶々丸は些細な理由で農民親子を無礼討ちにしたり、妊婦を犯した後で腹を裂いたりするドキュソ。軍記物等での暴君定番ネタを盛り込んだだけかも知れないが。 >>487
途中から急にエロ小説みたいになってびっくり笑
まだ13歳というねーちゃんがやたら早熟でませてるのはどうしてなんだ 妊婦の腹裂きと通行人を辻斬りと家臣の妻をNTRはレギュラー選手として酷使されとるな
その点北斉は「殺した寵姫の骨で琵琶を作る」とか「叔母をレイプしたあげく縄を跨がせて歩かせる」とか「家臣の肛門に棒を打ち込んで殺す」とオリジナリティに溢れた暴虐描写 11歳で子供産んだりするのが当たり前の時代だから、そこまで不思議ではないのかもな >>479
そもそも先生って付けるのって、
クソ野郎だけど持ち上げとかないとって人に付けて呼ぶって学生さん生活で学ぶでしょ 先生と書くのはともかく、センセイやセンセって書くのは団塊世代だろ
つーかこの世代以外でこんな変な書き方してる奴見た事ない
学生運動とかの昔に流行った言い方なんだろうか 揶揄的ニュアンスなんだろな
今のネットスラングと方向性は同じなんだと思うよ ここまでどうでもよすぎる事で言い争う人がこの世に存在するという驚き 結城先生って発音したら「料理は愛情!」になるもんな >>88
銀さん、天罰ビームなくても偽リベンジャー返されてファイヤータービン食らった時点でマリポーサの勝ち筋なくなってましたぜ。 >>490
前田利家のこといってるんだろうけど全然当たり前じゃないぞ普通に変態扱いだ
伊達政宗は14で結婚したけど母親にまだ早いと18までおあずけくらってる 男が戦場に行くのにオマンコで送り出してやらないとか、ひでーことするよな >>487
その茶々丸の行動は創作の可能性が高そうだ
りんごくの武田信虎の暴政と同じ内容だし
単に、中央の権力者に逆らって挙兵して討伐されただけの、一介の反乱軍でしかないと思う
まあ、畠山持国(本作の端役である義就の実父)も立場的に大差ない気もするが 暴君の描写、大体その人を殺して成り代わった人の正当性を主張するためのもので国内では古事記にも書いてあるしそのルーツは多分中国 >>497みたいな小説ソースを史実だと信じて発言する奴ってなんなんだろうなw
基地外にも種類が色々あるんだろうな 未亡人云々でめぞんの話が出てたけど
めぞんには茶々丸という喫茶店もあったよな >>504
あんなに大量の酒が置いてある喫茶店があってたまるか
スナックな >>501
茶々丸が伊勢勢を返り討ちにし、堀越公方&伊豆の支配者としての地位を確立していたら「戦国の英雄」として逆に美化されてた可能性が微レ存?
で、南原幹雄が「謀将 足利政綱」と題して小説化w
(茶々丸wikiより)近世後期に高松松平家が編纂した『歴朝要紀』は茶々丸の名を政綱とするが、その出典・根拠は明らかでない。 五代がコーヒーいっぱいで1日時間潰す喫茶店は別にあったもんな 高橋留美子は何を思って例のスナックを「茶々丸」としたのだろう。語感が良かったから?
もし「政綱」だったらスナックでなく割烹料理店くさくなってしまう… 「山内上杉氏と扇谷上杉氏」によると立場上偏諱をもらうなら足利義材からになるから
茶々丸の諱は「材◯」だろうとは言われてるけどね >>510
足利 材氏(キウジ)→高校球児っぽい
足利 材同(キアツ)→お天気キャスターっぽい
足利 材経(キツネ)→新九郎「あれ?なんか既視感が」 >>361
大内義隆だろう
主替えの改名になるから当然前名がある
備中守護から貰って久資あたりになるか?
でもこれだと資は守護代庄元資が烏帽子親っぽくなるな >>515
株式会社とか有限会社とか付けたくなるな >>515
【朗報】足利茶々丸さん、廃嫡を機に材木業に転職 >>519
あの…私は足利の材木(キキ)です!こっちは佐藤のGG(ジジ) >>509
居酒屋とか飲み屋の名前で一番ツボったのはこれ
https://i.imgur.com/ZHYLY5h.jpg
ミスった店員を壁に塗り込めてそうなヤバさ もし茶々丸が廃嫡を受け入れて潤童子が堀越公方を継いでたら新九郎の伊豆討ち入りもなかっただろうから、歴史はどう変わっただろうか >>521
ゴールデンカムイの刺青囚人たちが飲み会やりそうな居酒屋で草。
あの時代の中国は赫連勃勃以外にも名前もキャラも強烈な人多過ぎ。禿髪樹機能とか。 なんかファミコンのゲームで茶々丸ってタイトルに付くのなかったっけ? 忍者じゃじゃ丸くんとか
ハットリくんのシシマルとか
じゃじゃまるぴっころぽろりとか
似た名前のキャラならそのへんの時代にいくつか転がってる >>529
>じゃじゃまるぴっころぽろりとか
ふくろこうじ・じゃじゃまる
ふぉるてしも・ぴっころ
ぽろり・カジリアッチV世、な >>521
これネタが通じる人ってどんくらいなのかな? 浅井三姉妹の長女が茶々だったな
時代も近いしもしかすると茶々丸さんをリスペクトした名付けだったのかもしれん 茶々
ダンソンとソン・モントゥーノをベースにした、キューバ起源のリズム、およびダンスである。
ラテン音楽のリズムの1つで、2拍子系。
キューバのダンス音楽ダンソンを改良したもので、1950年代に流行した。 CHA-CHAって芸能人グループがいたような気がする。 >>536
生き残ってんの勝俣邦和だけだな
>>537
石井明美はどこに行ったのやら… 新九郎は母親似の顔だと思うが歳を取ると父上みたいな顔になるのだろうか? >>541
一巻冒頭ではどちらかというと盛頼よりだったような 外伝「新左衛門、励む!」を読むと盛定さんは若い頃(29)から垂れ目、盛時はアラフォーの1巻冒頭時でも吊り目で母親似。 茶々丸は極悪非道なイメージとネーミングがどうしても重ならん
チャウチャウみたいなのが浮かんでしまう
>>540
夢グループ主催の懐メロコンサートに出てたな
よく新聞広告に出てるやつ 新九郎が吊り目なのは肖像画からだろうな
新右衛門さんも肖像画にかなり似せてる 黒田基樹「伊勢宗瑞」(戎光祥出版 2013年 定価6500円+税 品切れ)を読んでいるけど、ヤジローくんの諱は盛興説だけでなく盛重説もあるのね。 駿河大宅高橋家過去帳一切より。
伊勢丹波守盛興石雲 古又伊勢弥次郎
顕徳院殿前丹州太守天岩宗祐大居士
大永弐壬午年七月拾八日滅 五拾九歳
早雲寺殿伊豆国御平定折有戦功 然為戦傷 於常在寺御出家 称天岩庵宗祐
劉大蔵高橋左近将監高種幕下 為大宅高橋丹波守家為絶家 跡円覚院迅証道道難大禅定門 称大宅高橋丹波守石雲斎
1950年代はじめに古い位牌を処分するにあたって銘文を書写したのが駿河大宅高橋家過去帳一切。処分された位牌には弥次郎以外にも宗瑞以下後北条氏歴代当主&北条(大石)氏照とその正室、後室のものもあったみたい。もったいないなあ。 過去帳は武蔵国新座郡宮戸村宝蔵寺(現・朝霞市)にあった。開基した高橋一族は伊豆雲見郷の土豪だったが弥次郎が継承。その後北条氏照の家臣となり天正18年(1590)の小田原合戦の際に八王子城に籠城し戦死した模様。ちな宮戸村は氏照管轄の八王子領内。
ヤジロー君の末裔は一門衆でも御由緒家クラスの重臣でもなく陪臣化したのか。
源頼朝の弟たちみたいに粛清されたわけじゃないのに意外だ。 >>550
確かに弔う人がいなくなると寺の方も持て余しそうだしなあ。
今なら博物館や研究機関に寄贈されるのかな? 勿体ないって言われても
普通の人が歴史的資料を保存していても一円にもならんしな 駿河大宅高橋家過去帳一切には、弟弥次郎だけでなく伊勢宗瑞本人の位牌の碑文の写しもある。
伊勢早雲庵宗瑞天岳
早雲寺殿天岳宗瑞大禅定門
禅正院法政維徳信士
永正拾六年己卯八月拾五日滅 六拾四歳
伊勢備中守盛定子 備中入道正鎮 高越山城主 仕足利義政申次衆
新九郎盛時 或長氏 仕足利義視申次衆 仕今川治部大輔氏親駿河守護代
↑これが享年64歳説の元ネタか。
ってか、義視に仕えていたのは新九郎じゃなくて八郎兄貴じゃ無かったっけ?
>>552
まさか位牌をなんでも鑑定団に出すわけにもいかんし。 >>553
遺骨ですとか言ってフリスクをぽりぽり齧ってると高値がつくかもしれんぞ >>553
八郎兄ちゃんを義視に仕えさせたり、生母の浅茅を貞藤に再嫁させることで、新九郎に関する後年の俗説発生原因をストーリー上でケアしていると思われる。
早雲長生き説はおそらく盛定父ちゃんに割り振られるのではなかろうか。 >>551
中途半端に役所に渡すと廃棄されがちだから、あらかじめ価値を理解してくれるところに話をつけていた方がいいな。
ある研究者が急逝したとき、ご家族が研究資料をどうしていいかわからず、結局弟子たちが引き取って最後まで残ったものは古紙回収に持っていってもらった。 あぽが急逝したときは関係者で原稿奪い合いだったとか >>555
俗説1 伊勢盛時は若い頃足利義視に仕えていた。
【ゆうきまさみの解釈】
過去帳の写し間違い。義視に仕えていたのは兄の八郎貞興。
俗説2 伊勢盛時の父は伊勢貞藤である。
【ゆうきまさみの解釈】
盛時の父は伊勢盛定。盛時の母が貞藤と再婚したせいで誤解された。
俗説3 伊勢盛時は永享4年(1432年)生まれで永正16年(1519年)に享年88で死去した。
【ゆうきまさみの解釈】
享年88は父盛定、永享4年生まれは貞藤。父と母の再婚相手と混同された。
こんな感じにケア?
あと、かつては北条早雲=伊勢貞藤説もあったんだっけ? >>554
昭和・平成の漫画で、ドラキュラが美女の生き血を飲んでいるかと思いきや、実は赤ワインorトマトジュース飲んでましたという定番ギャグを思い出したw >>559
野生爆弾のくっきーのネタのつもりだったのに >>558
伊都ねーちゃんも長生きなんだよな
それだから盛定とーちゃんが88まで生きてて不思議じゃないな
そもそも息子の幻庵が超長寿だからなぁ >>556
桑原武夫の蔵書はお役所仕事のせいで捨てられてしまったんだっけ・・・・
>>562
たけしがお母さんのさきさんのお骨を齧ったという話を聞いたことが ザビエルの遺骸を信者が指かじったっていう話も聞いたことある >>557
だいぶあとだが遺稿集とか何冊か出たっけね
あの手の最先端って醒めてから見ると何が新しくて夢中にさせたのか理解不能で呆然としてしまふ… アインシュタインの脳みそなんて死後に切り刻まれて世界中の奴らが分け取りにしたぜ >>560
その研究者は60代になっても研究意欲旺盛で夢中になると寝食忘れて没頭するような人でした。熱が下がらなくなって病院に飛び込んだら、即入院。もう癌が全身に転移していたそうです。信頼を置く後輩に後事を託して入院から2か月で天国に旅立ちました。資料の散逸は最小限で食い止められたのではないかと思います。 やじろーについてあまり資料が残っていないのが残念。 北条早雲が素浪人からの下克上っていつ頃から言われてたんだろうか
江戸時代? 話の大概は江戸時代に作られてるけど案外司馬遼だったりして >>572
司馬遼御大は当時としては珍しい
伊勢家庶流主張してたよ
みんなのアイドル才四郎ちゃんは
若厄介小次郎に改悪されてたけど 折衷としてか、かなりの傍流の部屋住みになってたな。 伊勢家の傍流から伊勢出身の素浪人に伝言ゲームが行われたんだろうな 荏原の行く末についてフラグが立ったがやはりそういうことになりそうだな
そして後半のキーキャラ登場だがそういう解釈にするのか 義澄と潤童子じゃないの?
茶々丸だとしたら満10歳で実母を殺したことになるが 義澄の方か
しかし双子は縁起が悪いと言われてたらしいけどここからどうなるか 御由緒六家も資料が豊富とは言えないな
つーか北条家自体資料が薄い気が 後北条氏の領国統治に関する史料はかなり豊富らしいが、家付き文書はあまりにも豊富じゃないみたいだな。やっぱり一度滅亡しちゃったからなあ・・・ 弥次郎が出ていったことに対して、伊都がずいぶん責任を感じている様子。
東荏原が借金の質になったことといい、今回は今後の伏線一杯のだったね。 まあ養子に行かないと東荏原をさらに分割しなきゃで相続争いやらなんやらで史実の辻褄が合わなくなるしな この場合弥次郎と新九郎の関係はどうなるんだっけ
備前守家の当主新九郎の家人だった弥次郎がゆくゆくは加賀守家を継いで
当主同士として同格になるんかな なる
京都守護職と京都所司代の兄弟みたいなものだろう 藤沢周平の小説でも婿養子に行くことに血道をあげてたな。 別の家に養子になった方が、新九郎を支える家臣としては結果オーライだろ
この時点で関東に覇を唱える新九郎なんて想像できないけどさ まあ堀越公方家が登場し出したし、そろそろ本格的に話が動き出すんだろうな 小田原城奪取の手段についていろんな説が出ているから、どれを採用するのかは楽しみではある 東荏原を掃部助家に渡す布石を着々と積んできたなあ
しかし現状維持ではジリ貧とはいえ竜王の家督にめっちゃコミットするね 新九郎と弥二郎の間に変な蟠りが生まれずにすんで良かった
他家の当主となった弥二郎がどういう経緯で伊豆の新九郎の家来となるのか楽しみだ
掃部家は京の小身 田舎の大身を地で行ってるな 義尚が死んでからじゃね?義稙義澄がやってくるのは?
まあ義尚の残り寿命は10年切っているんだよね、肝障害かな? 新九郎のわだかまりもなんかこいつらしいと言うかなんと言うか…
当主の弟が他家の養子なんて普通にある話だし、弟を売ったとか、借銭返済のためとか気にしすぎだろ >>600
つまり後ろめたさを感じるような境遇に追いやったってこったよ
養父に掘られるのか養母の玩具にされるのか… 後の義澄が京に出されるのは小鹿討伐の年に入れ違いの形よ
で、今1480年か81年のはずだから生年的に片方は義澄なのは間違いないけど
双子の片割れが普通に考えると童潤子なんだろうけど
世継ぎって言ってるし改変して茶々丸と義澄ってパターンあるんかね
まあそれだと上であるように10歳そこそこでぶっコロコロするやベーやつになるけど 自分で殺したんじゃないとかそういう改変にするのでは? でも継母殺しから実母殺しになってしまうのは避けれん >>599
たしか、義材の代になって政長と蜜月? で富子や政元が蔑ろにされたことで、
政元が遥々と東国まで旅して僧籍の義澄をスカウトして連れ帰り、京都で還俗させるんだっけ? >>607
ウィキペディアだと普通に義政の後継者候補その2で送り込まれている、で義視義稙親子が義澄の存在が不快なので
住んでいた屋敷(小川邸)をつぶして日野富子の不興を買っている >>602
義澄の母系従兄弟にあたる自分の養子を次期管領に、義澄の同母兄弟を鎌倉公方(は無理でも堀越公方)に据えて、血縁関係で三者を緊密連携させたいと計画した政元が、
その計画のアオリで追い出されることになる茶々丸のクーデタ反撃で挫折させられ、
後には自分自身も養子に殺されちゃう
よく考えたら、茶々丸クーデタが起きてなかったら政元が殺されることもなかったのでは? 盛頼はやっぱいい男だなー
皆さん言ってるように一気に伏線引きましたね今回は
新九郎が駿河で領主やる布石にもなったし
しかし弥次郎が養子に行くとは思わなかった
兄と一緒に関東に行くにはまたひと悶着なのかな
しかし父ちゃん「見習え」はないだろ
荏原を盛頼に渡したらあんたなんかあんたなんか
貞宗の背後にある掛け軸はいつも「健全財政」
双子は片っぽが義澄片っぽが潤童子と見たが
茶々丸はもう生まれてるよね? 世継ぎ誕生とか言ってるんだが先に生まれてるはずの茶々丸はどういう立場なの? >>609
政元が死んで細川が内紛状態になるし新九郎や関東管領との縁が切れるのかな
政元の死から戦国時代の始まりかな >>611
茶々丸は素行不良で廃嫡されたと言われているがその時期も本当にそうだったのかもわからない
母親も誰かも伝わっていないのでそもそも嫡子になれるような出自ではなかったのかも 茶々丸はもう登場してるってレスがあったような気が…
気のせいか? 素行不良っていうとなんだか乱暴者つーか徳川信康みたいに民や僧を殺したりするイメージだが
ちょっと前に素行不良で話題になった仮面ライダー女優は遅刻とかドタキャンとか外に出たがらないとかそういう
仕事やる気なしな意味での素行不良だったから
茶々丸の素行不良も仕事やる気なしの引きこもりくんって意味だったのかもな 現代でいうところのヒキニートが家族から仕事しろとか注意されたら逆ギレして家族を殺した的なやつの可能性か>足利茶々丸 ナイトウィザードの柊蓮司か。
世界を守るための戦いに拉致られて学校に通えない不良学生。 >>595
小田原駅にある銅像のように火牛で行って欲しい、ゆうき絵で
あの銅像姿の早雲みたい、でもそれまで何年掛かるんだろうな・・・ 茶々丸支持派もいたんだからそんなおかしい輩ではでは無かったのでは 双子なら問答無用で虐げる理由にはなったのかな
たしか座敷牢にブチ込まれてたことになってたんでしたっけ?
そんな可哀そうな少年を伊豆山中まで執拗に追っかけていって頸をつけ狙う
我らが新九郎 ググったら加賀守も新九郎と史実での絡みあるんだね
この漫画では今後弥次郎がどう絡んでくるのか楽しみだ >>620
8巻で堀越公方と一緒に猫を見ているのが茶々丸か。(ただの寵童かもしれん) >>618
ヒコとヒメを思い出した
競馬界ではリアルに「ふたごは忌み子」だからなあ
家(血)を残す上ではふたごはハイリスク
いまの価値観では非道な行為も当時は当たり前の行為だったんだろうなあ 人間でも畜生腹とか男女の双子は心中の生まれ変わりとか散々よ
ましてややんごとなき身分の方々は…
あ、なんかやな展開になりそう 現代の価値観から見ても無意味なのは承知の上だが、双子には理不尽な話よな。 よく考えたら領地担保に駿河の政治工作資金作ったって背水の陣だな
俺らは行く末を知ってるから事の大きさが見えにくいけど
龍王が今川家の家督相続に失敗したら備前守家も路頭に迷うんだよな 失敗して一か八かの反乱なんてのが新九郎のもう一つの未来だったかもしれない
そして結構あった話なんだろな 盛定父さん京での出費も多かったんだろうけどそれに見合う利権は得てなかったのかな
貞親義兄さん頼みだったのか 盛定パパン良くも悪くも貴族のボンボンって感じで、権力闘争や利権欲しさに血眼で争った経験無さそう 狐踊りだっけ?
自分で勝手に動くことは少なかったろうが
貞親の手足として裏工作も散々こなしたろうし
千代丸に教えた昼寝の場所は賄賂で埋まってたし
新九郎や伊都や貞宗に相談されては的確なダメ出ししてるし
やり手の官僚として実力もあったろうし、美味しい思いもしてた、ように描かれてると思うけど 貞親だかの台詞だと工作費や交際費は持ち出しでやってるような感じだったし美味い思いはしたろうけど利殖する余裕まではなかったんじゃない?
文正の政変からの復帰とかにも金使っただろうし >>625
そういえば昔の武将や偉人に有名な双子っておらんね
両方殺られるのか片方存在消されるのか >>635
結城秀康に双子誕生説があったような。(片方は死産)で、それが一因で家康から煙たがられたとか何とか。 >>635
あくまで噂だが昭和天皇の弟の1人は男女の双子で
女性の方は尼寺に行ったとか何とか
>>637
待ってよくわかんない >>635
普通に産まれてすぐ片方が他家に養子に出されるからでは?
甲斐武田家の祖である武田信義は双子らしい 備前守家の困窮って、詰まるところ新九郎が無役で領地からの上がりしか収入がなくなったのがでかいんだろうね
幕府の要職を務めればがそれなりの役得があるんだろうし >>641
新九郎が当主になる前から困窮してたやん 昇進すれば甘い汁を吸えるが出費も多くて蓄える暇も無かったんだろうと盛頼も言ってるし、まあ財政に無頓着だった父上が悪いよ >>635
真田昌幸と真田信尹は、同年同母生まれなので双子説がある 文正の政変前までは当然のように賄賂もらってたもんね
この打掛もお気に入りよ 姉ちゃんは自分のせいで弥次郎を家から追い出した気持ちなのかもしれんが
養子の話は前からあったんだしあの経済力では遅かれ早かれ……w 3巻までのパパは有能な官僚っぽかったのに
週刊に移籍してからの読者は
その姿を知らない このころはまだ関東に行くなんて考えてないんだよなあ
借りた金どうやって返すつもりだったんだろ 龍王丸の相続がうまくいって今日で官位や役職がつけば何とかなる。
何とかならなくても姉ちゃんが何とかなれば弟も何とかなったしどうでもいいや。 武士の商法だよなぁ
産業を興したり流通を改善させたりって発想が全くない >>652
でも今でも政略絡みの話になると往年の凄みが垣間見えて新九郎の相談相手としてとても心強い そういうことを思いついた信長や秀吉なんかが異常なんだよ。
古くは「封神演義」で描かれた「商周易姓革命」の太公望こと姜子牙。
斉の王に封じられると塩や鉄を産業として興して国を富ませたという。
ただ、その後の時代、後漢のころの書である「塩鉄論」では>>414 盛定パパは伊勢庶流の叩き上げなのに所領経営ではポンコツという
雑草なのかエリートなのかよくわからない存在 >>657
太公望は王に任命されたことはないだろ
その時代の王は周王だけだから
んで、その頃にはまだ、殖産興業の敵たる儒教が成立してなかったからなあ >>658
中央のキャリア官僚が田舎に興味ゼロなだけでは
今からやれったって60の手習いもきつかろうよ >>652
顔立ち的に「カミソリ後藤」的な活躍がある!と、思う・・・んだ、多分 話は変わるけど、義尚に寝所につれこまれてるひなちゃんて、後の貞陸の奥さんになる人かな >>633
貞親に見込まれたってのは基本的にパシリとして格好という意味だったんだろうな 無能なら無能でパシリにすらなれてないだろうし
自力で金を増やす方向の才がなかったんだろう >>661
顔はともかく立ち位置としては「有能」なんだけど長ではなく右腕的な立場
故に貞親のようなやり手感や貞宗のような責務感からは一歩引いて気を抜けるポジションでもある 貞親の補佐(パシリ?)から盛時の顧問的なポジションに移行って感じかなストーリーとしては
もちろん家族としての関わりはまた別に見られるからほっこりできる 実際今でも貞宗の『悪巧み』には毎回参加して発言が重んじられてるから政治顧問としての役割は失ってない とはいえ父上が文書に登場するのは例の甲冑売ったエピソードが最後らしいから
駿河下向前にいつお亡くなりになってもおかしくないよね たのしい伊勢一家としてはパパはこの先もレギュラー出演やろ 父上はコミックリリーフとして作者も便利に使ってると思うんだけど京を捨てる契機の一因として父上の死を使って来そうな気はするんだよね >>671
あーそれなら心置きなく京を離れられるな まあこうして存在感見せたのはそろそろって事なんだろうな 義尚が死んだら義視と政知の息子で将軍職を争うからね
結果は新九郎と因縁がある義視の勝利で、それも京を離れるきっかけになるんじゃないかな その時まで八郎のあにいが生きてれば仕える甲斐もあったか そういや八郎存命だったら新九郎が今回の弥次郎の悲哀を味わってたかもなんだよな
つーかそれなら弥次郎三男坊なんだから余計他家に養子か寺に出すかだよな >>676
その場合は間違いなく寺だろうね弥二郎は。 日本史に弱いので、なんで長兄以外は直ぐに寺に行かされそうになるのかよくわかってない お家騒動とか分割相続を避けたいけどでも長男に何かあったら困るから予備は必要
昔は僧侶のステータスは高かったし学識も身に付けられて人脈も作れるから
後で呼び戻すにしても一生過ごすにしても格好の避難先だったのかと >>677
それ、金が無い備中守家には無理なのでは…? 寺に送るにしても金や土地を寄進しないとな
それができない貧乏武家の子弟は雑用係に追いやられる >>679
つうても、金がある家の出ならともかく、一般人が出家しても僧兵にしかなれなくて、僧侶として学識を修める道なんてないんだよな
この家だと、僧侶の道はあるのかなあ? 義教の異母兄弟の義昭は寺に入ってても疑われ、逃げ、自害に追い込まれてるけどな
上が基地だと通用しない >>678
日本だけじゃなく、中世ヨーロッパでも貴族の次男坊、三男坊等が教会に行くのは割と普通
だから寺とか教会とかは基本的に特権階級との繋がりがある 現代のような宗教感覚じゃなくて国の根本って感覚だったからな
寺・仏教は聖徳太子の頃から日本の国教、教会・キリスト教はローマ帝国の頃(の途中)からヨーロッパの国教
国のトップも帰依して当たり前な場だったわけだし
学問が学べる当時は数少ない貴重な学校のような場でもあったわけだし まあ現代は神仏の存在を信じてる人なんて少なくなったが
中世はそれが常識のように皆信じてたからな
寺や教会の存在感は現代と中世じゃ全くの桁違いよ
足利将軍家から寺いって天台座主になってまた武士に戻った将軍もハクついたくらいに思ってたんじゃないの
新九郎もたしか仏門に出家してから早雲を名乗るんだっけな 信長の野望的な陣取りゲームで代替わりするたびに領地が分割されて、取り分以外は弟がNPC化して受け取る、とかちょっと腹立つ
寺に入れれば継承権失うから長男以外全部僧にして俺総取りとか気分良い
そんな感じか >>689
フランク王国のカール大帝の死後、3人の息子が領土を分割したみたいなのだな
鎌倉武士も普通は同じように分割してたようだ
室町時代になると、分割相続は珍しくなってる感 そういえば荏原を分割相続する前の盛定みたいな所領を持たない将軍の直臣みたいな立場の人ってどこから収入得てるの?
幕府から俸禄?をもらうわけ?
盛景伯父も一部ならしゃーないみたいなことを言ってたから僧籍に入らなかった以上はギリ食っていける分くらいはどのみち貰える見通しだったのかな 次男三男が寺送りや教会送りにされ易い件はなるほど理解
こういうのって日本史や世界史の授業で習った記憶が殆ど無いんだけど
ちゃんと出てきていた内容なのかな >>691
義尚の近江討伐は、配下の奉行たちに所領を与える目的で行われたというし、
幕府から所領給付のルートもないわではなかったのでは? 元就の、兄貴(興元)が生きてる時の貫高、笑えるくらい少なかったもんな
家督の予備に必要とか、補佐役が務まる才があるとかで、
弟に所領を与える場合の匙加減ってのも難しいんだろうな >>692
教科書にはないでしょうね
先生によっては雑談程度に話す人もいるだろうけど >>690
分割相続を続けた末に本家分家共に落ちぶれるのがたわけ(田分け)者の語源だっけか >>692
そこまで授業でやってたら到底入試範囲終わらん >>696
タワケは記紀の時代の古語で、田分けより古い >>676
八郎が存命でも、寝返りの罪で廃嫡だから状況は同じでは? >>700
兄ちゃんは良くて出家下手すりゃ切腹だったかな
盛定父ちゃんは庶子だったのかなやっぱ
盛景伯父さんとは腹違いっぽいね
ところで、父ちゃんが退場ってのも寂しいなあ
盛定スクリーンも最近見ないし
新右衛門さんも享年からいうとそろそろって気がする
二人とも本作の妖精さんになって末永く登場してほしいわ 最後に切腹で死んだ歴史上の人物って誰になるんだろう
第二次世界大戦辺りになるのかな >>600
三島由紀夫か西郷隆盛?乃木とか軍人は小粒 >>692
時代や地域によって価値観・常識が異なるって話はすごく重要なハズなんだけどね
「自分達の価値観・常識が唯一絶対」な人たち、例えば左派の日教組とかからすれば触れたくない話題なのよ、価値観の多様性って >>694
よその家の養子があったら御の字っていうよなあ
そーいや幕末の井伊大老は十四男だったねえ 確か、昭和天皇崩御の折に追い腹斬った人がいたような。
それが勘違いなら三島だな。 >>705
乃木よりかはカープの監督みたいな名前の軍人が後だろ
三島のほうが後だけど… カープの監督といえば古葉竹識
そんな名前の軍人というと? 別に長男が跡継ぎで次男三男が寺送りにされるわけじゃない
母親の実家が太い奴が跡継ぎになる
信長だって三男とかだ >>701
新右衛門さんは似たような顔の人が、
そのうち新九郎家に出現するかも。
※蜷川氏の家系図で親定という人が「仕北条氏」となってたので…信憑性は?だけど。 >>713
室町コラムも引き継ぐのかな
親元さんに憑依されたりして
珠龍は盛頼の弟だけど盛景の三男なんだな
次男はどうしてるんだろ 足利家は嫡子以外の子女は全部寺に入れてるね
戦国大名的な婚姻政策はずっと後までやらなかった >>701
盛定スクリーンが最後に出たのって、9巻で新九郎が道灌との交渉を双六に例えて説明した時? 今川義元は実際は庶子だったんだけど
僧侶だったときに今川家と京都の連絡役で活躍していてコネも沢山あったからごく自然に家督を継いだんじゃないかという話 >>689
パラドゲーにそういうのあるな
貴兄の想像通り腹が立つけど修道院に入れるのは面倒なので邪魔な子供は廃嫡で間引き >>715
でも義満は末っ子を還俗させてまでかわいがったんだよね
それで死後いろいろ鎌倉含めてごたごたしたわけで
やっぱり一度決めた方針は変えちゃいかんね
>>716
だね
あれ以来見てない
こっちが見てないとこで使ってるかもしれないけど 土地の相続の話聞いてると「名士」って文化資本を作った後漢~西晋までの中国って相当特殊なケースなんやな
名声さえあれば就職もタニマチも苦労しないで済む。
今日で言うところのインフルエンサー的な存在 >>720
ちうても、その名士ってのは、人口数千人から数万人規模のまとまった大領地を経営する、大名みたいな奴らやで
任官しなくても領地の収入だけで生活できるような連中や 信長の野望やってると北条家の一族って他の大名家と比べてすごく多いんだが
北条家は後継ぎになれない弟を寺に入れるって習慣なかったのかな?
今川は吉本と氏真くらい、武田も信玄信繁義信勝頼くらいしかいなくて少ないのに
北条という名字の武将はやたら多いのは謎 京からやって来た余所者で身寄りも地盤も無いし、強固な一門衆と家臣団を作るしかなかったんじゃないかと
見込みがあったら婿を取って一門に加えたり、毛利みたいに他家へ養子に出したりしてるね >>722
国人や小大名に養子に出して違う名字で出ているケースも多いぞ
武田だったら一条信竜(信玄の弟)や仁科盛信(信玄の子)なんかもゲームの常連だし
ちなみに北条は新九郎以来の健康長寿血統で
同時に何世代も生きてたりするから多く見えるのかも
あと養子にでてても長い統治の内に復姓してたり >>722
信廉、盛信、信勝、信豊も忘れないでね。
武田の一門衆は北条並みに多いと思う。
今川が少ないのは、氏親が則満、義元が玄広と内乱で身内を粛清してるからでしょうね。 ゼロから5代かけて支配域を拡大した都合上北条を名乗りながら重要なポストに着いてた人間の記録が多いんじゃない?
戦時と平時だと嫡男のスペアや士官候補の需要も増えるだろうから次男以下の扱いも変わりそうな気はする ゲームの場合は資料の量とかも影響してくるからなんとも
織田島津あたりもかなり多いはずよ >>722
そんな余裕かましている家のほうが珍しいよ
まず根本的な状況として乳幼児死亡率が激烈に高くて嫡子だって成人する保証無いし、成人しても病死戦死の危機が続くリアルサバイバルゲーム
嫡子と同じ腹の兄弟は嫡子を支える柱だし、腹違いの側室の子だって、側室だって有力家臣の家から出してる場合が多いから粗略になんてできない
嫁養子のクチはいくらでもあるし、それが外交でもある
皇室だけは、分家できないし他所に押し付けるわけにもいかないから容赦なく寺尼寺だが
まあ足利もそれに準じる状況だな
それでも関東公方に追い出されて堀越でgdgdやってた挙げ句に火種になる人とかいろいろいるわけだが 北条家の場合、庶家が御本家様に遠慮して別の名字(玉縄とか八王子とか)名乗るってのがあまりないイメージ 支配領域が広いから人材は余らないし寺に送る余裕もなかったんじゃないかな 内政チート一家だからな、北条家は
余裕があるから武田みたいに他家に送りまくる必要がない >>635
北条氏直と太田源五郎が双子説を提唱してるアマチュア史家がおってん >>732
あらむしゃだらけのかまくらぶしのなかで
読み書き出来たからでは(身も蓋もない) 醍醐の醍の字が書けない?そんなもん大でええねんwww >>723
同じような事情だったであろう鎌倉幕府の頼朝は親族を増やすどころか死滅してしまったんだよなあ >>725
織田信長は親族と折り合いが悪かったとはいえ、兄弟や叔父はそれなりに活躍してるんだよな、戦死者が多い
男兄弟だけで10人以上(何人かは早くに死んでるが)いるし。 >>729
今川の子供も出家してる率高いな
氏親の子供も嫡男以外全員出家だっけ?
花倉の乱の当事者2人とも還俗してる(つまり、兄の生前は僧侶やってた)んだよな
もう少しあとの時代の大名家では出家してる人が少ないな、義元の世代の当主たちは子供をあまり出家させなくなったのかな
氏真の弟たちはどうだったんだろ(いないことはないと思うが、ぜんぜん知らない) 信長の兄弟は本願寺戦でよく死んでる印象
そりゃ信長が怒るのも分かる これからの「新九郎、奔る!」で登場するであろう歴史的イベントってこんな感じ?↓
文明18年7月26日(1486年8月25日)
扇谷定正による太田道灌粛清
(新九郎、駿河に再下向)
長享元年11月9日(1487年11月24日)
小鹿範満自害
(新九郎、上京して将軍足利義材の申次衆になる)
延徳3年4月3日(1491年5月11日)
足利政知死亡
同年7月1日(1491年8月6日))
足利茶々丸、継母円満院と異母弟潤童子を殺害
(新九郎、伊豆に下向して堀越御所襲撃)
ちなみに弥次郎は延徳3年8月に将軍義材の近江出陣に従軍しているので、兄貴の伊豆討ち入りには参加してない(多分)。「後法興院日記」8月27日条では義材の申次衆として「伊勢肥前守(盛種)・同左京亮(貞泰)・同弥次郎(貞綱相続)・同下総守(貞仍)」の名を挙げている。 新九郎の伊豆襲撃は明応の変後の明応2年夏~秋頃らしいので、それだけでは弥次郎が居なかった証拠にはならないような。 >>742
私称官途かも知れないけど、弥次郎くんは後に伊勢丹波守と名乗る模様。
>>743
いけない、忘れてたw
ちなみに生年は長享元年(1487年)だけど月日は不明なんだっけ?小鹿さん死亡日と同じだったら怖いな。
>>744
兄貴と一緒に堀越御所を襲撃した後、途中経過報告のため上京しそのまま義材と近江出陣した、あるいは近江出陣後に伊豆へ下向した可能性あり? >>746
不明だけど32歳で伊豆に下向してから伊豆千代丸が生まれているのでその少し前の義尚の申次衆になった辺りだろう
その頃に東荏原を盛頼に引き渡して借財を整理し、身軽になったところで小笠原氏の娘と婚姻を行い、申次衆という討伐の仲間を集める手札となる身分も得て関東下向と小鹿討伐を決意したのでは >>734-735
あいつ、七巻以来ちょくちょくこういうことしてるよな。何かの伏線かも。 弥二郎もあのまま伊勢貞綱の養子になったとして、跡継ぎを作ったところで新九郎のところに戻って共に関東に向かったか、もしくはもう少し後の伊豆討ち入りの前後辺りというところか
養子については姉ちゃんが納得してなさそうでまだ一波乱ありそうでもあるけど >>749
あれは納得してないというか
申し訳ないの顔だろ >>747
借金抱えてたら(未来の)舅さん首縦に振らないからね。
で、ぬいちゃんは絶世の美女にクラスチェンジしている頃合い。 >>741
1483年、古河公方と関東管領の和睦→堀越公方、存在意義を失う
1485年、京の南部で起こる山城国一揆
これも追加かな 長享3年3月26日(1489年4月26日)
足利義尚、近江で陣没
重大事なのが抜けてた(汗)
伊勢兄弟にとって、公私ともに仲の良かった義尚の死がその後の関東下向に大きく影響するはず。 >>749
「伊勢系図」によると伊勢貞綱の家督は兄貞勝の子貞英が継いだように記されている。黒田基樹氏は貞英が早世したから弥次郎(弥二郎)盛興が養子に入って継承し義材の申次衆となったと推測している。
でも、弥次郎は最終的には兄貴と同じく伊豆へ下向して高橋家を継ぐから、貞綱さん的にはガッカリだろうな。 もしかしたら弥次郎が下向すると丸く収まる事態が発生するのかも
何かは知らん >>755
弥次郎が伊勢一族全体に泥を塗るような大失敗をやらかして、伊豆へ下向&高橋家へ養子に入るハメになったとか?
で、甥の氏綱もそのあおりを食って北条に改姓&通字を「盛」から「氏」に変えたとか?? 通字の氏は、元服の時に氏親から貰った(押し付けられた)が有力だと思うけどなぁ 義尚の死もだけど義視にあんな啖呵切ったのに御所の父親として帰って来られたら京に居場所ないよね
割とすぐ死ぬけど >>757
名実ともに今川の家臣&一門衆から独立した三代目の時点で、今川氏親由来の通字を変えても良かった気がするが、わざわざ今川家との関係を悪化させる気は無かったんだろうな。ね、氏康さん。 >>741
明応の政変 明応2年(1493年)4月22日
新九郎の堀越御所襲撃の前にこれを入れておかないと >>745
明応の変後という事は将軍義植は失脚してると言うことよ? 初名は義材(よしき)。将軍職を追われ逃亡中の明応7年(1498年)に義尹(よしただ)、将軍職復帰後の永正10年(1513年)には義稙(よしたね)と改名している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E7%A8%99
流れ公方は改名公方でもあった。
葛飾北斎「俺の方が凄いぜ!」
葛飾北斎は改名30回、本名は?生涯&性格について。引っ越しの数もすごい
https://asuneta.com/archives/70191 >>755
ありそうなのは実子が生まれた⇒内紛になるよりはと身を引くパターンかな >>763
細川勝元も山名家から養子として豊久をもらったのに、実子政元が産まれたら廃嫡した件。 >>762
流れ公方……
萬屋錦之介「破れ公方である!」 >>761
明応の政変が起きたのは明応2年(1493年)4月。義材追放を主導したのはした管領・細川政元、日野富子、伊勢貞宗という「新九郎、奔る!」でお馴染みの皆さん。義材(後の義稙)追放で申次衆だった弥二郎は京での居場所を失って伊豆へ下向したのかな? >>763
娘がいたとしら男の子が生まれたとかね
養父に血縁のある男子が登場すれば弥次郎は遠慮しちゃいそうだ >>767
ヨロキンは某大河ドラマで山名宗全演じていた件。 >>768
貞宗と政元が実権握ったら弥次郎はそれこそ我が世の春ですがな >>771
弥次郎は新将軍義澄に仕えればよかったのに、それを潔しとせず京を去ったと予想。
ゆうきまさみがどういう解釈でどう描写するか楽しみ。 新九郎は駿河館襲撃のあと一度は政知の奉公衆になるけど、政知の死後は京に戻って義材に申次衆として仕えてる
そして明応の政変後に「主命により」堀越御所を襲撃している
弥次郎が堀越御所襲撃に同道してたとすれば新九郎同様に義澄や政元の意を受けてのことだと思うが >>762
そういえば、なろうで現代人が流れ公方に転生する話があったな
真九郎奔る!の重要人物が実は女性で主人公との間に子供ができてたが >>773
普通に幕臣として義尚→義材→義澄とその時々の将軍に仕えてその命令で動いていたってことでOK?
でも、主命で動くのは堀越御所襲撃までで、その後は第1話冒頭での「明日からは俺の主は俺だ!」発言の通り独自行動を取るようになると。 >>773
なるほど弥次郎についてはその方が自然だな
でも新九郎と一緒にそのままいるんだよね >>765
宗全さんの子かあ
応仁の乱で敵対したけど
直前までは仲良しだったのが不憫や >>774
そういえば大沢たかおも「花の乱」で足利義材を演じてたわ。
南方仁が江戸でなく室町の方の幕末にタイムスリップして、足利義材の影武者兼侍医となるJINスピンオフが読みたくなったw >>779
今のたかおだと「ココココ、わらべ義材ィ。天下の征夷大将軍を目指すのです」のイメージ >>780
実写版キングダムの王騎将軍かw
大沢たかお「ンフ」 >>778
NHKの卜伝のドラマで京言葉の足利義尹やってたな 7巻で新九郎主従が足軽を蹴散らしたときに、みんな鍛えているんだなと思った。
新九郎と太郎はそんなシーンがこれまでもあったが。 毎日トレーニングしてる強豪運動部が煙草吸ってダラダラ過ごしてるヤンキーにガチケンカで負けないようなもんやな >>787
本田博太郎演じる足利義尹は、白粉お歯黒で武家の棟梁というより怪しい公家っぽかったな。
ちなみに伊勢宗瑞も登場してて、演じてたのは中尾彬。フサフサ白黒頭の太いオジサンだったw(左下の画像)
https://www.facebook.com/NHKarchives/photos/a.717575611643579/1210536302347505/?type=3 「新九郎、奔る!」をアニメ化するならやっぱりNHKなんだろうな。NHK総合深夜枠かNHK教育午後枠で放映。 >>794
少年期の新九郎からいきなり青年の俳優が演じるのは難しい。(大河ドラマにありがち)
実写化するとなればどこかで一度俳優陣のリセットが必要になってくる。 >>790
室町時代だと主要な守護大名も将軍家の要人たちも基本はお歯黒だから、それの方が本当は正しいんだけどな >>797
元就の大河みたいに、いきなり交代するのか >>799
今年の大河ドラマでもあったらしい。前回子役が演じていた役が次の回では青年俳優に
いきなり交代したとか。 >>800
今年の大河に限った話ではない
作中のタイムスパンが長いドラマなら普通のこと
ドラマに限らずアニメでも男キャラの子供時代は女性声優に代わったり
舞台劇で同一人物役(しかも主役)を青年・中年・老年と3人で演じ分けた例も 江戸川コナンと工藤新一も別キャストだっけ?
まあ、孫悟空と孫悟飯と孫悟天を同一の声優が演じたりもするけど。 >>800
普通はたいてい、何日放送分まで子役で次の回から青年役に代わるとこ、元就は庭の木の枝に座ってるのをカメラがぐるっと一周回ったら、後ろ姿の間に年齢重ねてて、いきなり顔が変わったんや >>803
無職転生のルーデウスと、その前世のおっさん役は別キャストやで
前世のおっさん役の声が本編に入ってからも頻繁に出てくる関係もあって、あえてキャストを変えている >>804
交代で衝撃的だったのは吉宗。
疱瘡で顔を包帯ぐるぐる巻きにされて、完治して包帯とったら西田敏行に変わってたw 後藤久美子が桜田淳子に変わった時は詐欺だと思ったな >>797
実写ならそれでいくでしょ
脚本家同じだろうし(適当)
でも大河初のアニメやってほしい >>795
弥次郎もこんなんだったし、龍王もどこかで普通に喋りだすようになるんだよね >>808
NHKは大河ドラマに変なこだわりがあって、原作は小説じゃないとダメなんだと(土曜時代ドラマは漫画でもOK。例 アシガール)
で、最近は原作使用料をケチるためオリジナル脚本ばかり。
NHKが伊勢宗瑞が主人公の大河ドラマをつくる可能性はあるけど、「新九郎、奔る!」を原作にせずオリジナル脚本にすると思われ。 >>806
暴れん坊「余の顔見忘れたか」
悪い人達「・・・誰?」 >>808
渋るNHK上層部を説得して、漫画原作の「風雲児たち」を正月時代劇にねじ込んだ三谷幸喜なら、大河初の漫画原作という偉業()もなしうるかもしれないけどさ。 ただ新九郎奔るなら大河全48話でも尺が足りないと思われる
今現在の進行は半分くらいなのかな?
大河だと伊豆侵攻して終わり、後はナレというわけにもいかない
(漫画もナレにしないと思うが) 江みたいに少女から老女まで同一人物が演じるんじゃなければ 「ドラゴンクエストダイの大冒険」が全37巻全343話。追加のアニオリも原作のカットシーンも最小限でもアニメ化したら2年で100話費やした。
30分アニメはCM除くと24~25分。大河ドラマはCM無しで45分。約1.8倍。ダイが大河ドラマ化されていたら約56話。48話超えてしまう…
で、「新九郎、奔る!」は2022年9月12日時点で第11集72話。1話当たりのページ数が違うから単純比較できないが、ダイを参考にすると新九郎は残り話数が3分の2を切っている。太田道灌暗殺、小鹿範満討滅、伊豆討ち入り、小田原攻め、三浦親子討滅というビッグイベントがまだ控えている。確かに尺が厳しい。 大河化するなら今の辺りなんかバッサリカットに決まってんじゃん
荏原の話だって別に要らんし >>807
頭めがけて壺が飛んでくるかもしれないから気をつけて
盛頼さんからだったら上手くキャッチしてお大尽に売ればいいけど >>818
応仁の乱と太田道灌周りのエピをある程度カットだな。斎藤道三とオリキャラネタで終盤駆け足になった「麒麟がくる」の轍はふまない。 >>798
その状態で首が分離されてバカにされる今川義元ェ… >>823
そういえば、義元は伊都姉ちゃんの孫なンだよな。氏真は曾孫。せっかく今川家督を勝ち取ったのに孫・曾孫の代で大名としては滅亡。 >>824
氏康の正室瑞渓院を通じて女系では大名として新九郎の血と共に残ってるな >>826
でも、狭山藩北条家って、最後の当主氏恭が佐野藩主堀田家からの養子で新九郎も伊都の血も途絶えちゃったんじゃない?
伊達政宗「真田に続いて北条もわが子孫が当主となったのか!」
※政宗の子孫(伊達藤八郎)が堀田家に養子(堀田正敦と改名)に入り、その孫(堀田智七郎)が北条家に養子(北条氏恭と改名)に入った模様。
堀田正敦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%94%B0%E6%AD%A3%E6%95%A6 >>821
どうでもいいオリジナルな幼少期・青年期を物凄く長くやって
終盤の人生ピーク時を駆け足でカットまみれで放送するのは
麒麟だけではなく最近の大河の仕様です 荏原での苦労は北条五代関東経営の礎なんだから削るわけには >>827
そういう養子って、血縁のない家からの養子入りは半分以下で、主流は母親の実家に養子入りするパターンなんだけど、そこの例の場合はどうなんだろ
たとえば、忠臣蔵の吉良義央の子供が当時の上杉家当主だけど、その母親(つまり、吉良の正室)が上杉家の出だったから、いわば、祖父の家を継ぐための養子入りなわけだ
このタイプなら、男系ではないが血がつながったままではある ドラマにしたら新幹線に乗ったみたいにあちこち移動しまくって批判されるんだろうな >>830
12代氏恭の母は堀田正衡の側室福永氏だから新九郎の女系子孫でもなさそう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F%E6%81%AD
先々代の10代氏久は大垣藩戸田家からの婿養子。子どもが早世し新九郎の血筋が途絶えかけたが、さらにその前の9代氏喬の弟の次男氏燕が11代目として養子に入って血筋維持。でも、その氏燕に子がなく正衡の7男を養子にして血筋あぼーん。
で、氏恭の次男が最後の佐野藩主堀田正頌(正衡の嫡孫、氏恭の甥)の養子になって子爵堀田家断絶を回避するんだから世の中何がどう転ぶか分からんわ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%94%B0%E6%AD%A3%E8%B7%AF_(%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA) 血のつながりなんてどうでもいいと凡人の自分は思うが
大切な人には大切なんだろうな。 >>834
「自分の子どもに後を継がせたい!財産残したい!」というのはどんな人間でもある感情だからねえ。
もっとも、家臣や領民にとっては血筋より善政をしてくれる殿様の方がありがたいけど。 神輿は豪華で立派な方が良いから
同程度の政治能力なら血筋の良い方が領民も喜ぶ 独裁政治で血統によらない支配体制を維持した国ってあるんだろうか 独裁政治はどういうので?
具体的に独裁者の名前上げて >>834
あなたの財産、血は繋がってないけど私に下さい 能や狂言は世襲ってわけじゃなかったんだよね
特に幕府や大名が抱えていると
ちょっとでも下手だなあと思われると
自分の子供ならまだしも弟子に上手いのがいたら
そいつに後譲って引退しろって言われる
そうならないよう必死ですよもう 武士の場合は領地持ってコメ確保して一族
郎党食わせにゃいかんからな >842
芸事は有能な弟子が継ぐ方が多そう
初代 近藤内蔵之助 天然理心流開祖
二代 近藤三助 近藤内蔵之助の養子、坂本戸右衛門の長男
三代 近藤周助(周斎) 嶋崎高友の五男
四代 近藤勇 近藤周助の養子、宮川久次郎の三男
五代 近藤勇五郎 近藤勇の甥であり養子、宮川音五郎(近藤勇の兄)の次男 強欲な家老にとっては誰が有能な後継か、ではなく、誰を後継にすれば藩を牛耳れるか、だからな 持参金目当てで御身内を押し退けて養子を迎えるなんてこともざらに >>846
上杉鷹山は改革反対派の門閥家老に危うく主君押し込め食らうそうになったからな。 >>845
山田浅右衛門は世襲パターンと門弟の養子パターンの二通りがある。。
初代 山田浅右衛門貞武(1657年 - 1716年)
2代 山田浅右衛門吉時( ? 年 - 1744年)
3代 山田浅右衛門吉継(1705年 - 1770年)
4代 山田浅右衛門吉寛(1736年 - 1786年)
5代 山田浅右衛門吉睦(1767年 - 1823年) - 門人。3代吉継の娘の嫁ぎ先である湯長谷藩士の三輪源八の子。後に朝右衛門と名乗ったため、以降の当主は朝右衛門となる
6代 山田朝右衛門吉昌(1787年 - 1852年) - 門人。三輪源八の養子。元は幕臣(紅葉山掃除役)の遠藤次郎兵衛の子。
7代 山田朝右衛門吉利(1813年 - 1884年) - 門人。新見藩士で門人の後藤五左衛門の子。5代目の養子である吉寧の娘(6代目の養女)と結婚。
吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎ら、安政の大獄の犠牲者を処刑。
8代 山田浅右衛門吉豊(1839年 - 1882年) - 7代目の子。
以上、浅右衛門之碑に残る山田浅右衛門
9代 山田吉亮(1854年 - 1911年) - 8代目の実弟、7代目の三男。
試し斬りの技に長け、大久保利通暗殺犯の島田一郎らや、高橋お伝を処刑するなど、8代目に代わる働きをした。このため、永島孫一は9代目、福永酔剣は閏8代としている。篠田鉱造も8世とし、『明治百話』に本人のインタビュー記事を収録している[7]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B5%85%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80 >>840
そういや茶飲み友達に家を遺贈した話が同じ雑誌に連載中だな >>855
えっ買ってたの!?
あんたなんか梅ちゃんじゃないわっ!! 荏原郷に行けないから代わりに東急大井町線の荏原町に行って
そこから大田区郷土資料館の大勾玉展に行った
おもしろかったけど今日まで >>858
昔、プロレス中継で荏原体育館という名前を見た覚えがある。
バスガイドのお姉さんは卍固めの使い手だった。 >>853
長尾景春は将来新九郎と同盟関係になるわけだけど、作中のキャラだとウマが合いそうには見えないな >>860
盛頼とか新九郎自身は苦手とするようなタイプに好かれるからそんな感じかな どっちも思った事は言わないと気が済まない性質ではある
最近やっと新九郎は呑み込む事を覚えたけど 義兄・義忠と姉上の会話とかエピソードとか読みたかったな。 >>862
個人としての性質関係なく、
関東武士にとって宗瑞は、理解不能な価値観を持った、不気味極まる存在
景春の方がもう、何でもありな境地に達してたんだろうな 景春はなあ、魅力的なんだけど一回くらい道灌に勝ってれば箔がつくのになあ >>866
道灌止めたい新九郎の期待に応える事無いのかよw 厄介な脳筋暴走野郎って感じだけど顕定憎しの一念で謀反人のまま関東のキーパーソンであり続けたのはなんか凄い >>857
しかも「次回○○号に続く」も無いので、来週月曜に掲載されてない可能性も… >>871
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」かよw
では脚本は三谷幸喜か? 黒田基樹編「伊勢宗瑞」を読んで初めて知ったのだが、「豆相記」という江戸初期の軍記物には、中先代の乱を起こした北条時行が伊勢に落ち延びて伊勢姓を名乗り、時行から数えて5代目が長氏(伊勢宗瑞)だと書かれているそうだ。
時行は正平8年/文和2年5月20日(1353年6月21日)に鎌倉龍ノ口で処刑されたんじゃないんかいw >>864
義兄・義忠と姉上の褥での会話とかエピソードに空目 >>866
下剋上の雄扱いされてるけど、主君に負けっ放しで最後は亡命先の駿河で病死だもんなあ >>860
同盟と言っても利害一致した敵の敵は味方ってだけだし >>873
まあまあ、今はだいぶ文献が見つかったから >>873
古典的な貴子流離譚型伝承ですな
戻ってくるのに100年以上かかってるけど >>878
書き込んでから確認したら
貴種流離譚 だったw >>871
伊都様が小池栄子になってまうから止めてくれ。
ガッキーならOK >>877
松井優征が「豆相記」を読んだら、竜ノ口で斬られたのは時行の影武者ということにして「逃げ上手の若君」をハッピーエンドにしそうで怖いw
>>882
小池栄子の伊都姉ちゃんより、片岡愛之助の八郎兄さんの方がキツイわw 坂東彌十郎さんの盛定に、瀬戸康史さんの弥次郎?
それはそれでみたいな >>880
リシュリュー「私はフランスの子どもでなく宰相です」 大道寺家は通字どころか親の一字も継がない不思議な命名で続いてくんだよね 義政を大泉がやると、また「全部大泉のせい」になってしまう
小池栄子の日野富子は適役だと思う >>891
足利政知は新納慎也、足利義視は迫田孝也かな? >>891-892
鎌倉殿には出てきてないけど優柔不断な景勝さんとイケボ兼続さんのへっぽこコンビもお願いします >>893
エンケンはむっしゅう道灌に振り回された挙げ句、むっしゅうを粛清する上杉定正、村上新悟はイケボを生かして蜷川新右衛門でどうでしょう? 流れぶった切るが
盛頼が質草を
摂津あたりのお大尽に売りつける
と言っているが
そう、この時代はまだ大坂(大阪)の町なんてものはない >>896
あれ声優隠してて酷かったな、ポワロスレで知って無かったら
あやうく買う所だったわ >>895
盛頼さんは堺(和泉)のお大尽にはコネクション無いのかな? 盛定父ちゃんと盛景伯父さんは溝ができちゃったけど
その息子たちはそれぞれないとこ補いあってるというか上手くやってるんだよなあ そら盛景からしたら荏原丸々相続できるはずが
弟が思わぬ出世しちゃったもんだから領地半分持ってかれちゃって
含むところは大きいわな
息子世代は折半状態が当たり前で育ってるから
親父たちほどの確執はないと >>895
住吉さんとかの門前町はあったのではないか だから、当時の摂津南部にも町があって
お大尽が暮らすような土地もあったけど
「大坂」という名の都市が形成されるのは後世のこと >>895
当時、大坂周辺で最大の街である堺は、泉州と摂津にまたがった境界の街だぞ
それ以外にも摂津には多くの街がある
清盛がかつて拠点を置いていた福原とか、その近辺にある兵庫関(入舟納帳で知られるとこ)とかの、神戸市内の要所も摂津国内だしな あー、やっとわかった
まだ大坂って地名がなかったけど街はあったっていいたかったのか
かなり解読に手間取ってしまったわ そもそも戦国時代の摂津国は日本一裕福な土地だ
経済でも石高でも まあもう少しのちには本願寺が一番いいトコロ占拠してまうし福島城野田城が三好の拠点となるし、今の商業都市としての大阪のイメージとは随分違う場所なのよね >>904
堺(さかい)は、大阪湾に面し、大阪市(大坂)の南に位置する都市。また、その市街地を中心とする政令指定都市。
地名は、方違神社付近がかつて摂津国・河内国・和泉国の3国の「境(さかい)[1]」であったことに由来する。市街地はその西方に形成され、大小路通を境に摂津国住吉郡と和泉国大鳥郡に跨っていた[2]。(堺wiki)
盛頼さんのいう摂津のお大尽は堺住吉地区在住かも知れへんね。 尼崎は、瀬戸内海を通ってきた海洋船搭載物資の淀川対応河用船への中継港として、中世の頃から栄えている。
神崎川は、瀬戸内海から長岡京へのショートカットとして掘削された。
これをしなかったら、今の堂島辺りまで遠回りすることになるからね。
現代の吹田市豊津も、「津」が付くとおり港であって、京からの西国街道に直結している。
要するに摂津は港だらけと名前から示してあり、港が経済の中心として金持ちを産むことは昔から変わらない。
その最大が堺というだけで、他にも小金持ち中金持ちは沢山いただろう。
そして当然ながら、金貸しも。 裏を返せば、堺の商人に売りつけることができるくらいの目利き能力が必要ってことになるよね
敷居高いわ >>912
細かいことですまんが、そこで「敷居高い」は誤用な
「ハードル高い」でok ただひたすら一心にアタマを下げろという有り難い教えですな 大陸の玄関口博多は中世から市街地はあまり移動してないのに、瀬戸内海の玄関口大阪はあまり一定してないのは、河川の流路とか堆積の影響かねえ・・・ 古くは、後に大阪城が建つ上町台地の
すぐ西側まで海(当時の大阪湾の海岸線)
すぐ東側にも海ないし潟(完全に干上がった後々まで洪水や浸水の被害が度々)
という状況
明治までの間にも海岸線は変わる、川筋は変わる、
国境も変わる、で
地理的な面では歴史を追いづらい そういやハードルはなぎ倒しても問題ないけど、くぐってもセーフなのかな? 博多もだいぶ埋め立てられてるぞ
知らないだけだろ
川の大きさが違うから差があるだろうけど >>922
サイレンススズカやブチコじゃあるまいし
あれはゲートだけど それを言うなら東京だって道灌の時代の江戸とは全然違うし 道灌より前というか家康の江戸とそれより前は別の町だろ
基礎もクソもない
集落があったレベルの話と江戸の町を築いたってのは別の話だろう >>927
わりとよくある、街の起源を新しく偽る神話の典型だね
今の支配者との関係を強めたいからと、そこの繋がりを持つ以前を草原扱いしちゃうヤツ
鎌倉の街も鎌倉幕府創設より前を寒村と偽ってるし、尾張の小牧城も信長が清須から岐阜に移る前に何年か居城にしてたが、その時点で本格的な城と城下町があったのに、尾張藩の藩祖が小牧長久手の戦いの時に徳川が陣を置くまで寒村だったと偽ったし、
そういうのは全国各地にある 大阪も河川交通、海上交通の連結点だった渡辺津の近くに
江戸時代の商業の中心だった高麗橋とか
株式市場のある北浜とかあるし
鉄道の開通で物流構造が一変するまでは
さほど変化がないような 道灌は後に家康が江戸を本拠にしたことで知名度も実力も盛られてる感はある
岩槻城が本城だったら知名度は景春とたいして変わらなかっただろう そうじゃな
何よりもまず「江戸にお城を建てたひと」と紹介されるもんな >>931
それだけに治水工事の影響は大きい
堺の衰退をもたらした大和川の付け替えとか 堺は川からの土砂で水深が浅くなり港の機能ががた落ちになって衰退したんだっけか
それ以前に大野治房の焼き打ちも一因かな? 同じように川だらけだったはずの大坂が、はっぴゃくや橋(八百八橋)と歌われてるのと大違いだな
てか、大坂では川は船を浮かべて流通路にしてたのになあ
荷物は基本的に船便だよ 剣客商売とか読むと江戸の水運もすごいみたいだったけど >>938
江戸だって同じかそれ以上だよ
ある程度以上の規模の都市は、近代以前は河川の舟運がないと基本維持できない
都内の高速道路網幹線道路の多くが元は水路で埋立地って聞いたことない? 利根川も大川も多摩川も江戸川も渡良瀬川もデカいだろ むっしゅうもファンが大河ドラマ化めざして署名活動やってるんだなあ
新九郎とどっちが先かなあ 家康以前の関東平野の川は、氾濫するたびに川の場所が変わるような状態だろ
ほぼ一本筋の淀川とは違うわな >>939
古河公方の拠点たる古河だって、船で海までまっすぐ抜けられる利便性があって栄えてた街とのことだし、主だった城の多くは同様に船で往来できてたんだろな
街なんてなくて、あたり一面が平野、往来は徒歩か馬
なんて感じの土地は日本中探してもほとんど存在しなかっただろう
なんせ、空いた土地のほとんどは、すぐに森になっちゃうからね
馬で往来できる平野なんて、人の手が入ってるか、もしくは毎年のように洪水で流されて木がはえないか、どちらかだろうから。 城にむっしゅうの銅像がある川越も水運で栄えた
その名残が蔵造りの街並みや寺社などの観光資源になってる
電車も高速も終点あるいは結節点になってる いや河越夜戦か知恵伊豆でしょ
と言っても現地の人たちはむっしゅうしか知らない >>949
タクシーのドライバーがエラい道真推しだった 道灌の親父さんだったらそれはそれで面白いだろうけど(なんだかんだでトラブルメーカーw)、ないわな
天神様はラストが悲惨にもほどがあると思うが >>948
九里四里旨い十三里ってのも江戸から川越までの水運基準なんだよな、確か >>951
スケキヨの方よオッチャンの持論は
江戸の地名と川越の地名で同じの多いでしょう?
あれね逆なの江戸城を築いた道灌の父親の太田道真が川越城を作った時に付けた地名を
息子の道灌が江戸に持って行ったのry
真偽不明 モーニングのワールドイズダンシングが次号で終了。
室町もので大成した漫画やアニメって
一休さんぐらいだな。 >>960
でも先輩だからって優遇するのを断ったり
案外良識も実行力もあるよ
土木部の部員たちを生徒会活動に上手く使ってるし
生徒会長には最適だったかもね 他の時代と違って室町時代は途中から戦国時代でもあるから戦国ものは室町ものなのかどうなのか
例えば武田信玄は室町幕府の終焉僅か前に亡くなったけど、武田信玄の漫画は室町ものなのか?
一般的に言ったらまぁ違うよね 幕末も江戸時代ではなく独立した幕末って括りだし
その時代の政権が存続してるかどうかははまた別だわな ところで原田知世さんデビュー30周年のベストアルバム買った?
僕は買った。 >>965
いちおう、義満が実権を握ってから、聡明丸ちゃんが義視の息子を追い出すまでが室町時代って区分があるからね 広く室町と言ったら建武期や南北朝から義昭追放まで含むだろう
実のところ建武期は微妙だとは思うが
小中学校の教科書じゃ鎌倉時代の次は室町時代だからな 室町ものが少ないと言っても、
序盤の面白いところは南北朝時代扱いだし、
終盤の面白いところは戦国時代扱いだからなぁ。
狭義の室町時代はその間ってことになる。
南北朝の終わりは南朝を解散させて足利義満が実験を握るところだし、
戦国時代の始まりは、従来は応仁の乱からだったが、最近は明応の政変(細川政元が足利義稙を追い出した事件)からとなってる。 将軍を追い出した辺りから下克上という言葉が広がったのかね オレ基準によると三好が管領ヅラしたころからが戦国時代 関東では亨徳の乱からが戦国時代ともされるから、その説だと作中の関東はすでに戦国時代ですしね >>976
それだと南北朝の動乱から享徳の乱の間に
小山氏の乱、上杉禅秀の乱、長享の乱、結城合戦と
何処に落ち着いた時代があったのか聞きたいがな
関東の場合 戦国時代なんてのは通称であって、
室町時代の次は安土桃山時代でその次は江戸時代だよ >>977
鎌倉時代よりは平和だった室町時代だが、全国くまなく平和だったわけではなく、関東を含め各地に、平和の恩恵を得られていない空白があったってことだな
江戸時代以後の平和な時代と戦国時代までの時代との間には超えられない壁がある
のだが、江戸時代初期はまだ、平和な時代になってはいないんだよな >>978
戦国時代とか南北朝時代は室町時代に含まれる区分であって室町時代でないという認識ではないよな
幕末だって江戸時代の中の一区分だし
戦前戦中も昭和の中だ 戦国時代の終了も義昭追放だったり小田原征伐だったり元和偃武だったりとさまざま いがみ合いながら結局気の合う仲間になってしまう構図
新九郎と盛頼
魁と唐沢警部 「新九郎」はもちろん続いてほしいが
今「バーディー」の続きを読みたい
これだけ宗教関連(ほんとは宗教じゃないけど)が世間で注目されてると
オムニバスっぽく描いてもらえないかな
でもどっちかというと対象は神社〇庁っぽいかな こりはいけない
梅を入れたら錆びるではありませんか 矢野俊策「いや、梅干しとピーナッツはちょっと……」
ところで、なんか、首がグルングルンするゲームがあるんだって? 人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの
ささきさんも80歳 このスレッドは1000を超えました。
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